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ご近所のベテランオーディオファイルSさんのお誘いによりTさんのお宅に訪問した。いわゆるオフ会である。

お伺いしたTさんはジャズ好きでオリジナル盤も相当な数をお持ちである。CDも聴くがやはりアナログがメインのようだ。
ご近所のベテランオーディオファイルSさんがキタサンを誘ったのは通常のジャズオーディオマニアにありがちなJBLやアルテックのスピーカー、マッキントッシュやマークレビンソンのアンプ、ゴリゴリした押し出すようなサウンド等々…とは一線を画くシステム、ジャズに対する考え方など おそらくキタサンと同調する部分があるだろうという事からである。

室内の一部を撮影させてもらったが おそらく心当たりがあるオーディオファンの方もおられるかもしれない 有名人である。
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そうスピーカーにはドイツの無指向性スピーカー ジャーマンフィジクス(ユニコーン)を使用、プレーヤーにはLINNのLP12にオルトフォンのRMG212のダイナミックバランスのアーム、トランス内蔵のSPU-GTEカートリッジ使用と オリジナル盤を沢山所有していると聞いていたイメージと少し違っていた。
部屋は専用室であるが比較的こじんまりとしており ユニコーンのスピーカーが壁と一体化している錯覚を覚えるほどスピーカー然としていない。部屋のインテリアと化している。

不思議と思ったのがカートリッジがSPU-GTEひとつで再生、所有しているオリジナル盤は半数がモノラル音源にも関わらずちょっと意外であった。
結構高価な機材(笑)をお持ちでモノラルカートリッジのひとつや二つ難なく購入使用は可能であるとは思うが いまのところ敢えてこのカートリッジを主に再生されているとのこと。実際モノラルカートリッジはオーディオ仲間からよく勧められて簡単に貸してくれるとの事、今度試してみるかと笑いながら話されていた。
超ベテランのオーディオファイル、ジャズフリークでありながら あえてモノラルカートリッジを使用しない?のが不気味である(^_^;)

誘っていただいたSさんは何度もこちらに訪問されているので(sさんはクラッシック専門)本日は同じジャズ好きのキタサンの為にほぼジャズアナログオンリーでのオフ会になった。恐縮してしまう…

アンプが温まるまでしばらくCDをかけて耳馴らしということであったがユニコーンから鳴る音は実に不思議な音であった。
ジャズ好きのオーディオマニアとは違う雰囲気が部屋中に漂っていた。「お好きなジャズ喫茶とは結構違うでしょう」とTさんは笑いながら話していた。

確かに違う、 しかしジャズの熱さはひしひしと伝わる…重い音では無い、それでいて軽くない、不自然な低域の重さは感じられない、ちょっと形容しがたいジャズ再生である。 この音 どこかで聴いた事がある… そうキタサンの家の音に似ている。もちろん音の迫力、厚みなどTさん宅には全く及ばないが雰囲気と自分が何となく求めている音に似ているような気がした。

Tさんはオリジナル盤でもステレオ録音のものばかり再生してくれた。Tさん曰く「コアなジャズファンはモノラル命とばかりステレオ録音をロクに聴かないでモノラルばかり聴きたがるが ステレオ録音も ものすごく良いものも沢山ありますよ」と今回キタサンはモノラル盤ばかり持参して聴かせてもらおうと思っていたところカウンターパンチを食らってしまった(笑) 色々コアなアルバム(ステレオ盤)を何枚か聴かせていただいたが圧巻はこの2枚であった。
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ジャズファンなら知らないものはいないほどの有名盤で渋めのアルバムだが ビージェイのウィントン・ケリーなど このステレオ盤には腰を抜かすほど驚いてしまった。若い時分からCDも含めこのアルバムは好きであったが これほど情感豊かに楽しくなる再生は生まれて初めての経験であった。ズートのパリでの録音も同様である。

Tさんはここ1年ほどオーディオ再生にあたり その調整にかなり苦労されていたようだ。アナログプレーヤーもしかり ユニコーンのセッティングの微妙な位置決め、角度調整など 一斉お金がかからないで出来る調整をコツコツとやられようやく納得のいく音が出るようになったらしい。アクセサリーやルームチューニンググッズに頼らなくても又イコライザーなどではなく最後はやはり自分の耳、感覚が決めてであるとも話されていた。

今回ステレオ録音の再生にあたりTさんがその調整を行ってきたある方法、考え方を聞いたが なるほど~と感心してしまった。
色々 オーディオの事で不思議に思っていた事が幾つかあったが その幾つか?の答えを教えてもらったような気分である。
オフ会では楽しい事も多かったが 今回は楽しさもさることながらオーディオの奥深さも勉強させていただいたような気がする。

最後にタイトルの「良いジャズ」だがジャズは個性的な音楽である。オーディオ再生におけるジャズも人それぞれ再生の仕方、とらえ方が違うと思うので正解はないとも思っている。今回聴かせていただいたジャズは奏者の息遣いが分かる そして迫力も十分兼ね備えた素敵なジャズである そういう意味で良いジャズなのである。それとは又違う退廃的で重苦しいジャズも存在するし 落ちぶれた哀愁漂うジャズもある。再生する人の育ってきた環境、嗜好、考え方により そのどれかに趣きをおいた再生音になるものなんだなぁと帰宅してシミジミ思った。

久しぶりに懐かしいアルバムを見つけ購入した。
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エバンスの「エクスプロレーションズ」である。CDではあるが以前持っていたアルバムでオフ会の時 ラファロのベースがどう聴こえるか?あるいはオーディオ装置によってはベースの胴鳴りなど聴きとれるかどうかの判断材料として使ったCDである。
このCDを買った当初は もちろんそんなベースの音が装置によってどう聴こえるかなんて考えてもいなかったし そもそもCDなので元の音(オリジナル)とは違う。

オフ会を本格的にやり始めたのは今から4年前でオーディオ歴が今年で10年、某オーディオコミュに参加し出した辺りから行ってきた感はある。
訪問するお宅は一軒家もあったがマンションの一室で行っている場合もあり広さも含めて様々な環境で行っている。それぞれ印象がマチマチだが結構皆さん立派な環境(お住まい)でやられているんだなぁというのが共通する感想だった。なるほどオーディオの趣味は高級な趣味(笑)で高額な趣味でもあるのだなぁと改めて感じた。

オンボロアパートで音楽が好きで好きでオーディオ機器も好きで好きでたまらんぞ!という昭和的な感じのお宅(愛好家)もいるかとちょっとだけ思っていたが残念ながらそういうお宅は無かった…

オーディオをやり始めた頃は今より広い環境ではあったが壁は薄く、床もフニャフニャ、隣の部屋の住人に気兼ねしながら聴いていたので音量も小さ目、多少広くても響きがどうだとか、音の広がりが云々など気にするどころではなかった。音楽が部屋の中に奏でていればそれで良かったので音質もそれほど気にしない。所詮ミニコンポ等で長年聴いていた延長線上であったように思う。

話は最初に戻り「エクスプロレーションズ」であるがラファロがまだ生きていた頃 エバンスの黄金のトリオとして活躍していた数少ないアルバムの一つである。
ライブでの傍若無人なラファロの暴力的なベースよりは少し抑え気味だが所々ではビッグトーンになる。このベース音を基調にしてオーディオシステムでどう心地良くリアルに出すか などオーディオ初心者ではあったがジャズはそこそこ聴いていたので色々腐心してあれやこれややってきた。
今はブックシェルフの小さなスピーカーだが当時は分不相応にそれなりの大きなスピーカーを使っていた。「低音がボワン、ボワンする!」「低域に締りが無い」など不満たらたら… そういう中 何件かオフ会で訪問したお宅で聴かせていただいたそれはそれほどボワン、ボワンした低域はしない。更には家では聴こえない音まで聴こえる…
そのお宅での機器類は自分の所とそれほど金額的には差は無い(とは言ってもウン十万以上は ゆうに違いましたが)使っているケーブル類は確かに桁は違っていた(^_^;)etc…

人の家に訪問すると このように環境面、機器類も含めて打ちのめされる事が多かった。その都度 もう少しグレードの高い機器類やケーブル類を使わないとダメなのか?とかそもそも部屋の造り、構造が違うので環境面から考えないといけないのか など色々悩んでいた。その悩みのタネがこの「エクスプロレーションズ」のCDなのである。

あれから家も引っ越し、機器類もどんどんグレードダウン? ビンテージ機器類に変わっていった。更にはアナログに回帰したり 止めていたCDの復活、特殊なスピーカーの配置と当時とは様相がかなり変わった。部屋は狭くなったが音量は結構大きく出せるのはありがたい。壁や床も以前より頑丈で環境面では改善されたところもある。

4年ぶりに聴いたエクスプロレーションズは低域はボワンボワンしない それで締りはソコソコあるラファロのベースの音が聴こえた。
普通の音、良く言えば自然な音である。 その当時自宅では聴こえなかった音は今でもやはり聴こえない(笑) いや聴こえているのかもしれない、要は音だけを聴いてるのではなくエバンスやラファロ、モチアンの織りなす音楽が普通に聴こえる それだけで十分なのである。今は定位や音場もそれほど気にしない聴き方(セッティング)をしているので尚更 音楽だけが聴こえる。

低域がボワンボワンしたのは部屋に対するスピーカーの大きさ、能率、部屋そのもの(構造、材質)の影響、音量など原因は色々あったのだろう。
対処方法で改善は出来ただろうが こちらを改善すればあちらが悪くなるなど 元を正さないと結局だめなのだと思う。 それと音源と言う元も重要だろう。
こちらのオリジナルはどういう風に録られているかも知らなくては対処できないのかもしれない。 そういえばこちらのオリジナルは持っていなかった…
久しぶりにこちらのCDを聴いて 音楽のあやは感じられたのでひとまず満足である、オリジナルの事はもう余り考え無いようにしよう。

欲しかった物が手に入った瞬間 夢から覚めたようになった経験はないだろうか?

欲しかった物は当然大事に扱うが大事にしすぎて使わないでしまっておくこともある。人は所有するという欲望が満たされると安堵するものだ。
昔CDを集めていたが好きだから、面白そうだからついつい購入するが いざ購入してしまうとその後聴かないで棚の肥やしになっていたりする。
もちろん駄作もあっただろうし買ったのはいいが余り好みでなかった事もあるだろう。冒頭に書いた通り 手に入れた瞬間夢から覚めたように求め続けた情熱が急に冷えた感じになる。

書籍もそうだが今やデーター化され小さな箱の中に何万冊という書棚が出来上がる。省スペースで有り難い筈なのだが今一つシックリこない。
音楽も似たような様相になってきている。ハードディスクに大量の音源、アルバムが蓄積されその中の曲を自由に取り出し聴く事が出来る。
そういう利便性は以前から分かっていたが オーディオに関しては更に音質も向上している様子が見受けられる。

最終的にはスピーカーなりアンプやら部屋環境など出口の所はアナログだが先日オフ会で聴いたPCオーディオは音質も悪くは無かった、いやキタサンの所に比べると遥かに音質的には良かった印象だ。技術革新は急激に進んで行くものである。

今月初め70枚程のレコードを落札した事はこのブログでも書いた。好きな?歌謡曲だったのでうれしかったが最近はちょっと食傷気味である(^_^;)。
中には素晴らしいアルバムもあり落札して良かったと思ったりもするが朝から晩までレコード(音楽)を聴いているわけではないし好きなアルバムなどは何度も繰り返し聴くので70枚という数で結構お腹いっぱいなのである。仮に自分が小さな箱(HDDなど)に何万曲と入っていたものを所有してもそのどれだけを一生のうちに聴けるのだろうか?と考える。 いやいやスペースも取らないし持って置く分には構わないじゃない という意見もあるだろう。 その中にはとても素敵な曲があるかもしれないし沢山選択肢があった方が良いに決まっていると普通は思うのだろう…

実は音楽が手軽に聴ける(手に入る)、自分の手の内に沢山の音源があり自由に聴けるという状態は音楽を音楽でなくしているような気がする。

随分 可笑しな事を考えていると思われるかもしれないが豊かな状態の中で聴くのと 本当に音楽を欲している飢餓感の中で(ちょっと大げさかも…)ようやく聴けた状態では感じ方がかなり違うのではないかと思う。 娯楽が少なかったころの昔の音楽は乾いた心を満たしてくれた。いつでもどこでも音楽が聴ける状態、どんな音源も気軽に取り出せる状況に於いては楽しいかもしれないが 心の隙間がいつまでも空いたままのような気がしてならない。

お金持ちはその点 気軽に沢山買える事が出来るから楽で良いと言っているわけではない。そのお金は苦労して手に入れた(貯めた)努力の元 高額品を買ったり、大量に買ったりする分には意味がある事だと思っている。

この3年間 アナログに回帰し、オリジナル蒐集と お金が無いのに相当無理してきたように感じる。
昨年7月からCD再生を復活したが現在のCDは60枚程になった。昔は数千枚持っておりわずか2年ほどの間に何回かに分け処分した。今あるCD60枚の内以前に所有していた盤もそれなりにある、買って1回ぐらいしか聴かなかった盤もあるが 今は繰り返し何度も聴く。朝出かけに聴き、帰宅してから又 聴く事もある。特に有名盤というわけでもないが繰り返し聴く そうなるとこれから先 どれだけの数のCDやLPなど聴けるのか? アナログはだいたい500枚ほどあるが はっきりいって もうそれほど必要としない。

色々な考え方があるとは思うが もはや音楽は生活の中の一部であるのが当たり前になってきている。それ自体悪い事ではないがそれは音楽を私有化している証でもある。私有化するのは自分にとってほんの少しで十分となってきた。そういう意味でオーディオ仲間と付き合いを深めて来た事は良かったと思っている、なぜなら彼らは色々な音源を持っている 聴きたくなれば彼らの所に行けばいい。頻繁にお伺い出来ないからその時聴く音楽はより新鮮に感じるだろう自分にはそれぐらいがちょうど良さそうだ。
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私有化(笑)している音源 バーバラ・キャロルのCD  先日のオフ会で感じた事だがアナログであれPC音源(オーディオ)であれ その所有者の個性が出て楽しかった。
たまたまかけたアルバムでオリジナルの音源も所有していたので音の違いは分かったがそんな事はどうでもよい気持ちになって聴いていた。
それは その方がオーディオマニアや音マニア、コレクターではなく音楽好きな方であったので その表現方法が音源にこだわっていない事がわかったから それが個性であると思ったからである。

3年8か月ぶりにSさん宅にお伺いした。Sさんは某オーディオコミュで知り合った方で昨年9月に拙宅にお越しいただいた。今回はその時ご一緒に来られた若手のNさんとの訪問である。

Sさんはオーディオの他に山と自転車と家族を愛する自然体の方でオーディオそのものより音楽好きな印象を持つ。
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久しぶりにお伺いしたSさんのお部屋はスピーカーの間隔を少し狭めオーディオボードを何枚か購入した以外はオーディオ機器類も変化は無かった。
音源はCDをリッピングしたりネットからの購入の所謂PCオーディオとアナログである。DACはあるがCDトランスポートは無い。
前もって選ばれた音源を次から次と聴かせていただいた。ジャンルは様々である。POPSから始まりジャズ、歌謡曲、クラッシック、ロックetc…合わせると40枚近くのアルバムを聴いた(曲はその中の1曲程度) 半日でこれだけ色々なジャンルの音源を一気に聴くのは滅多にない(笑) 非常に貴重な体験であった。

ウィーンアコースティックから奏でる音は しなやかな音であった。清楚な音であると言った方がいいのだろうか それでいて力強い。
キタサン宅では現在スピーカーが正面にない(笑) 変則的な置き方で聴いているので このように正面にステージが現れる聴き方は久しぶりで少し戸惑いがあった。
なるほどボーカルが真ん中でベースが左、サックスは右方面に位置するなど音像が見事に表れる しかも最初からその位置であるかのように自然な見事な表現である。

見事な表現ゆえ そこにとらわれがちなので敢えて目をつぶり その音像を消し、音色に集中した。
Minimaも美音だがこのウィーンアコースティックのスピーカーも美音である。特にピアノと弦の音が心地よい響きを出してくれる。
ルームアコーステックにはそれほど拘りが無いSさんは部屋に対するスピーカーも含めた機器類の配置等 吟味して調整しているのであろう。同行していたNさんもなんでこんな音がでるのか さかんに不思議がっていた。

Sさんは某オーディオコミュでは北海道を除いて全国津々浦々オーディオファイルとオフ会を経験しているアクティブな方だ。
冒頭にも書いたがオーディオマニアではないと思う、それなのになぜ日本各地のオーディオファイルのお宅に訪問するのかと言うとオーディオの音ではなくオーディオを行っている方の風情を見ているのだと思う。オーディオの音を聴いて自分のシステムに取り入れようとか役に立てようとか(それも少しはあるかもしれないが…) そういう気持ちではないような気がして他ならない。 様々なオーディオの風景を傍観しそれぞれの個性を認め合う、高い機材を使っていようが安い機材を使っていようが関係なく 部屋が広くても狭くても音楽がそこでシッカリ鳴っていれば納得して過ぎ去る 趣味の一つである山登りに似たところがあるのではないだろうか?
音の良し悪しは余り関係なくそこにあるありのままの姿 そうオーディオの風情を見入る事がSさんの全国オーディオ行脚の胆の様な気がする。

ところで聴かせていただいた40枚程のアルバム、色々なジャンル、年代もバラバラであったが その中の3枚は個人的には好きになれなかった。
好きになれない理由は直ぐ分った。その3枚はスィングしないのである。聴いていて体が揺れない、足が自然にリズムをとらないのである。
ジャズばかり聴いているからそんな変な事を言うと思われるかもしれないが聴かせていただいた数枚のクラッシックは全てスィングしたし歌謡曲もしかり体が反応するのである。
アルバム名を言うと差し障りがあるので公表しないが1枚はジャズ、残り2枚は日本のポップス系のものであった。オーディオファイルには好評の良い音源とされるものもあったが… キタサンには残念なアルバムであった。

こちらに着いた時間がお昼前であったのでご近所の有名な焼きそばやで昼食をとった。なるほど絶品の焼きそばだ!人気があるのは分かる。
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オフ会終了後は新年会も含めて3人で居酒屋へ。頂いた福島の日本酒が美味しく、料理も家庭的で大満足、お酒がすすみ日頃の愚痴を(オーディオに関する)若いNさんに爆発、絡んでしまい大変申し訳ない事をしてしまった。反省である。

久しぶりのオフ会 楽しい一日を過ごさせてもらった。

料理とオーディオは似ているという意見は多い。以前このブログでも料理とオーディオの相似性について書いた事がある。

たまたま参加しているオーディオコミュでコーヒーを入れるのとアナログの相似性について意見が書かれていたので なるほどと思ってしまった。

とあるコーヒーショップのマスターが言うには珈琲の美味しさ割合は「生豆55%」「焙煎25%」「抽出20%」だそうだ。
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これをアナログ再生に例えると生豆までは音源 すなわち我々視聴する側がタッチ出来ない範疇の事でいかに音源が大切か分かる。焙煎に関しては機器類のセレクトと どうその音源を鳴らすかの工夫などだと思う。残りの20% 抽出はセッティング、環境などで そこで最終的には美味しさが決まるという事だ。あくまでも例えなので正しいか正しくないかは分からない…こちらの勝手な想像と思っていただいて結構である。
焙煎された豆を挽き粉末にしてドリッパーにセットしたフィルターに入れるわけだが そこからの抽出が大きなポイントであろう。お湯の温度も関係してくる、厳密に言うとフィルターの種類も紙や布などもあり ドリッパーもプラスティックや陶器、クリスタルとこちらも種類がある お湯の注ぎ方 これが要である。と このようにアナログを再生する儀式の面倒くささ(笑) 大変さ、などと似ている節がある。

ひとつ言える事はドリッパー、サーバーなど珈琲器具はオーディオ装置程 お金はかからないで入れ方によっては美味しいものが飲めることであろう。
この理屈からするとオーディオ機器もそれほど高価な物でなくてもちゃんと素晴らしい音で音楽を奏でる事は出来る…と思う。

昨今 珈琲豆の不作が栽培地で続き 珈琲豆が高騰している。更には中国など後進国?の富裕層が嗜好品を嗜むようになり需要と供給のバランスが崩れている事も影響している。珈琲豆であれば何でもいいのかと言うとそうではなく丁寧に作られた希少品を求めて それらの価格が上がる…
まるでジャズオリジナルレコードの異様な価格体系のようだ(笑) さしずめブルーマウンテンはブルーノート、ハワイコナコーヒーはリバーサイドと言ったところか…

ところでコーヒーを入れる面倒くさい儀式?を行わないでもコーヒーを飲みたい時はあると思う。
そういう人の為にインスタントそして缶コーヒーが出来たわけだが この過程もアナログからCDに移った経緯と似ているような気もしないではない。
儀式を通さなくても現在では高級インスタントコーヒーもあるし、缶コーヒーでも美味いものが販売されているから馬鹿に出来ない。

有名チェーン店でのコーヒーの持ち帰りサービスはさしずめネットオーディオ、最近ではコンビニのセルフ式による入れたてコーヒーはPCオーディオになるのか?などなど…コーヒーひとつで色々な事を妄想してしまった。キタサンのいつもの癖である。

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何故 デューク・ピアソン? そうこのアルバムにはキタサンの好きなブラックコーヒーが入っている。サラ・ボーンやペギー・リーの同曲が入っている有名アルバム持っていないだけなんですけどね(笑)