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長い休み

土曜日は仕事であったので世間でいう10連休ではなく9連休である(;'∀') どちらにしろ自分と 同世代の男性なんかはこれだけ長い休みを取れるというのは特別な場合を除きそれほど多くなかったと思う 先日仕事場でも「サラリーマン生活でこれだけ長い休みは取ったことがない」とある 年配の方が話されていた…そういえばキタサンもお盆休み、正月休み、昨年までのゴールデンウィーク等含めても これだけの連続しての休みは経験したことがない。

世評を反映してか「何もしない」「のんびり近場で過ごす」など控えめな意見も多いが それなりに行楽地、海外旅行などお金の掛かるレジャーなどにここぞとばかりに消費する人もいるだろう 人が動かないとお金も循環しないので結構な事だと思っている お金のある人は遠慮せずにドンドン使っていただきたいと思う。

それはさておき この休みというのは働く事に対する休みであり期限が決まっているから さぁどうしようと考えるのであって働いていない人にとっては(学生など除く)それほど興味はない事なのである。キタサンは冒頭でこれほど長い休みは経験がないと言ったがそれは働いている時の休みであって 50歳手前で失業してそれから3年間はほぼ無職状況であったので毎日が休みであった… よく定年になり何もすることが無く家でゴロゴロして奥さんに邪険にされるなどよく聞いていたが人は何か動いていないと(デスクワークでも構わない)色々な面で退化していく 退化していくのは自然な事なので仕方がないがそのスピードが速まるのは自然ではない。 自分はその時 定年が10年早まっただけと考え 資産や別の収入源があったわけではないがとても楽観視していた記憶がある 生活面では色々な見直しをし最低限どれだけあれば生活できるのか(食べていけるのか)などシュミレーションを行いながら生活した。食費を今までの半分位で生活したらどうなるとか逆に失業する前から始めたオーディオ(贅沢な趣味)を継続したら あるいは止めたらどうなるとか色々試みながら生きてきた サラリーマンでそれなりに長い期間勤めていたので老後受け取れる年金の額(多い少ないは別として)でどのように生活できるかなども計算(考えながら)しながら今に至る。

若い頃(30代後半)は浮浪者の人達とも知り合い?その生活も見てきたし 住む場所も世間体を考えなければ何とかなると思っている(笑)、食べ物もこの日本では食べられるものまで捨てている贅沢な環境である これも何とかなる 問題は生きる目標、生きる動機のようなものが見当たらないとかなりキツイと思っている。
遊びごとや趣味など個人的なものでも構わないのだがリタイアしてから始めるのでは遅く 何かをやる、始めるのはいいのだが何のためにやるのかがとても大切でその思いというか考えがないとやっていても空しくなるだけで続かなく いずれ何もしなくなってしまう。

定年後3000万~1億はないと安心できないとか評論家は言うが人それぞれ育ち、環境が違うので 一般論で不安がる必要はない。歳をとってくると余計なものが堆積してくる 物質的なものもそうだが名誉だとか過去の栄光やら経歴などそれを引きずって生きていくのはしんどいと思ってしまうのだが中々捨て去る人は少ない そういうものをよりどころにするからである 裏を返せば不安だからなのだろう  オーディオの趣味やレコードの趣味を止めたのも(スローペースにしたのも) 金銭的な事もあるが見えない音(音楽)に対して過度に物質的な物は不要だと考えたからである  この辺は各人の生き方の違いになるので考え方は色々あるだろう。

働いている間の長い休み そして働かなくなってから死ぬまでも長い休みがある お金が無ければできない事もあるしお金が無くとも出来る事もある 自分はお金が無いから無くとも出来る事をやっていこうと思っている そのシュミレーションは無職時代に経験してきた。 一般的な老後の 皆が夢想する悠々自適、沢山の家族に囲まれて幸せな生活、今まで行ったことがないような国内、海外の旅行など自分には縁はないが自分なりに満足が出来る生活は可能だと思っている。

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イタリアジャズ界の至宝 ジャンニ・バッソ、ディノ・ピアナ率いる イディア6  良い歳の取り方をしているベテラン勢が味わいのあるジャズを披露している。

by kurama66644 | 2019-04-29 11:05 | 雑感 | Comments(2)

賞味期限と消費期限

食べ物を買うとこの「賞味期限」と「消費期限」の文字を見かける事が多い 日本では食品衛生法とJAS規格で定められており加工食品には必ずどちらかが明記されている。
簡単に言うと美味しく食べられる期限が賞味で安心して食べられる期限が消費である。昔は品質保持期限と言われていたこともあったが今は賞味期限に統一されている。

食べ物に対して安全衛生はとても大事な事である…それが前提であるが日本では余りにも食品ロスが多いのが実情だ。
ちょっとでも消費期限が過ぎたら捨ててしまうし消費期限が近づいてきたものも捨ててしまう それが莫大な量になっている 当然廃棄コストもかかるし小売店は仕入れ損になってしまう。それだけではなく消費と賞味の区別なく期限が来れば捨ててしまうケースもものすごく多い 賞味期限は美味しく食べられる時期の明記でそれを多少過ぎたからと言って害はない メーカーによってまちまちだが賞味期限の3割から4割位の余裕は持たせてある 180日間が賞味期限と書いてあればあと50~70日ぐらいはプラスしてみても大丈夫だ。

それにしてもこういう表記に頼らなくてはならないなんて…自分の小さい頃は匂いや見た目で判断して食べるか捨てるかしていた記憶がある そういう五感をフルに使わなくなってきたので体の耐性も弱くなってきたのかな? 今の子には勧められないが自分の子供時代「3秒ルール」というのがあり床や地面に食べ物が落ちても3秒以内なら大丈夫という風潮があった(笑) 実際自分もそうしていた 食べ物は貴重だったからそうしただけで ちょっと水で洗えば大丈夫だったしお腹を壊したこともなかった。今の子供たちがそんなことを実践したりしてすぐお腹を壊し食中毒なんかになったら大変な問題になるのだろうな~

本当は加工品など今の生産量の6割程度で事足りるのではないのか?と思っている 感覚的には作った半分は捨てているという感じ 過剰に自然を壊し作物や魚を捕り 無理やり牛や豚、鶏など育て肉を作る…何かを犠牲にしないと人間自体生きられないのはわかっているが何でも無尽蔵にころがっているわけではないので自制は必要だよと思ってしまう。

最近では全国的にこの賞味期限を過ぎた商品を格安で売るスーパーなんて流行っているようだ 確か都内にも何件かあったはず 店主の物を無駄なく廃棄ロスも無くす思いもうかがえるが買う立場の人間としては無駄を無くすというより節約志向の方が高いような気がする。近くのスーパーでも閉店が近くなると消費期限表記の時間を見 店員が値下げの札を付ける それに群がるかのように人が集まる 昔からそういう光景は見かけたが近年益々多く見かけるようになってきた そういう面からしても景気は良くないと思っている 恩恵を受けている人は見て見ぬふりをしているだけかもしれない そういう人達は景気がいいと考えているのだろう よくいう2極化でもある。
この話をすると又 自己責任論的な事も出て堂々巡りになってしまうので景気の話は又 別の機会にするとして賞味期限が切れたものとそうでないものはそれほど違いはない、特に煮たり焼いたり再度加工すると分からなくなる もっとも風味や鮮度は劣化すると味と言うか人はけっこう敏感になるもので大切なものだと思っているが一部の食通の方以外はそれほど気にしないような気もする。

食材自体の持ち味を生かす為の賞味や消費期限という意味ではなくあくまでも衛生の面で重きをおいている今の時代 それほど「味」には関係が無くなっているような気もしている

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久しぶりに聴いたソフィー・ミルマン 何が懐かしいかってオーディオを始めて数年してから他人のオーディオを聴くようになったいわゆるオフ会等をするようになった頃 よく聴いたアルバムである。出だしのシンバルの音がはじけるように広がるかとか オーディオの音の鮮度をあれこれ言っていたのを思い出す ハイエンドだとどうなるのか ビンテージだとどう聴こえるのかとかその頃は興味津々であった。家のMinimaやアマトールで聴くこのソフトは当時と音の鮮度は変わらなく 素晴らしいアルバムだと思う ただ鮮度とは劣化するから分かる事で鮮度が変わらないほど不自然な事はない オーディオの「音」だけ聴くってちょっと怖いことでもある。

by kurama66644 | 2019-04-28 11:08 | 雑感 | Comments(0)

ルノアール

ルノアールといっても絵画ではない 絵画はルノワール? 東京23区、神奈川を中心とした喫茶店ルノアールである。

銀座で働いていた頃はこのルノアールには大変お世話になった 特に東銀座歌舞伎座の近くにあるルノアールには感謝している。
なんだ喫茶店に入りびたりしている売上の上がらないサボり営業マンであったのかキタサンは!と思われるかもしれないが兎に角ここの珈琲はよく飲んだ。

今は低単価のカジュアルな喫茶チェーン店が街のいたるところにあるが椅子と椅子の間隔も狭いしゆっくりとくつろげはしない 特に昼時昼食も兼ねて行くと並ぶし いざ座ったとしても並んで順番待ちの人を見ていると落ち着かない 最近は殆ど行かなくなったが分煙も簡易的で煙草の煙やにおいも鼻についた そこへ行くとルノアールはゆったりソファーに広い空間 最後はお茶も持ってきてくれる インテリアが昭和的でレトロモダンな感じ 多少珈琲の値段は高めだが(昔なそんなもので今が安すぎ)オジサンには受けが良い。もう少し分煙対策をしてくれればよいと当時は(10年以上前)思っていたが今はしっかりとやられていると思う(実は10年ぐらい行っていない…)

通っていた当時はソファーがゆったりとして柔らかいせいか寝ているオヤジが多かった 商談に使われることもあったが単独で来られる方は最初の内は手帳で予定など見、メモ書き等終わった後 大抵は寝ていたように思う 外回りの営業マンなのだろう お疲れ様です(;'∀') そして場所柄かもしれないのだが歌舞伎を見た後に来られる年配の方たちも結構いたように感じる 店内は比較的静かだったのでその話声も自然と聞こえてしまう 歌舞伎鑑賞そして銀座でのショッピングとそれなりに余裕のある人たちの会話なのだが不平不満の声が飛び交う こんな?贅沢をしているのにまだ満足していないのかと欲望の深さを感じてしまったりしたものである そうそうこの頃から人間模様を観察する癖がついたのかもしれない それがのちに万引きGメンになるきっかけになったのかも?と当時を思い起こす。

このルノアールもチェーン店ではあるが最近のカジュアルな海外から輸入のお店とは違った独自性を出し 売り上げも好調な様子である。原価率が低い珈琲をメインにした店舗を中心に広範囲に展開していない点も原因の一つのようだ。そうはいってもコメダ珈琲やら星乃珈琲などライバル店も多く 今後の展開をどうするか課題もある。

ここ10年ぐらいは自分で豆を挽いて飲むことが殆どになった。家で飲むといえば昔はインスタントコーヒーであったがちょっと手間をかけるだけで今では喫茶店の珈琲より美味しいものが出来る 無理して外で飲む必要な無くなった 豆類は多少高い物を使っているが外で飲むより格段と安上がりで済む。
ジャズ喫茶は喫茶店とは趣が違いどちらかというとオーディオやレコードを聴きにいく特殊な形態の喫茶店でもある 珈琲自体それほど金や手間をかけていなく更にはオーディオなんかも一般家庭でそれなりに音を出す装置が普及している現在 無理に行く必要はなくなった。希少価値なレコード等も当時はあったが幻の名盤といわれたものも再発CDなどで発売され幻でもなんでもなくなった…行くとすればあの独特な雰囲気を求めていくぐらいしか理由はないので廃れていくのは仕方がないことなのか。
純然たる珈琲だけでは採算が合わないのでアルコール類の充実とライブハウスとしての場所の提供とそちらにシフトしていくジャズ喫茶も多い というか若い人はジャズ喫茶自体知らないし 今のスターバックスやドトール、タリーズなど「喫茶店」と呼ばないんだろうなぁ~

年齢の人口バランスも崩れ高齢者が多くなってきた 中年か年寄しか喫茶店に行かなくなり若い人はわざわざ高い珈琲なんてお店へ行ってまで飲まない コンビニの淹れたて珈琲もあるしそれで事足りる。喫茶店もサービス業でお客は神様なんて古い考えをもった年寄りはクレーマーの如く「味が薄い」「サービスがなっていない」 なんて文句ばかり?言うような感じがしないでもない…
自分も年寄りに近くなってきたから怒る気持ちも何となくわかるが 喫茶店というか飲食店はホント大変だと思う。

昔話と自慢話、説教は嫌われる三種の神器?特に若い人に対してこれを言うと嫌われる事間違いなし! キタサンもブログで昔話が多いので要注意(-_-;)

そういえば20代後半のころ本気でジャズ喫茶をやってみたいと思ったこともあった… 言ったそばからまた昔話が(-_-;)

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本文とは何も関係がない ヒラリー・コール この人の声 何となく伊東ゆかりに似ていると聴いていて思った…昨日古い動画でザ・ピーナッツ、伊東ゆかり、弘田三枝子が共演しているのを見た影響か?

by kurama66644 | 2019-04-25 10:47 | 雑感 | Comments(0)

選挙を考える

本日は統一地方選である。地元の区長と区議会議員を選ぶため投票しに行く 成人してからもう何十回選挙に行っただろう?回数を重ねるごとに感じる事がある 若い人が少ない 候補者もそうであるが投票者も若い人が少ない…

若者、あるいは中年層の選挙離れと言われている 自分一人では変わらない、自分が投票しなくても影響はないと 遊びやレジャー、私用と投票に行かないケースが多い。それに対して暇を持て余している(失礼)年寄りは朝早くから投票行動を起こす 投票する候補者は安定している人、実績?がある人、経験の多い人、福祉医療に貢献する公約をうたっている人等 自分に有利な人を選ぶ 相対的に年寄りが増えてきたので年寄りに有利な発言をする人が通ってしまう。

若い人は年寄りと比べると人数が少ないので所詮無駄と諦めてしまう人がいるが最近は政党を特に支持しない無党派数の人が選挙のカギを握っている 投票率が高ければ高い程この無党派数が大きく影響してくる 若い人が投票するという行動を起こすだけで政党多数にに胡坐をかいている人達に脅威をもたらすのは確実なのである。

人は欲で動く事が多い たとえ投票に値する候補者がいなくても若い人が必ず投票するという事実を作れば候補者は若い人向けの政策を公約するようになる。
自分の一票が政治を世の中を変えるとなると人は必ず投票行動を起こす 投票率が低いのは現状に満足しているというよりはある程度普通に暮らしているから選挙、政治なんて二の次と考えている人が多いからだと思う。生活が貧しい、あるいは戦争で貧困を余儀なくされている国の投票率は100%に近い。それは生死がかかっているから明日の生活が見えなくなるからそれは必死になる 面倒くさいから 何も変わらないし…なんて言っているのはそれなりに余裕がある ゆとりがあるとしか思えない それは怠慢と言うしかない! そういう面では日本は平和と言うか危機感のない国だと思う。

日本人はまじめで勤勉よく働く礼儀も正しいし謙虚と日本を称賛する記事が結構見受けられる  日本は美意識が高く繊細で芸術にもそれが反映されているという 本当だろうか? ひと昔前まで確かにそういう面もあったかもしれないが現在は違うように思う。そうであればブラック企業なんてこれだけ世評を浴びるほど存在するだろうか 自分は体育会系ではないが普通の挨拶もできない人が沢山周りにいる 周りが見えないのだろうか あるいは挨拶するのが格好悪い、自分から挨拶すると下の立場になると思っているのだろうか?コールセンターに勤める知り合いがいるが信じられないようなクレームを言ってくる人が後を絶たない 外国の方もいるが殆どが日本人からのクレームである 一言でいうと自分しか見えない自分の事しか考えない そこには礼儀も謙虚さのかけらもない。

突き詰めていくと子供の頃からの教育、家庭環境による事も大きい そして貧困からのゆとりのなさも関係しているだろう それは政治による社会制度の不備が原因ともいえる。政治の状態はそのまま映し鏡のように我々に返ってくる 決して他人ごとではない

候補者を選ぶというのは意外と難しいものだ 見た目で選ぶ、名前は聞いたことがあるから選ぶ(有名人、芸能人など)、田舎に行くと選挙演説で握手したから、言葉を交わしてくれたからとそれだけで選ぶ人も少なくない公約なんて二の次と考えて投票する人が大半を占めているような気がする。公約自体任期が終わったあと見直しをしないからそうなってしまう 選ばれればそれっきり その辺りが分かるように役所や自治体など公の場で2期目3期目など再選を望む候補者にたいして成績表をテレビでもネット、雑誌と分かるように発表したらよいのにと思うのだが…たぶん言い訳で終わるのだと思う 個人の力ではどうにもならなったとか党の方針で阻害されたとか 大体想像はつくだろう。だから全体的に抽象的な公約が大半を占める 法律と同じで言い訳ができるように玉虫色のぼやけた公約をするようになる。

そうであればピンポイントの具体的な公約を掲げる候補者を選んでみたくなるのがキタサンの最近の傾向だ その公約に注視して世の中の情勢をみていると変わったかどうか分かる 政党や経歴、役職には関係なくセレクトできる 一つの目標も完結出来ない人が多数の目標なんて達成できるとは思わない。

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元は警察官だったのにロシアンルーレットで暴発して自死なんてジャズマンらしいというか…オリジナル盤はないけどこの再発盤でも中々聴かせてくれる好きなヴィブラフォン奏者 レム・ウィンチェスター 合掌。

by kurama66644 | 2019-04-21 08:44 | 雑感 | Comments(0)

無くなるもの

「印鑑レス化にハンコ業界猛反発」という記事をみて 印鑑は様々な所で使用 それが無くなると印鑑を作る業者の売り上げは当然落ちる(無くなる)わけであるから関係者は必死になるはずだと 興味深くその記事を読んだ。

売買などの契約 相続関連、届け出 会社でもあらゆる場面で印鑑は使用されている。 日本では印鑑は一つの文化でもある。
実はキタサン 前職で印鑑業界にも関係していたのでその製作、あるいは製造原価など結構詳しく知っている 実際製作現場にも行ったしあと手作りの印鑑と違うが大手メーカーのシャ○ハ○さんなどは製造工場も見学したことがある。

偽造を防止するため微妙に同じ字体でも変えてはいるがそもそもその人が本当に捺印したのか? なんて見ていなければ分からない 偽装以前の問題で倫理の問題でもある
忙しい時山積みになった書類に機械的に捺印する事なんてありえる あとから問題になって誰が押したのかその証拠といってもロクに内容も見ずに押して返答に困り責任の所在がうやむやになってしまった その実情は経験者、関係者なら分かっているはず そんな事件?もニュースでは見かけたこともある。
電子署名も以前に比べだいぶ使われるようになってきたが感覚的にまだ紙ベースでの印鑑使用は多いように思えるのだがどうだろうか?それは企業規模の大小問わず日本人の懐疑的かつ新しいものには慎重に対峙する性格にも関係するように思える 便利だからといってもしもの場合… とすぐに躊躇して中々踏み出せないのではないかと思う。
はるか昔(20~30年前)から紙は使わなくなりペーパーレスになると騒がれていたが結局 紙は無くならずペーパーレスの仕組みを作っても念のためと言いつつ紙で保存するという企業もまだまだ存在する(笑)
レコードやCDなどの媒体がいまだあるのは物としての存在感を求めているからなんだろうと思う 仮にリッピングやコピーをしてその元の媒体は必要なくなるが取りあえず取っておくと言うのは保存した物が消える可能性もあり安全のための措置でもある そうすると保管性の利便性もなくなり本末転倒のような気もしないではない…

キャッシュレス化も進んできており日本はまだその点では後進国である。そもそも物々交換で始まった(支払いの方法)が不便な為 硬貨そして紙が代替えとして使われたがいつのまにか紙やら硬貨がその価値そのものと捉えられるようになってきた よくサービスの対価と言う言葉があるが人によりその価値は違う そうするとそこで支払われるお金の価値というのは何だろうと疑問にも思う ある人は100万の価値があるといい別の人は一銭の価値もないという 供給した本人は大体50万ぐらいの価値かなと?言う全くデタラメというかいい加減なものである。色々と影響力のある人が決めた価格がそうなるのか多数の人が納得したあるいは認定したものが価格になるのか何だか よく分からない。
キャッシュレス化以前に価値やお金そのものの意味を考えないで使用していると大抵は騙されていると考えた方がよい そこでキャッシュレス化なんて更に見えなくした分には尚更訳が分からなくなり 頭のいい人や要領のいい人に搾取されていくように思う。

最近はブロックチェーンと言う言葉もよく耳にする 簡単に言えば台帳のことだ 台帳なんて言葉も今余り使われていないかも… ネットを通し全ての取引記録が分かるようになる仕組みだが 傍から見ると不正や偽造がなくなりオープンになるのはとても良い事だと思うし 今後こういう仕組みが増えていくだろうと思う。
ただ今までインチキな事をしていた人にとっては邪魔な存在で反発することになるだろう 世の中を動かしているのはどこかしらインチキや不正を裏でしている人が多いと感じている もちろんその規模は大小さまざまで余りにもあからさまな反権力のものが捕まったりするだけで表面に出ていないだけである。

今の世の中 便利さや効率、儲かる、儲からないの基準で無くなっていくものも多い シンプルが一番 何も持たない生活というミニマムな思想も昨今は見受けられる 逆に良いものに囲まれた豊かな生活を望む場合も多い それはあくまでも個人の生き方によるもので物を沢山持っていても心は寂しい人もいるし無くても大丈夫な人もいるだけに過ぎない。本当に怖いのはその存在の意味を考えなくてもよいように便利で楽が一番と考える今の世の中の仕組みや雰囲気で その「判断力」までが無くなるともう無秩序な世界になってしまう いや もうそうなっているのかもしれない…

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CDは無くなるかもしれないがアナログレコードは無くならないように思う。音楽としてより文化遺産的側面で残るような気がする 
久しぶりにこのレコードを聴いてみたがエバンスの無理に明るく振る舞う独特の語り口調が面白いと感じた メジャーコードに♭9をぶつけるなど型にはまらない演奏もエバンスらしい アナログ機器も高価な装置が多くなってきた 生産量が限られるので高額にならざる負えない そうしないと商売として成り立たなくなる
メーカー側も廉価で良い製品をと考えているだろうがそれならばCDや配信の方に分がある 中々難しい問題でもある…

by kurama66644 | 2019-04-20 09:59 | 雑感 | Comments(2)

QUADの復権

タイトルからして誤解されそうだが これはあくまでも我が家での話でオーディオメーカーQUADが現在どういう位置づけにあるのかは知らない。

昨年から英国アンプ クリークを使い普通のオーディオ?に戻り その後ピアノに傾倒していきオーディオへの関心は薄れた ただスピーカーはソナスの2機種があるので1か月~2か月おきぐらいには交代して聴いている(スペースに余裕があれば2機種置くのだが…)クリークは一言で言えば幸せな音を聴かせてくれる マニアが好きな音は出ないがほのかな甘い香りと桜色の音色が美しく感じる そういう出音に満足していた。

ピアノの横に半ば引退状態のQUADのアンプを置いている ソナスのスピーカーを一定時期に交代して聴いているのにQUADだけほったらかしでは不公平と思い約半年ぶりに復活!現在このようになっている。
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セパレートアンプの2段重ね 相変わらずいい加減な置き方である…CDPもQUADに替えオールQUADにした(※アナログプレーヤーは国産) 先般12年前の聴き方に戻った記事を書いたばかりでなんだが何気に聴くのではなく以前のクリークの音と聴き比べながら鑑賞(笑) 何気に聴く習慣は戻りつつあるが12年間オーディオに接していたので完全にオーディオ聴きの癖を脱却できたわけではないようだ(;´・ω・) まぁそれはさておき 久しぶりのQUADの感想はと言うと「秘めた熱さ」を感じた。

秘めた熱さと意味不明な表現をしてしまったが冷静な中にものすごく熱い情熱を感じるという意味である クラシックは余り詳しくないがジャズなどはブルーという表現が良く使われる 熱さが伝わる赤色と対照的だがその赤と青が同じ音楽、楽曲の中に同時に存在する不思議な音楽のジャズ それを上手く出している装置だなと思う。一般的にジャズにQUADなんて合わないように思えるが使っているスピーカーMinimaとの相性も関係しているように思う 能率の低いスピーカーをドライブするのにパワーより駆動力(トルク)が重要である そもそもジャズをメインで聴くのにMinimaなんて小型のスピーカーを使っている人は少ない ただこのスピーカー パワーをつぎ込んでやれば又別の側面を見せる 音源を素直に出すモニタースピーカーとは違い 作り手の意思を音として表すMinimaはいったん手放しても又 聴きたい、買い戻したいと思わせる数少ないスピーカーの一つでもあると思う。

アンプのパワーで部屋の調音をねじ伏せたとキタサンが参加しているコミュで記事に書かれた方がいた 同じく部屋スペースは狭く苦労され工夫して音楽を聴いている方であるがその方もアンプを変えて変化したと記事に書いてあった。このQUADは中古でマニアの方からみると年代物の格安品としてしか見られないかもしれないが現在の測定器重視、データー重視で作られたアンプとは一線を画く それはminimaにも言える事で偶然とはいえQUADとMinimaを所有できたことは大変誇らしく思う。
聴きやすさからいうとクリークなのだが熱さや押し出し感の強さなどはQUADのほうが感じられ 音楽の楽しさを味わえるように思う

QUADのパワーがもたらす音楽のうねりを感じ久しぶりにオーディオに向き合っていたが… まだハノンの練習の途中であったことを忘れ慌ててピアノ部屋に戻り おぼつかない指で打鍵しているキタサンであった。

by kurama66644 | 2019-04-17 09:45 | オーディオ | Comments(0)

12年前に戻る

一応今回のカテゴリーをオーディオとしたのでこれはオーディオの話である。
(※カテゴリーに雑感を追記 今後キタサンのぼやきとして雑感が増えるかも?(;´・ω・))

やっとというかようやく12年前の聴き方に戻りつつあるそうオーディオを始める前の感覚にである
ちょっと何言っているか分からない?と思われるかもしれないのだが確かに戻ってきているのである…オーディオ装置に、ソフトに、音に拘らず何気に聴いていたその時に それが12年前の2007年3月以前の状態にである。

やはりピアノを始めた事が大きい オーディオの電源は入れるが本当に何気にしか聴かない 気が付けば同じソフト しかもCDしか聴いていない、音楽に感動するという感覚でもなく本当に何となく音が流れている 音が良いとか悪いとかという意識もない 当然もっと良い音で聴きたいとか別の機器も試してみたいとかの欲望もない。
その当時と違うのは音がどういう構成音になっているのだろうか?とかリズムはどうか?など作った人がどのような心情で演っているのかと分析的に聴くことが多くなった そして気になった音やフレーズをピアノで鳴らしてみる いわゆる耳コピーである こういう時に傍に楽器があるのは有り難い 即座に試すことが出来る。もちろん毎回毎回こんなことをやっているわけではない あくまでも気になったフレーズ等があり乗り気になった時の事である 殆どは何気に聴き流す だから以前のミニコンポやラジカセとある意味同じ感覚 「流れている」その感じが大事。分析的に聴くフレーズはあくまでもピアノの練習に絡む事 ただ音はラジカセやミニコンポなどと質は違うのは認める

別に達観したわけでもなくまだまだ欲はある オーディオの世界やコレクターの世界(レコードなどのソフトなど)に足を踏み入れて良い事も悪い事も感じ色々と楽しめた。
ただこういう世界はどうしても差を競ってしまうものであることも分かった 自分はその気が無くても周りに感化されてしまいがちである もちろん関わっている人すべてがそうではないと思うが差ではなく違いと認識している人はごくわずかしかいない それは当然のことで当事者になってしまうといやでもその雰囲気に同化してしまうからである。
今あるものを捨てるないしはそこから離れる事で客観的に見る事ができる ただこれまで培ってきたものを簡単に捨てるのは容易ではない。自分もかなり捨てて(手放して)きたが価格的にグレードダウンしているとはいえ買い戻したり新規で(中古で)購入したりしていた…結局はこだわりを捨てきれずに12年続いているということでもある。

自分の場合は金銭的に余裕が無くなってきたことも原因ではあり(元から?)オーディオをという趣味も二極化していると肌で感じている。散財大歓迎という羽振りのいい人もみられ そういう人がオーディオの世界を支え それ以外の人は小型で簡易的なもので楽しみ別のオーディオの世界を築いている。高性能、高品質、拘りと一部の人たちだけが楽しむ閉鎖的な世界に進んでいるようにも思えてしまう そして先ほど挙げたそれ以外の人が利用する小型で簡易的(最近では高音質?)な装置、環境で音楽を楽しむ人はそもそもオーディオの世界なんて呼ばないし眼中にないような気がしている そういう人たちは実際の演奏を聴きに行くことも多い 機器や媒体(ソフト)が売れなく右肩下がりの状況が続くがライブやコンサートは相変わらず人気がある 趣味は多様化しているが音楽を聴く行為自体さほど昔と変わらない。

レコードもオーディオ機器も徐々に売却譲渡しているがこの間 オリジナルに狂って?いた時にようやくの思いで購入したアルバムを売却した。このアルバムを売却できればその当時の思い(過去)も捨て去る事が出来ると思ったからである 結果は二束三文にしかならなかった(笑) 貧乏人にしてはかなり無理して大金で購入したアルバムだが まぁこんなものだろう 物に価値を見い出し夢中になると本当の価値も分からなくなる実例でもある。それよりも何もない所から作った自分のフレーズやコード 曲を弾いている方が今は楽しい 自分で作った本当のオリジナルが手元にある そのオリジナルも一瞬の内に宙に消えそして又新たなオリジナルが出来る その繰り返し。常に流れていくという感覚を持っていないと澱んでしまう。

12年前の聴き方に戻った自分は後退したのだろうか?オーディオの2極化そのどちらとも違う道を進んでいると思う。

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大病を患ってから5年振りのアルバム「ラプソディー・ジャパン」年齢を重ねて人生経験を積んでくるとある日思う時が来る きっかけは色々だが顔つきが変わってくるものである。

by kurama66644 | 2019-04-14 09:32 | オーディオ | Comments(0)

上を向く

1年ほど前から外を歩く時 なるべく上を向いて歩くようにしている。上と言うか前方の空を見る感じで歩く そうすると当然ながら視界が広くなり今まで気にしなかった風景が見えてくる 時々だが龍を見かける(-_-;) 頭がおかしくなったのかキタサン!と思われるかもしれないが確かに龍の形をした雲を目にする…都会では余り見かけないが昔バイクでツーリングをしていた時 特に山中ではよく見かけた その姿は正に空中を泳ぐようにユラユラとゆっくり動く 龍が胎動している時よく天候が急変したのを覚えている そりゃあ山の中だから天候は不順で変わる事は珍しくないと言われればその通りだが 龍の仕業だと心の中では思っている。

東京地方は桜は今がピークだが この時期 上を見る人が多いのは嬉しくなる そう桜を見るのに皆 顔を上げる 険しい顔をしてみる人はまずいない 家庭で、仕事で色々イヤな事があっても不思議と桜を見る顔つきは柔和になり幸福感漂う。桜の花そのものも美しいが上を見ることにより広さを感じ 今抱えている問題なんかもほんの小さなどうでもよい事に過ぎないと落ち着くからではないかと思っている。

子供の頃家の屋根に上って空を見る事が多かった 田舎だから周りに大きな建物もない360度視界が広がる大パノラマである 地上にいる時より風を感じ心地よい気分にさせてくれた 関東の瓦屋根とは違いトタン屋根である 夏場は太陽の光で熱くなるのでやけどに注意だ 自分でおにぎりを作って水筒に麦茶を入れピクニック気分で空を眺めていた。

冬になると雪が降る 北海道だからサラサラの雪である 思いきり首を90度上に向け空から降る雪を顔で受けていた 雪と体が同化する感覚に陥る。
雪は冷たいものだと思っている人が多いが雪の中に身を置くと意外と暖かいものである もっとも本当に寒い地域 北極やら南極あるいは高山などではそんな悠長な事は言ってられないと思うが…札幌より電車で1時間ぐらい北上したところであったが冬場にはそれでもマイナス10°以下は珍しくない たまにだがダイヤモンドダストも見かけたことがあった。

以前からこのブログで街角や電車の中で皆うつむき加減の状態にいると書いたことがある 殆どがスマホを眺めている…スマホ自体は悪くない 今にスマホを持っていないと生活に支障が来る時代がくるだろう というかもう来ている スマホ決済、スマホで予約と スマホがないキタサンは生きにくい世の中になりそうだ…ガラケー自体も殆ど使わないが先日お知らせが郵便受けに入っており2022年をもち今の携帯のサービスを停止するという内容だ つまりあと3年でこのガラケーは使用不可になる このガラケーは使ってちょうど10年が経つ 充電の部分のふたが壊れて外れてしまった バッテリーもすぐ切れるようになってきた 買い替えのアラームが鳴っている状態である スマホ自体興味はないが生活行動に支障がくるのは嫌だなと心の底では思っていたりして…あと3年あるからそれからでもいいや ひとり納得する。

先ほど書いた桜(花見)もそうだが日本の季節の風物詩や行事では上を向くことが多い 高い所にあるものに畏敬の念を抱くから高い所に行こうとする心理になる 高い地位につきたい、高層マンションの最上階に住みたい、より高い山に登りたい、宇宙に行きたい…と色々ある ただそうはあっても高い所にずーっといられるわけではない必ず下がる方向にいく 自分が下がっているのに高い所にいた感覚で人と接するいわゆる見下すという行為 これは反感を買うから要注意である。

ほんの少し首の角度を上に向けるか下に向けるかで気分も大きく変わる 不思議なものである。 皆が下ではなく前を(上を)向いて普通に歩いているそんな世の中も以前の日本にはあった…

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63年全米ビルボードで1位に輝いた唯一のJ-POP 欧米では発音が難しくて「SUKIYAKI」と命名されたようだ 作詞は永六輔、作曲はジャズピアニストでもあった中村八大 戦後の敗戦をひきづっていた日本人の労働者を癒すムード歌謡に辟易していた永と中村はもっと軽やかで元気が出る歌がないかと模索していた中 作られた曲のようである。



by kurama66644 | 2019-04-07 09:20 | 雑感 | Comments(2)

高みの見物

知らず知らずうちに物の値段が上がっている…デフレ基調からようやく脱却か!と思いきや どうもそうではない。
50歳直前に職を失ってから大手メディアのニュース等は疑って見るようになった もちろんインターネットの怪しい情報、うわさ等もよく考えてから判断するようになった。日々懸命に働いていると中々世の中の経済状況などどうしてもテレビや新聞等の情報だけみて判断してしまいがちである 無職状況が3年も続いたので世の中の仕組み(経済や法律の実態など)冷静に見る事が出来た。

昨今話題になっていた政府の統計の不正に関しても統計手法によりいくらでも変える事は出来る 今回は改ざんに近いので大事になったが改ざんではなく一部を切り取り誇張するやり方はマスコミも含めて考えるといくらでもごまかしは出来る 間違えていないかもしれないがミスリードを喚起させるものは誠実とは言えない。その為 数字だけでの判断は危険だと感じている。とても原始的?だがやはり人の肌感覚というか世の中の雰囲気がどうなっているかというのが大事なような気がする。

無職中 法律に関する国家資格も取ったが法律を知れば知るほど法律そのものが怪しく感じるようになった。誤解を恐れずに言うと法律家ほど心の中では法律を信じない むしろ情の方に重きをおく 法律は政府が決定するが考え条文にするのは官僚である 何かあった時 責任の所在を回避するよう必ず逃げ道を作っておく つまりいくつかの解釈が出来るように言葉を選んで作成する 黒の物を白と判断しては普通おかしいと思うだろうが時によってそれが当たり前のように通ってしまう そういう別の解釈が出来るようにしたのが法律といっても過言ではないと個人的には思っている。

政治家は「世の為人の為」と子供の頃から教えられていたと思うが人には欲があるし権力を与えられるとそれを使ってみたくなる どうしても自分を有利にしてくれる人や団体のいう事を聞かざる負えない そして便宜を図る 有利にしてくれる人や団体も当然思惑があり欲があるのでそうしている。そうなると特定の人達だけが有利にたち不利になる人がいて当たり前である。不利になる人はそういう利権に関与していない人や代々続く資産家以外の声を出さない庶民であると思う

資本主義の世の中なので当然 資本家の下に労働者がいてピラミッド構造になっていく 頂点に行けば行くほど資本が大きくなっていくので格差は当然起きる 今問題なのはその資本が特定の人(頂点の人とは限らない)に集中しすぎているのでどうしても目立ってしまう。資本というのは平たく言えばお金でもある そのお金自体単なる金属や紙でそのもの自体にさほど価値はない。 そのお金の元になっているのが地球でありそこに存在する生物や物質などの自然である その自然を人間の手により消費している 消費するだけで増やさない(元に戻さない)から益々減り 全体の富が減り全体のパイが縮小しているのである。
過去先進国で独占していたものが近年では後進国でも「俺らにも分けろ」といい富が分散していく 先進国の人たちは潤っていた分が減り その減った分を維持しようと力のあるもの(権力者や先の法律を決める知識人など)が独占しようとする その他一般人は生活水準が悪く(低く)なってしまうという構造である。

体もそうだが流れが良くないと体調も悪くなる 血管やリンパ線に何かが詰まると死に至ることさえある。お金も物も特定の人の所で滞っていると消化不良を起こし よろしくない 循環させることが大事である とは言っても先にも書いたが人には欲があり留めておきたい性分にかられるものである 物やお金など物質的なものに価値観をおいている限り中々その欲望を取り除くことは出来ない 難しい問題でもある。

そこで別の物に価値を見出す必要があるという事で物質的な事から精神的な事にシフトする事が考えられる 愛とか恋とか文化、宗教とか色々あるがそちらにシフトしても中々上手くいかない 特に愛とか宗教など地球上のトラブルの元になっているのは皆分かっている事でもある 本来は愛とか宗教など心のよりどころになり平穏な日々を送る術でもあるのに何故おかしなことが起きてしまうのかと言うと欲やこだわりが強すぎた場合にそうなってしまう 拘りが執念へそして怨念に変わらないうちにある程度の所で折り合いをつければいささか軽減されるように思う

物の価格が上がっても消費税が上がっても 持っている(色々な意味で)から強いのだ,影響がないと高みの見物をしている為政者や権力者達 持っていても構わないがいつでも手放す、捨てられる気概はあるのかどうか その覚悟をもっている人こそ本当に強い人だと思う。 

以上 雑感でした。

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好きなチット・ベイカーのアルバム 昔はは西海岸とか東海岸のミュージシャンと色分けして聴いていたような気がするが音楽を演るのに特に風土は余り関係なく思うようになってきた。
歴史的とか人種問題で演奏の個性はでるがあくまでも楽理としては上下関係はない。
ユニオンで壁にこのオリジナルが飾ってあったが数か月経ってもそのままである。そりゃ云万円もしていれば躊躇する 新譜のCDでも1800円 中古であれば1000円以下で買えるのだから…それよりもアル・ヘイグ(このアルバムの中のピアニスト)のバップフレーズを自分で弾いていた方が何倍も良いと最近は感じている。

by kurama66644 | 2019-04-06 10:04 | 雑感 | Comments(0)

感じた事を素直に書きます 一日一つは何かを得、逆に何かを手放すように心がけています


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