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バブル世代

平成も終わりに近づき経済紙も含め平成の総括を特集する記事も多くみられるようになってきた。昭和に比べ年数で半分そして東北大震災などの災害もあったが昭和のように戦争が無かった事もあり今一つ変化が少ないという論評も見受けられる その中でバブル景気と言うのがちょうど昭和から平成にまたがっていたので何かと話題になる 話題になるというのはその後起きた就職戦線でバブル後遺症の影響を受け正社員枠が狭められ非正規で働くことを余儀なくされた就職氷河期世代、その当時の社会人が社会の中枢となるべき年代になっても非婚化、非正規化を続けそれが少子化の要因にもなり暗く世の中に落とし込められ怨念のようなものが渦巻いているようにも感じられる。

バブル時期は1986年から91年頃と言われている ちょうどキタサンは社会人になり3年~8年になった頃でさぞや良い思いをしたのではないかと勘繰られるが全く良い思いをした感覚はない! 良い思いをしたのは不動産関係者や大手企業に勤めていた人だと当時を思い実感する 大手企業のおこぼれでその下請け企業にも多少の潤いをもたらしたと思うが当時自分は中小の新入社員に毛が生えた程度の会社員歴 給料もペーペーだった 営業をちょうどやっていた頃だが不動産関係の取引先を受け持っていた営業マンは確かに成績は良かったような気がする(笑) 自分はお役所関連と中小企業が多かったのでそれほど成績には影響はない、テレビのニュースを見ていると六本木界隈でタクシーが拾えなく1万円札をかざしても中々止まってくれないと放映していた 他にも飲食店で豪遊したり高額なブランド品を山ほど買ったりする人がメディアで普通に映っていた あと知り合いがちょうどその時就職活動をしており大手数社から内定を貰ったとか研修と称して大型クルーザーでパーティを行い 他社に行かないでくれと頼まれたりと 自分の身近な人の間でもこんな豪勢な事を味わっているのに自分は夜 ヘトヘトになりながら帰宅しお茶漬けを食べていた(笑)  世の中バブルで株価も3万円に突入と まるで別世界のようにその姿を傍観していたのを思い出す

今 大手と言われる企業に勤めているが同じ世代の方にバブルの頃の話を聞くと接待等でかなり豪遊されていたようだ…今はしょぼくてねぇ~なんて落ち込んでいるが当時が異常だったという感覚は余りないようである。これだと就職氷河期といわれて今も苦労している人や非正規の人の気持ちなど分かりようはない

当時は吉祥寺に住んでおり 風呂無しクーラー無しの6畳だった 湯沸かし器もなかったから遅く帰って銭湯も開いていない時はお湯を沸かして体を洗った そうそうトイレも共同ではなく自分の部屋にあったのはうれしかった。バブルが終わりかけの頃引っ越しようやく風呂付の部屋に引っ越せた 自宅に風呂がありいつでも好きな時に入れるありがたさ それが当たり前の事ではなく風呂に入る時は今でも感謝している。

バブル時期にちょうど携帯電話が出だした ポケベルが主流な頃で街のあちらこちらに公衆電話があり持ち運びできる電話というのは画期的であった ただし重さは1kgはあったような…ショルダーバックのように肩から下げる(-_-;) 片手に収まるスマートフォンを皆がもつ現代とは隔世の感はある(笑) 販売会社であったのでそのショルダーバックのような携帯?電話を販売していたが売れない、売れない そりゃあ携帯と称して実質携帯ではないのだから売れないのは当たり前! 通話時間も1時間ぐらいしか持たない 結局車で移動時に使いたいという新しもの好きな方がいて 1台しか売れなかった苦い思い出はある。

昨日 何十年ぶりかでバブル当時営業で回っていた神田明神近くの会社の横を偶然通ったが既に引っ越していたのかそこには無かった 近くの神田明神は梅で有名だが桜もきれいに咲いていた 桜の花は気が付くと散っている さりげなく咲き、さりげなく散るの繰り返し バブルのように これでもかと膨れ上がることなく散っていくその清さと儚さに しばし見惚れ心を奪われていた。

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by kurama66644 | 2019-03-31 09:53 | 雑感 | Comments(0)

コードトーン

ピアノを弾くようになって何に一番感心しているかというと「コードトーン」である。
指使いと ある程度の読譜の為 譜面を見て練習したりもするがジャズを演るのに基本譜面はそれほど使っていない 覚えるのは主にコードである その構成音であるコードトーンに今 魅了されている(;^ω^)。 コードトーンはその法則が分かれば構成は理解できるがとにかく種類が多い ただ最初から全て覚えなくても よく使うコードから徐々に覚えて慣れていくのが一般的である。

若い頃サックスは多少吹いていたことはあったがこのコード(和音)についてそれほど深く理解はしていなかったように思う。それは単純に同時に同じ音を出せなかったからである しかしピアノはメロディとリズムそしてこのコード(ハーモニー)を奏でる事が出来る楽器でもある。

一般的にメロディやリズムは覚えやすいがこのコードトーンと言うのは音楽 特にピアノやギターを演奏する人でないと中々馴染みがないように思う。実際テレビでもオーディオでもなんでもいいがこのコードトーンを感じながら聴いている人は音楽家というか演奏者ぐらいではないだろうか?
声楽(ソロではなく)でも複数の楽器演奏でも そのハーモニーが整っているとか美しいとの表現がある、それは違う楽器あるいは人がそれぞれのメロディーを奏でメロディ+メロディ=ハーモニーとなることに対してである。ピアノの場合それが一人でもでき 人が心地よいと感じるのは 音階の違う音を同時に発生する時に鳴るその響きコードトーンとそのコード進行が優れている時にもたらされるものでもある。

私のオーディオの師匠は半年に1回位の割合で遊びに来られキタサンの所にある安めの?オーディオ機器の音を懐かしむように聴いてくれる…現在は演奏を主体としてオーディオはやっていないのだが今でもオーディオには詳しい ただもう拘りはないようだ。実際キタサンの所のオーディオの音質評価などというのはしない 単純に大きい音ですね~とか鮮明に聴こえるとか録音が綺麗に録られているとか…それが良い悪いではなく事実として言うだけでとても楽しんで聴いてくれる。部屋の調音がどうこうとかも気にせず自然体でありのまま聴いてくれるのでこちらも安心する(笑) おそらくだが音楽を聴くポイントがオーディオマニアのそれとは違うのではないかと思う。自身もかってはオーディオマニアだったことを認めているが 現在はマニアの人が聴く楽しさとは別の物を聴いているようにも見えてしまう。
本人にはまだ直接聞いていないがひょっとするとキタサンが最近感じている 曲がそれぞれ持っているコードトーンの美しさなども別の楽しさとして聴いているのではないかと思ったりもする(;^ω^)

一般的に左手で和音(コード) 右手でメロディーと思われるだろうがジャズピアノの場合右手でコード+メロディー左手はルートと言われる根音(コードの最初の音)を鳴らす もちろん伴奏やパッキングの場合左手でもコードを押さえるがソロピアノの場合 右手でコードを弾く事が多い この辺りはロックやポップスなど同じコードを使うジャンルの音楽とも違ってくる。
そのコードも4つの音を使ったセブンスコードをジャズではよく使う 更にテンションというルートから1オクターブ超えた音を付加させるとよりジャズっぽい音になる そして単純にコードを弾くだけではなくその弾き方となるコードボイシング理論もある程度理解は必要だ。
このように素人には中々難しい事もそれなりに覚えなくてはならない(;´・ω・) ただしキタサンの場合最初から言っているが上手になろうとかプロ並みになどと毛頭考えていない「老後の趣味」なのである(笑) そうはいっても性格からいったん嵌るとのめり込む とにかく時間があれば弾いている それが又面白い 下手は下手なりに楽しみ方はあるのである。

それにしてもコードの響きは美しい それを自分の手で奏でているというのが不思議なくらい… 音質とも違う、部屋の響きともニュアンスが違う、もちろん機器の高価さにも関係はない 音楽のいや音のもつ根本的な美しさをこの歳になって新たに発見をしたかのように美しいコードを確かめながら日々味わっている。

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4年前に買った本だが所々で音楽理論にも触れた説明があり中々馴染めなかったがその当時より今なら少しは言わんとしている事が分かるようになってきた。
それは自分で弾いている(試している)からに他ならない。帯に「名演の構造がわかる分析的ジャズ入門」と書いてあるが入門書としてはハードルが高すぎ…
著名なジャズピアニスト フィリップ・ストレンジさんにクラシックピアノ弾きで音楽学者の岡田さんが弟子入りし色々な疑問点を質問、対談し合うそのいささかかみ合わない?ギャップのようなものが文章として表現され面白い。

by kurama66644 | 2019-03-30 09:41 | ピアノ | Comments(2)

キモくて金のないおっさんと見えない弱者

佐々木俊尚さんと吉川ばんびさんの対談でこのようなタイトルのものがあった。
世の中 好景気だと政府が吹聴しているが実際 そのように景気が良いと感じた事はないという 意見も数多くみられる そして給料も上がったし株価も上がったりして景気は良いという話も聞く どちらも本当だとすると2極化 それぞれ両端の距離が広がり中間が無くなったというのが正しいような気がする 元々資本主義なので格差は昔からあったし金持ちも貧乏人も存在していた それを公平にすると言うのが社会主義であったが結局は失敗に終わり 資本主義に邁進し又分岐点に来ているともいえる。

強者(成功者)の立場から自己責任論が出る 努力しなかったから努力が足りなかったからそういう結果になるのだと 弱者の立場からすべての人が努力すれば良い結果になるとは限らない生まれ育った環境、能力等も関与するので一方的には言えないのではないかと反論がある。表面上では見えない事も沢山存在するのでどちらが正しいのかなんて個別の問題で答えはないような気もしないでもない その立場にならないと(経験しないと)分からない事も色々あるように思う。

個人的には貧困家庭が増えてきているように思う 物質的な面もあるが精神的そして情報弱者が増えてきてそうなっているのかもしれない。
一般的に弱者とマスコミでよく取り上げるのは子供、老人、障碍者、母子家庭(父子家庭)などが多い 体力的な事、金銭的な面での弱者として捉えられる そしてそこには中高年は殆ど取り上げられることはない。大人なんだから 男でしょう 体力もあるし 一家の大黒柱なんだからどうにかなるでしょう云々…昔からこのような言葉を浴びせられてきた「おっさんたち」 その気になれば仕事なんていくらでもあるしえり好みしているだけ 自分は子供の頃から努力し勉強し、資格も取り今の状態まできた それは単なる甘え と罵詈雑言を浴びてしまう人もいる… 正論だなぁと思ったりもするがやはり個人個人状況も違うので一概に言えないような~と この歳になって色々思う。

自分が30代後半の頃 何人かの浮浪者の方と知り合いになり その生い立ちや生活を知ると少し前までは今の(当時の)自分の生活と変わらない いやもっといい生活をしていた人もいたり名の知れている立派な企業に勤めていた経歴の人もいて驚いたのを覚えている ほんの少しつまずいて坂をころげるように落ちていった 普通に生活をしていても何かのきっかけでこういう状況に陥ることもある これが運というものなのかとさえ当時は思ってしまった。それから十数年し今度は自分が社会からはじけ出されてしまい 落ちる時はあっという間なのだと実感した。

ちょうど50歳手前で職を失ったが正直言ってもう普通には働けない(働かない)と思い諦めていた 別になげやりな気持ちではなく定年が10年早くなったと結構 心は軽かったのを覚えている。3年間無職状態が続いたがその間 世の中の事を勉強し直していた お金そして経済の仕組み、あとサラリーマン生活していた時全く無知であった労務や保険、年金の事など専門学校に通ったりして勉強していた 実務経験がないので役に立たないと思ったが国家資格も含め関連資格も4~5個ぐらい取得して日々それなりに忙しかった。普通に働いていて定期的に銀行に給料が振り込まれるのが当たり前に思って生活していたのが それが無くなるのは精神的にも焦りはあった あと 少しでも家賃の安い所にでもと引っ越しを考えていたが不動産屋にしてみると無職と言うのがネックらしい 日々のお金が入ってこない不安定な人には家を紹介する事が出来ない やんわり断られた… 無職になると言うのはこういうことかとも実感した 日々使える金額を計算しながらの生活であったがある意味健全な生活であった そして寝起きもサラリーマン時代と変わらず規則正しい生活を続けた。あとから考えるとこの健全な生活が出来ていたということが希望にもつながる道であったように思う 冒頭に書いた佐々木さんと吉川さんの対談の中にも健全な生活が出来なく貧困に陥るといっている  普通に働き貰える金額は人それぞれだがその範囲内で自炊、自活し時々好きなものを買ったり好きな事をしたり あとは体を動かす(散歩でもよい) すごく地味なようだが 自分も無職中はこれに近い生活をしていたので貧困に陥らなかったのかもしれない。

対談のタイトルに「キモくて」とわざわざつけなくてもよさそうだがマスコミで取り上げられる 一般的な弱者はとかく美化される傾向にある。佐々木さんがあえてキモくて金のないおっさんと表現したのは ふつう誰にも相手にもされなく弱者とみられない人の中にも困窮者は沢山いてその救済は殆どない 見えない弱者として埋没してしまうという事である。 それでは見えないのなら見えるようにすればよい それはほんの少しの変化にでも喜びを感じる事が出来るかどうかでその人の状況や雰囲気などが変わってくるように思う 特別にお金がかからなくても例えば先に挙げた散歩でも昨日より少し長く歩けたとか気づかなかった花のつぼみが咲いているのが分かったとか  達成感に近い感覚を持てるかどうかである ごく当たり前の中の変化を感じ取れるとその人のリアルな姿が現実の中にフッと現れ目につくようになる。 

街中を歩いても電車の中でも老若男女大半の人がうつむき加減でスマホを弄っている 気楽に便利だから暇つぶしにということだろうが小さな画面のバーチャルな世界を熱心に眺めていても日常生活の小さな変化(でもそれはとても大事な事)は感じにくいというか感じ取れないような気もする 仮想空間(バーチャル)に夢中になりすぎていると自身がどんどん透明化し世の中からその姿が消えていき誰にも気づかれなくなっていくような感覚を覚える。

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キモくない?おっさんの代表格 白が似合うのは格好いい!


by kurama66644 | 2019-03-24 09:56 | 雑感 | Comments(0)

オーディオの効用

ピアノの練習をするようになってからオーディオは疎かになっている ただでさえ弄らなかったのに殆ど弄る事は無くなった ソフトさえ購入する機会も減ってきた…
ただしスピーカーの入れ替えは定期的にやっている 宙を浮くMinimaと専用スタンドのアマトールを大体1ヵ月ぐらいおきに取り換えて聴いている スピーカーはそれぞれ違うので音色や音の出方等もちろん違うのだが専用スタンドと宙に浮かぶスピーカースタンドでは比較するとこの音の出方(定位や音像の現れ方)がかなり異なるので音出しした時の部屋の空気感もかなり変わってくる その変化が面白く入れ替えして聴いている

以前はただ漠然と聴いていたのだがピアノの練習をしだしてから結構分析的に聴くようになった(-_-;) 自分がオーディオをやるようになり一番嫌いな聴き方である。特に宙に浮かぶスピーカースタンドの方がコードトーンやフレーズ、アーティキュレーションなどが分かりやすい 素人は素人なりに分かろうと集中すると少しづつだが理解出来るようになってくるものだ ただし理解できるからと言ってそれを実践できるかというとそれほど甘いものではない 体(指等)が反応しない…脳はこちらを指示しているのに指は別の方に動く 左と右が別々に動かない これは初心者では誰でも経験する事かもしれないのだが幼少期この手の訓練(ピアノの練習など)をして慣れている方からするとそれほど難しくないようだ。なるほど知識は少しづつ増えて何となく分かるようになり指使いも少しづつだが軽やかに動くようになる ここまでは意外と順調にいくが「左右の動きを別々にする」この辺りが第一?の壁かも とオジサンはひとり納得する。

動画などみるとこの左右別々の動きについて「練習や慣れ」の一言で片づけているケースも多い 究極的にはそれなのだが独学でここまで出来た等の動画の人たちは意外と幼少期に少しピアノの経験があったりする方も多い そして大人になり再開し悪戦苦闘しここまで出来るようになった!と紹介していたりする この陰に隠れた部分こそ本当の素人が知りたい事 よーしそれならば本当の素人のキタサンが左右別々の動きが出来るようなるには具体的にどうしたかを順次紹介できるよう試みてみよう
もしできなければピアノの道は諦め…かな?(笑) まぁ仮に上手く出来なくてもリハビリみたいところもあるから続けていくと思うけど

嫌いだった分析的な聴き方もフレーズやコードトーンなど理解するのに聴く分にはこれはこれで役立つし結果的にはこの宙に浮かぶスピーカースタンドを購入して正解だったのかもしれない そしてその前にアンプもクリーク社という英国の大衆機?(ピアノの音が気に入っている)に替え聴くようになったのも知らず知らずの内にそういう方向に自然に導いてくれたのかもしれない 何か不思議な感じはする。
音楽を楽しむために聴くにはこの宙に浮かぶスピーカーよりアマトールで聴いた方が好ましい感じはする ただもうここまで大げさなものはいらないとさえ思い始めている…ミニコンポでいいとまでは言わないがクリーク社のアンプ、CDPとMinima そして更に普通に聴きたかったら以前Minima用に使っていた木製のスタンドもあるしそれに変えてもいいように思っている。ヴィンテージのトーレンスTD124もないしそしてアマトールもなくなれば本当に「普通のオーディオ」で音楽を楽しむ そういうスタイルに変わっていく 自分の普通の生活の中に溶け込む身の丈に合ったオーディオを展開するようになっていく。

オーディオは日々の生活に潤いをもたらせてくれる「音楽」を再生するシステム その音楽をより良く再生したいと熱望するそのための過程・行為が行き過ぎるとマニアになってしまう。逆の意味でその行為が日々の暮らしの中で心を豊かにしてくれるのならそれもありと思っている 音楽が優先か再生が優先かは大げさかもしれないがその人の生き方により違ってくると思う。

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天性のジャズボーカリスト「ストックホルムの妖精」という帯の言葉にひかれ購入したジャズアルバム 彼女の名前はリサ・エクダール 聴いた最初の感想は「このアニメ声?はジャズには合わない」と感じ 一回聴いたっきりそのままにしておいたのだが ここ2か月ぐらいで一番聴いたアルバムになってしまった(;^ω^) 慣れてしまうと病みつきになってしまう その声… そしてバックを支えるピアノトリオが秀逸 本道ジャズ?を好きな方からは敬遠されるようなアルバムであるが今では愛聴盤の一つになってしまった。

※文字が小さかったのでブログデザインを元に戻しました…老眼にはきつかった

by kurama66644 | 2019-03-23 08:29 | オーディオ | Comments(2)

15年振りのヘッドフォン

久しぶりにヘッドフォンを購入した オーディオを始めてからヘッドフォンでの音楽視聴はしなくなったので最低12年は使っていない よくよく思い出してみるとオーディオを始めた頃にはヘッドフォン自体無かったような記憶がある そうすると15年ぐらい使用した事は無かったような…
昔 部屋に置いてあったヘッドフォンはミニコンポ用と言うよりテレビ用の物だったような気がする メーカーはパイオニアのものというのは覚えている 密閉式のゴツイもので結構重かった 音質が良いか悪いなんて考えもしなく外部に音が漏れないかどうか その一点で購入した。

オーディオをやるようになってからこの手のオーディオ機器?(付属類)などをみる機会が増えたので多少興味は持ったが空間表現を作るピュアオーディオの世界ではこのヘッドフォンは異端の存在であった。このヘッドフォンが色々バラエティに富み徐々に市場に出るようになってきたのはスマートフォンの普及で小型端末から音楽を聴くスタイルが一般的になってきた2010年以降からではないかと思う オーディオで聴くスタイルも部屋の防音等関係があり気楽にかつ大音量高音質で聴くのに高額なヘッドフォンも登場してきた時期でもある。

ところでオーディオに興味が無い人からするとこのヘッドフォンの価格は市場でいくらぐらいしているとお思いだろうか? いやいくらぐらいが妥当だと思うだろうか…

それなりのものだと1万 いや2万ぐらいするだろう 高い物だと3万ぐらいであろうか? 今は高価な物だと桁が違っている 10万、20万するものもあるし中には4~50万するものもある もうちょっとしたミドルクラスの機器類と変わらない もっともハイレゾ用の高額なイヤーフォンでも10~20万ぐらいするものもあるので決してあり得ない金額ではない。 これはオーディオ機器とも共通することだが買う人がいるからそのものも存在するのである 参考品ではなく立派に市場に流通している製品なのである もちろん価格に合った製品かどうかは使う人が判断する おかしな製品、不良品、価格に見合わない製品だと不買になるがそういう話は聞かない。

冒頭に書いたヘッドフォンだがオーディオ用に購入したわけではない (電子)ピアノ用に使用 防音室なのに?と思われる人もいるかもしれないのだが密閉されている空間は嫌いで必ずと言っていいほどドアは開けている…もう防音は関係がない 呆れた状態で使用している そういう中夜に弾くにはこのヘッドフォンが役に立つ。
最近家電店、オーディオ店にもいかないのでネットで検索 こんなに多くの種類があるとはちょっと驚き そして価格はピンキリ状態である あくまでも遮音用のヘッドフォンという事で昔と同じく音質云々には一切気にしなく購入 千円台で買えるとは…デフレの恩恵か ちょっと複雑な心境 ソニーの某製品を購入したがミニジャックの端子しかついていなく近くの家電店でアダプターを購入 結局二千円台になってしまったがそれでもこんなに安いものなのかと考える CDなどの音楽ソフトの新譜より安い まして以前購入していた中古レコードなんかより安い 日本だけじゃないのかもしれないが価値基準がおかしくなっているように思ってしまう これじゃ物を作る生産業が衰退してきているのは当たり前である。それを買う自分も嫌悪感を覚えてしまう…
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ところでこちらを使用しての感想だがとても軽く使いやすい 駄耳のせいか肝心の音質なんかもすこぶる良い!と感じる そしてとてもきれいに聴こえる。ピアノを弾くようになってから益々音質云々など細かい事は気にしなくなった それよりフレーズやハーモニーが上手く調和されているか自分の好みになっているかの方が気になる。
オーディオに於いてデジタル時代になってからノイズに関する事案が多くなった そしてアナログに関してもノイズ云々と呼応するように騒ぐ 雑音に聴こえなけりゃいいじゃんとオーデイオマニアの顰蹙を買う様なことはいいたくないが(実際言っている…)ノイズなしのきれいな音を聴きたいという要望は日増しに増えているように思う それは反面日常生活に精神を崩壊させるようなノイズが普通に多い事を意味する その反動で気にしすぎるほど騒いでいるのではないかと密かに思ってしまう。


by kurama66644 | 2019-03-21 09:21 | ピアノ | Comments(0)

音楽の橋渡し

ピアノを弾くようになってからジャズを聴きに行っていた頃の事を色々思い出している。酒を飲みながらステージから離れた端っこの席、膝でリズムを取りながらニヤニヤしていた この頃は煙草も吸っていたので紫煙がライブハウスの中を覆っていた 生の音が自分にとって基準だった だから電子ピアノとはいえ生の音がすぐそばで聴けるのはとても嬉しい だからこそあの当時の事を色々思い出す プロと自分のようなど素人の演奏は天と地ほどの差はあるのは分かっている 自分で言うのもなんだが出てくる音はそれでもジャズなのである 音楽は好きでも嫌いでもないがやはりジャズは好きだ。

クラシックピアノとジャズピアノは本当に真逆のように違う。ジャズピアノの先生の所にはクラシックピアノ出身者の方も習いに来る レベルは様々だがクラシックピアノの事をひきづって習いに来る方が殆どのようだ。そこで先生は言う「クラシックの事は忘れて下さい」…いったん覚えたことを捨てるのは勇気のいる事である でもそうしないとジャズは弾けない ジャズっぽいクラシックはひけるがジャズではないと断言している。

オーディオをやるようになってオフ会にも参加するようになった そこではクラシックも聴ける というよりオーディオファンはクラシックを聴く人が多い ジャズやロックも一定数いるがクラシックファンが多い もしオーディオに出会わなければクラシックは聴かなかったように思う。

オーディオを通してのクラシックは聴けるのだが実はクラシックの実際のコンサート等は苦手なのである…ジャズの演奏会場とは別の緊張感が走る そう自分にとってクラシックの生の演奏は敷居が高いのである これは生まれ育った環境のせいもあるのかもしれない…

実際の演奏を聴くと言うのはその音楽(ジャンル)の歴史や成り立ちも時には感じさせられる事がある それは演奏者やその演奏というよりも その演奏する場所、建物、聴衆の雰囲気などで違いを感じる場合も多いと思う。会場で酒を飲み騒ぎながらクラシックの演奏を聴くだろうか、身じろぎもせず 咳の一つもせずジックリとジャズのカルテットの演奏を聴くだろうか、場の醸し出す雰囲気やTPOなど実際の演奏を聴くというのは聴く側もそれに合わせる事は少なからず生じる。もちろん聴く側の好き勝手なように聴けば良いとの意見もある 昨今は今までの常識とは異なったスタイルで様々なジャンルの音楽を聴くという試みも多い  ただしその音楽のルーツを知っている人 いい意味での保守的な人から言わせると中々革新的な事も出来ないように自分自身は感じる。
クラシックにはクラシックのジャズはジャズの音楽ルーツをもち歴史もある その背景を感じとり実際の生演奏を聴く その際視聴者の態度(聴く姿勢というか心構えのようなもの)は大事だと思っている。

何やら小難しい事を書いているがつまりクラシックの会場で聴く自分はその場にそぐわないと昔から思っているのである…品性が無い、落ち着いて聴けない、斜に構えて聴いてしまう等々…何やら引け目を感じてしまうのである。
そういう中 自宅のオーディオで音楽を聴くというのはその音楽の歴史や伝統、形式的なものを一端フラットにし純粋に音の旋律を聴くことが出来る良いシステムであると思う。音楽ジャンルに関係なく自分の好きなフレーズや美しい旋律に出会えた時快感を覚える そういう楽しみを味わっていたのだと オーディオから少し距離を置いて接すると改めてそう感じてしまった。

ただしどんな世界でもそうだがヒエラルキーというものが存在する。趣味の世界でも横のつながりが出来てくると自然と発生するものである それは音自慢、機械自慢、部屋自慢など優劣を争う表現が最近特に多くなってきたような気がする(某コミュなど)自分も含めてそれに嫌気がさしている人もいるのではないかと思っている。

生の音楽ではその歴史や成り立ちなど背景を感じ 尻込みしてしまう場合や逆にそれに合っていると感じ積極的に行くようになったり(自分の場合はジャズの生演奏がそうだった)様々な中 機械を通してだがリセットし何の音楽でも純粋に音や旋律を聞けるオーディオ せっかくジャンルを超えた「音楽の橋渡し」的な存在であるのにかかわらず 別の概念が入って楽しめないという事態は困りものである…

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モコモコテナーの代表格 ジョー・ヘンダーソン 実際この人の演奏を聴くと「どこがモコモコやねん?」と思えてしまう そして音が大きい サックスのベルを朗々と鳴り響かせているのが分かる ジャズを聴き始めた頃は余り興味はなかったが実際の演奏を聴いてからがぜんファンになった ただ意外と早く亡くなり落胆している この人のフレーズもピアノで弾けるようになり会話したいと思っている。

by kurama66644 | 2019-03-16 10:26 | オーディオ | Comments(0)

ピアノでリハビリ(-_-;)

リハビリをするためにピアノを弾いているわけではない?…年齢的な面そしてそれほど上達指向は大きくないと明言している事から疑られても仕方がない(;^ω^)

前回の「大人のピアノ」の続きにもなるが 便利な世の中になったものでピアノ初心者や独学者のために親切に動画で説明、実演してくれる方が沢山いて有り難い 上から目線ではなく自分も初心者でここまで出来たとかピアノの先生が生徒に教える際 困った事、思ってもみなかった事などの経験を分かりやすくかみ砕いて説明してくれる 単なる教則本やらそのビデオ動画など昔からあったが ここまで充実して様々なケースパターンに対応してくれるようになったのは やはりネットのおかげであろう。

面白いと思ったのは運動と同じで体の使い方が良くないと上手く弾けないというのは共通の認識のようである 以前 辻井伸行さんの演奏が脱力状態で弾いているという記事を書いたことがあるが この脱力状態というのはとても大事でとかく指先だけで弾きがちであるが指自体(第二、第一関節より先)はホント添えているだけ 第三関節を要に動かしているだけでその第三関節も手首、ひじ、肩、腰、大腿骨とつながりそれが柔軟に機能しないとシッカリ弾けない 要は体全体で弾くイメージを持てという事のようである。
まるでアスリートの訓練のようで ちょっと驚いている 体の動きが自然な流れでないとスムーズに弾けないらしい…実際音大の授業のなかでこのような人間工学的な事を教えていたりするそうだ ピアノだけでなく楽器全般を上手く弾くのに単なるテクニックや慣れだけでは限界があり人間の体(構造)を考えて演奏するっていうんだからこりゃあ中々面白く興味深い

物理のような生理学というか?リハビリとも関係が密接にありそうである。一応教則本や楽譜は気に入ったものを何冊か用意して練習しているのだが この人間工学に基づいた自然な動きを動画で観察しつつポロンポロンと弾いている  慣れない指の動きや体の動きを続けるうちにある変化が起きてきた。

まず体が柔らかくなってきた もちろん柔軟体操など行っていない、体の可変域が広くなったのが分かる そして肝心の指の動き、反応だがかなり自在に動くようになったきた もちろん本職のピアニストに比べると足元にも及ばないが全く何もやっていなかった時に比べて格段に速くなってきた そして一番の変化は体が軽くなって胃腸の具合(おなかの調子)が良くなったことだ 当然お通じも良い 朝起きると全身が痛い 痛いと言っても筋肉痛のような軽い痛みで程よい疲労感があり逆に心地よい。
体の変化は心の変化にもつながる よくストレスがあるから体調が悪いと聞くがこれは逆だと思う。体調が悪いから心も暗くなって落ち込む 精神的なショックを受け元気がなくなり食欲も減り運動もしなくなり結果として体力、体が弱ってくるという悪循環に陥る 鶏が先か卵が先かみたいな感じでどちらが正しいのか実は分からないが結局は考え方、捉え方の違いのような気がする。


話は変わるが今の会社に入り先月でちょうど丸7年経過した 自分もそろそろ定年が近くなった歳だが以前勤めていた会社で既にサラリーマン人生が終わったようなものなので定年云々の感覚は正直言って余りない。高齢者雇用延長が法的に決まっているせいかよく分からないが65歳まで延長してくれと言われた 自分の隣に座っている同僚は今年で定年を迎える この方も継続して働くようだが給料が半分に減った云々言っている…とても気さくな良い方なのだがやはりお金の話、自分の老後の事になるとシビアなようである。こちらは退職金もないし給料自体 新入社員に毛が生えた程度しか貰っていないが以前いた会社に比べると福利厚生その他で圧倒的な差があり余り文句もなく快適に会社生活をおくらせてもらっている 中高年で失業したり身内を亡くしたりと底辺の生活を経験したりしているからか傍から見ると可哀想、不幸と思われているかもしれないところだが今は質素だが結構快適に暮らしている。余裕がある人のまねをしてオーディオや高価なレコードなどに消費してきたのはちょっと失敗した感もあるが 自分で音や音楽を作る分にはもうそれほどお金もかからない。 今秋に実施される消費税アップやら社会保障費の増額による税金の負担 仕方ない面もあるが出来れば若い人が活躍出来るようにするための社会を作る負担であってほしい

あれあれ…又いつものように話が横に逸れてしまったがピアノのリハビリは体だけではなく心のリハビリでもある ゆっくり長くやっていきたい
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by kurama66644 | 2019-03-10 09:30 | ピアノ | Comments(0)

大人のピアノ

今は便利なものでネットで独学のピアノ練習法やら知識を沢山披露してくれる方がいる 有り難い事である。
ただし情報が多いという事はそれだけ内容(中身)も玉石混交で怪しいものもある むやみに信じてもよくない それでも見ている限り素人の自分にはとても有益な事が多くやってみる価値はあると思っている。ポイントとしては何を目指している(どこまでを目標としている)かでその有益な情報、やり方も違いがあり それをどう生かすかではないかと思う。

自分の場合 人に披露するとかプロに近いとこまで行くとかの上昇志向はない オーディオをやっている中で「音」のみを云々する意見が多い中 それじゃぁ自分で音を作る、出してから意見した方が分かりやすいという事もあった。評論家が演者に対して「お前の演技はなっていない」との酷評もたまに見かけるが それじゃ自分はできるのかよ!と反論されると大抵は出来なく黙ってしまう あるいはそれとこれとは別の話だと怒り出す人もいる。 人のオーディオにあれこれ言うつもりはないが少なくても自身のオーディオに対してどうなのかと自己検証も含めてピアノの音を出そうと思っている面も少しはある  ただしオーディオもそれほど興味は無くなっているので「老後の楽しみ」の要素が圧倒的に多い(;^ω^)💦

そういう中あるピアノ独学動画の中で「なぜ大人は楽譜を読むのに苦労するのか?」というたぐいの動画を発見した。
コードやら楽譜の簡単な覚え方、超初心者でも5分で理解できる学習法など オジサンが飛びつくようなタイトルの動画も沢山あるが大人になってからピアノだけではなく他の楽器を習得するのにこの楽譜を読むのがネックになる方も多い  キタサンも多少は読めるが中々先に進まないという状態にあるので興味深く見させてもらった。

そこで言っていたのはまず大人は楽譜がなまじ読めるから分からないとの事?  どういうことかと言うと五線譜のこの音はドとかシとか半音が上がるからソの♯とか目で追って一応理解出来る 理解できるが体が動かない反応が遅い等が出てくるとの事… それでは体がそれに反応するよう 考えるより動いてしまえばよい ちょうど自転車や車の運転と同じく最初のうちはアクセルやら ブレーキあるいは右に曲がる時はハンドルはこう動かすなど頭で考えてしまうが慣れてくると自然に動く それと同じだと言う。

(゜-゜)うーんなるほどね と思う反面 そう簡単にはいかないとオジサンはまたまた頭で考えてしまう(笑) それでも体を使うというのは分かる気がする。
また別の機会にブログでも書こうと思っているのだが慣れない指を使い始めてから動きというか行動すら変わってきた 指は単独で動くわけではなく関節がありその前段階に手首やひじ、肩、背骨など体のパーツというものは繋がって動いている 体感を良くするとは単独で考えるのではなくそのつながりの流れで考えることでもある。

ピアノを始めるにあたって上手く弾いてやろう美しい旋律で弾いてやろうとかそのためには技術的な事、コードを沢山覚えてバリエーションを持とうなど色々と(意)欲が湧いてくるし逆にその重圧に耐えられなくなり自分には無理と諦めてしまう事も多い これは年齢に関係なく誰もが経験する事だと思う。

自分の場合オーディオをやってその流れで自分で音を出した方が手っ取り早いと思い衝動的に始めた経緯もあり 上昇志向もそれほどなく人に聴かせる欲求も今のところない そうした中で先に話した体の使い方の話など知らない事を次々と知り 日々の行動が少しづつ変わってきたのは嬉しい限りである。
楽譜を読むのもクラシックの曲を1曲だけ弾きたいものがあるので譜面を見て練習をしている  長年聴いていたのはジャズなのでやはりジャズのリズムやメロディに愛着をもっているしモダンジャズの先人たちのちょっとしたアドリブの1フレーズを瞬間でも弾けたらそれだけでいいと思っているので正直譜面はそれほど重要視していないというのが本音である ただし最低限の基礎はやらないと話にならないので今はそれを地道に行っている 技術だけはまだ子供のピアノである…

ブログにコメントして下さるhidyh3さんが実際に演奏するのはその一節、フレーズでモーツァルトやベートーベンと会話するようなものと言ってくれた。その解釈の違いや同意など喧々諤々と演奏と言う形で会話、議論するのがプロや愛好家の演奏者たちである、ジャズは作曲者ではなく(作曲者の場合もあるが)その演奏者そのものと会話できる その人独自のアドリブやそのフレーズなどがそうである 実際聴いてきた好きなジャズ奏者が亡くなり直接聴くことが出来なくなった  その遺品であるアルバムを聴いていたが会話は出来なかった しいて言うならばオーディオ再生はその遺影(写真)を単に見るような感覚であった それは立派なオーディオ装置で聴いてもである。 「自分で音を出し会話する」そうかこういう手があったのか!とても有り難い有意義なコメントで感謝している。

技術技巧面ではまだ子供だが 会話ができる「大人のピアノ」少しづつ楽しくなった来た。
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ハノンはようやく3番…これぐらいのペースが丁度良い 元々指のトレーニング用として採用  基本はコードを指の形で覚えている ちょうどギターと同じ感覚(余り良くない事なのかもしれないが…) それでも少しづつ指が動くようになってきたのは嬉しい。

by kurama66644 | 2019-03-09 08:36 | ピアノ | Comments(0)

レコードの話

好きか嫌いかで言うと好きである ただ興味は薄れてしまった…そうレコードの事である。ビンテージオーディオやらアナログオリジナルと言う言葉に輝きを見つけ夢中になっていたが現実は かなり厳しかった まぁ身の丈に合わない事をやると余り良くないと分かっただけ勉強になった。 レコード収集家の方々からみるとレコード愛が足りないということなのかもしれないが元々音楽は好きでも嫌いでもないというスタンスであるので尚更かも…。

普通のオーディオをやるようになり トーレンスTD-124も手放した レコード自体ほぼ聴かなくなったが特に不自由しない。(それでもたまに聴きたくなる魅力はある)
オリジナルは機会があるごとに徐々に売却するか人に差し上げている コレクターほど枚数は持っていないがそれでも数百枚ぐらいは残っている。夏場ぐらいを目安にそれも処分しようと思っている ただ以前CDをほぼ売却した時のように全て売ろうとは思わない ケンウッドのプレーヤーが残っているから取りあえず聴けるようにはしておきたい。

自分はとても器が小さい人間だと思っている すぐ容量オーバーになってしまう そうするとどうするか 今あるものを捨てて容量を広くしなくてはいけない…
物だけではなく悩み事や思いなど抱えているものは出し切らないとそれが充満して体には良くない 汚い話だが便秘のようなものだ 何かを取り入れたら貯めておくのではなくある程度納得(実感、体験)したら吐き出さなくてはいけにように思う。たとえそれが良い事や満足しているものでも同じところにあっては執着心が生まれてしまう、それに囚われて動きが鈍くなってしまうような気がする

まぁ恰好つけた言い方をしたが先のレコードに関してはうちのような狭い所は場所も取ってしまい物理的な事も要因なのである それでは流行りのPCオーディオやネットワークオーディオでHDに音源を何万曲も格納すれば場所は取らなくても済むという事なのだろうが それは目に見えないだけで想像以上に心の負担になるような気がする そしてそこまで音楽に執着しない。以前ブログを書かれていたレコード収集家の方が大体1000枚ぐらいまでで十分?と発言されていたが とてもバランスの良い考えをお持ちだと思っていた。自分は500枚ぐらいがちょうどいいと思っていたが人によって多少のバラつきはあるだろう 
レコードからCDを再び聴くようになりCDの数も150枚ぐらいになった。昔数千枚ぐらい持っていた時はジャズが殆どだったが今はジャズが50%残りはクラシックと歌謡曲である そしてこの150枚のうちの何枚かは繰り返し聴いている 繰り返し聴くのは結構クラシックが多い 頻繁に聴くのはやはり慣れ親しんでいるジャズか歌謡曲 それで満足している。

わずか5年余りだが夢中にさせてくれたレコード とても充実した日々をおくらせてもらった  最初のとっかかりが純粋に音楽が好きでその帰結としてのレコードという事で無かったことも興味を薄くさせてしまった原因かと思われる 器の小さな自分にはそろそろ容量オーバーになってしまったようだ。
何かを得る為には何かを失わなくてはいけない 現代社会が文明の発達で便利になり快適になっているがそれと同じぐらい大事なものも失っている 自分が得した、儲かったなどと喜んでいるがその裏で損をしている人や犠牲になっている人が同じくらいいる 世の中不公平にみえて冷静に俯瞰して見ると意外とバランスを保っているものだとわかる。

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そんな妄想をしながらポロンポロンとピアノを弾いている。
「Skylark」ジャズのスタンダートでホーギー・カーマイケルの曲である 日本名でヒバリ(雲雀) 春を告げる鳥だが今や絶滅危惧種とはちょっと驚いた(東京都区部で絶滅危惧Ⅱ種) ヒバリのように青空を舞うよう軽やかにこの曲を弾けたら良いのだがキタサンの今の腕前ではペンギンのごとくトロトロ オタオタと…華麗に空を飛ぶかのごとくはまだ先の話である 譜面はコード進行だけ参考にしている メロディーは何度も聴いて覚えているのでそこそこ耳コピーで弾ける それでも今の弾き方はジャズとはかけ離れている 何十年もジャズは聴いているのにリズム感覚はイマイチである(-_-;)。

※全然レコードの話ではなかったですね…

by kurama66644 | 2019-03-03 08:24 | Comments(0)

カレー・かつ・天丼

カレー、かつ、天丼 何と良い響きなのだろう 老若男女好きな方は多いと思う。
昨年の3月 約60年の歴史に終止符を打った 東京神保町の老舗「いもや」https://andokan.exblog.jp/28166446/ キタサンも思い出多い大衆食堂なので記事にした。

学生の多い水道橋、神保町界隈だからあの安い価格で提供してくれたのだと思う 普通トンカツや天丼となると結構高額になるはず 銀座の老舗の店なんかと比べるとその差は分かる。長い間庶民が普通に食べられる価格で提供してくれたことに感謝である。

2018年3月の閉店後 何度か神保町界隈には行って「いもや」の跡地の横を通ったが閉店のままであった そして年も変わり今年のお正月に神保町に行き「いもや」の跡地を見ると何と 新しい店がオープンしているではないか! まずとんかつのいもやは同じ業種 トンカツならぬササミカツで有名なイマカツがオープンしていた 六本木、銀座に続く3店舗目ということらしい オープンしたのは昨年の5月…あれ夏場にもこの辺り通ったのだが気づかなかった(;^ω^) 店構え自体変わっていなかったので中は内装その他ほぼ同じであろう いわゆる居抜きというやつか? 価格はということでチラッとメニューを見ると1000円台が殆ど…かつて450円のトンカツ定食を食べていた身からすると倍以上の価格設定 しかしこれぐらいが普通なのだろう デフレが続いて金銭感覚が少しマヒしているのかもしれない 今回は昼は済ましてきたので入らなかったが機会があれば食べてみたい ただ昼時間などはかつてのいもやのように並んでいるのだろうか? 並んでまで食べる味かどうかは兎に角食べてみない事には分からない ちょっと楽しみが増えた。

水道橋から神保町方面へ白山通り沿いを歩き もう1件のいもや そう天丼のいもやはどうなっているのか? なんとそこも新しいお店がオープンしていた。
カレー屋である(;´・ω・) 競合他社がひしめくカレーの聖地 神保町に殴り込んでくるとは余程の自信の表れでは?と思い 名前を見ると「ジェイズカレー」知らないお店である…調べると北千住にあるお店らしい 中には入らなかったが外のメニュー写真を見るとカレーらしくない容貌である(笑) これが創作カレーというやつなのだろうか?
このすぐ近くにある庶民派代表のカレー店 まんてんとは安さも盛り付けの雰囲気も全く違っている おしゃれである この神保町に合うのだろうか?   いやいや神保町界隈のカレー屋は欧州カレーが意外と多く 小麦粉たっぷり入った日本のドロドロカレーそう立ち食いソバ屋で食べるカレーとは一味も違うレストランの雰囲気がある そういうお店に肩を並べる感じであろうか それにしてはここも居ぬきで白木のカウンターだけなのか?内装は変えてあると思うが天丼やの面影を残し お新香や紅ショウガがカウンターにあるとこれまた雰囲気が台無しになってしまう… どうなっているのだろう 興味津々だが 一つ問題が発生! このジェイズカレーさん メニュー写真には何故か白いクリームソースが最後に仕上げとしてかける様だ…キタサンは北海道出身のくせにチーズやら牛乳は苦手 クリームソースは手強いのである うーんもう少し情報を得てからかな?クリームソースがそれほどアクセントが強くなければ(乳製品ぽくなければ)突撃してみたい。まんてんやキッチン南海は別として界隈にあるカレー店とそれほど価格的には差はない様だ。※実際食べられた方の写真をお借りしました ご容赦下さい。
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by kurama66644 | 2019-03-01 09:02 | 雑感 | Comments(2)

感じた事を素直に書きます 一日一つは何かを得、逆に何かを手放すように心がけています


by キタサン
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