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バラード

「バラード」を聴きたくなりレコード棚を探す 確かオリジナルではないがインパルスの赤黒盤があったはず…アレアレ?無くなっている 誰かにあげたか売却してしまったのか…神保町に行く予定があったのでユニオンを覗いてみる ジャズ館(JAZZ TOKYO)はもう殆ど行かない 歌謡曲、クラシック、落語、POPOS、ジャズ等色々なジャンルがオールマイティに置いてある神保町店か御茶ノ水駅前店に行くことが多くなった。

コルトレーンのバラードは有名盤だからどこでも置いてあるだろう あったあった中古CDで680円である オリジナルアナログ盤だといくらぐらいするのだろうか? 状態の良いものならこのCDの50倍ぐらいするだろうか? もう買うつもりもないが… レイ・ブラウンのアルバムで一度も聴いたことがないものがあった こちらもCDだが1枚購入、その他クラシックアルバム4枚組とリヒテルとバルディーニのピアノアルバム いずれもCDを購入。今回もアナログ盤は買わず CDのみである。

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有名盤に名を連ねる「バラード」であるが「怒れる巨人」コルトレーンの異色のアルバムとして当時(62年)話題になった。
シーツ・オブ・サウンドからモード、フリーへと常に進化するコルトレーン その進化の途中でこんな普通の?聴きやすいアルバムを出すなんて まだジャズ初心者であった当時のキタサンは不思議に思った。
そういえばオーディオを始めてからこのバラードは殆ど聴かなかった アナログ盤を購入して少し聴いたが今のスピーカー(Minimaやアマトール)にしてから聴いたことがない よく聴いていたのはオーディオを始める前でミニコンポ時代である 少し硬い音色だったがその優しい演奏をジャズ初心者には丁度いいぐらいの感覚で聴いていた。

インパルスのボブ・シールは求道的あるいは宗教的にともいえる長いソロを続けるようになった当時のコルトレーンに対しそのイメージを払しょくするようこのアルバムの企画を立てたのだろうか?あるいは使っていたマウスピースの調子が悪く その骨休め的なタイミングで作ったとも言われているがその割には計3回のセッションを行い(61年録音はジミー・ギャリソンからレジー・ワークマンに替わる)綿密にアルバム起こしをした。
ジャズの荒れ狂う大海に果敢にチャレンジしていたカルテットは嵐の中を一端避け港へ停泊するようプロデューサーの指示を受けた その際渋々承諾した感も否めないが最大限の努力をして演奏に従事していたことは聴いていて何となく分かるような気がする それでも時折エルビンのドラムが堰を切ったかのように炸裂するのはその当時の有り余るエネルギーを抑えきれなかったのだろう

個人的に好きな曲は「Too Young To Go Steady」でナット・キング・コールでヒットした曲だがコルトレーン自身無難に演奏している ただやはりマウスピースの調子が悪かったのかあまり上手い演奏とも言えない気もする。
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コルトレーンにはそれほど憧れていなかったが同じマウスピース オットーリンクの6番を使っていた 遠い昔の頃である…



by kurama66644 | 2019-01-27 11:31 | ジャズ | Comments(0)

ヒビの入った骨董品

今 使用しているオーディオ機器は100%中古である 中古が良いのかというとそうでもない… やはり新品が欲しい 家電やら日用品は新品で買っている。
ただしオーディオ機器に関していえば新製品で魅力のあるものは少なくなったと感じている もちろん人により好みがあるので一概には言えないのだが今はそう思っている。

実はオーディオを始めた時は新製品(新品)しか頭に無かった ビンテージというジャンルがある事は知っていたが全く興味はなく新品一択しかなかった。
オーディオ店や家電店、オーディオショーで新製品のカタログや展示などよく見に行った そこで自分の懐具合等考え 製品を選んでいた 
ソフトに関しては結構中古CDなど買っていたが基本新品を選んでいたように思う 当時はレコードはそれほど気にしていなかったのでオリジナルの概念もなく古い音源でもリマスターで新しくなった新製品?を喜んで買って聴いていた。

中古品を買うようになったのはアナログに回帰した事とも関係する 現在アナログがプチブームのようだがアナログ自体昔の物である それを再生するレコードプレーヤーも当時の物でないとシックリこないしアンプやスピーカーも同じことが言えると考えるようになったのは当然の流れであった。ただビンテージまで行ったのは自分の中では行き過ぎだと今にして思う 50~60年代のジャズのオリジナルに嵌ったことも一因だが軽率過ぎた感はある(;'∀') 中古品は当然ながら価格が安いのがセールスポイントだが同じ古い製品でもビンテージとなると立場(価格)は逆転する そうなると特定の人しか手に入れる事は出来ない 益々希少価値が付き値も張る オーディオ機器はその気配を感じ寸でのところで深追いは避けられたが アナログ盤に関しては深手を負ってしまい  既に退却状態…ビンテージアナログ盤(主にジャズ、ロックのオリジナル等)は避け 正当な価格の中古品(同じオリジナルでも歌謡曲、クラシック等)に方向転換している。

その中古品のオーディオを使って中古のソフトを日々聴いているわけだが歌謡曲やクラシックを聴くことが多くなった。
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何気に聴いているホロヴィッツのCDだが83年に初来日しているらしい もう晩年の頃であるが20世紀最大の音楽家の一人として称えられている鬼才ホロビッツの演奏を聴きたく当時のチケットはプレミアがついたようだ 熱狂的なファンだけではなくマスコミ、芸能人様々な人がこの生きた巨人を見に、聴きに訪れその演奏を絶賛した。
そういう中 ただ一人音楽評論家の吉田秀和さんが東京公演での演奏を「ヒビの入った骨董品」と批評したのである。実はマスコミが絶賛する一方で往年のホロヴィッツの素晴らしい演奏を聴き続けてきたファンにとっては期待外れ、いやそれ以上に苦痛ともいえる演奏内容で聴くに堪えないと悲しんだ人も多かったようである。
現在のネットのように情報の拡声器を持っていないホロヴィッツを理解している当時の一般大衆は心の中で悲痛になっていた。名声、ブランドだけで判断するマスメディアは素晴らしいを連呼し日本中に喧騒していったがピアノ音楽をよく理解している少数の人を代弁するかのように吉田氏は素直な感想を述べたのである。

「ヒビの入った骨董品」という批評を聞いて色々と考えさせられる 吉田氏は悪意でこのような表現をとったわけではないように思っている。
骨董品という希少価値の物はヒビがはいってはいけないもの ともすれば価値が下がってしまうという考え。いや骨董品というだけに古いもので多少キズや汚れはあって当然 ヒビもその一部 それも含め認められるものとしての思い。ヒビがはいることにより本来の姿とは違う バランス等が崩れるなど弊害が起きてしまう故に大事に扱うなどの教訓めたものなど 考え方捉え方は色々あるだろう。すっかり過去の人になってしまったホロヴィッツの演奏を聴いた素直な感想だったのではないかと思う。

キタサンの所有しているオーディオ機器は殆どが傷がついている骨董品である それは製作者の想いが込められている骨董品でもある  それが音として表現するその姿は見た目が少しくたびれていようがとても優雅に見える。フランコ・セルブリンのMinimaやアマトールなどのソナス製品、マイク・クリーク氏のクリークアンプやCDプレーヤー、長、立沢、小出氏らによるケンウッド技術者の執念ともいえる最後のアナログプレーヤーKP-1100など価格や音などより製作する側の顔が見える製品ばかり揃えたキタサンの「普通のオーディオ」は ヒビの入った骨董品である。  以前の輝かしい新製品として登場したその時のオーディオの姿を知らないしビンテージのような過去の素晴らしいオーディオの音は出ないがオリジナルではないリマスターした音を素直に奏でている  そのヒビの入った骨董品に落胆するどころか今は愛着さえ感じている。

2年後の85年にホロヴィッツは再来日している その時ショパン国際ピアノ大会で圧倒的支持を受けブーニンが優勝 ちょっとしたブーニンブームが日本でも起きたのは記憶にあった ブーニンブームの影響なのか初来日ほど話題にならなかったが この時は超難易な曲を避け年老いたなりの熟成した演奏をこなし 概ね好評を得たようである。

人も物も時間には逆らえない 老いや劣化は自然の事である 過去を生き、現在に至ったその姿にいかに正直でいられるかそこに骨董品としての価値を見出す。

by kurama66644 | 2019-01-26 09:22 | オーディオ | Comments(0)

素のMinimaとアマトール

宙に浮かぶMinimaを聴いて1週間経つ スピーカー本来の素の状態に近い音を聴き色々な意味で感心している。
改めてMinimaのポテンシャルの高さが分かったようで当時スペック価格面で倍近くあったモニターオーディオPL-100から切り替えた事は間違えていなかった。
もちろんPL-100が悪いわけではない スピーカーの個性は様々で本人にとってその当時の音楽、オーディオに対する感じ方捉え方で機器の入れ替えはあると思っている かたくなに機器を変えないで追及していくのも一つの道でそういう方も沢山いる それはそれで結構であると思っている。

サイドプレススタンドという鉄製の華奢なスピーカースタンドは今までの常識と真逆な思想で作られている すなわちスタンド自体は何も仕事をしない いかに脇役に徹しられるかが勝負 それに対して従来のスタンドはそれ自体が主張しすぎていた 素材や構造に凝り主役と共に存在しようと目立っている そういう意味で本来のスピーカーの実力にスタンドの実力が相まって良くなったり逆に悪くなったりし スピーカーの素の音は殆ど聴いていなかったのだと思う。

ここでいったん宙に浮かぶMinimaを横に置き従来の専用スタンド+アマトールを設置してみた
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同じ部屋に2組置くのはこの狭い部屋がより狭くなる…専用部屋ではない普通の生活する部屋なのでどちらか撤去しなくてはいけないなぁと考えながらいくつかCDを視聴 専用スタンドも今までは一番低い高さにしていたが公正を期すため高さ調整しサイドプレスと同じ高さにスピーカーユニットがくるようにした。
リファレンスの音源は以前は色々あったが余り神経質に調整してもしょうがないと思い 今では特にないがヨーロッパの録音でボーカールのライブ盤あたり会場の拍手によるホールの響きや歌手の歌声と伴奏楽器の調和等 対比できるのではと思いこのリタ・ライスのライブ盤をかけてみた。
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宙に浮かぶMinimaで聴くこのCDは会場での拍手の広がりが大きく響き臨場感は以前より増すようになった ギターやドラムの音も鮮明になり位置関係がハッキリ分かる これが定位がいいという事なのだろう リタ・ライスの口元もけして大きくならずピンポイントで歌いかけてくる。
次にアマトールに専用スタンドを使って同じCDを同じボリュームで聴く、意外と変わらない…低域が膨らむようだ いわゆる低音の量が多いという事だろうか?そもそもウーファーの大きさが違っているので量は多くなる むしろMinimaの小さな筐体、ウーファーでアマトールと質は少し変わるが同程度の低域が出る事自体凄い事である。
あと音の広がりも宙に浮かぶMinimaの方が広がるようだ そして大きな違いは全体的な ざわつき感がアマトールの方にはある これはS/Nが圧倒的に宙に浮かぶMinimaの方が優れている いや優れているというよりこれはがスタンドに起因する音の濁りのようなものかと思う。ただしアマトール自体素晴らしいスピーカーでその音の存在感は相当のものだと思う Minimaと価格差で3倍違うしブックシェルフとはいえMinimaより2回りぐらい大きい、フランコ・セルブリンもこの大理石をベースにしたスタンドも込みでアマトールの音決めをしていたので「アマトールの音」=専用スタンドの音と一体になったのが本来の音として認知され称賛を得てきたのだと思う。

Minimaはアマトールが発売されてから2年後に同じくフランコ・セルブリンが手掛けた名機でもあるがフランコ・セルブリンの情念がのり移ったアマトールとは違い広く一般大衆に使ってもらえる普及機の位置づけであったのだと思っている その為 数値的なポテンシャルではアマトールに大きく水をあけられているが実は使い方によってアマトールに匹敵する作品である事が今回のサイドプレスを使用し分かった。

素のMinimaの音を知ったことでMinimaの優秀さを改めて知り更にはアマトールの存在感の大きさも知る事が出来た 今回スピーカースタンドそしてスピーカー自体の比較論的なものになったが どちらも特徴があり差ではなく違いという範疇で捉えればそれを選ぶのも好みという事になる  それよりもやはり音源、録音の違いでこうも音楽の表現、視聴する側の感じ方が違ってくることの方が重要であるように思う。 S/Nの良さ、音の広がり、低域の沈み方、定位の良さなどやり方、工夫により調整は出来るし それを追求していくのがオーディオマニアなのだろうが…普通の部屋、普通の装置で聴く分には音源のセレクトの方が大事なような気もする。

オーディオを詰めていくと色々な事にシビアになってくる ちょっとしたことでも違いが分かってくる(自分は分からないが…) こうなったらあーする、こうすると日々変化せざる負えない オーディオコミュなどを見ているとなるほどというのも分かってきた ただその行為が面白いと思う人もいるが敏感になりすぎ音楽より より良い音を出し満足するために色々な反応をせざる負えない状況になっていくのは際限がない事だと個人的には思っている。何気にサイドプレススタンドなんてマニアックなものを導入したのも程々にしないと際限なく進んでしまう その戒めだったのかとフッと思ってしまう。


by kurama66644 | 2019-01-19 11:37 | オーディオ | Comments(2)

オーディオ機器の音

今更ながらこういう記事を書くのも恥ずかしいが…「これは何々(アンプやスピーカー)の音」「この素材の音が乗るから音が変わる」「これが原因で正しい音が出ていない」等々オーディオ評論や関連記事、ブログなどでよく聞く話である。今でもそうだがこれらの事がキタサンにはよく分からない…オーディオ機器は単体として音の発生源ではないからである 電気を通しアンプやプレーヤーなど複数の機器を介して始めてスピーカーから音が発生する アンプをひとつ置き外回りをコンコン叩けば素材の音の違いは分かる スピーカーなんかは木材を使っている事もありその違いはキタサンのような素人でも分かりやすい それは叩くという動的作用を起こした時そのもの自体が発生源として鳴っているから分かるのである。

アンプを変えた、CDPを変えた、アナログプレーヤーを変えた そして音は変わった…よくある話である キタサンも頻繁に(;^ω^)機器を変えるからそう思う事もしばしばであるが果たして原因はその機器を変えたからなのかといつも思っている。ちょっとした配置の違い、使っている機器との相性 極端な話 自分の体調具合など別の事の方が大いに影響している可能性もある。

以前使っていたオーディオデザインのアンプの社長さんへよくある質問として「お宅のアンプはどういう音がするの?」という問い合わせがあるらしい そこでの回答は「お使いのCDやレコードの音がします」という事で(笑) すごく的を得た回答だと思う。
結局は同一条件で色々なものと絶対比較をしない限り分からないように思う 凝ったオーディオマニアはそういう事もしているかもしれないが一般オーディオファンはそこまで出来る環境や資金的な余裕はないと思う そして面倒な事に先ほども触れたが個々の体調具合や聴く耳の熟練度にもより違う風に聴こえたりすることもある そうなると絶対条件といえども結果は違う事になりかねない…

そもそもオーディオ機器メーカーは他社製品との比較は当然行っているはず? それは限りなく同一条件下で行っている そうしないと自社製品の特長が出ない(分からない)装備の豪華さや部品の優劣などの違いより最終的には音で判断されるので違いはあって当たり前 その違いの差を確かめたいのがオーディオマニアのサガなのである。

オフ会を余りやらなくなったのはその違いの差に執着し比較対象されるのが苦痛になってきたからでもある。特に部屋自慢、機器自慢、設備自慢、音自慢されるお宅には極力行かないようにしている 一見そういう素振りを見せない方でもその雰囲気や気配等で分かってしまう その辺は伊達に歳を重ねてきたわけではない(笑) 別に立派な機器やご自宅をお持ちの方が全てそうではない  これは前にも書いた育ちの違いやその人の生き方の違いによるところも多々あると思っている。
なるべく機器好きより音楽好きな方と交流していきたいがあまりにも嗜好が違う方だと音楽好きでも馬が合わないかもしれない…
「差」ではなく「違い」と割り切ってしまえば済むことなのだが人はどうしても「差」の方をみてしまい優劣を競う その優越感が強まると「執念」に変わってくる。一見 努力、頑張りに見えるがそれは執念深さから来るもので余り健全と言えないような気がする。
「大体こんなもの」とアバウトなやり方では許してもらえないのがキタサンが感じたオーディオの世界、これはこうだ!と物事をイコール(=)で考える人も意外と多いのがオーディオの世界 そのイコールの思想を上手く利用しようとする業界がオーディオの世界… こんなことを言っては身も蓋もないが だからこそ普通のオーディオをしたくなった。個人が、家族がくつろげる普通の部屋で普通の機器を使い心地よく聴くそういうオーディオの世界とは付き合っていきたいと思っている

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最近よく聴いているバッハの平均律 クラヴィーア曲集 何?キタサンらしくない…普通のシステムにして がぜんクラシックを聴くことが多くなった。
クリーク社のアンプとCDPで鳴るピアノの響きが美しい ジャズの美しさとも違い えらく感心している 単体では分からないオーディオ機器の音 しかし現在の普通のシステムで聴く音楽は今までになく美しく感じる。

by kurama66644 | 2019-01-14 10:15 | オーディオ | Comments(2)

宙に浮かぶスピーカー

最近は音楽を楽しく、面白く聴くと言うより心地よく聴きたいと思うようになってきた 歳のせいなのか普通のシステムにしてから力が抜けたのか自分でもよく分からない。

監督や演出家でもあるアンプとプレーヤーを英国のクリーク製にしてから役者であるスピーカーの立ち位置(演技)が変わったと前にブログで書いたhttps://andokan.exblog.jp/29061184/  演技をする場所がこんな狭い所では申し訳ないと思いつつ布団部屋には音響機器は置きたくないし他に部屋も無し、別の場所に引っ越す事も当面は無いので それならば素の演技が出来るように環境を整えるのもオーナーであるキタサンの責任 このようなものを導入した。

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そうスピーカースタンドである。小型ブックシェルフには必須のアイテムで FAPSさんから発売されているサイドプレススタンドである。
従来の剛性が高く音の濁りの元凶であるスピーカーからの振動を抑えるものとは真逆の作りである。このサイドプレススタンドは華奢な鉄製のフレームを使っておりモロにフレーム自体が響く(鳴く) そして天板が無くサイドでスピーカーを押さえ底面は1本のスパイクの先端で支えるだけのものである こちらの製品はキタサンが参加しているオーディコミュでも使っている人が何人かいて実際聴いてみたこともある 特徴としてスタンドの天板を無くしほぼ宙に浮かんだ形態をとる為 本来のスピーカーの素の音が聴け音場が広がる傾向にある 付帯音が減るので一聴すると音が小さくなった、低域のボリュームが減った そんな感想を持ってしまうが実はそれが今まで聴いていたスタンドの影響からきている事が分かる。

このスタンドを導入された方が皆 従来より音量を上げる方向に行く 普通だとうるさく感じてしまうのがうるささはなく音場が広がり包み込むようなサウンドを感じるはず 逆にボリュームを小さくした場合小型スピーカーの点音源的なスポットライトを照射するような感じになり音場感は減少する。

苦心して(;´・ω・)水平その他調整しながら組み上げ最初にジャズのアルバムを聴いた時 実はかなり落ち込んだ(笑) 昔の録音で一応ステレオ録音なのだが音がスピーカーからポツ、ポツと出てスピーカーに音が張り付くそして音の塊が出ない なんじゃこれ?と思った この時音量は今まで聴いていたスタンドの時と同じである。気を取り直して今度はボーカルを聴くと大型スピーカーから出るような等身大のボーカルが出て驚いた…更にはクラシックを聴くとバイオリンやピアノの余韻がそして弾くニュアンスが今まで以上によく分かりこれまた驚き(笑) そうこの時点で音量を大きくしたのである 今までだと部屋の広さも考え音量自体は大きくできたが飽和しかねないので適正な音量で聴いていたのだが このスタンドを使用してその適正音量の目盛りが大きくなった しかし飽和しないで音場は広がるのである。あとこのスタンドは従来のスタンドより10~15cm高くなっている その辺りもある程度の音場の広がりがないと変に高い位置からポツンポツンと音が聴こえてき違和感を覚えてしまう、先ほど一番最初に聴いたジャズアルバムは音源を左右に振っておりソロ演奏が多かったせいもある もう一度音量を上げて聴くと上手く音場の中に単一の音がブレンドされ最初に聴いた印象とは違う感じになってきた。

購入された方の評判が良いのもうなずける 今まで聞こえなかった音やニュアンスも感じる事が出来るし狭い部屋でも広いステージが手に入るという文言も伊達ではない事が分かる オーディオマニアや音楽好きな方からは好評であろう…。ここで困ったことが起きた!スピーカーの素の音が聴くことが出来ると色々アンプやCDPによる違いも聴きたくなってきた…クリークとクォードで感じた違いなど本当にそうだったのかとかCDPを3台所有しているバカ者であるがそれぞれの音そしてアンプを変えた時の違いなど うーんマニアさながらになってしまう((;´・ω・) 結局何かが良くなったりするとさらに良くなるのでは と欲が出てくる。本当は普通のシステムでは付帯音だらけの多少ノイズが入った音でも構わない 使用しているMinimaやアマトールの専用台は大理石、天然木、鉄の複合されたスタンドだがスピーカーを脚色した音色にわざとするように作られている 音場は狭いけどこれはこれで十分いいと思っている。※取りあえず従来の専用スタンドは布団部屋に撤去したが移動は簡単なのでいつでも交換して聴く事が出来る

この宙に浮かぶスタンドはスパイクや台座受けの長さで色々チューニング出来るらしい、FAPSの志賀さんに組み上げたスタンドと現状の視聴環境の写真をメールしたら的確なアドバイスを色々いただいた 久しぶりにオーディオマニアっぽい事をやりそれも中々楽しいものである こ慣れてきたら又 感想など書いてみようかな それと今回Minimaを試したが重量20kgまで対応可能という事でアマトールもその範疇に入っている アマトールの素の音も聴いてみたいので機会があれば試してみようと思っている。

なに?普通のシステムが段々特殊なシステムになっているだと?まぁオーディオ機器本体の価格が普通という事で…勘弁してください。


by kurama66644 | 2019-01-13 10:20 | オーディオ | Comments(0)

メイティング・コール

コルトレーンとタッド・ダメロンが邂逅したこのアルバムを名盤と紹介するのに違和感を覚える方も少なくないだろう。

「MATING CALL」タッド・ダメロンwithジョン・コルトレーン 56年作だからもう60年以上経つ 元の音源はモノラルである。
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ジャズに多少親しんできて さぁ次に何を聴こうか?となった時この手のアルバムはよく登場するつまりお気に入りのあるいは特定のミュージシャンのアルバムをまず人気のあるものから聴いてその内 直球ではなく変化球も求めていくうちに出会っていく過程のアルバムでもある。

キタサンはコルトレーンに関して後期の神と化したコルトレーンは苦手でもっぱら初期の頃 マイルスなんかと絡んで進化していったコルトレーン ビレッジバンガード辺りまではよく聴いていた。そしてこのメイティング・コールはCDから聴いたのだが始めて聴いたのが92年頃かと思う 最初はジャケットに鳥が沢山いて 思わず浅草の浅草寺かよ!と突っ込みを入れたくなった印象的なジャケットであったが そもそもこのメイティング・コールというのは繁殖期に雄鳥(無尾類)が鳴くいわゆる繁殖音の事らしい…どうりでそのようなジャケット写真を用いていたのが分かったのは相当後になってからである。

このアルバムのタッド・ダメロンは作曲者でアレンジャーでもあり優秀であるが名盤として名を遺す作者(演奏者)でもない。ただファッツ・ナバロやクリフォード・ブラウンそしてコルトレーンなど有望な若者をピックアップし曲を提供 世に出すきっかけを作ったのは名伯楽さながらで見事なものであると思っている。
余りアルバム数が多くないので一概には言えないかもしれないが前作のフォンテーヌブローもそうだがとても品のある曲が多い 演奏者により印象も変わってくると思うがキタサンの普通のシステムでは?とても優雅に聴こえる(;'∀') おそらくはジャズのらしさを余り出さないように鳴らしているのでそう感じるのかもしれない。

オーディオに凝ってくると特にジャズをよく聴かれる方は そのらしさを大事にする ジャズ喫茶なんかの影響もあるが優雅に鳴らすなんてクラシックじゃないんだから勢いや情熱がないとグーッとこない こんな感じではないかと思う。キタサンは以前「プライベートジャズ喫茶」なんて勝手にジャズ喫茶のイメージでこのオーディオを始めたのだが ジャズ喫茶で出ない、出さない音で聴きたいと思っていた(;'∀') 要は狭い部屋で圧力のある音は疲れてしまうのである JBLだマッキントッシュ、アルテック、ガラードなどそれらしい機材は避けてきた 元々スペースもないしガサのある機材は置けない 珈琲が美味く感じる音でいい それだけである。そしてオーディオを進めていくうちに知らぬ間に そのらしさを求める人が多く感化されていった…「そういう軟弱な音はジャズではない」と しばらくは感化され続けていったが2~3年前 ソナスのSPに変えた辺りから そのらしさを徐々に消していった 体が受け付けなかったのだろう そうして今 普通のシステム、中庸な音でジャズやクラシック、歌謡曲を聴いている。それっぽさを求めたいなら生を聴きに行けばいい らしさではなくジャズそのものを聴ける ただし自分の好きなアーティストたちが殆ど亡くなってそのものを聴けなくなってしまった…有望なジャズミュージシャンも沢山いるが らしさはあるがジャズとは言い難い人も多いのは事実である。

いかんいかん話が逸れてしまった(;^ω^) そのジャズのらしさを差し引いて聴くと このメイティング・コールのアルバムはとても優雅で秀作の曲だらけなのである。
その優雅さに華を添えているのが若き日のコルトレーンの抒情性のある音色であり 少し荒々しい艶が これはやはりジャズなんだという事を思い出させてくれる。

このアルバムのアナログは持っていなかったがライナーノーツなど見るとCDとは曲順が違うように思う。曲順が違う事はアルバム全体でみるとまた印象が変わってくる 収録時間の容量がアナログとCDでは違っているので「別テイク」などおまけで付くことがCDには多いが初期のアナログの雰囲気はそのままにしておいてほしい 残念な事である。キタサンは普通のシステムにしてジャズのアナログオリジナルを敵対視しているわけではない 相変わらずオリジナルはそこそこ持っているしたまに聴く いいなぁ~と思ってしまうこともしばしば ただ非常識な価格で一般庶民が気楽に買えない状態を危惧しているだけである そうであるなら常識的な価格のCD(中古も含む)でこれらの名盤を紹介していこうと思っているにすぎない。

by kurama66644 | 2019-01-11 10:50 | ジャズ | Comments(0)

蓮の花

とにかく久しぶりである このアルバムを聴いたのは

「静かなるケニー」ケニー・ドーハム
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ジャズの名盤の中に必ず入っているアルバムでありジャズ入門書でもよく紹介されている。トランペットで激しくブロウーしない控え目で弱々しい音色が日本人向きなのか内容的にはごく普通のアルバムだが何故か名盤扱いされるこのアルバム  当然のことながらジャズ初心者の頃CDで購入オーディオ装置がないのでミニコンポで再生していた 確か90年初頭頃だと思う 抑制の効いたマイナー調の曲が多く端正なトミー・フラナガンのピアノと相まってジャズの難解さを緩和していたようにも思えた。
そしてこの頃からCDのパッケージがアナログに似せた紙ジャケットも出始めたように思う このCDはビクターが開発した20ビットCDの紙ジャケットでジャズの名盤をリマスターして当時話題になった 銘柄はプレステッジやリバーサイド、コンテンラリーなどの大手レーベルから再リリースしたものである。

定価は2500円 アナログ新譜と変わらない値段で出ていたが当時は発売を楽しみにしていた。

さて名盤を無性に聴きたくなりこのように順次紹介していこうと今年は思っているのだが(※アナログ盤ではなくあくまでもCDで) 名盤とはそもそも ①ジャズの歴史を変えたとされるアルバムなのか ②ビッグアーティストが放った渾身の1枚なのか ③ジャズ評論家並びにその関係者が推薦する1枚なのか はたまた④それなりに長く色々なジャズアルバムを聴いてきた中の個人的に思うアルバムなのか…結論としては③と④の合わせ技で直感で聴きたいと思うものにする いずれも長くジャズを聴いてきた人(自分も含め)が選ぶアルバムで好みも関係するだろうが最終的には心にグーッとくる記憶に残るようなアルバムであると思う。

さて全曲聴いたこのアルバムの感想であるが…ごく普通(-_-;)の中の最上級の心地良さ とこんな感じであろうか
「何?名盤のらしさが感じられない」当たり前である普通のシステムで聴いているのだから凄い音や際立つ音色などしないのである(笑)

1曲目の蓮の花(ロータス・ブロッサム)流れるように弾む曲調であるがバックが煽っている中 お構いなしのポワポワッとどこ吹く風で鳴るトランペット…思わずこけてしまいそうになる(;'∀') よーし次の曲に期待しよう「マイ・アイデアル」1曲目とうって変わりスローテンポで相変わらず朴訥なペットの音である 3曲目は「ブルーフライディ」だ 今は死後になっているが花の金曜日 花金は次の日が休みなのでワクワクソワソワするものである なのに何なのこの哀愁に満ちた曲?そっかだからブルー・フライディなんだ キタサンは土曜も出勤の日が多いので花金は余り関係ない。えーっと「アローン・トゥゲザー」は飛ばしてB面じゃなく5曲目の「ブルー・スプリング・シャッフル」 あれ?ブルー・スプリングじゃなかったけ…シャッフルなんてつけて別の曲かな いや同じだ まぁいいや おっとミドルテンポでドーハムもようやくエンジンがかかってきたかなぁ ポワポワからパッパッと歯切れが良い音になってきた そりゃアート・テイラーやらポール・チェンバースが張り切って鼓舞しているのに それに応えないと と傍から見てもそう思う トミー・フラナガンも淡々と弾いているが「はよ~本気出せや」と心の中では思っているだろう。
うーん中々いいぞ その調子 6曲目「クレイジェスト・ドリーム」あれあれ? また若干ポワポワに戻ってきたぞ…まだ疲れる歳ではない この録音時35歳だ 成熟したトランペットにはまだ早い しかしながら朗々と吹くその姿はベテランを感じさせる(録音風景は見ていないのであくまでも想像)
7曲目と8曲目「オールド・フォックス」に「マック・ザ・ナイフ」好きな曲が続く ポワポワでもパッパッでも何でもいいがいい曲だなこの2曲
オールド・フォックスなんか淡々としたポップ調の曲に聴こえたりして 普通情緒深く演奏するんだけど完全にドーハムのペースに仕立てているなぁ~ 
「マック・ザ・ナイフ」同じく名盤サキソフォン・コロッサスのロリンズが演奏した曲とかぶってしまう これは比較してはいけない 別物と考えた方がよい。
いくら技術が良くても演奏の情景が見えてこないとダメである 昨今のアルバム(曲)は皆 演奏技術が優れている すごい事だと思うが本当にご自身が演奏しているの?と疑ってしまう事も多い  紅白歌合戦の口パクじゃダメである どうせ音しか聴こえないのだからと力を抜いたり他の力を借りたり要は頼り過ぎはよくない。

ケニー・ドーハムは頼りない音でピロピロ吹きテクニック的には優秀な奏者が周りに沢山いた  それでも尚 人気があるのは音楽家として別の何かがあったのだろう。
それは影の部分の明るさを表現できる才能から来るものだと思う 影は暗いものと誰もが思うが濃淡はある そこを焦点にするととても明るい影もある 自身の演奏はマイナー調の暗い部分も多かったろうがその暗い部分の中の明るさにスポットライトを当てて演奏しているので悲壮感は少ないのである。

繰り返し聴いてもいいなぁ~このアルバム やはり名盤である。


by kurama66644 | 2019-01-05 11:37 | ジャズ | Comments(0)

演出と脚本

4年前 トーレンスTD-124を購入した時 プレーヤーは演出家であるとブログで書いたことがある https://andokan.exblog.jp/24290424/
その他 アンプは監督、スピーカーは俳優などと書いた 我ながら上手い例えだと思う(笑) 自画自賛であるが(-_-;)

アナログプレーヤーは細かい調整箇所が沢山あり 確かカートリッジは脚本などとも書いた そうするとCDプレーヤーは演出と脚本同時に行う事になるわけだが分業化するためには複数台必要というのは正しい気がする 現実問題場所もとるしCDプレーヤーを演出家と思う概念も普通はないだろうからそんなことをする人もいない。
外国製品が面白いと思うのは(全てではないが)この演出の部分が優れているからだと思う。昨年11月から監督であるアンプと演出家であるCDプレーヤーを英国クリーク製に変えたことによりスピーカーである俳優の立ち位置も変わった 原作であるレコードなりCDが監督の好みとする題材を使う事が多くなったので当然である 今までは原作に忠実に熱く演じろと指示していたのが力を抜き優しく演じろと指示が変わったので俳優も最初困惑していただろう しかし優秀な俳優は監督の指示に答えるだけの器があり難なくこなしてしまう。

劇場規模を小ホールに限定しての演出なのでそれに合わせた俳優の声量、動きを指示する 原作にはない演出脚本を描いてくれる演出家(CDプレーヤー)の作品は観る人をわくわくさせてくれる。 アンプが悪いから、性能が低いから 安物だから云々と上手く再生出来ない時 機器のせいにしがちであるが壊れていない限り機器類が悪いわけではないオーディオは総合力で決まるのでその組み合わせ一つで大きく表情が変わってくる その辺りを分からせてくれたのが今回使用している一連のクリーク製品なのである。

音楽を聴くのにアクセサリーや部屋、電源など副次的なものにしかすぎない 今ある普通の部屋、環境を舞台と置き換えてどういう演出、演技を見せてくれるか楽しんでいればいいと思っている。

オーディオの世界で部屋や電源はマストの存在らしい 初心者やよく知らない人はそれに感化され何とかしようとする。監督や俳優、演出家達が上手く連携し事に当たれば舞台規模や舞台装置が普通であっても素晴らしく感動できるはず。

自分はオーディオの世界で善しとされている事はなるだけやらないで(※セッティングや配置は別の意味で重要)普通に聴きたい 自己満足の世界になるかもしれないが環境や装置が普通でもいいなぁと思えるような音楽の世界を築ければいと思っている それには原作選びも重要な事はいうまでもない その原作選びだが今年は原点に戻ってみようと思っている。

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今更感はあるが最近よく聴いている村治佳織 5年ほど療養期間があり最近復帰アルバムをだしたようだ。かわいい顔をしているが酒や煙草も好きでそれが原因の病気だとか(真偽はよく分からない…)天才少女の面影は今はもうなく素敵なひとりの大人のアーティストとして今後も活躍してほしい


by kurama66644 | 2019-01-02 09:06 | オーディオ | Comments(2)

育ちの違い

お正月から変な話題(タイトル)であるが まずは明けましておめでとうございます。

最近は「貧乏暇あり」状態でこれは諦めの境地から来たものなのかもしれないと思っている('◇')ゞ まだまだ黄昏る年齢でもないが60歳が見えてくると自然にそうなってしまうのか?  周りのオーディオマニアを見ていると益々精力的に活動されている方も多いがパターンは「金持ち暇なし」と先に挙げた逆のパターンであろう これは40代から50代半ばの働き盛りに多い そして「金持ち暇あり」というのもある いわゆる富裕層特に日本の場合老人が多く 若者から羨望の目と顰蹙の目 両方で見られている。

オーディオと関わってきてネット上の付き合いだけでなくリアルな付き合いもしてくると必然的に人の育ちを見てしまう事になる 別に意識して見るわけではないが話し方や書く文章 もちろん生活スタイル等々何となく見てしまうのである どうも以前万引きGメンなんてやっていた事があるので人を客観的にみてしまう癖が出来てしまったようだ

育ちの違いというのはやはり幼少期の体験や家庭環境でその後の生き方も大いに変わってくるような気がする ここではオーディオを通した音楽という観点から書いてみる
まず自分の事から…父親は音楽には全く興味の無い人で歌の一つも知らない 母親は小学校の先生をしていたのでそのせいか家にはオルガンがありたまに弾いていた 自分や姉も遊びで弾いていたがオルガン自体に余り興味は無かった 音楽が嫌いになったのは小学校の時 強制的に鼓笛隊に参加させられたことである 当時その学校では小4になると自動的に参加 体に不自由がない限りは強制であった 軍隊のような感じで音楽より隊列を揃えて足並みも合わせるなど厳しい指導がありそこで音楽は大っ嫌いになった 中学に入学して解放されたのでホッとしたのを覚えている。元々は美術の方が好きだったのでその後は絵の方に興味を示す 姉も油絵を描いていたのでその影響もあった。
音楽は嫌いになったが当時はテレビが全盛期であり娯楽であった 歌番組も多くテレビでは歌謡曲がいつも流れていた テレビを見ない日は無かったので当然歌謡曲も聴く 翌日学校での話題はドリフのコントや歌謡曲(歌手)の話題ばかりであった 音楽は嫌いだったが歌手や歌謡曲は知っていたし話にもついていけた それが今の普通のシステムで聴く歌謡曲につながっているのだと思う。

クラシックなど好んで聴かれる方は親の影響で聴き始めた人も多い 幼少期からそういう音楽を聴いていたという事は中流家庭以上の環境であったはず ジャズ好きな方も親がオーディオマニアでジャズを聴いていたケースも少なくない そもそもオーディオ装置が家にあるのはこれも中流家庭以上のお宅であろう。幼少期の親や家庭の影響と言うのは音楽の嗜好にも関係しているように思う

青年期に入ると世の中の視界も段々広くなり色々な音楽に接する機会も多くなる そこで出会えた音楽が好きになりその後自分の好みになっていくことも多い。
小学校の時の鼓笛隊の影響も薄れ青年期 社会人になってからはテレビやラジオを通して普通に音楽は聴くようになった そこでも歌謡曲等の大衆音楽を聴いていた
ジャズは20代後半から本格的に聴きだした ただ家にオーディオ装置が無かったので必然的に生の音を聴きに行くしかなった。オーディオを始めたのはそれから15年以上経ってからである この15年の間モダンジャズを体現してきたアーティストたちの演奏を沢山聴けたことは自分にとって貴重な体験であった 彼らを知ろうとジャズの本を色々読んでその歴史等も知ってきた オーディオ装置が家に無いとはいえミニコンポぐらいはあったので彼らのCDを聴き曲も覚えていった。当然のことながらオーディオを本格的に始めてからかけるのはジャズばかりである ボタンを押せばアンプを通してスピーカーから鳴る 非常に単純なものだ ミニコンポ感覚で行ってきたがオーディオはそんな単純なものではないセッティングやら電源 装置の質で音が違ってくると周りから諭された 挙句の果てに部屋によっても変わってくらしい 大変手間のかかる趣味である お金も膨大にかかってしまう… お金のある老人たちは時間もあり色々出来るが若い人たちはそういうものを見て羨ましいと思うのだろうか?若い人たちもオーディオに興味のある人はいると思うが大抵は金銭的に余裕のある富裕層である どうも金満オーディオ化している老人達(老人だけではないが…)の真似をしているのではないかとさえ思ってしまう。

そういうオーディオの世界を見ていると無性に「普通のオーディオ」をしたくなる。
話は変わるが無職期間の3年間 同じ無職の人のブログをよく見たり生活保護の事を色々調べたりしていた。日本はいったん社会からドロップアウトすると中々這い上がるのは難しい 特に大手の企業なんかに勤めてリストラ等にあえば今までと同じ生活レベルと言う風にはいかなくなることが多い 自分は零細企業に長年勤めて最後は自主廃業になり50歳手前で無職になった 元々それほど給料が高くなかったし廃業になる前10年間は賞与も出なかった…そういう中でオーディオを始めたものだからやはりその世界に違和感を覚える 運がいいのか悪いのか分からないが今は大手といわれる企業に勤めている… そこにいる人たちは幸い悪い人?はいないが話していると自分なんかとは生活というか育ちが違うと感じてしまい疎外感を覚えてしまう。向こうは普通に会話しているのだろうけど話す内容は育ってきた環境が自分なんかの貧乏生活とは違うんだと思わざる負えない事もよくある。

生活保護の不正受給が問題になったり生活保護受給者が年々増え続けているので日本は財政的に厳しい状況だ それで生活保護費を削減する方向にはあるが賛否両論あり議論が平行線に終わっている 若者は貧乏で高年齢の老人が資産の7割近く持っているという統計があるが片や生活保護受給者の大多数は老人である ここでも2極化し富める者と貧する者が完全に分かれ中間(普通)がどんどん減っている。 自分の親の世代は戦争体験者で音楽どころではなかったが自分の世代は音楽が街に身近にあった キタサンはたまたま音楽嫌いになった時期もあったが今は普通に聴ける  オーディオはごく個人的なもので何をしてもかまわないがいわゆる勝ち組だけがオーディオを行える社会ではダメなような気がする 絶対的貧困は日本では無くなったが相対的貧困層はむしろ多くなり存在する そういう人達でも何かしらの心の余裕は持ち続けてほしい 

高年齢になってから始めたオーディオであるが大人が節度ある常識的な価格の機器で普通の部屋で音楽を楽しむ そういう普通のオーディオをやり幸せな気分になる そういう人が沢山いてもいいと思う。 若い人が成功者といわれる金満オーディオを見ていつかこういう装置、生活をしてみたい、持ちたいと頑張る気持ちにさせてくれるのかもしれないが「普通」「中庸」という別のオーディオスタイルも存在する事を知ってほしいと思っている 部屋は狭くても ちょっとオンボロでもそこにある質の良いオーディオ装置からは幸福感を満たす音楽が流れている 装置の価格や部屋の大きさ、豪華さは全く関係ないのが普通のオーディオである。

以前 浮浪者の方と交流があり隅田川の河川敷にあるブルーシートの掘っ立て小屋に案内してもらったことがあるAIWAのラジカセがそこにあり「これで時々音楽を聴いているんだ」と歌謡曲を聴かせてもらった。その時はまだオーディオなんて全然興味が無い頃でジャズの演奏を主に聴きにいっていた時であった そこで聴かせてもらった音楽はまさに「命の音楽」と直感してわかった そしてしばらくはその音が耳から離れなかった これが初めてのオーディオ オフ会でもある。

音楽を聴くスタイルは時代とともに変化している 歩きながらでも聴けるように機器類は小型軽量化してきた 無理して家庭で音楽を聴く為の大型の装置を置かなくてもよくなった 存在自体段々無形になってそのうち壁面から何気に聞こえる装置が出来てくるかもしれない 音自体が目に見えないのでそれもありかなと考える…それでもオーディオは音楽文化の一つであってほしい やはりそこは無形ではなく有形であってほしいものである。

タイトルとは関係ない話もつらつらと書いてしまった…単なる雑感であり戯言である 又次回から普通の?記事を書いていくつもり…。

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「かつてこれ程楽しい楽しいアルバムがあっただろうか?」なぁーんて帯に書いているがこの時代(70年代終りから80年代)こんな大げさなコピー、文句が多かった気がする(笑) ジャズアナログは殆ど買わなくなったがたまたまジャケ買いで購入 確かに楽しいのだが商業主義化したレコードで面白さは50~60年代の方が勝っている アナログでなくても50~60年代のジャズは十分面白く魅力的なのである。

by kurama66644 | 2019-01-01 09:25 | オーディオ | Comments(2)

感じた事を素直に書きます 一日一つは何かを得、逆に何かを手放すように心がけています


by キタサン
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