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使い分け

アナログプレーヤーを何台かお持ちの方はよく見かける  ないしは1台でもアームを増設
Wアーム化 トリプルアーム化してあるお宅もまぁまぁある…カートリッジの違いを確認し音色の変化を聴くのに便利だからである。ジャズを主に聴くお宅(クラシックの古い音源も)はステレオ用とMONO用に分けて使うため2台以上のプレーヤーやWアーム化しているケースが多いであろう。そういうキタサンも一時期は常設2台体制で3台体制の時もあった(;´・ω・)

キタサンの場合 今は普通のオーディオ、システムを目指しているのでもう複数台必要としない シンプルが一番だと思っている そういう理由とは別にジャズのMONO再生を諦めて(挫折)しまったのでステレオ、モノラルの2系統にする必要はなくなってしまっている。あれほど熱を入れていた唯一のビンテージ品 トーレンスTD-124も殆ど稼働せず SPUのモノラル専用針も売ってしまった。アナログに関しては歌謡曲を聴くことが多くなり当時の機器 80年代のケンウッドKP-1100で十分足りているし針はシュアーかオーテク、オルトフォンの中堅どころの中古のカートリッジでこれまた十分すぎるぐらいである。

今回の「使い分け」というタイトルはアナログ機器ではなくCDプレーヤーの事である。
前回の記事にも書いたがクリーク製のCDプレーヤーを2台同時に購入 さぞ呆れたと感じた方も多いだろう 更に呆れる事にQUAD3兄弟の一つ QUAD製のCDプレーヤーもまだあるので計3台所有している事になる(笑) なにが普通のシステムを目指すだ…マニアと変わらない 本当に馬鹿ですね~ ただ価格帯は本当に普通のシステムなのである 3台のそれぞれの価格が4~6万で合わせると15万ぐらい 市販で出回っている高価なアナログのカートリッジ1個分ぐらいだろうか
今 日本の入門機用の新品で最低3~5万ぐらいするだろうから中古品とは言え中級機であるので御の字である。

オーディオマニアのお宅へ行ってもアナログならいざ知らずCDプレーヤーを複数台所有しているお宅は少ないのではないだろうか? ある程度良いものを1台購入してそれを使うのが普通だがCDとはいえ音源の時代性を考えての事 必然的に3台になってしまった。
キタサンにとって家庭で聴くメディアとしてやはりCDを聴いていた時期が長かった それと手軽に聴ける利便性はアナログの比ではない  PCオーディオやネットワークオーディオはまだ過渡期の段階 いくら音質がよくてもまだまだ動作不安定にあるので導入する気にはなれない。アナログも小ブームのようだがソフトも含めてだんだん金満オーディオ化してきた 普通のオーディオとはいえない。日本とドイツ以外はCDはもはや過去のものだがメディア媒体としては気楽に使え優秀であると再認識している アナログは別に辞めるわけではないがこちらはもう程々にという感じである
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現在QUADのプレーヤーをこのようにQUADアンプの横に床置きしているがジャズのモノラル時代(50年代から60年代)は断然このQUADのプレーヤーが面白い SPはソナス製で固定の上でだがジャズのらしさがこのCD黎明期のプレーヤが一番感じられる。そしてクリークCLASSICプレーヤーであるが2000年代に入ってからの比較的新しいものでCLASSICの名の通り新しさの中に熟成した香りを漂わすクリーク製品の真骨頂といえる製品なのである とにかく音楽的に楽しく美しく聴こえる 文字で例えると楷書を少し崩した感じ さりとて行書や草書のように崩し過ぎなく分かりやすい 時代的には70~80年代歌謡曲 ポップス、ジャズでは60年代から80年代が上手くマッチングする そしてこのプレーヤーを導入してクラシックを聴く事がものすごく多くなった。クラシックには門外漢であるがクラシックがこんなに気持ち良いものなのかとこの歳になって感じられるほど よい響きで鳴る。
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最初にクリーク製アンプと合わせて聴いていたエボリューションCDプレーヤーだがCLASSIC CDプレーヤーとほぼ同じ時期発売で下位機種にあたるが品質的な面を見ると立場は逆転する 背景がとてもきれいで今ある他の2機種では聴こえない音も再現し現代風の高音質といえる そしてHiFi過ぎない節度ある音でとても聴きやすい。価格的な面 品位、音の質感などで普通のシステムにするならこのエボリューションCDプレーヤーが1番かと密かに思っている。

自分は性格的に長く物を所有していたくない これだと思ったものが何かのきっかけで嫌になったり興味を失せてしまう事はよくある 人も物もうつろいやすいものである。きっかけは何でもいいのだが何となく惹かれてそれが10年以上継続するとそこで色々なものが見えてくる ジャズなんかは最初は興味なかったが何やかんやで30年以上の付き合いになる オーディオはようやく12年だ 最初から一生ものと決めつけるのは自由を奪われるようでちょっと怖い。お金に余裕のある人だと高価な物を頻繁に変えられるが普通はそうもいかない 価格面で天井知らずのオーディオ製品は本当にその価格としての価値はあるのか疑問に思う事もあるというのは殆どの人は感じているはず キタサンは高価格 ハイエンドの存在を否定しているのではない 趣味はあくまでも余裕の部分 その余裕の幅が人により金銭面、時間面で違ってくる。 時間的な面では若いころに比べ取れるようにようになってきたが金銭的な面では根っからの貧乏体質なので普通のオーディオをやらざる負えない 普通のオーディオでも結構幸せは感じるんですけどね(笑)

by kurama66644 | 2018-12-30 08:36 | オーディオ | Comments(2)

音楽を聴かせるプレーヤー

普通のシステムにしてからアナログよりCDを聴くことが多くなった。

アンプとCDプレーヤーをクリーク製にしたことは何度か紹介した アナログプレーヤーは色々弄るところが多いので音の調整(音質、音色等)はその各パーツで変化させやすい ところがCDプレーヤーはある種ブラックボックス化され プレーヤー本体そのものを変えるしかない もちろん内部のDACや配線、そして置く台やインシュレーター等での変化はあるが内部を変えるのはプレーヤーそのものを変えるに等しいので避けたいところである キタサンの目指す普通のオーディオは価格的には低単価の製品で構成される 基本的には云十万、云百万の製品は選択肢に入れていない  そこで中古になるのだが(笑) 良い製品が市場に出回っているんだなぁ~これが('◇')ゞ
現在クリーク製 エボリューションCDプレーヤー(2007年発売)の製品を使っており 定価ベースでは10万強だが半分以下で手に入れた 有り難い事である 前に書いたがリモコンのオープン、クローズだけ効かないのが玉にキズ 許容範囲である。そして同時期に発売された同じくクリーク製の上位機種CLASSIC CDプレーヤーも購入していた(;^ω^) こちらは確か定価ベースで24.5万位していたがエボリューションCDPとさほど変わらない価格で手に入れた。
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同時に2台とは…馬鹿な事をしていると思われるがこの2台 クリーク製品の昔からの流れ(音質傾向)を組むCLASSICプレーヤーと現代調のエボリューションプレーヤーと完全に色分けした2つの製品なのである。前にも書いたが音源の時代性と言うのはとても大事で機器との相性、整合性で再生表現がまるっきり変わってくる アナログの場合先ほども言ったがプレーヤー本体もそうだが周辺部品カートリッジやフォノイコライザー等で変える事も出来るがCDプレーヤーの場合そうもいかない 80年代以降の音源であればCDがオリジナルということも考えられるがそれ以前の音源でCD化したものは殆どがリマスターで現代基調のものに変えられている そういう意味でキタサンが最近よく再生している歌謡曲や音源が古いジャズのCDなどは例えばスイングアーム方式マルチビットの古いプレーヤーが合うものもあるし現代基調のワンビット方式のものも必要と感じている。
上記写真は2段重ねの上がCLASSIC CDプレーヤー、下がエボリューションCDプレーヤー 普段は2段重ねにしていなくどちらか片方を使用している。Minimaを使う時はエボリューションCDP、アマトールを使用の時はCLASSIC CDPにする傾向が多い。

この1か月ほどエボリューションCDPで再生していたが先日からCLASSICCDPに替えて聴いている
一聴すると同じクリーク製だけに基本的な暖かみのある音色や やや抑えた帯域などスピーカ間の中で展開する箱庭的な音の出だが…うーん何かが違うぞ
そう中音域がCLASSIC CDPの方がとても明瞭で分かりやすい それに対してエボリューションCDPの方は帯域が広くなり中域から高域にかけてきれいに鳴っている。
オフ会などで聴く音の傾向は殆どがこのエボリューションCDPの音に近い 高級な機種などはそれをより高め 広帯域で普通聴こえない音なども拾い再現している いわゆる高音質というところであろう。
CLASSIC CDPの中域が明瞭であるというのは 昔の機器(特にビンテージ)にある中域に特化し押し出し感のある音とも違う しいて言うならば現代版ビンテージの音であろうか?
低域のボリューム感は大くないが躍動感のある音がする なんだろうこの感覚… エボリューションCDPが青空のもと桜の花を見る幸福感を覚える音とするとCLASSIC CDPはそれに大地の土の匂いも同時に感じる音がする こんな感じかな とにかくこのCLASSIC CDPは過去使ったCDPの中でも一番この部屋にシックリくる音がする まさにいつまでも聴いていたい音 そしてジャンルを問わず音楽を聴かせてくれるCDプレーヤーである。

ちなみにこのCLASSIC CDP クリーク製のCDPとしては英国本土で設計、製造されている最後のCDPかと思われる。それは今使っているアンプ50iRと同様でそれ以降(2008年)は中国での製造になる。

まぁいい事ばかり書いてきたが 多少動作不安はある(;´・ω・) 主電源が後ろのパネルにありそれをONしてから正面右にあるボタンを押しオレンジ色から緑のランプに変わると使用できる仕組みになっている ところが主電源を入れてから正面のボタンを押しても中々ランプの色が変わらない…現状主電源をつけっぱなしにし待機電源状態にしておけば問題ないのだがこのCDPとアナログプレーヤーはレギュレーションから電源を供給してその電源は就寝前には切ってしまうので結果的には主電源も切る事になる CDプレーヤーで立ち上がりが遅いプレーヤーなんて前代未聞である(笑) 更にはトレーの開閉がイマイチ反応の鈍い時がある これはベルトの経年劣化等考えられる。新品と違い中古だから仕方がないのか元々の仕様が結構いい加減だからそうなるのか微妙な面もあるが現代機器ともビンテージ品とも違うこのように中庸な音を出すプレーヤーは普通のシステムを目指す中でなくてはならない存在で貴重なのである。 

by kurama66644 | 2018-12-29 08:42 | オーディオ | Comments(0)

何か言い忘れたようで…

このタイトルを見て因幡 晃の事を思い浮かんだあなた! かなりマニアックな方ですぞ(笑)

因幡晃のファーストアルバムのタイトル「何か言い忘れたようで…」を昭和歌謡館で見かけた時 40年前に心はトリップしていた。学生時代深夜のラジオ放送でよくかかっていた曲「わかって下さい」はヤマハ ポプコンの第10回大会の最優秀歌唱曲で彼のファーストシングルでもある そのヒット作も収録されているファーストアルバムは因幡の渾身の力がこもった素晴らしい作品である
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高校時代に見た因幡 晃は長髪でサングラスの細身 ちょっと近寄りがたい感じであったがその印象とは真逆のハイトーンクリスタルボイス 自身の作詞、作曲した独自の歌の世界に引き寄せ離さない魅力がある。 アイドル全盛期で自分もまだ子供だったこともあり若く可愛い歌手にあこがれていたが大人の歌を歌うこの因幡は気になる存在だった。
当時自分の周りをみるとビートルズやローリングストーンズ、カーペンターなどの洋楽にはしる者もいた そうかと思えばジャズに嵌り背伸びをする奴もいた そういう中 キタサンは日本の歌謡曲にどっぷりと嵌っていた…アイドルの追っかけまではしなかったがただアイドルに嵌っているのでは洋楽を聴く友人たちに小馬鹿にされそうである(笑) そういう焦りを覚えた('◇')ゞ若きキタサンはこの因幡の音楽を聴き これは大人の音楽であり 自分はアイドル一辺倒ではないという浅はかな考えをもちつ因幡を聴くようになったのである こうした流れはのちのオフコース武道館ライブの時まで引きずる事になる(笑)

因幡晃もよかったが永井龍雲や杉田二郎も愛聴していた 若いキタサンはもう少しハイカラなPOP調のものも望んでいたので そうなるとシティーサウンドなるものが当時流行り若い女の子に受けが良かった(笑) やがてそちらの方に傾倒していくのである そういう音楽と言えば杉山清貴とオメガトライブ、五十嵐浩晃、山本達彦、オフコースなどである 共通するのはハイトーンボイス 彼らは自分より年上で今は見た目は老けたが声はさほど変わらない とても美しい澄んだ声を保っている やはり本物の歌手、歌い手と言える存在であろう。

今月Sさん宅でオフ会をし このアルバムをかけてもらったが因幡晃の繊細な感情の機微も再現出来ており 当時とは又違う感覚で聴かせていただいた。

最近まで知らなかったが2014年に実力派男性歌手5人組のユニットを組んでその中のメンバーの一人でもある。堀内孝雄、杉田二郎、ばんばひろふみ、高山巌 そして因幡晃である 名前をブラザーズ5というらしい… 実力、実績からするとそんじゃそこらの若手歌手は太刀打ちできないところだが この5人 ソロでそれぞれ個性が強すぎてユニットの統一感のようなものを殺している感じを受ける 懐かしの人を集めてリバイバル 中高年、老人達 当時を聴いていた人の受けを狙ったレコード会社辺りの戦略かも知れないが どうも昨今そういう安易な事を考える輩が多すぎる…特に因幡晃 歌声はデビュー当時より落ち着いて聴きやすくなっているが見た目がサングラスをかけた宮 史郎(ぴんから兄弟) みたいになっちゃって なんだかなぁ~

by kurama66644 | 2018-12-24 08:48 | 歌謡曲 | Comments(4)

……のせいにしない

普通のシステムにして特に変わったことはないが しいて言うならば何かのせいにする あるいは人のせいにする気持ちは減ってきたように思う。

アンプの出力が弱いからイマイチ迫力が出ない スピーカーが小さいから広がりが少ない 部屋が狭いから音が飽和する等々 自分だけではなく周りもそういう会話や言葉が飛び交う 更には録音が悪いから音が悪い オリジナルでないから音楽性が低い、再発だからオリジナルに比べ物足りないなど とかく人や物のせいにしがちである。
これら挙げてきたこと自体は事実かもしれないが機器を選んだのも部屋を選んだのも結局は自分なのである。つき合っていくしかない いやなら止めるか捨てるしかないわけでその先も自分が決めるしかないのである。

いまある住まいは生活するための部屋であり音楽を聴くためだけの部屋ではない ましてやオーディオ機器を置く部屋でもない オーディオや音楽はおまけのようなもの…
普通にしている中での余裕のある部分で趣味等に時間やお金をさいていく 身の丈にあった生活ということだ。

オーディオを始めてから色々な人にあったが当たり前の話 普通に生活出来た上で趣味が成り立つ 余裕や余かの部分が趣味なのである その余裕の部分にお金をどれだけかけられるかはもちろん人によって違う この10年自分にはその余裕の部分が少ないのに無理して余裕を作ろうとし散在していた とても愚かな事だと反省している。

ミニコンポやラジカセで何十年も聴いていたと このブログでも何度も書いているが  これは単にお金が無く買えなかっただけである もちろん興味もなかったが結局はそれが身の丈にあっていた生活スタイルで 聴いていたソフト(CD)も比較的低単価で購入出来たので沢山たまっていっただけである。

遅咲きのオーディオを始めて2年位して職を失い 社会に放り出された… 無理して作った余裕のある部分(オーディオ)を捨てないで現在に至るのはミニコンポやラジカセから出る音とは違う何かを感じたのだと思う 同じ職場にいた仲間は家のローンどうしよう ちょうど子供が大学進学する云々 不安がっていた 当たり前である生活基盤が無くなるわけであるから 今まで余裕としていた部分を捨てて生活基盤を維持していく方向に舵を切る それが普通。 キタサンは馬鹿だからその余裕の部分を維持したままでいたのでオーディオに違和感を覚えていたのだろう ようやく普通のオーディオを始めて「オーディオをという趣味」に浸れるようになってきた。

普通のオーディオにすると「音質」が気にならなくなる メーカーが進めている?高音質化とは別の意識が芽生える それは音楽の雰囲気やニュアンスがどうであるかの方が重要になっていく 更に言うと質より色の方を意識する(音質→音色)
必然的に音質を追求した高価な物(機材)も必要なくなる 部屋に合わせたオーディオを選ぶだけ それとソフトの数が減る 同じソフトを何回でも聴く気になれるからである。
ソフトに関しては再生する装置によって選ぶ アナログでオリジナルだからとか こちらの方が音質がいいからCDやハイレゾを選択という事ではなく 今ある再生装置に合わせたソフトを選ぶようになる これは金銭的な面も含む オリジナルに凝っていた4年間は自分では失敗だったと思っている 余裕がある人はもちろん構わないあくまでも余裕がないのに無理して買ってきた自分に対しての事である ただオリジナルを聴いてきたことはよい経験になった 生音でもない再発とも違う独特のニュアンスがある 自分の今のシステムではジャズはCDで十分 歌謡曲はアナログの方が安いから購入しているだけである。(PCオーディオは実態がないのでやらないだけ 先日オフ会で聴いたSさん宅のPCオーディオは素晴らしかった)

こうしてみると特に変わった事はないと冒頭で言ったにもかかわらず結構変化している(-_-;)

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好きなデイブ・ベイリーのアルバム 今の普通のシステムでは断然CDの方がよい(好み) アナログをトーレンスにしてもアンプをQUADにしても普通のシステム(CREEK)のニュアンスは出ない トーレンスやQUADが悪いわけではなくオリジナルの表現を出し切れないキタサン側に問題がある せっかく大枚をはたいて購入したオリジナル盤も真価を発揮出来ず残念がっているかもしれない。



by kurama66644 | 2018-12-22 12:09 | Comments(0)

憎みきれないろくでなし

先日 約2年振りにSさん宅におじゃました いわゆるオフ会である。オフ会自体余りやらなくなったがSさん宅には昭和歌謡のソフトが結構あり好んで聴かれているようなので食指が動いた(笑) 高価な機材をあれやこれや説明を受けてもよく分からない こういう純粋に音楽を聴かせてくれるお宅はマニアの中では珍しい存在だ。同席されたNさんも同じようにジャンルが幅広く 色々な音楽を聴かれて楽しんでいる アナログプレーヤーもあるので今回張り切って7枚ほど昭和歌謡のアナログを持って行き 聴かせていただいた。

Sさん宅にはCDプレーヤーがなくPC経由でDACを通し再生するPC再生をアナログと併用し昔から行っている いつものようにPC音源からオフ会はスタートした いちいちディスクを変えないでスマートフォンを通し曲をセレクト出来るので昭和歌謡だけでなくポップス、ジャズ、クラシック、ソウル、演歌と様々な音源をチョイスし再生した
リッピングしたCD等は別に保管しているのだろうが改めて考えるとソフトの収納スペースが殆どいらなくなるということだ… オーディオ 特にアナログ再生されている方の部屋を見るとその収納スペースが馬鹿にならない 狭い住宅事情の日本ではアナログからCDそして配信等へと ソフトの形が無くなっていくのはもう必然の事なのかもしれない。
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かなりバラエティにとんだセレクトである(笑) ジャズもあったが写真は失念してしまった(;'∀')

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クラシックはキタサンも普通のシステムに変わってからよく聴くようになった もちろん内容等はよく分からないし聴きどころも今一つつかめない ただジャズを初めて聴いた時もそれほど関心を示さなかったがそれから10年位して本格的に目覚めた 聴き続けているとそのうち分かるかもしれない…
Sさんのシステムではクラシック特にピアノの響きがとても美しかった ソナスのSPは弦楽器が美しいといわれているがSさん宅のウィーン・アコーステックのSPはピアノの音が白眉のような気がした。キタサンもソナスのSPを2組持っているわりには弦楽器(ウッドベースやギター等)はブンブン鳴らして情緒もへったくれもない 使い方によりこうも違ってくるのは中々面白い事だ。

前半はこうしたPC再生に終始し 後半戦はアナログそして昭和歌謡メインであった。3人とも同じような世代で70~80年代の歌謡曲は馴染みがある これは知らないだろうと思っていたものを意外と皆知っていた テレビやラジオがメディアの主なもので殆ど見て聴いていた そして歌謡番組も多く 素敵な歌が街中至る所に溢れていたとても良い時代であったと思う 歌詞や歌手は知らないがどこかで聴いたメロディと懐かしく思う それがいいオーディオを通して聴くととても感動する いいオーディオと言ったのは単に高価なオーディオの事ではなく自分が好きな音楽を鳴らすために購入した機器類であり その時代を蘇らせてくれるタイムマシンのようなものである。
それはそういう音楽を聴いてきた人でないと感じる事は出来ない。

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最後にEP盤のこのシングルをかけてくれた。Sさんが初めて購入したレコードである。人それぞれ思い入れのあるアルバムがある 余り盤質は良くないとSさんは言っていたがSさんにしか分からない思い出が曲とオーバーラップして蘇ってきたことだろう。

昭和の歌は物悲しさがあった 自己主張しないで内に秘めた哀愁があり自分を卑下し開き直っていた節もみられるそれは70年代終りまで続いた 昭和の終りそして平成になり自己愛の歌が多くなった 個性を強調する オンリーワンの姿が正しい 自分だけの物、存在 と自己中心になってきた感はある それはすなわち大衆音楽からの別離である。 現在は個性を重視し大衆という事を没個性とし周りに喧騒する 大衆音楽が無くなってきたのは皆が大衆を望まなくなり 個を望むようになったからである それがいいのか悪いのか…大衆のパワーを恐れそれを分散させ個にして力をそぎ落とす そういうほうが都合が良いと考えている権力者がメディアを通してそうさせているのだろうか?

オフ会が終わった後中華屋で飲み会を開いた。現役の今の世代は平成が終わり新しい年号になった時 昭和なんてはるか昔と考えるだろう。 今回集まった3人とも60年代生まれの昭和世代である「我々が明治は古いと感じている それと同じ感覚が昭和になるのだろうね」とNさんが言った キタサンもSさんも黙ってうなずく 中華なのに日本酒を燗で注文するNさん 負けずと紹興酒を冷で頼むSさん そしてキタサンはいつものレモンサワー… 大衆音楽が好きな三人はお酒に関しては3種3様個性的であった。  
 
by kurama66644 | 2018-12-19 21:03 | オーディオ | Comments(4)

無音の快楽

最近 街を歩いていてもヘッドフォンやイヤフォンで音楽?を聴きながら歩いている人が多いのに驚く 今の時代そんなの当たり前といわれるとそうなのかもしれないがものすごくもったいない気持ちにさせられる。

好きな音楽をいつでもどこでも聴ける事を批判しているわけではない そんなのは個人の自由であり問題はないのだが部屋で音楽を聴ける環境ではなくなったのかとも思ってしまう それはオーディオの衰退にも繋がっている。もっとも携帯用のオーディオ機器も「オーディオ」の範疇にあるといえばそうなのだがここでは部屋で聴く昔ながらのオーディオという前提で話を進める。

最初に書いた もったいないと思うのは外の世界はあらゆる自然の音が存在する  せっかくその自然の音を聴けるのに耳を機械で塞いで?人工の音楽(音)を聴くという行為に対してである その自然の音は特に都会になればなるほど減って人工音が多くなっている それがいやで同じ人工音でも自分の好きな音楽だけを聴いているのかもしれない。でもよく耳を澄ませて聴いてほしい 自然の音ほどさりげなく聞き逃してしまいがちなだけで沢山の自然の音は存在している。

音楽はその名の通り音を楽しむ、又は楽しい音で作為的なものである その作為的なものは結構パワーがあり時として人を疲れさせる場合もある。体調がすぐれない時 癒しの音楽をと言われるが人によっては音楽が苦痛になる場合もあり逆に音楽が無い方がいいという人もいる。 キタサンの場合 癒しの音楽は存在しない それは意図的で作為的なものとすぐ感じてしまう 結局音楽無しの方が楽になったりする もちろん人によりまちまちでそんなことはないと反論される方もいるだろうが自分は無い方が楽だという素直な感想なのである 言いたいのは音楽自体ものすごくパワーがあるものでそのパワーに圧倒され精神的に不安定になる事もあるという事だ。

怒られるかもしれないがオーディオをやりだして機器に凝っている人も多く見かける反面 機器ではなく音楽だ!と強調される方も少なくない。音楽が好きで仕方がない音楽なしでは生きていけないという人もたまに見かける ちょっと怖い気がする… 先ほど書いたように音楽自体 恣意的な要素が多くパワーも大きい 知らず知らずのうちにそれに洗脳されている事もあり得る。

昔若い頃 オフコースの武道館ライブに行ったことがある その時のファンの陶酔ぶり、熱狂に驚いたことがある。大きな会場での人気アーティストのコンサートなどは似た感じなのだろう 
ジャズのライブはどちらかと言うとこじんまりとした場所で行うが以前にも書いた通り キタサンは正面ではなく外れた位置、隅っこで聴くことが殆どなのは自然と音楽の持つパワーを避けていたからなのかもしれない そのパワーを受け止めるほど気力もなかったともいえる(笑)

サブシステムと称していくつかの部屋にオーディオ機器を設置されている方も多いと思う。キタサンも布団部屋にオーディオ機器を設置しては外すを繰り返していたが そこまでして音楽を聴きたくないと思いオーディオ機器を布団部屋に置くのを止めた。そしてオーディオ機器がある部屋は普通のシステムで普通の音を出すように変えた お金がないのもそうだが余り人工の音を聴き続けるのもどうかなと思ったのか自分でもよく分からない 音量もそれほど大きな音では聴かなくなった
人工の音だが中庸な音でこの装置で聴く時間が以前より長くなった 余計に自然の音、ないしは音楽のない部屋で過ごす時間も多く取りたいと体が欲しているのが分かる。

タイトルの「無音の快楽」というのは音楽が無い自然の(音)中の快楽と捉えてもらえばよいと思う 本当に無音の無響音室は1分も過ごせないと知り合いのメーカーの人が言っていた。

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村治佳織の「レスプランドール」スペインの聴衆を沸かせたロドリーゴへの熱き思いがこの作品によく表れている。普通のシステムCREEKのアンプとCDプレーヤーの再生だがボリュームを絞って聴いていても質感が落ちない この辺りはミニコンポ等の再生との大きな違いである かといって7桁クラスの例えば国産A社の製品であればこれぐらいの表現は簡単に出せますよと 言われるかもしれないが「普通の人」は車が買えるほどの金額を再生装置にかけないのではないかな?(-_-;)

by kurama66644 | 2018-12-16 08:16 | オーディオ | Comments(2)

ベストアルバム

国内向けのジャズアルバムは(CDも含め)ベストアルバム、コンピレーションアルバム等企画物も珍しくないがキタサンはそれらは余り好きではない。
そもそもオリジナル曲を中心としたもの 映画音楽、舞台音楽をアドリブで演奏したものがアルバムになりヒット曲自体ロックや歌謡曲に比べ少ないのである。

ただジャンルが違うとまた様相も変わる。先に挙げた歌謡曲(日本のもの ※そもそも日本のものが歌謡曲だと思うが) はベスト盤だらけである。売れてなんぼの世界なのであらゆる手を使いPRする事に抜け目はない 芸能の世界も熾烈な競争の世界でもある。

思い入れのある歌手はアルバム単位で買ってしまうがついついベストアルバムで人気曲だけをチョイスしたものに心が揺れ動く時もある。
そんな時購入したのがこちらのアルバム
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「思いきりアメリカン」杏里のベストアルバムである。

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実は何枚目かのアルバムか忘れてしまったが「タイムリー」という杏里のアルバムを買って懐かしく思い そう言えば「オリビアを聴きながら」や思い出深い「地中海ドリーム」なんて久しぶりに聴いてみたく収録されているファーストアルバムのapricot jamやセカンドアルバムのFeelin'を探していたところこのベストアルバムに遭遇 つい購入してしまった次第である。 しかもこのベストにはタイトルにある「思いきりアメリカン」も入っている 確かシングル以外でこの曲がはいっているのはこれだけだったような気もする 余計に購入意欲が湧いてしまった…

このベストアルバムの他に5枚ほど購入 大人買いした場所はもちろん新宿昭和歌謡館(笑) 購入した6枚のアルバムは盤質Aのものばかり 購入した日は平日ということもあり店内は空いていた ジャズ売り場のように殺気はなく争って盤をドスドス見ては落とす不心得者は余りいない やはり昔を懐かしみつつゆったりと盤を眺める とても良い雰囲気である ただしたまにマニアックな人も出没するので要注意である そういう人が来ると店内の空気が一変する。
そして毎度おなじみの購入金額だが6枚で合計1.720円… きれいな盤ばかり傷もないジャケットもそう汚れていない 皆大事に使っていたのであろう 或いはカセットにダビングして盤は殆どプレーヤーで聴かなかったのかもしれない 懐かしいだけではなく皆歌が上手い聴かせるアルバムばかりなのである それが6枚で1.720円。どうですか!ジャズ盤ではまず無理 どれだけ浪費していた事か 何度も言うが無理して購入してきた ジャズオリジナル収集はある程度ゆとりのある人向け、キタサンには分不相応であった

購入した他の5枚のアルバムはまた別の機会に紹介しようと思っている。

えーとベストアルバムについてでしたっけ? 編集をする段階で企画に徹した作り方をするのでシングルやアルバム単位での思い入れや意気込みが欠けているのは聴いていてある程度分かる 便利だけどBGMとして聴く分にはベストアルバム、ヒットアルバムもありかなという結論である ジャケットも手抜き感がありありと見える 杏里のアルバムジャケットはもう少しセンスのあるものが多いがこの「思いきりアメリカン」のジャケットはまずまずかな。



by kurama66644 | 2018-12-15 10:00 | 歌謡曲 | Comments(0)

QUADとCREEK

普通のシステムで普通の音を出すようになり1か月が経つ 何か変化があったかといえば あったような無いような…何だかよく分からない(-_-;)
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しかしながらラジカセやミニコンポでBGM的に聴いていた時の感覚とは違う オーディオを始めてから今までいくつかの機器を変え聴いてきた時に感じたその感触とも違う 不思議な感じである。
音楽をそれほど真面目に聴いているわけではないのだが聴く時間がとても長くなった。聴いていて幸せを感じてしまう これはジャンルを問わない むしろジャズを聴くことが少なくなってきた もちろん嫌いになったわけではない 特にアナログよりCDを聴くケースが多くなった CREEKのプリメインアンプとCDプレーヤーという普通のシステムである。

ブルーノートのCDを聴くのはものすごく久しぶりである ブルーノートはアナログのしかもオリジナルでとマニアになればなるほどその欲求は高くなるが もう富裕層レベルでないといいものは手に入らないようだ キタサンもオリジナルに凝っていた時 集めたりしたがやはり自分にとって高嶺の花で大方売却してしまった。
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聴いたのはこちらのドナルド・バードのアルバムで「バード・イン・フライト」であるマクリーンやモブレーに加え当時新進気鋭のデューク・ピアソンなどが参加しておりブルーノート4000番台の中でも秀作である。それを普通のシステムで聴くと とてもよく鳴ってくれる こんなに良かったっけ?と思うほどである ただしそこは普通のシステム あくまでも箱庭的であると付け加えておきたい… そしてジャズのらしさは 無い! 以前のキタサンだったら やはりアナログでないとその感じは出ない 押し出し感がない ちょっとスカスカのような…と心の中で思っていただろう しかしこの普通のシステムは中庸で音楽そして音として悪い所はない

試しにQUAD3兄弟(プリ+パワー+CDP)でこのアルバムを聴き直してみた。低音がずっしりとくる 意外とパワフルである 管楽器とリズム楽器が調和してとてもリズミカルでこりゃ楽しい(笑)  流石QUADアナログではないがCDPでこれほどアナログらしい音を出す 深みを出すにはMinimaよりアマトールの方がいいかな?なんて考えながら聴き続けていたらちょっと聴き疲れしてきた…

オーディオでジャズは表現出来なくジャズという音楽は鳴らせるといつも思っている そのジャズという音楽をそれっぽい雰囲気で鳴らせるQUADは(もちろんジャズだけではなくあらゆる音楽ジャンルをシッカリ鳴らせる)良質なオーディオ装置だと疑わない しかしながらCREEKで鳴らしているそれを聴くと自然に引き込まれ いつまでもこのまま聴いていたい そう思ってしまう QUADには音楽の楽しさを教えてもらい そしてCREEKは音楽を聴く幸せを感じさせてくれる。
音楽は好きでも嫌いでもないと公言してきたキタサンだが音楽に引き込まれるこれらの機器に出会い 嬉しいやら少し困ったような…(※なぜ困ったかというのは又 別の機会にお話しする)

QUADとCREEKはどちらも英国製のオーディオ機器である。キタサンはオーディオ素人なのでこれらの音の比較 音楽性の比較等は上手く説明する事が出来ない その辺は専門家に任せることにする どちらのメーカー品も普通の部屋で普通のシステムで音楽は楽しめますよと言ってくれている感じがする。QUADはポンっと肩をたたいて応援してくれる CREEKはそっと肩に手をふれ寄り添ってくれる そういう違いのような気がする。
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by kurama66644 | 2018-12-13 20:29 | オーディオ | Comments(0)

プリメインアンプ

オーディオを始めた時使っていたのはDENON製のプリメインアンプであった。その後ラックスマンの純A級プリメインに変える。その間わずか3か月である(-_-;)
そして半年後に同じラックスマンのセパレートに変えた…私のオーディオの師匠から買い替えが早すぎると呆れられたのを覚えている。その頃はオーディオへの興味が欲望を掻き立てた それから約10年経ち再びプリメインアンプに戻った。そう普通のオーディオをしたくなったからである。

今 QUADのセパレートも持っているが中古でそれぞれ6万位で購入した ただ当時の価格(定価)を見ると20万前後もしている…結構高いのだと思った 市場に出ている中古価格でしか判断していなかったがやはりセパレートはいい値段がするものだ 当時とは物価が違うが現在はセパレートアンプは6桁から7桁のものが普通にある それに比べてプリメインの方がまだ安い ただこれも例外が沢山ありハイエンドの世界では7桁以上のプリメインが普通にあるようだ 庶民感覚を遥かに逸脱している。

今使っているプリメインアンプはCDプレーヤーに合わせた同じメーカーのクリーク製 A50iRだが発売された時期がCDプレーヤーより数年古い 出力は50w+50w (8Ω)だがこの狭い部屋では十分すぎるパワーである。そして普通の音がする(笑) 見せかけの大げさな音場展開はせず スピーカー間で箱庭的に鳴っている ただCDプレーヤーと同様とても品がある音だ 特別にキレのある音でもないし かといって鈍重な音でもない 春風のように爽やかな気分にさせてくれる。

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こちらの2枚のCD(アルバム)は特に関連性があるわけではない 左はモンクの有名なアルバムで右はランディ・ウェストンの59年頃のLIVE盤である。
この2枚のアルバムを今のプリメインシステムで聴くとものすごく音が良く聴こえる もう60年前の音源のアルバムなのに鮮度はものすごく良い 左のアルバムはオリジナルのアナログでも聴いており単純に音の鮮度ではこちらの普通のCDの方が良く聴こえる…

オリジナルに凝っていた時再発盤やCDそして国内盤などと聴き比べしていた そこで分かったのは録音、マスタリング等でかなりバイアスがかかってしまうという事だ それが良い結果の場合もあるしその逆の場合もある そういう意味でバイアスがかかる前のオリジナルを知っておくのは重要な事だと思っている 更に言うと生音である。キタサンは生音原理主義でないし オーディオに於いてよく議論になる生音VS再生音というのがあるが「一瞬の音」である生音に対し繰り返し聴く事が出来る再生音とをそもそも比較できないし比較対象にならないと思っている それでも実際の演奏、生音は聴いておいて損はない、自分はそんな聴き分ける耳は持っていないしそんな才能は無いと思っている人も多いが人の持つ身体的能力からくる「感触」は無意識的に体に刻み込まれるものである。

録音、マスタリング等も機械が行うがそれを操作するのは人でありそこに個性が出る。そのあとの機器再生 すなわち機材の違いも大きく個性があり特徴が出やすい 今回上記のCDが今のシステムで良く聴こえたのはCDというフォーマットでのマスターリングと機器の組み合わせが良かったからだと思っている 機器単独でどうこういう問題でもなくたまたま上手くいったのだと思う。私見だがPCオーディオでオリジナルを凌駕する、CD再生より素晴らしいという意見もあるがそれらはこの録音、マスターリングの出来とPCの性能、造りの組み合わせ、相性が上手くいった結果だと思っている すべての音源が良く聴こえるという幻想、期待は持たない方がよいような気がする。

自分はオーディオを始めたのはかなり遅かったが(40歳後半から)始める前の15年間は家に機器が無かったので必然的に実際の演奏を聴きに行くしかなかった。タイミングもよく好きなジャズのアーティスト、今では巨匠、レジェンドと言われている人(現在では殆ど亡くなっている)の演奏も沢山聴けた最後の世代だと思っている そしてオーディオを始めてから6年後位にオリジナルの世界に踏み込み先に話した録音、マスタリングの違いを確認していくことになる もちろん専門家でもない素人なので感じ方は稚拙なものでしかないかもしれない。生音を聴いて録音マスタリングを考慮し最後にオーディオ機器の方に行くという道を進んでいる そういう中で普通のシステムで十分という結論に至っている。

よくオーディオマニアが「良い再生をするために生の演奏を聴かねば」という話も聞くがそれは本末転倒のような気もする 機材にお金をかけてソフトが余りないのも見て不思議な気もしている 力の入れようがオーディオ機器やその周辺環境にいっているからそうなるがそれも悪くはないと 近頃感じている それは単純にやっていて楽しいから 余り苦難や悩みを持って趣味をしても面白くない 今SNSの発達でそれが不特定多数に知られてしまう そこに問題があるだけでやっている事は個人的な事なので本来は自由である。

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味も素っ気も無い外観(-_-;) 正面のパネルはこれでも結構高級感があって所有欲を満たしてくれる このアンプがギリギリ本国(英国)で作られた最後のクリーク製かと思われる 隣にあるエボリューションCDプレーヤー辺りから製造は中国に変わってきているようだ 価格は…7万円後半で購入 キタサンの宝である。

by kurama66644 | 2018-12-09 08:21 | オーディオ | Comments(0)

捨てたものでもない

普通の部屋で普通のシステムにより普通の音を出す! なんて言った割には中々普通の音は出にくくなってきた。 何だかんだで約10年ほどオーディオを行ってきた影響であろう。

そもそも普通といっているが標準、平均とは違う 何か価格は控えめでそこそこの音を出す装置が普通なんて考えている人もいるかもしれないが人によって普通の感覚は全く違っている。

自分の生活レベルにあった価格帯の機器で普段生活する部屋で音楽を聴く その生活レベルや金銭に対するもの 音楽への接し方などは生まれ育った環境も影響して違うのである。
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英国クリーク社のCDプレーヤーがとても品のある音で驚いたので現在セパレートアンプとして使っているQUADをどかし同じクリーク社のプリメインアンプA50iRを使っている。CDプレーヤーより年式は古いがそれでも2000年代に入ってからのもので確か2003~4年頃のものである
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幅が42cmと標準だがこの頃の機種は奥行きが小さく23cmとちょうどキタサンが使っている棚にはコンセントBOXがあり邪魔にならないジャストサイズである。
QUADに比べ中高域の押し出しが意外と強いが反面低域は弱めである 歌謡曲はいいがジャズは微妙な感じ…それでも春先の青空の下 咲きかけの桜のうっすらとしたピンクが幸せな気分にさせてくれるような音は中々なく得難いものがある。

音楽には色々なジャンルがありそのすべてを万能に鳴らす機器はないように思う。自分なりの普通の音を目指してシステムを組んでいるが昔のジャズの雰囲気が出るのは今の家のシステムではQUAD3兄弟(セパレートアンプとCDプレーヤー)とトーレンスぐらいか? あくまでも雰囲気だけであるが…

クリークのアンプとCDプレーヤーがオーディオマニアに人気がないのは使っていて分かった。それは分相応な鳴り方しかしないのである 音場が広がるとかすごい音が出るとかマニアが喜ぶような音の出方は一切しない。先ほどジャズはちょっと微妙?と書いたのはジャズのらしさが出ないのである ジャズオーディオをやっている人のほとんどはこのアンプやプレーヤーは使わないと思う 物足りないからである。物足りないと感じた時点でもう普通ではない(笑) オーディオをやらない人が聴くと良いと感じると思う(あくまでも私見です) おそらくありもしない音場や偽物の立体感など敢えて出すような事はしないで身近で聴いている人が楽しくなるような音を適正な範囲内(この場合はSP間のみ)で展開する いわゆる箱庭的オーディオに徹しているからだと思う 更には音楽先進国としての音への品格があり その辺りがきれいで繊細な音を正確に出すだけ?の日本の物とは違う気がする。 こういう庶民に手が届く音楽性のあるオーディオ製品がまだあることに最近はオーディオの世界も捨てたものではないと思い改めている。

このシステムではケンウッドのアナログプレーヤーをつなげているがCDでの再生に比べ少し違和感がある。シュアーのMMカートリッジをつけており このM44-7のカートリッジの歴史は古い 実売で8000円ぐらいでマニアの方はこんな安いものは使わないと思うがとてもよく鳴るカートリッジで愛用している ほぼ昔のジャズしか聴いていなかった時は問題なかったが普通の?システムにしてから気になるようになってきた。音源の時代性と機器の時代性の相違というのか…2000年に入ってからのアンプなのでいくら箱庭的とはいえ性能が良くなっている アナログ機器も比較的新しく出たものは高性能だがデジタルのそれに比べれば進歩は止まって限界がある この感触は以前使っていたオーディオデザイン社のアンプの時もそうであった 最初の頃はこの機器でアナログを再生してのちにラックスマンやQUADのアナログがまだギリギリ再生されていた頃の機械に移行した。

機械の時代性と音源の時代性のマッチング アナログブームとやらでアナログに凝る人も増えてきたが組み合わせは中々難儀だと思う そういう意味でオーディオはお金と手間がかかるし富裕層の趣味であると感じてしまう。ある種割り切りが大事 普通を選ぶのなら今の自分の環境、状況的には単純にCD再生が普通のシステムにマッチングする。 音源の時代性を考慮に入れないでやるアナログは中途半端な形では行わない方がよいのかもしれない…。

by kurama66644 | 2018-12-05 09:21 | オーディオ | Comments(0)

感じた事を素直に書きます 一日一つは何かしら手放すように心がけています


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