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二つのSMEアーム

何年かぶりに色々とオーディオを弄ってしまった…普段から緻密なオーディオをしない適当主義であるが前回ブログに書いた通りアナログプレーヤーを2台から1台にしステレオ、モノラル併用をするようになった。基本はステレオ針でモノラル盤もかけてしまおうと思ったのだがSMEのアームがもう1本あることを思い出した…モノラルカートリッジにいちいち変えて調整するよりアームごととっかえれば済む事に気づく。そうこのトーレンスTD-124はサイドボードが3か所のネジでとめてあるだけでボードごと(アームを設置したまま)簡単に取り換えられるのである。

このアームは以前 TD-124をもう1台持っていた時に最初についていたのが特殊なアームだった為 取り寄せたものである。久しぶりの登場であるが断線していないだろうな? ちょっと不安になる こちらもターンテーブル同様 似た年に作られた3009/SeriesⅡである。
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その前に現在取り付けてあるアームをボードごと取り外す ネジは簡単に取り外す事は出来るが「アレレ…線が引っかかって取れないぞ?」そうかアームのアース線が本体にも付けていたんだっけ すっかり忘れていた。無事本体から脱着 そこでもう一つのアームをボードごと装着 ここまでは簡単 さーってこれからが面倒である。

取り付けるカートリッジはオルトフォンCG-25Di 重たいだよな このカートリッジ まずは高さ調整と水平バランス 水平バランスが上手くいかない…なぜ? 理由は簡単 カートリッジ自重がありすぎてバランスがとれないのである そうアームに重りをつぎ足すのを忘れていた(-_-;)  こんな初歩的な事も忘れていたのは恥ずかしい事である それが分かっても不器用な自分は中々バランスがとれない あーっ面倒くさい と思ったらようやく水平バランスがとれた あきらめから活路が開ける事もある これは先人からの教えでもあると誰かが言ったような気がする…
オーバーハング、インサイドフォースキャンセラーをさーっと行い針圧調整を針圧計で微調整  よし これでOK あとは音出しである。

「…」音が出ない!「なぜ?」せっかく苦労してとりつけたのにがっかりである。検証の為 もう一度前のアーム(ボードごと)に取り付け直し 音出し しっかり音は出る という事はアームに問題が?いやまてよカートリッジそのものに問題があるかも? なんだかよく分からなくなってきた もうお昼である 軽く食事をして午後の部に。

食事をし少し落ち着いてから考えると接続に問題があるのかもしれない、そうモノラル再生はトランス経由でフォノイコのMMにつなげるのだがひょっとしてMCにつないでスイッチだけMMにしていたのでは? まったくもって素人である いちおうこれでも11年オーディオを続けているのに情けない。 仕方がない もう1度アームを交換
時間だけが過ぎていく…よしこれでOK 音出し再開 「…」またもや音無し美紀子である(-_-;) 接続は合っているのに不思議である 試しにトランスを介さないでフォノイコのMCに直結 インピーダンスが低いのでローから試すと おーっようやく音が出た(笑) ただ歪がひどい 普段から歪は大したことが無いと言っている割にはいい加減は発言である 昇圧比が合っていなのだろう 今度はMidを選択 ようやく聴けるレベルになった 一安心。 聴いているうちに勢いがあるが ちょっとキツイ音がする こちらも昇圧比が上手くマッチングしないのだろう でもこれでアーム自体には問題がない事が分かった でもこんなキツイ音は以前しなかったのだが…
思い出したのはトランス経由でこのカートリッジを使っていた時プリアンプはラックスマンC-06αを使っていた事である QUAD44とのアンプのゲインの違いなのか?
もう繋ぎなおすのは疲れた…アーム自体問題がない事が分かったので再度アームを元に戻す 最初のステレオカートリッジを取り付けていた状態に戻す。
こんな事に何時間かかったのだろう? マニアの方は相当苦労していると思いきや単に自分が不器用で知らない事が多いだけと感じ 又疲れてしまった。

なんだか安心する音がする これこれと思いながら聴いていたが若干以前とは違うような…そうプレーヤーを持ち上げたりアンプに接続し直したりしている時に埃があり それを掃除しながら行っていたのである 特にトーレンスのプレーヤーは機械仕掛けでその裏側は埃がかなり付着していた その辺をエアーダスターで吹きかけ埃を飛ばしていた 結果 音がきれいになったような気がする(笑)

これからはボードにアームをモノラルカートリッジ用にセットしたまま大した調整もせずモノラル再生ができるがオルトフォンのカートリッジの昇圧比の関係もあるし やはりなんちゃってモノラル針でフォノイコのMCに直結したほうがいい感じで鳴らせるかも? 結局は掃除をするためにあれやこれや弄っていたのではないかと思ったキタサンであった…



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by kurama66644 | 2018-08-26 10:23 | オーディオ | Comments(2)

ターンテーブルの終焉

愛用しているケンウッドのターンテーブルの電源が入りにくくなってしまった。おそらく経年劣化による接触不良であろう 発売が86年だから30年以上経っている 中古で購入した時 電源が入らない事以外は保証はつかないとの事だったがこれまで順調に活躍してくれた アナログに回帰してから一番使用頻度が高かったプレーヤーでもある。

トーレンスTD-124のほうは順調だがいかんせんアウタープラッターを歪ませて使えなくしてしまったのでそれ無しに今は使用している。まぁ無くても普通に使えるが一時停止などがこれ無しだと出来ないのでちょっと不便でもある そして本来の性能が発揮出来ていないのかもしれない不安はある。

もう1台のDualプレーヤーを久しぶりに稼働させると片側のスピーカーから音が出ない…前にもこの不具合が出たがカートリッジホルダーの接触不良で接点を磨き直ったが 今度はちょっと違うようだ アームの内部配線の不具合だと厄介である こちらは60年後半の代物 ケンウッドより年季はある やれやれである。

人間の体と同じように使っていればガタがくる アンプやスピーカーは20~30年経つがアナログプレーヤーは半世紀近く経つ よく頑張ってくれている。
アナログブームとやらで各メーカーアナログプレーヤーを新製品として出していたりするが正直言って全く魅力を感じない それは媒体のレコードが過去の物であるからだと思う  その過去の遺物?を新しいもので再生しても何も感じない もちろん個人的な感じ方であるから異論もあるだろうがそう感じてしまっているので不快と思われる方は勘弁してほしい。

アナログレコードの1/3はモノラル盤で古いオリジナルのものを所有しているので どうしてもモノラルカートリッジでの再生が必要になりステレオとモノラルの2台体制にしていたが とりあえずTD-124にステレオカートリッジをつけプレーヤーは1台で稼働する事にした 替えのカートリッジはモノラルばかりあるので替えて使えば済むことであるがSMEのアームはかなり繊細でいちいちステレオ、モノラルと変えて聴くのは大儀である。ステレオ用カートリッジは「濡れた音」がするオルトフォンMC-20MKⅡ 以前SPUのカートリッジも持っていたが使わなくなったので売却してしまった…今から考えるとちょっと失敗の感がある。
機器構成はこんな感じ
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名機ラックスマンC-06αの復活である? これにQUADのCDプレーヤーとTD-124のアナログを接続 オーディオデザインのパワーアンプでドライブと考えていたのだがおとなしすぎて即却下! QUAD44+405の組み合わせでないと どうもシックリ来ない 慣れのせいもあるかもしれないがどうにも楽しくさせてくれるアンプだ 価格帯を見てもハイエンドとはほど遠いアンプだが「絶妙なアンプ」という表現がピッタリくる。 

アナログプレーヤーもネットで見ると色々な種類がある 久しぶりにベルトドライブプレーヤーも聴いてみたくなったが お金もないししばらくは静観の構えである。
現在ステレオ針でモノラルオリジナルを再生しているが流石にTD-124はいい味出している もちろんモノラル針での芯の太さは若干後退気味であるがそれなりの質感はでている。フォノイコに内蔵されているトランスはとても良いものを使っている 荒々しさが抑えられた丁寧な作りをしている それがこのフォノイコの特徴でありキタサンの所の音の特徴かもしれない 荒々しさが全面に出てしまったら この狭い部屋だとうるさいだけである 丁度良い塩梅だと思っている。

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by kurama66644 | 2018-08-25 09:57 | オーディオ | Comments(6)

触感

酷暑の為 真空管アンプを約1か月封印しQUADのアンプでアナログばかり聴いていた。先日から暑さが和らぎ(一時的?)久しぶりに真空管アンプに灯をともした 同時に接続していたCDプレーヤーも稼働 CD再生可能となった。

音はきれいだし帯域もアナログに比べて広い感じを受ける 中々いいぞ!と感じたのもつかのも 何かが違う?悪くはないがそう言うなれば触感が違う 肌触りの違いのような 上手く言えないがそんな感じ…

自分はオーディオを始めて約11年になるがアナログに回帰し聴きだしたのがここ5年ほど それ以前はCDしか聴いていなかったが逆に回帰しだしてからCDは捨てアナログオンリーで進んで来た そして昨年ぐらいからCDプレーヤーを再び手にいれ少しずつ聴きだしている。
正直言うと他のベテランオーディオファイルの方に比べてアナログの腕は劣るし下手である。最低限の要所さえ押さえておけばそれで良しと言う考えで余り神経質になっていない。オーバーハングなんかもおおざっぱだし回転数にいたっては微妙にオフピッチにしたりといい加減である ジャズのオリジナルを集めていた時 意識して盤の良いものを選んでおきたかったが良いものは値段が高い それでランクの低いものを選んでいた時もあった 磨いても傷のせいか?ノイズが取れないそれでも不快にならない程度に聴ける 全然大丈夫!という感じで集めてきたが もちろん余りにもひどい盤はいくつかあったのでそれらは売却した。

思い出話はさておいて 先ほど感じた触感だが耳で聴くだけではなく肌(皮膚)でも音を感じるものである その触感がCDとアナログでは違っているのかもしれない。誤解しないように言っておくがどちらが正しいか間違っているという事ではなく 感じ方の違い好みの違い ただそれだけなのである。
この触感の違いは育ちの問題(生活環境)も大きく関わるかもしれない。以前おじゃましたベテランオーディオファイルのYさん宅のオーディオルームに入るとトランスのうなりがすごかった(こういえば誰だか分かる人もいるかもしれない)Yさん曰く「音楽が鳴れば気にならないでしょう」確かに気にならなかったが おそらく大半の人は「ウームッッ」という感じだったのではないだろうか? そういう自分は あの音に懐かしさを感じてしまったのである(笑) それは自分の父親が勤めていた山奥の変電所の中のうなりがそれにそっくりだったからである 夏休みに年に1度 父親の勤めている変電所を見学しに行っていた 子供の足で小1時間はかかり ようやくたどり着いて建物の中に入るとあのうなりがした。 山の中の自然はほとんどそのままで自然の生物がありのままに生きていた ザリガニ取りや河原で飯盒でご飯を炊いたり ちょっとしたキャンプのようであった。蚊やヒルも多く体のあちらこちらに血を吸われた跡が残ったがすぐ回復した。
人によっては雑音と感じるのをそう感じない人もいる 逆に不自然な静寂を苦手な人もいる ジャズは飲んだくれた客や話に夢中になっている客がいる場所でその喧騒に負けないように力強く演奏する その中で下手にS/Nなど気にして何を聴くのか!と上記のYさんは言っていた

ジャズは確かにその通りでYさんとお会いした時は自分もそう思っていた。しかしオーディオではジャズではなくジャズという音楽を再生する装置と割り切って聴くようになったのでS/Nも多少は気にするようになった(笑) ジャズオーディオご用達のJBLやアルテック、マッキントッシュなど使わないのも自分の触感に丁度良いのがソナスでありQUADなので使っているだけである。

アナログはデジタルのように デジタルはアナログのように おそらく単に聴くだけだと区別はつかなくなっていると思う そして高度なシステムを構築しているマニアの方たちにはアナログだデジタルだと分ける必要は無くなっているのかもしれない。それでも最後は人の五感が無意識的にその違いを好みで区別するように思う。

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ジャケットに関してはCDよりアナログ盤の方が勝る…

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by kurama66644 | 2018-08-19 13:12 | オーディオ | Comments(0)

福音

「ふくいん」ではなく「ふくおん」とここでは呼ぶようにしている その呼び名のとおり「福」の音なのである。

オーディオは幻の音だとかオーディオではジャズと言う音楽は鳴らせてもジャズは鳴らせないなどオーディオに批判的な事も書いてきたがオーディオには「福音」が存在すると思っている。もちろんこちらが勝手に思っている事で根拠はないのだが 心の波を音の波で相殺し凪(なぎ)状態になっている時が福音を実感出来る。
福音は音楽ジャンルに拘らず何にでも存在する それを感じるきっかけ(装置)のひとつがオーディオ機器なのである。「マニアは音楽を聴かないで音ばかり聴いている」と上から目線で論じている方もいるが 音の魅力 すなわち福音を求めてオーディオを行っている方もいるのではないかと最近思うようになった…。

そういうことをいうなら別にオーディオ機器でなくてもパソコンからの音やラジカセ等のコンパクトな機器類でも同じではないかと思われる方もいると思う 実際そういう機器類で何十年も聴いてきたが福音は感じられなかった。ある程度製作者の想いを込めて作られた作品としての機材とそれに呼応するリスナー側の想いが一致していないといけない そういう意味で簡易的、便利で楽なものは福音は感じにくいように思う。(かなり独断的(笑))

オーディオを始める数年前 人生でかなり大きな存在を亡くした そして50歳手前で職も失っていたがオーディオ機器は残っていた 始めてまだ1~2年程度だったのでこの一大事にのんびり聴いている暇はないのだが なぜか機器類も売らないで結構のんびり聴いていた ジャズがメインであったがオーディオでジャズは再生できない 生演奏を聴く時のような高揚感はなかった ただ落ち着いていたと思う 激しいジャズの音でもゆったりと聴こえた これは後から考えたのだが福音がもたらしていた効果だと思っている 心の焦りの凹凸をオーディオの音が平らにしてくれたように感じている。金銭的には余り恵まれていない現状だが福音を毎日聴いているせいか穏やかな日々を送っている。

その当時の機器類と現在では様変わりしてしまった…製造年月日が今から30年前の機器類が殆どだ 価格的にも中古なので当時より安上がりで済んでいる(本物のビンテージなら逆に高くなっていると思う) そして福音は続いている それは生の音から徐々に遠ざかっているからだと思う 生の音でも福音はもちろんあるが 福音と同じぐらいの貧音が存在する それを同時に受け止めると変な高揚感と失望感が混じり心の平静は保ちにくくなるから厄介である。 若い時だと何ともなかったが加齢とともにその辺りはきつくなってくるようだ。

オーディオで生に近い音を再生できるように色々調整されている方も多い 生の音は感動をもたらすこともあるがその逆もあり非常に怖いものである 自分は生の音は目指さず「福音」が発せられるようなオーディオの存在がうれしい。

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ブレイキーでもエルビンでもない マックス・ローチやロイ・ヘインズとも違う キタサンはこの奥ゆかしいドラマー デイブ・ベイリーがやはり好きである。
珍しくマトリックス番号1Aのモノラルオリジナルである。盤の状態はそれほどよくないがキタサン宅のなんちゃってモノラルシステムでも「福音」をもたらしてくれる貴重なアルバム

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by kurama66644 | 2018-08-18 12:59 | オーディオ | Comments(0)

生のリンゴとアップルパイ

「リンゴをかじると歯ぐきから血が出ませんか」昔懐かしい歯磨き粉のCMの文言である。

子供の頃からリンゴは丸かじりでガブッと噛んで食べるのが普通であった もちろん皮をむいて四等分なり八等分なりして食べる事もあるがガブリと食べ 残るのは芯だけ 食べきったという感触である リンゴはリンゴでしかなく丸い生のリンゴしか自分の頭にはなかった もちろんジュースとしてもあったしバーモンドカレーにはリンゴが入っているのは知っていた… そうして高校生の頃アップルパイを見て 衝撃を受けた…これもリンゴなのかと(;'∀')


先日2年ぶりにKさんのお宅に誘われ訪問した。お伺いした時 もう一人同席者がいた キタサンが参加しているオーディオコミュのNさんである Nさんは昨年の忘年会の時一度お会いしているので初めてではない Nさんはクラッシックに詳しい方で片やキタサンはジャズにはうるさい!(かなり適当だが) そういう二人を招待してくれたKさんは現代音楽を比較的好む方でもちろんジャズやクラッシックも聴くがメインではない 3者とも音楽ジャンルで少しは重なる部分もあるがちょっと異質の組み合わせという感じがしないでもない。

Kさん宅のオーディオルームはこじんまりとした感じで小型の高性能のスピーカー+1にCDプレーヤーと真空管アンプとシンプルな構成である 視聴環境はキタサンと似た感じだが天井高もあり調音材も適所に配置 いかにもセンスが良いオーディオという感じである 食事処兼用のキタサンの所とは雰囲気が全然違っている(-_-;)

最初はキタサンに合わせて普段聴いている好きなジャズCDを何枚かかけてくれた。その後メインの席をNさんに譲りNさんの好きなクラッシックをかけ 今度はお互いが持参したジャズとクラッシックのCDを数枚づつかけ聴きあう事をした。Nさんもそうだがオフ会等でよくかかるアルバムなどは避けあまり聴いたことが無いようなアルバムを持参していたのでジャンルが違うが新たな発見も出来 俗にいうセッティングやら機器性能やらオーディオオフ会によくある談義は影を潜めアルバム批評で話が進んだ。
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Kさんが良く聴くドイツ録音のジャズオーケストラはとても録音がよくシステムの良さも相まって素敵な再生であった。
Nさんが持参した御年93歳のピアニストの演奏 ピアノまで一人では歩けず支えてもらいようやくピアノの前に着席との事 その演奏は93歳とは思えず固唾を飲んだ。
バイオリンの音色の多彩さを見せてくれるアルバム、有名どころのムターやハーンぐらいしか聴かないキタサンにとってクラシックの奥深さを感じる

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クラシックでも疾走する感を味わえる弦楽四重奏 Nさん宅ではこの疾走感は中々出なくkさん宅に持ち込む聴くとスイングしているとの事 キタサンも聴いていたが確かにスイングしている…
歌曲だがとても美しい声をしている。家のアマトールで聴くとおそらく年齢不詳の声に聴こえそう(笑) 録音を忠実に再現するのはこちらのSPの真骨頂といえる

こうして不思議な事に3人ともセレクトした音源が皆 楽しく感心するものが多かったのでとても充実した時間をいただいた。

帰りの電車で途中までいっしょだったNさんと話をして「kさんのオーディオは相変わらず元気のある音がする」こう話していた。Nさんは今回で4回目の訪問なので変化が分かっているのだろう そしてキタサンは2年前と比べて「大人の音になった気がした」と述べた 元気だけではなく落ち着いた音になったのはオーディオのセッティングを詰め試行錯誤を重ね理想の音を目指した結果  誇張された音は出なくなりより自然な音になったのだろうと想像する。
途中で下車したNさんと別れ 更に乗り継いだ電車の中、一人でkさんのオーディオを考えていた。kさんのオーディオって昔食べた 四等分なり八等分し皮をむいたリンゴをガラスの器に入れきれいに並べ それにお好みのドレッシングを軽くかける そうして食べるリンゴに似ていると…  リンゴという素材を崩さないで生のままそのまま食べる しかも切ってあるので食べやすく理想形である。 昨今キタサンが目にするオーディオってアップルパイのような感じで捉える事が多い リンゴはリンゴでも原型がなく崩して食感も違う ただそれも結構美味しい そしてキタサンも アップルパイは好きなのである(笑)

オーディオを詰めていくとKさん宅のように素敵な器に盛られ生の食感はそのままの切り分けられたリンゴのようになるのかもしれない そして人によっては器の種類が違っていたりかけるドレッシングの種類が違っていたり(何もかけないでそのままの場合の方が多いかも)それぞれ個性は出てくる。あるいはリンゴの原型がなくても皆が?美味しいと満足するアップルパイになったとしても それはそれで完成形のような気もする。

「リンゴをかじると歯ぐきから血が出ませんか?」 いいえまだ出ません 何とか食べれます! でも歳を重ねるとどうなるか分かりません…
オーディオを追求し理想の音を目指して突き進んでいく事は リンゴを丸かじりする行為を止める事になるのでは?とフッと感じたキタサンであった。(※それが正しいかどうかは分かりません)

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by kurama66644 | 2018-08-12 09:21 | オーディオ | Comments(0)

反体制の音楽

何やら大げさなタイトルだが今時反体制を意識して音楽を聴く人もいないと思う…ジャズやロックにそういう印象を持ってしまう自分はかなり古い人間なのかもしれない。

権力に対するレジスタンスとしては日本のフォークもかつてはそうであり歌謡曲の中にも時代を風刺し皮肉ったものも多かった。ロックなどは時代背景からまだ戦争の影響が大きかったように思う 資本主義と社会主義が対立しどちらの施策に対しても一定数の反抗分子は存在する それを増長させる手段としてロックと言う音楽は有効だったのかもしれない。ベースには貧困があり一部の富んだ者だけが裕福に贅沢をする姿はとてもハッキリしていた  その不条理さとやるせなさが若者のエネルギーと合致し反体制の動機づけとして大衆にも受け入れられたのだと思う。
ジャズの場合も反体制の姿勢は見られるがその根本は貧困だけではなく人種や肌の色といった差別によるその反抗と考える 生まれ持ったどうにもならない要素でもあり あきらめとして内包せざる負えない、そうした内なる叫び、心の叫びが「ブルース」でありジャズの根幹を支えている  ゆえにロックの直接的な叫びとジャズの内包した叫びでは反抗の表現は違っているように思う。

音楽は昔から政治宗教に利用されてきた歴史もある 前述したジャズやロックだけではなくクラシックなんかは階層(階級)の音楽であからさまな差別 立ち位置があった。
私の知り合いで音楽嫌いの人がいるがメロディーだけではなく歌詞、歌い手、演奏者の思想がメッセージ性が高く扇動する危険性があると言い 音楽は苦手で聴かないと今では珍しい存在である。

音楽は嫌いで聴かないと言っても今では街中の至るところで音楽は鳴っているしテレビはもとよりネット等で無料の配信?もあり受信機(携帯端末も含む)の小型化で持ち運びも出来る世の中になってしまった。先ほどの知り合いに「聴かないってどうやっているの?」と尋ねると 実際の演奏(生での演奏)はまず行かないという事らしい あとテレビやネット等でも意識的に聴かないようにしているという事だ 実際の演奏それは立派なホールでのコンサートばかりではなく市民活動のアマチュアの演奏や街中の生演奏など人がダイレクトに訴えて(歌う、演奏するなど)いるのは 機械を通して聴くのとはまるっきり違い恐ろしい感じがするとの事(;'∀') 失礼ながらちょっと病的な感じがしないでもないがただ言わんとしている事は何となく分かる気もする 人が発するものは単純に音(声)だけではなく気のような(オカルトっぽいが…)思い、念のようなものも存在する 生演奏の場合それを直接受け止めてしまうが機械を通すとその念のようなものは分からなくなってしまう。キタサンがこのブログで時々書いているオーディオでは「ジャズという音楽」は聴けるが「ジャズ」は聴けないというのに近いものがあるように思う。 人生の中の体験で聴く感度は違ってくる それからするとオーディオ機器の違い等は大したことはないように感じる。

歌謡曲は比較的好きであるが60年代とそれ以降70年代では全く捉え方が違っている これはあくまでも自分個人の体験からの話であるが炭鉱の町で生まれ育った子供時分親戚はもとより同級生の親は炭鉱夫が多かった 1番方~3番方と今でいう一日のローテーションがあり 親戚や知り合いの親父さんたちを見送る前 一緒にテレビの歌謡曲を見る(聴く)事が多かった 「行ってくるわ」と言ってそのまま帰らぬ人となる事は何度もあった その時聴いていた歌謡曲は「死」をイメージし身近で亡くなった人達の鎮魂歌のような感覚でいる 閉山する前ぐらいになると(70年初頭)さすがに落盤事故等は無くなっていたが60年代のその頃の歌謡曲は物悲しいイメージがある。

ジャズに関しても20代の食えない時代に聴いたカセットでのジャズの方が生々しく感じたし50歳手前で職も含めてすべてを無くした時(オーディオ機器はあった(笑))夜勤で一つ20kgはあるコピー用紙の箱を都合2000個 手で所定の場所に移動させる物流のアルバイトをしていた もちろん仕事はこれだけでは終わらない そうして朝方帰宅して手の感触が無くなりつつある中 聴いたジャズは音楽ではなくジャズそのものを自然と意識した感覚であった それでも何とか住む所はあったのでまだマシな方かと思いつつ少しではあるがジャズが身近に感じられたような気がした。


またいつものようにタイトルとは逸脱した内容になってしまったが音楽を自宅で気軽に聴けるなんて平和な世の中である証拠かもしれない。
雨風がしのげる場所がありのんびりオーディオ機器で音楽を聴く 本来持っていた(持っている)反体制とは真逆な状況でロックだジャズだと言っても心地の良いBGMでしかない 他人様の家に聴きに行って過去に2人だけ反骨精神が感じられる音を聴くことが出来た 家もあり装置もある状況では反体制ではないと上述したのと相反するかもしれないが おそらくはその所有者本人の生き方や気のようなものが鳴っている音から感じられたから なのかもしれない。

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「THE BLUES AND THE ABSTRACT TRUTH」 邦題で「ブルースの真実」として発売された半世紀前のアルバム そのジャケットの裏側に飾られた写真
再発されたアルバムやCDなどは この写真が削除されている。当時の新鋭 フレディ・ハバードや白人ピアニストの雄 ビル・エバンス、モダンジャズとフリーの架け橋を結んだエリック・ドルフィー、ビバップ世代のロイ・ヘインズなど新旧ジャズの精鋭をコンダクトしたリーダーのオリバー・ネルソン。
人種差別が顕著だったこの時代 お金のために白人の前で歌う(演奏する)自分は人種とは関係ない人ではなく「ロボット」と化し抵抗していたようにも見える。
本来内に秘めたブルースはあくまでも内面のもので露出するのは商業主義に屈した為のようにも思う その後 西洋音楽の基盤を無視したフリージャズが活発になってくる 内面を露出したブルースがフリージャズとしての表現であり フリージャズの亜流がロックへと進んでいったように個人的には考える。
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by kurama66644 | 2018-08-11 10:25 | Comments(0)

銀座の鄙び(ひなび)

休みの日 用事があり東京丸の内に出かけた 所用は早く終わり時間があったので丸の内有楽町、銀座とブラブラ散策した。

前の職場が銀座にあった関係上 この界隈の地理は結構詳しいつもりだ 休日の喧騒を避けるように晴海通りをさけ みゆき通りを築地方面に進んでいった。
銀座は都合25年いたが今から15年位前 ちょうど営業職にあったとき銀座一帯をローラー作戦で飛び込み営業をする事になり1丁目から8丁目まで雑居ビルも含め 2~3か月かけて回ったのは懐かしい思い出である。まだこの当時は今のようにセキュリティーもそれほど厳しくなく中小の企業だと比較的中まで入っていけた。もちろん入り口で門前払いの時の方が多かったのだが…

そんなことを思い出しながら歩いているとなぜか浴衣姿の人が多い 近くで浴衣を着る催し物をやっているらしくそのせいもあったようだ。着物で銀座を歩く姿は昔からそれほど珍しくなかった 逆に銀座だから似合っている風にも当時は思っていた 今回は浴衣で特に若い人が多かったがおしゃれ感覚で着ているのだろう本人は格好いいつもりなのだろうが 余り似合っている風には思えない 要は着慣れていないのだろう 新入社員の紺のスーツ(今は殆ど無いらしいが)を見ている感じがした。

銀座はまだ新宿、池袋、渋谷などと違い大人が多く来る街だ そういう中 今回散策していて外人が多かった 外人は昔から多かったが特に中国人が多かった そして大声でわめきながら?歩いている感じだ こういうことを書くとヘイトスピーチだと言われかねない でも事実は事実として書いておく それが良いとか悪いとかは書かないでおく…。
歩いていて知らない店 新しい店が多い 自分が知っている店が結構無くなっており時の流れを感じてしまう。そういう自分が働いていた会社も長い歴史に終止符を打ち自主廃業してしまったのだから同類相哀れむという感じであろうか…
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銀座松坂屋跡 (みゆき通りから見た風景) 現在は「GINZA SIX」という商業施設に変わっている。 このすぐ先にあった銀座スエヒロの500円昼定食にはよくお世話になった。
田舎から出てきた同期で銀座スエヒロでこんなに安く食事が出来ると感激し友人をこちらに案内したところ(夜にです)昼間と全くメニューが違い 金額が一桁違い慌てた話には大笑いした。

80年代初頭にはコンビニはほとんど見なかったが現在は銀座のいたるところに点在する。あとパチンコ屋とチェーンの居酒屋も増えてきた、カラオケやも見かける。

今回写真には撮らなかったが老舗の店もまだ存在しているが数は減ってきている これが築地方面そして京橋、新富町方面と徒歩圏内で行ける場所に移ると様相はかなり変わってくる。この界隈は意外と庶民的な店も多い 気取らずリラックスできる店も多かったので銀座で働いていた当時はよく飲みにいった(笑)

そう銀座と言うと高級ブランド店があちらこちらにあり庶民の街とは違う「雅」の街のイメージがあるが実は少し裏通りを行くと かなりディープな世界も見える。
ディープな世界と言っても8丁目界隈の高級クラブ 政財界や芸能人ご用達のお店とは又違う庶民が行けるお店も結構ある。
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銀座と東銀座の中間にある「中華三原」はよく昼飯を食った(笑) 今はどうか分からないが昔は混んで中々食べれなかった まだやっていてホッとした。

色々懐かしがって この炎天下の中 小一時間も歩いていたので結局 この2枚しか写真は撮らずじまい(;'∀') もう少し涼しくなってから散策し直しである。

個々の有名ブランド店などを一か所に集中させ集客力を増やす商業施設を構え一見豪華になったような銀座 個人的には見せかけだけの「雅」が増え 実態は「鄙び」になったような気がする。


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by kurama66644 | 2018-08-06 09:57 | Comments(2)

アイドラードライブ

アイドラーと言ってもピンとこない人も多いと思う 知っているのは特にアナログにたずさわっている人でビンテージ趣味の方ぐらいではないだろうか。

昨今のアナログブームでターンテーブルが注目されてきている?がそのほとんどはベルトを使ったベルトドライブ方式である。そしてかつては国内でセンタースピンドルを直接回すダイレクトドライブ方式が流行り人気が出た。

キタサンがアナログに回帰した5年前 それ以前から分不相応にLINNのLP-12を所有していた… ただし殆ど使用せず飾りと化していた(;'∀') このLINNはベルトドライブ方式の有名なプレーヤーである。なぜこのプレーヤーを買ったかというと代理店のすぐそばに昔勤めていた会社があり その代理店の方とは仕事上のちょっとした知り合いであったことから購入した。当時まだオーディオを始めたばかりの時でアナログプレーヤーがこんな高いものとは知らず躊躇したが逆に高いから良いものと言うものすごく短絡的な気持ちでエイヤーッと購入 結局はその後CDばかり聴いていた(笑)

アナログに回帰した時 そのままLP-12を使用し続ける手もあったが新規一転 別のプレーヤーに替えた それがトーレンスTD-521 こちらもベルトドライブであった。そして国産のヤマハ、ケンウッドのダイレクトドライブを導入、最後に現在使用中のトーレンスTD-124に至る これがアイドラー方式 別名リムドライブである。

アイドラー方式のプレーヤーは60年代までは生産されていたがその後ベルトドライブ方式に主流がいってしまった。原因のひとつとしてコストの問題が挙げられる 当時の機械仕掛けの重いターンテーブルを正確に回転させる為には小型で強力な駆動部分(モーター)が必須でそれを量産させるのはコスト的に難しい事もあったらしい、そのほかに複雑な機械仕掛けのパーツも多々ありその金型も多様にあったことから費用がかさんだようである その後は電子制御化されたベルトドライブやダイレクトドライブがより正確な回転を保持しさらにはS/Nの向上など目覚ましい発展を遂げたが時代はアナログからデジタルの世界に移行そして ここ数年でまたアナログ(ターンテーブル)も脚光を浴びるようになってきた。こちらはトーレンスTD-124の分解パーツ 部品の多さに驚く  これらが全てつながり音楽を奏でる(※ステサン 別冊参照)

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この3種類の方式のプレーヤーの特徴は今ではネット等で愛好家が意見を述べているので探せば色々と参考になると思うが個人的な好みでいけばアイドラー方式が一番面白いと思っている。それは「可視化出来る不安定さ」からである…随分おかしな事を言うなぁと思われるかもしれないが そもそもアナログ盤自体工業製品としては不確実性が高く安定していない そして劣化する もちろん作る時は機械を使用して作るのだがかなり粗はある。そういう粗のあるものを機械だけ(プレーヤーだけ)デジタル機器のようにより正確に精巧に作っていってもかえってアンバランスのような気がしてならない もちろん適当に作ればいいというものではないし壊れているものとは違う 多少のゆらぎというか隙のようなところが存在していないものは面白くないという感覚である。今のデジタル機器は「可視化できない安定さ」がある アナログブームとやらで一部でアナログプレーヤーも人気が出ていると聞くがそのほとんどがデジタル機器と同じような思想の「可視化できない安定さ」を求め作られている。(※回転するところを見れる可視化はあるが…)

量産が余りできないアイドラー方式のプレーヤーは昔を懐かしむ愛好家には人気が高い 数が少ない希少価値もありそのほとんどが高額化しているのが難点である。オークション等でロクに整備されていないようなものでもブランドその他で高額な取引をされている。キタサンが所有しているドイツ製のDualなどは比較的お買い得な製品かと思うが余り見向きもされない 同じくエラックのプレーヤーも価格的にはこなれている割には人気がない。EMTやらガラードそしてトーレンスに人気が集中しているがマニアほど「可視化できる不安定さ」の面白みを除外しデジタル機器と同じような発想で使おうと必死になっている それならば素直にデジタル機器で聴けばいいのにといつも思ってしまう。

アナログは80年を境に終わったと思っている。それ以降もアナログ盤は(再発も含め)出荷されているが録音自体70年中頃位からデジタル録音に移行されてきている。それゆえに時代性が大きく影響するように思う 今もアナログ盤の新譜はあるが形だけはアナログだが実態はデジタル製品と変わらない 売らんが為の業界の試みである。 先ほども言ったがそれならば媒体も機器もデジタルで販売、再生してよ!と言いたくなる 「音源」をよく知らずしてそして好きな音楽なしでオーディオ(アナログ)に凝っても ものすごくもったいないと思う ただ楽しみ方は人それぞれ自由であり縛られてはいけないのも事実である。

そうそうアイドラー方式のプレーヤーを初めて使った時 部屋の空気感が変わったと思った。それは不安定さからの逆の意味での安心感から来たものと思える 実際の演奏は何が起こるか分からない不安の中で期待感もありドキドキする。昨今のオーディオは安定しているが故そういう期待感 ハラハラする事は少ないように思える 不確実で先に何が起きるか分からないから実際の演奏は面白い それに近い表現をする昔のアイドラープレーヤーと昔の音源 自身がかろうじてオーディオの世界にとどまっている要素をもったこれらがなくなると いよいよオーディオをする意味は無くなっていくと考えているこの頃である。  

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by kurama66644 | 2018-08-05 09:31 | オーディオ | Comments(0)

つながり

先日 会社内で一部のシステムがダウンし自分の所属する部署でも被害を受けてしまった 半日ぐらい業務が出来ず滞っていたが別の仕事が出来てかえって好都合でもあった(;'∀') 結果的には良かった気がしないでもないのだが… 原因は営業マンの一人が入力した一つの文字でシステムが反応しなくなったらしいことが分かった キタサンはこの手の事には疎いが たった一文字の違いでシステム障害を起こす事は けして珍しくないようだ もちろん色々な想定をして人は常に間違える性悪説を前提にシステム構築しバックアップを常に取るように推奨している事は当然だが 起きるときは起きてしまうものである。

「風が吹けば桶屋が儲かる」という諺があるが一見なんでもない行為が全く違う所にまで影響を与える昔のたとえである こうした諺が昔からある事からしても世の中全ての事がつながっていると思わずにはいられない。冒頭に書いたシステム障害も営業マン自身もまさかこんな些細な事でこのような事が起きるとは思ってもみなかったと思う 実際 自分の部署以外に委託していた関連会社にも影響がありその関連会社も含めた他のステークホルダーにも影響が生じてしまったはずである。その影響の結果良かったのか悪かったのかはその時の状況にもよるが動きや流れに変化があったのは確かであろう。

ちょっと話は横に逸れるが西洋医学は直接的、東洋医学は間接的という印象を持っている。患部を直接弄り治癒する西洋医学に対し 全く痛みと関係ない箇所を指圧したりもみほぐしたりし間接的な治療をする東洋医学、ツボというのは神経や血管がつながっているのを前提にその効用があるときく 肩が凝っている時 直接肩ではなく手のひらや足のツボを押すと和らぐのも体がつながっている証拠であると思う。

「音が変わった」「激変した!」このワードはキタサンの参加しているオーディオコミュでも毎日のように聞く。
正直言って半信半疑の時もあるが最近は本当なんだろうなぁ~と思えてきた もちろん本人にとってはである。他人が聴くと変化は分からないかもしれないが本人が言っているので間違いはない それでいいのだと思う。ただしその変化を起こした原因が自分が考えていた事以外で起きたことも考えられると思う 高価なアクセサリーを購入して今までと確かに変わったと言い切っても100%それを使用したからとは限らないし 所謂副作用が知らないうちに発生しているかもしれないので過信しない方が良さそうである。
そういうつながりを前提とするとオーディオの場合は電気的なつながりと物と物との接点で発生する物理的つながりに分かれる、電気的なつながりは数値で挙げる事も可能なので可視化出来るが物理的つながりは難しい(特に振動系)。なにせ機械内部だけではなく空間があらゆるものと接しているのでどういう風に影響を与えるのかは完全に解明するのは困難である。難しいのは日々動いてしまうから条件が微妙に変わる 条件が変わるのは物だけではなく人間そのものもそうである。細胞が死んで新しい細胞が生まれると昨日の私と今日の私では違ってくる…そういうことを考えていくうちに「音が変わる」のは当たり前でそれをどうにかしようとする事自体 空しくなってくる。

スピーカー単独では音はしない アンプ、プレーヤーも然りで電気がないと音すら出ない 更には部屋(土台、置き場所、広義な意味で場所)がないと聴くことができない 空気もないといけない(笑) 音が発生するためには色々なものが相互作用 (つながっていないと) しないとダメで刻一刻と「音は変化していっている」それを素直に受け入れ音楽を聴くのが良いような気がしてならない   そうして音自体拘らなくなるのが精神的にも安定するように思う。それは別段難しい事ではない 普通に?生活している大半の人はそれほど気にしない 自分もかつてはそうであった オーディオの世界に入ってから気にするようになった 今では半年に1度ぐらいしか聴きに行かなくなった生演奏でも音の事を気にする瞬間がある(オーディオの音と対比する) それは知らず知らずのうちにストレスに結び付く。

自分だけの力ではどうにもできない あらゆるものはつながって存在している。つながりを無視するような強引なやり方をして仮に一瞬理想どうりになっても直ぐに変わってしまう それと何もしなくても音は変わっていく 人はそれに気づかないだけである。何故なら人そのものが変わっていくから…それならば日々変わっていく姿を当然として受け入れてみよう

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ジャズよりもオフコースをこの当時 好きで聴いていた。オフコースは当時トレンドでもあり知っている事は女の子にもモテるという不純な動機からであった(-_-;)
当時聴いていた実際の演奏とこのレコードでは感触が違うが30年以上経って聴くこのアルバムは何とも感慨深いものがある。


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by kurama66644 | 2018-08-04 07:39 | Comments(0)

歌謡曲とジャズは好きです!


by キタサン
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