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「音」派と「音源」派

無理に2極化する必要はないが感じた事を書いてみる。

オーディオに於いて「音」に拘る人が多いのは事実であると思う。キタサンは格好つけて自分は音には興味が無いと言っているわけではない 見ていて拘る人の執念、情熱がすごいと感じている それは自分の理想の音、好みの音がありそれに近づけるよう努力しているのだと思っている その為にはオーディオ機器の選択、部屋の選択、電源の選択等々…と一つ一つ検証して試さないと分からないので先が見えないほど苦労する もっともその過程が面白いのも事実で だからこそ趣味として?長く続けていけるのかもしれない。

キタサンは50歳手前からオーディオに関わり かなり遅咲きのスタートであると思う。ちょうどその時分はアナログとデジタルはどちらが良いかなんて今でも多少は話題になることを気にしていた時でもあった たまたま家に遊びに来られていた私のオーディオの師匠が「CD 音いいですよね~もうこれで十分なんじゃないですか」とぼそっと話してくれた。ネット配信が盛んになってハイレゾと言う言葉も世間ではチラホラ聞こえるようになった頃でもあった。 十分じゃないかと言ったのは私のシステムから出る音に対してではなく CDというメディアにたいしての意見である それに対してこちらも突っ込んで聞かなかったがアナログとデジタルどちらが優位かではなく音は音として高域が良く出てる 低域は薄め、耳に心地よい音など 元オーディオマニアとして冷静に意見を言ってくれる ただそれだけで普通に聴く…音の状況を的確に言うだけでそれ以上は言わない いいとか悪いとかではなくこの曲のフレーズが好きだとかこの曲は誰それも演奏しているとか 音自体は意外と興味が無いような感じである。

例えると音源とは「人」であり 音はその「行為」であると思う。 人を知らずしてその行為の意味している事や真意は分からない ただ人を知るって意外と難しいものである 慣れ親しんでいたつもりでも必ず隠し事や秘密にしている事はある 見た目だけでは中々判断できない。 以前万引きGメンをしていた時 こんな人がこんな事やるのか~と驚いたことは沢山あった そして人間不信になり辞めた人もいる 刑事ドラマのように取調室で犯人にかつ丼を食わせ田舎のおふくろの話をしても簡単に自供し改心はてくれないものである…それでも話す言葉のニュアンスや表情の変化で何かいつもと違うなど分かるのは観察力と興味、気づきなどからである 先ほどの万引きGメンを始めた時 元刑事のベテランの方といっしょに同行することが多かったが その方は相手とすれ違うだけで怪しいか(何かを企んでいるなど)分かるようで実際その人の後をついていくと犯行を実施したなど予想が当たっていた事も多い、オカルト的な事ではなく経験による観察力の凄さというのがやっているうちにわかった やはり見るポイントや感覚が普通の人と違うようである。

まぁ話は脱線してしまったが先日久しぶりにアナログを購入して何度も繰り返し聴いている オリジナルも再発盤も音ではなく音源という「人」を意識して聴くと色々なところに注目がいく 音を中心としたオーディオは自分には余り相性が良くないというのも分かってきた それよりこういう音源を色々観察し その人間模様?を味わっていく方が本質的に興味がある。マニアの人ほどアナログも今では数を持っていないが歳相応に?実際の演奏やCD含め音源は聴いてきたので(ジャズが多いが)このところ余り書かなかった気になったアナログ盤やCDの感想など書いていこうかなと思っている それではまたアナログの収集にいそしむのか?といわれると悩むところである(;'∀') オリジナルを中心に集めてきたのも基本はそこにオーディオの音があったからだと思う 音を中心としたオーディオはちょっと商業主義的なものが感じられ 言葉は悪いがお金持ちの遊びのように思っている(気にされた方は申し訳ない…) でも音源を紐解くにはオリジナルがベターなんだよな~ 

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エピックの名盤 デイブ・ベイリーの3部作の一つ これはもちろん再発盤であるが「「One Foot In The Gutter」や「2Feet In The Gutter」に比べ人気がないのはどうしてであろう?日本では長らくCD化していなく先ほどの2枚に比べ認知度がなかったせいなのかもと思ってしまった。6人が6人とも一聴しただけで誰の演奏かとわかってしまうほど個性的である 中々このようなコンポは今ではいない 逆の意味でチャールズ・ラウズの単調なフレーズが没個性と思えるがそういうのがモンクの音楽に合って長らくユニットを続けていけたんだろうとも想像してしまう。
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by kurama66644 | 2018-07-28 12:25 | オーディオ | Comments(0)

新宿ユニオン

レコードを買わなくなったので気づかなかったが新宿ジャズ館が移転したらしい…CDとレコードが別々の建物で売られていたのが一つになりさらにはロック系の物も同じ建物内で売られることになった。

御茶ノ水方面はレコードやCDとは別の用事で行くのでたまにJAZZ TOKYOに顔を出すが基本はもう買わない。新宿は若い頃 遊び場でよく行っていた街であったが今は殆ど魅力が無くなり行かなくなった 若い頃から飲みにもよく行ったしPIT INNなどは土曜の昼の部は毎週のように通っていた 夜の部がメインであったが昼でも意外と国内では有名なミュージシャンも出演していた それでも土曜の昼は流石にお客はいなく聴きに行っても自分のために演奏してくれるが如くと錯覚するぐらいである 伊勢丹裏にあったころから通っていたが今の2丁目の方が自分的には好みである。

新宿に再び足を運ぶようになったのはアナログに回帰してからであるから5年前位である。ユニオンにも行ったしハルズさんにも行った しかしちょっとしたジャズのオリジナル等は何度も書いているが高騰してCD感覚(1枚1~2000円以内)でメディアは長年買っていた自分としてはとてもついていけずジャズのオリジナル等は諦めてしまったので新宿も再び行かずじまいであった。

久しぶりに訪れた新宿の街は相変わらず混沌としていた 移転した場所は以前のすぐ近くであったが隣が同業者の山野楽器であり 最近のコンビニの乱立に近いものがあるなぁと思いながら店内を見学 1Fがロック、洋楽の売り場で結構にぎわっていた やはりジャズよりこちらの方がワールドワイドで人気があるのであろう 客層も若い人から年配の人までいい塩梅で散っており店内に飾られているアナーキーなジャケット等が又面白く新鮮でもあった 眺めているだけならこちらも楽しめそうである。
2階が書籍売り場で素通りし3階がジャズ売り場である。階段を上がっていくその壁に数々のジャケットのポスターが飾られている とても良い雰囲気で購買意欲を駆り立てる演出でもある マニアなら大体は分かるジャケットで好きな人がこれを作ったのだろうと想像する 自分ならこのジャケットの方がいいとかこの色合いのものを用意した方が映えるなとか階段の踊り場でしばし妄想…その横を通る人もマニアに違いなくこの気持ちは分かる筈(笑)
そうしてジャズ売り場に着くとCDの棚がかなり高い位置までそびえたっていた。場所を有効的に使うためにそうしたのだろうがちょっと高過ぎのような気がした 地代が高い新宿では仕方がない 沢山の商品を見えるように置くのもドン・キホーテ的で今のトレンドでもある。CDは今回はさーっと眺めるだけで奥のアナログコーナーに行く
中々豊富な品揃えである 御茶ノ水のJAZZ TOKYOにも負けないぐらい充実している 年配の老夫婦がゆっくり盤を眺めている いい雰囲気である 結構若い感じの美女が一人で盤を眺めている めったにない光景である やはりアナログブームなのか?と思いきや 連れの彼氏がいてその付き合いで眺めていただけ(笑) その横ではマニアらしき中年の男性が一心不乱で盤を選別している…あーっあ これが現実なのである 「こらオヤジ リュックは降ろして盤を見ろ 邪魔でしょうがない!」と心の中で叫ぶキタサン… 相変わらずマナーが悪いオヤジがいる そのオヤジはなぜか先ほどの美女のそばに接近する 美女もその気配を感じて彼氏のもとに行く ウーンむ 何とも物悲しい。

たまたまかもしれないのだが今回壁に飾ってある高額オリジナル等は少なかったように思う。マニアが手放さなくなったのか?それともセールの時に放出するように店側で保管しているのかお宝的なものは少なかった。それでも久しぶりに見るアナログの数々 思わず数枚買ってしまった…まぁ久しぶりだから善しとしよう。
実を言うとこちらに行こうと思っていた時からいいものがあれば買うと決めていた ただし予算は1万円! 壁に飾ってあるものは2~数万がざらだしとても買えないがオリジナルに拘らなくなったのでそこそこ買えるはず そして今回購入したものは以下のとおりである。
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ディック・モーガンの3部作の内の1枚「Settin' in」この盤はオリジナルで持っていたが盤質が余りにもひどかったので売却した。CDでも中々出ないアルバムなので再び買い直し ただしwave jazzの再発 1100円である…wave jazzはオリジナルよりややハイファイ調であるが音質的にはとても優れている。

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エサ箱で最初に見たのがバリー・ハリスのレコード棚 ザナドゥー盤でオリジナルが結構な枚数 置いてあった 50,60年代を過ぎた70年代は人気がないのかオリジナルでありながらこちらも1000円 もう1枚同じ盤でシュリンク付の物があったが1700円 盤質が同じB+だったので1000円の物を選択 パウエル派、バップピアノと言われているが熱い50年代を過ぎていささか冷めてしまったのだろうか バリー・ハリスってこんな感じだっけ?録音のせいもあるのかもしれない  リロイ・ウィリアムスのシンバルが少しうるさい感じがする(笑)

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エバンスのこの盤はオリジナルでは今 いくらぐらいするのだろうか? リバーサイドかなり後期の再発盤 盤質も結構プチパチと所々で(;'∀') CDでは飽きるほど聴いたがやはりこちらはレコードの方が良い 日本の再発盤も聴いたことがあるが今回の盤は当たりだと思う ただこのエバンスの流れを汲んだ現代のピアノ エバンス派?を聴きなれている方にはCDの方が優れていると評価するような気がする そうそう価格は1800円也。


これまで合計で3900円まだまだ買えるぞと思いながらエサ箱を探しているとこちらの盤に遭遇。
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お姉さんの胸元がまぶしいコンテンポラリーの名盤「DOUBLE PLAY!」アンドレ・プレビンは今では国際的な有名なクラシック指揮者だがこの頃は西海岸でジャズピアニストとして活躍していた ラス・フリーマンとのタイトル通り ダブルピアノでドラムは名手のシェリー・マン こちらの盤はモノラルのプロモ盤である なんちゃってモノラル再生が好調なケンウッドの廉価版プレーヤーで鳴らすのもありかな と思い盤質もAだし…「まてよ これいくらだ?」とプライスを見る 「6480円」
うーん 若干足が出るなぁ~ でも今夜のビールを発泡酒にしてつまみも1品減らせばジャスト1万で調整出来る いや待てよ これ買わなかったらあと3枚ぐらい買えるよな~と平和な悩みが約10秒間続いた。 結局この4枚を購入 それにしてもプロモ盤とはいえアッチコッチに「NOT FOR SALE」とスタンプを押すなよな~アメリカ人は と嘆くキタサンであった。
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by kurama66644 | 2018-07-22 10:12 | ジャズ | Comments(2)

オーディオの世界

キタサンはオーディオを始める前は長年ラジカセやミニコンポで音楽を聴いていた。よくこのブログの中で視聴位置にこだわらない、隣の布団部屋や台所でドア越しに聴くと言っているが それではラジカセやミニコンポで十分ではないかと思われる方もいるかもしれない。しかしながら答えは「ノー」である 使っている機器類は普及帯価格の製品もあるがやはりそこにはオーディオの世界がある。

オーディオに狂っている人の大半は知ってしまったのだと思う。装置によって演奏が異なって聴こえる事に 下手な演奏家と思っていたら装置によって素晴らしく聴こえ感動してしまったり ラジカセでは決して聴けない美しい音に出会えて人生が変わるほどの衝撃を受けたり…その深い深いオーディオの世界を。

その深いオーディオの世界というのは個人的には既視感の世界ではないかと思っている。
オーディオマニアの人たちは意外と実際の演奏を聴きに行かない…考えてみると当たり前の話でその演奏を自宅で気軽に?再現するためにオーディオ装置や環境を整え疑似演奏を楽しむものであるのだから 自宅でいつもプロの演奏家が生演奏を行ってくれる昔の王侯貴族のようなわけにはいかない(大金持ちはそれも可能なのかもしれないが)わけである。
中には生演奏が好きでオーディオとは別に全国を飛び回っている人も少ないがいる そういう人は実際の生演奏の感動を自分のオーディオでも同様に再現したいと探求されているか あるいは私のオーディオの師匠のように生演奏の再現は絶対無理とある種割り切ってオーディオに対峙していくかどちらかであると思う。

実際の生演奏を聴かなくても今は書物やテレビ、写真やビデオ等の記録で音だけのオーディオ再生で何となく実際体験したような錯覚に陥ることがある 記録されたメディアの音源を聴いてベースはブンブン唸り迫力がある、ドラムのシンバルの音やトランペットのつんざく音がものすごい、サックスの咆哮がすごいなどと感じてしまうこともあると思う。それは意図的なマイクの位置や録音方法さらには録音したあとメディアが出来上がるまでの途中で色々と元の音をいじり 最初の音とは違うものが作られそれが実際の音であると勘違いするケースが殆どなのである。

演奏会場ではアコーステックな楽器演奏でもPAを通した音では生音とはかなり違って聴こえるし 先ほど述べたベースの音なんて実際はそれほど大きくない、目立たないドラムの音や管楽器の音はかなり大きい、ピアノの音も意外と大きい 誰を主役にするかどの楽器に光を当てるかによって録音されたメディアの音出しは様々なのである。そこで実際の音は違うんだ!と高級オーディオを誇らしげに鳴らすお宅で叫んでも空しくなるだけである オーディオの音は幻想の音であるとこのブログでも何度か書いたがもっと詳しく言うと現実と幻の音が混在して分けが分からなくなり それが既視感をもたらすのではないかと考える。

オーディオは極めて個人の経験、あるいは人生に於いての体験考え方により同じ機器でも聴く人によって全く聴こえ方あるいは捉え方が違ってくる個人的なものであると思う。
慣れてくるにしたがい現実、幻の音が分かるようになりその整合性を合わせようと必死に試み、悩み苦しむ人も出てくる それはオーディオの世界から抜け出せない人が陥りやすいように思える。 私のオーディオの師匠はホールでシンフォニーを聴き これはオーディオでは再現不可能と長年愛してやまないオーディオを止めた、そして自分で演奏する側にいった 現在オーディオは普及帯価格の機器で今は気楽に聴いて楽しんでいる オーディオを追及していくのではなくその世界から抜け出すことで今まで気づかない事を色々発見している。これもまたひとつの人生である。 

キタサンは最近オーディオの音を聴くのが楽しくなってきている 幻想の音と割り切って聴けるようになったからだと思う。それは使う機器の影響もあるのかもしれないQUADのアンプやアマトールのスピーカーは幻想の音と割り切った特異な再現をする 中途半端な現実っぽい音、リアルな音がしないから割り切れて肩の力がぬけて聴ける。

現実の音を求め開発していく現代機器と最近の音源 費用がかさみドンドン高額化してきている…それを実現するために理屈をつけアクセサリーや視聴環境にまで誘導している業界 現代のオーディオの世界。 懐古主義であってはいけないのかもしれないが現実の音を分かっていながら誇張した録音や特定の箇所を過大に誇示した録音、それを上手く再現するための機器類と昔の製品はオーディオに夢と幻想が盛り込まれていた いうなれば遊び心があったように思う 自分的にはどうしてもそちらのほうに目を奪われてしまいスペック重視の現代機器には全く興味を持たなくなってしまった。

何となく音楽が部屋の中を漂っている 幻想的な音ではあるが生命力はあり力強い 元々そこに存在しない音なのだから定位や音場、音像なんて細かい事は気にしない そんな感じで鳴ってくれれば満足である。

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久しぶりに聴いた「お城のエバンス」。だいぶ前ベテランオーディファイルに「ベースの鳴る位置が違っているように思うが実際どうなの?」と聞かれた事があった オリジナルと再発では違うのかもしれないが そんな細かい事気にしないで聴いていたので(;'∀') 聞かれて驚いた経験がある これもオーディオの世界にどっぷりつかるとこういう指摘をするものなのか? オーディオの世界は深く難しいものである。

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by kurama66644 | 2018-07-21 12:01 | オーディオ | Comments(0)

個人の音楽

何年か前のインタビューで秋吉敏子さんがジャズは個人の音楽でそこがクラシックと大きな違いがあると述べていた。

秋吉さんはジャズの本場アメリカへ単身修行に行き当時のモダンジャズを体現した初めての日本人ジャズミュージシャンである マイルスやコルトレーン、モンクやエリントン、ミンガスなどジャズの巨人たちと共演し日本のジャズ進展に大いに影響を与えた人物でもある。

個人の音楽とは個性の音楽でもあり スタンダートな曲を演奏してもこれはマイルスの音楽、ロリンズの音、ペッパーの叫びなど個人に帰結していく 基本のスコアーはあるが殆どが崩されアドリブで曲そのものが変形し中には原曲の面影も無くなる演奏もある。
曲そのものが受け継がれ様々な指揮者、演奏家達により演じられるクラシックと違い曲より誰が演じたかに重きを置くジャズは1話完結のドラマのようでその場その場一瞬の輝きと儚さがある。
クラシックも同じ曲を同一指揮者で同じオーケストラで行っても人がする事なので多少の違いは出てくるかもしれないがジャズはもう同じ演奏は二度と出来ない

昔から家にはオーディオ装置がなかったので実際演奏を聴きに行くしかなかった。音楽は好きでも嫌いでもなかったのが何故かジャズ演奏は好きで今でも飽きていない 飽きっぽい性格の自分としてはとても珍しい事である。 楽しく面白いから聴きに行っていたのだと思う とても単純な事だ 当時聴いていたミュージシャン自体が面白く個性があったからなのかもしれないし平和になり ある意味無機質になりつつあった時代背景の中 ジャズミュージシャンはその世の中から浮いていたのかもしれない それが自分にはとてもまぶしく輝いていたようにも思える。

オーディオを始めた当初ベテランオーディオマニアの方たちから生(演奏)は聴いていた方が良いと結構言われた 別に自分に対してだけではなく他のオーディオ初心者達や生を余り聴かないオーディオマニア達にもそう言っていた。実を言うととても違和感を覚えていた それは今現在でもそう感じる 生演奏を聴きに行くのは良い事であるが面白く楽しい 自分がそう感じればいいのだがオーディオの音の方が楽しいし良いと思えば無理に行く事は無いと思っている。オーディオ再生に役立つから聴きに行けと言うのはちょっと違うような気がする 演奏を記録した音源は製作者により元の音とは違うようにいじられている そうしてありもしない音に対してそれを生演奏のようにとかリアルな再生とかいって作られた音場や音像を追っかけて違う方向に行っている気がしてならない。逆にベテランの方はその事実が分かっているので生の演奏は聴いておいた方が良いと言っているのだとは思うが…

ひょんなことから始めたオーディオももう11年が過ぎた ちょうど始めた頃は実際の演奏を聴いてきたジャズミュージシャンが次々と鬼籍に入っていた頃である 聴いていたアルバムも最初の頃は引き続きCDが多かったがそのうちアナログに変わってきた 個人の音楽としてのジャズのアルバムは希少価値の高い物は高価であり手に入りにくいのも個人の音楽ゆえであるので最近は納得しつつある。

年単位では半年に一回位の割合でしか演奏を聴きに行かなくなった…国内外でも中々面白い人、食指をそそられるジャズミュージシャンは自分の中では少なくなった。
時代が無機質になりとても冷めてしまったので人も同じような感じになってきたせいもあるのかもしれない そういう中 オーディオで再生する音楽が結構楽しくなってきた ジャズはジャズとしてではなく歌謡曲と同様大衆の音楽としてボーっと聴いている マニアがお金をかけて部屋だ機器だ電源だと投資しまくるのとは真逆な方向で進んでいる。

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58年のハーレムでの奇跡のショット ジャズを作ってきた人が57人(実際は58人)集まった集合写真である。今 生きているのはソニー・ロリンズとベニー・ゴルソンの2人だけになった…自分にとってジャズは個人の音楽から故人の音楽になりつつある。

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by kurama66644 | 2018-07-16 13:10 | ジャズ | Comments(0)

有機的な結合

オーディオ機器の形を見る事が好きである。オーディオに興味を持ち始めてから買わないまでもパンフレットやオーディオ店に行ってはよく機器を眺めていた 買わない(買えない?)事をいいことに「こんな形のスピーカーがあるのか~」とか「部屋に置くと異様な存在になるなぁ」とか勝手に思っていた。
アンプ類は歴然と機械と化した風貌の物が多いがスピーカーになると木をベースとしそれにユニットを付けた見るからに人工物然としたものが多いように思う もっとも最近では木ではなく共振しないような新素材が使われているものも多く より人工物化しているようにも感じる。

形や素材だけでどんな風に鳴るのかなんて専門家でもないので分かりもしないが それを自分の部屋に置いた時の姿は誰もが分かる事である。
その存在が部屋に溶け込むのか いやいい音さえ良ければ形なんか関係ないと人それぞれで更には専用部屋で他の人が(家族等)関知しないような環境下であれば持ち主の勝手であるがリビングなどに置く場合 異様なものがそこに存在すると家族が不信感を抱く場合もある。

昔 テレビと言えば家具調のものが多く家のテレビは確か観音開きであった…観音開きなんて仏壇じゃないのだから今の人に言っても信じられないと思うがテレビにレースの布なんかかけてそりゃー大事に扱っていた。親戚の家でオーディオ装置を買ったと聞き行ってみると観音開きのテレビと同じようないでたちでやはり家電と言うより家具そのものであった それゆえ居間でも違和感がなかった記憶がある。でも今の感覚で見るとその家具調のデザインのテレビなりステレオも違和感丸出しである(笑)
それは西洋文化と日本文化の合成であり とても中途半端なものであったからのように思う。当時は欧米製品への羨望があった 舶来優越主義で安かろう悪かろうの日本製品は下に見られていた しかしながら日本製品のそれが下に見られていたのは工業製品であって伝統的な工芸品などは逆に羨望の目で見られていた。緻密な工芸製品を作る日本製品は工業製品でも素晴らしいものを作るのにそれほど歳月はかからなかった そうしてメイドインジャパンの製品は世界的にも認められるようになってきた。

ところがオーディオ機器に於いてはまだまだ日本は後進国であるように思う 機器類の部品、パーツは素晴らしい性能のものが日本製にはあるが出来上がりの製品は音楽を再生するにおいて「ゆとり」がないように感じる それはデザインしかり実際の音楽の表現力などである。ありていな言い方をすれば感性の違いというところかもしれない そもそも日本人は音楽後進国であり(ここでいうのは西洋音楽のことである)クラッシックや広義な意味でのジャズなど再現する装置はまだまだ遅れているようにも思える。

能面のように表情を消し淡々とこなす姿は日本的であり日本の美のひとつでもある。ただ西洋音楽の歴史や成り立ちからくる感情の表現は豊かでワクワク期待させる そういう西洋人の作る音楽再生機はその姿からも斬新で面白く思う

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天然木と融合させた真空管アンプのこの意匠は独特な存在感を示しているユニゾンリサーチの製品

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なんの変哲もない小型のプリアンプ QUAD44 パワーアンプとともにこちらも独特の意匠である こちらは中期の作品だが初期の作品はボタンの色に赤も混じっていた その色彩感覚は日本にはないものである 帯域はそれほど広くないが表現力と力強さは特筆すべきものがある

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上質なウッドブロックの削り出しエンクロージャーと皮のバッフルの組み合わせ 前に使っていたモニターオーディオのPL-100もバッフルは高級な革製品であった

これらの異質な素材の組み合わせ、意匠は有機的であり好みも分かれるところだが存在感を示している。
最近の日本家屋は洋風になってきているので ある程度有機的な物が置かれていてもそれほど違和感はない、ただ単一素材(特に木材)を使った奇をてらわない自然な風貌が好みという日本人は多いような気がする それゆえ有機的な物はなるだけ小さくして目立たせないように置くのが日本人にとってごく自然な成り行きなのかもしれない。


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by kurama66644 | 2018-07-15 10:10 | オーディオ | Comments(0)

自動ブレーキ

現在アナログとCDの聴く割合は5:5か6:4位で大体半々といったところである これはアンプをそれぞれ使い分けているのでいったんつなぎ直しが必要で つなぐとしばらくそのままで聴いているからでもある。セレクター等で切り替えも考えたがつなぎ替えるのにそれほど手間はかからないのでそのままにしてある。
たいがいはオーディオ装置のある部屋で聴かず隣の布団部屋で部屋越しに聴いたり台所で聴いたりと視聴位置は適当である その為CDで聴く場合は自動的に最後までいくと止まるがアナログ特にトーレンスのプレーヤーの場合手動なので終わっても気づかなければ中心部分でいつまでも回転し続けることになる…もう1台のケンウッドのプレーヤーは自動的に最後はアームが上がりストップがかかるので余り気を使う必要がない。

アナログ自体 今はLPの数もそれほど多くないので同じ盤を繰り返し聴くことが多い そうなると曲の途中でそろそろ終わる頃合いが自然に分かってくるようになった。更には曲のこのフレーズが出てくると残りは1分ぐらいだとかより具体的な事も体で覚えてくる(笑) こういうところは過去の物を聴いているのでその経験、体験から容易に予想がつく 変な意味でスリリングはない(;'∀') 生演奏だと先の事は分からないからハラハラドキドキする それに対してオーディオでの再生はある程度予想がつくので自分的にはそれほど興奮することは多くない。

話は変わるが現在 車の運転をしなくなり久しい 車の事は詳しくないが生産ベースで7割近くが自動ブレーキ搭載のようである 更には自動運転化も世界的に進められている。そして2輪車にも自動ブレーキの搭載を進めていく方針だそうだ 昔 2輪車にも自動ブレーキを搭載した車種が試験的にあり実際乗ったベテランのモータージャーナリストによると誤作動が発生し急ブレーキがかかりあやうく転びかけたとか…これが直線だったので何とか踏みとどまったらしいがカーブであったなら自分は間違いなく転倒していたと回想していた キタサンは昔よくツーリングに行っていたので2輪の急ブレーキの怖さは知っているつもりだ。

いずれにしろ人間が自力で出せるスピードの範疇内であると自制は効くがそれ以外になるとどうなるか分からない。人間の走れる最高速度は平均50kmと言われているがあの100m金メダリストのウサイン・ボルトでさえ38km 初速で40km程度だそうだ それ以上早く走れる乗り物に乗るという事は何かあったときに死と隣り合わせになってもおかしくない 普段何気なく乗っている電車やバス へたすると自転車でもなにか故障があったときはそれなりの覚悟はしていたほうがよいようにも思っている。

通勤する電車や車に乗るたびにいちいちそんな覚悟をして乗る人はいないだろうが「自動化」という文明の享受に慢心しているとしっぺ返しをくらう事もあるぐらいの意識は持っていた方がよいと思っている。
自動化するという事は全ての動きを均一にすることに等しいと考える。それはもちろん人が快適に過ごせるようになるため人が考えた作為的な行為である 作為的であるのでそれを作った人の快適への基準が含まれている でも人の快適さを感じる基準なんてそれこそ人によって違うしバラバラであると思う。

オーディオ機器が見た目とてもシンプルになったのはとてもありがたい反面 不均衡にする調整(面白さ、変化)が自らできなくなったようで残念でもある。
ブラックボックスされた機器の中身はメーカーやその技術者が複雑に より高度な技術を投入しているのかもしれないが最終的には視聴者、使う人の判断に任せてもらいたい気もする。トーンコントロールは無くなり左右のバランス調整すら割愛した機種も多い かろうじてボリュームは残っているが今ボリュームを気にするのは部屋の中で出る音がうるさいかうるさくないかの違いでしか使っていない人が殆どであろう。へたなアクセサリーやルームチューニングよりこのボリューム調整で何の変哲もないと思っていたアルバムの数々が蘇ることだってある 更にはトーンコントロールを上手く使うとより良いとも思っている CD再生でも効果はあるがアナログ再生の方がより顕著に表れる。

ルームチューニングやアクセサリーに昔凝っていた時期もあるがその効果というのは音を画像化しより立体的にする手段であると感じる それに対しボリュームやトーンコントロールというのは音は音として質を変えず聴き手の感じ方の範囲を広げる役割を持っているようにも思う。

2輪車の自動ブレーキ化という記事を読んで思いつくままに書いたが相変わらず脈絡のない文章になってしまった ご勘弁を!

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ジョー・オーバニーといっても今では誰も見向きもしない バップピアノ パーカー派ぐらいの認識はあるが既に過去の人である。
この74年のアルバムはぺデルセンとのデュオアルバムである デュオアルバムはめったに聴かないがこのアルバムは結構聴いてしまう そうトーンコントロールを微調整しボリュームもこれだという位置で聴くととても上質な雰囲気をもたらせてくれる ジャケットの深緑も味わいがある色で好きだ。

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by kurama66644 | 2018-07-14 11:48 | オーディオ | Comments(0)

カステーラ

カステラではなく「カステーラ」なのである。長崎で食べたカステラも美味しかったが北海道出身者は間違いなく?カステーラを好むはず!

断定的に書いてしまったが先日スーパーで北海道展をやっており懐かしい食べ物を見つけ思わず買ってしまった。それがこちら
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島川製菓のミルクカステーラ(5本入り)
何とも懐かしい食べ物である 東京の方ではよく北海道物産展が行われ盛況のようだが このようなマイナーなジャンクフードは余り見かけない。
実はこの5本入りというのは初めて見たような気がする 子供の頃よく売られていたのは1本売りのもので おやつの定番でもあった。食べると口の中が乾いて水が欲しくなる 実際飲むのはファンタオレンジやグレープ あるいはガラナであった※牛乳も定番なのだがキタサンは牛乳が苦手であった…。関東方面はコーラーが馴染みだろうが北海道ではガラナが多い なかにはカツゲンを飲む人もいたが自分は圧倒的にファンタが多かった(時々サイダーも飲んだ記憶がある)ガラナとかカツゲンと言っても北海道人以外はおそらく「?」という感じであろう それなりの歴史もあり語ると長くなるのでここは割愛する(笑)

そのミルクカステーラはもちろん北海道産の小麦を使っている 非常に素朴な味がしミルクカステーラとは言え甘さは抑えている それとカステラというとお茶うけの上品なお菓子のイメージもあるが北海道のカステーラはビニールの袋を破りむしって食べるのが普通である(本当かな?)チョコレートや飴などと同等のお菓子感覚の位置づけであるように思う。

子供時代 食べていた物は大人になった今でも影響が大きい 意外と口に入れた触感で好みが分かれる事も多い このカステーラはパサパサしているようでもあり しかし弾力がありモフモフしている何とも言えない微妙な触感なのである。今では中々お目にかかれない触感であり 現代の食べ物の傾向からいうと若者には好まれないかもしれない(-_-;)

音楽もそうだがその時代に聴いた(味わった)ものは中々忘れないものであり それを聴き返すとその時代に一挙にタイムスリップする。
ミルクカステーラを食べながら昔の事を思い出していると「まてよ!確か別のカステーラもあったような?」そうミルクカステーラとパッケージも似ている高橋製菓の「ビタミンカステーラ」の存在を思い出した。 はて?自分はどちらのカステーラをおもに食べていたのだろうか…? その時代に味わったものは中々忘れないと書いたばかりなのにいい加減なものである(;'∀')

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by kurama66644 | 2018-07-11 20:55 | Comments(0)

そぎ落とす事を拒絶する感性

先日 相互オーディオオフ会を行った… なんだキタサンはオフ会は好んで行わない とブログの中でも言っていたのではないのか?と思われる方もいるかもしれない
確かにそうなのだが人生の音を聴かせてくれそうなお宅には興味がある それは年齢やシステム規模等関係がなく こちらの直観的なもの(判断)にもよる。

今回相互訪問となったKさんは年齢的には自分より一回り、いや二回りぐらい若い方だがとても 真面目でしっかりされた方である。5年ぐらい前に一度Kさん宅におじゃまし それっきりになっていた中 最近キタサン宅にほど近いところに引っ越されてきたという事で話が進んだ。

最初はキタサン宅に来てもらいそのあとKさん宅に訪問その後近くの飲み屋で反省会?という流れだったが お互いの家ではそれぞれ好きなアルバム、音楽の話題が中心になった。
オーディオオフ会だから機器類や視聴環境等の話題も多少はあったが基本 自分の好きなアルバムや好きになった経緯、感想などそちらがメインであったのでオーディオは余り詳しくない自分にとって少しホッとしたオフ会でもあった。

Kさんはクラッシックが好みであるがその他にJ-POPや最近ではジャズも聴くようになったとか オフ会では自分の知らない曲、アルバムなどクラッシック以外の異なるジャンルは積極的に聴くようにすると それが刺激となり好奇心につながる クラッシックなんかも別の感覚で聴けると話されていた。まぁその辺りは自分のようにジャズ一辺倒(歌謡曲も聴くが)の偏屈オヤジと違い柔軟性があると感心する(笑)
ネットワークオーディオとCD再生、アナログ再生の3通りで再生できるKさん宅のシステムであるが好きなクラッシックは50年から60年頃のクラッシックが特に好みのようで そうなるとアナログ再生になってしまう しかも音源は当時のもの(アナログオリジナル等)を揃えている。ジャンルこそ違うがキタサンもジャズでは同じように50年から60年辺りが好みでその当時のオリジナルが中心になるところに共通点があった ただ違うのはクラッシックとジャズの今現在の市場に出ている中古価格 その時代のジャズのオリジナル等を集めるのを断念したのは高価になったアルバムを買う資金が続かなくなったのも大きな原因である それに対してクラッシックのそれは比較的安定した価格帯である… もちろん中には希少盤とされた高いものもあるがほんの一部でジャズのように常軌を逸した価格ではない。

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クレンペラーのワーグナー Kさんが衝撃を受けたと言われるアルバム 確かに幽玄な雰囲気を持ちえた独特の気配に固唾を飲む

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ダビッド オイストラフの演奏はありふれた言い方だが魂を揺さぶられる

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実は最初にネットワークオーディオ中心にクラッシックやジャズ、POPS等数曲(比較新しいものも含み)聴かせていただいたのだが上記の古いアナログ盤(オリジナル等)の何とも言えない説得力に最初にかかった数曲がかすんでしまった それほどクラッシックは余り聴かないキタサンでも圧倒され聴き入ってしまった。
これはkさん宅のシステムが良いせいもあるのかもしれないが やはりその時代のもつ音源に起因されるように思う 奏者もさることながら録音したエンジニア、スタッフ等の良い演奏を我々の手で世に残し皆に聴いてもらいたいという使命感のようなものがあったのではないだろうか。

Kさん曰く「鉛筆削りに例えるのもなんか変なんですが最近の音源はどんどんそぎ落とし(削って)とても繊細になっている そのそぎ落とした部分にとても大事なものがあるのに見た目や体裁から整えてしまっている」

キタサンはオーディオに対して冷めた目で見ている オーディオの音は過去の音で(録音された段階で過去のものになっている)それはエンジニア等色々なスタッフが元の音を加工した幻の音であるのにリアルにとか生演奏さながらをオーディオでというのは無理な事であると思っている。それでもKさんの言わんとしている事は分かるし そのそぎ落とした部分に大事なものがあるというのも同意見である。

Kさんのオーディオの音は音場や音像を感じさせない 上記の古いアナログ盤による再生などは特にそれを感じる。一般のオーディオファンは音像やら音場をいかにリアルに出すか腐心しているのに対してKさん宅のシステムは気配を感じさせる 演奏者ではなく演奏(音)そのものの気配だけを感じる事は稀である それはなるだけ そぎ落としの少ない音源を選び再生しているからのようにも思える。 そぎ落としをすると残された部分が浮いて周りの景色と対峙しコントラストがハッキリする そしてあたかも音像がリアルに浮き出るように聴こえる(見える)。 生演奏はそぎ落としをしない 周りと同化し混濁しそれが本来の自然な在り方、姿でもあると思う

そぎ落としをして見えない音を映像化するのが今のオーディオ、音楽産業の流れで これは更に進んでいくであろう 一つの流れとしてそれはそれで構わないと思っている。ただkさんのようにそぎ落としを拒絶(ちょっと大げさかな?)する感性も片方では存在する こちらも大事であるように思う。

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by kurama66644 | 2018-07-07 08:56 | オーディオ | Comments(2)

大野雄二を聴く

大野雄二と言えばルパン3世を思い出す そうルパン3世の音楽は大野雄二の印象が強いがこの人は れっきとしたジャズピアニストなのである。

ルパン3世は60年代後半の漫画であるがアニメ化されテレビ放映されたのが70年代初頭である。この頃は大人向けのアニメとしていたので視聴率も低かったようだがその後子供向け画風や表現に替え徐々に人気を博したようだ 

キタサン自体 ルパン3世のアニメにはそれほど思い入れはないが(リアルタイムでは見ていた)大野雄二の曲に関しては結構惹かれるものがあった。
その中でも日テレ系で70年代後半に放映されていた「大追跡」のテーマーが印象に残っている。主演は加山雄三、藤竜也、沖雅也、長谷直美、柴田恭兵が扮する5人の刑事 遊撃捜査班の活躍するアクションドラマである ナレーターは森山周一郎であった。藤竜也はこの後 プロハンターやベイシティ刑事などの同系統の路線に進んでいく、柴田恭兵は確かこの番組が連ドラ初出演だったと思う、このメンバーの中で加山雄三が少し浮いていた感じはあった あの若大将のさわやかな印象があったのに強面の刑事役にはマッチしていなかったと今でも思っている(笑) 

この頃は刑事ドラマが多かった そして勧善懲悪が徹底されていたので悪者の配役は見ていてすぐわかった(笑) 八名信夫、阿藤海、川合伸旺、丹古母鬼馬二、片桐竜次…等々名悪役に徹していた こういうアクの強い人ほど普段はまじめで気さくな人が多い 実際会ってみるとそのギャップに驚かされるものである。
火曜の夜9時からの番組で視聴率としては15%平均 当時としては御の字であったと思う テレビ全盛時代で化け物視聴率番組が乱立する中まぁまぁの成績であったがこの番組の続編は無い 元々大都会というこれまた人気番組の間を埋める為に作られた事と配役のスケジュール等が合わなかったのであろう 残念である。
その後放映された大激闘マッドポリスもまた面白く こちらも大野雄二作のテーマーが軽快に展開する。

大野雄二を聴くと言いながら昔の懐かしテレビドラマの解説のようになってしまったが映画音楽「人間の証明」「野生の証明」などの音楽も担当している。

以前お伺いしたジャズ床屋さんでのJBL4343などの大型スピーカーではこの手の音楽は楽しく聴けるはず どうもキタサン宅のアマトールでは消化不良だ(;´・ω・)

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大野雄二が手掛けた名曲が沢山入っているCDベスト盤 買おう買おうと思いながらようやく購入した…(;'∀')

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by kurama66644 | 2018-07-01 08:49 | ジャズ | Comments(2)

歌謡曲とジャズは好きです!


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