<   2018年 03月 ( 8 )   > この月の画像一覧

MJQ

MJQのメンバーはもういない ドラムのコニー・ケイが94年に亡くなった時 事実上MJQは解散した。それまでも解散と結成を繰り返していたがメンバーがいなくなりそれも不可能になった。コニー・ケイが亡くなってからメンバーの一人であるヴァイブのミルト・ジャクソンはカルテットで来日し その演奏を聴きに行った。
演奏が終わってメンバーが引き揚げ たまたま自分も帰り際にミルトと会う事が出来思わず「ナイス タッチ」と声をかけると「ドウモ アリガトウ」と片言の日本語で返してくれた そうして握手をしてもらったのはよい思い出である。ミルトが亡くなったのは99年 最後の演奏を聴いてからだからもう20年以上経つ…

自分の年代、世代がモダンジャズの巨匠、ベテラン、レジェンドなど色々呼ばれ方はあるが直接演奏を聴く事が出来た最後の世代かと思う。80~90年代終わりまで彼らはまだ活動していた もちろん全盛期は過ぎていたがその円熟した演奏は健在であった 自分の家にはオーディオ装置が無かったのでそれならば直接聴いたほうがいいという事で聴きに行くことを主体としていたので本当にラッキーであったと思っている。

MJQの話に戻すがもうひとつのMJQも2回ほど聴いた事がある。それはマンハッタン ジャズ クィンテット そうアルファベットでは同じMJQである。
デビッド・マシューズを中心とした凄腕の5人組である。  今でこそ大ベテランの域でそれこそレジェンドと呼ばれているようだが その結成した当時は まがいもののジャズと自分の中では思っていた。スタジオミュージシャン上がりの演奏とちょっと馬鹿にして聴いていた節がある 綺麗で正確な音、暗さは少ない いやに気取ったジャズだと思っていたが 先日ユーミンのひこうき雲のアルバムとともにこのMJQの84年アルバムを何気に購入した 当時2800円、今売価が500円! 普通の中古だとこういう価格になる これが正当な感覚 それなのに云万円も半世紀前のオリジナル等はしてしまうのは本当に馬鹿げていると改めて思う。
b0323858_09061064.jpg
500円の中古のオリジナル しかしアマトールで聴くそれはとても素晴らしい音楽で感激してしまった。スタンダードのバップ曲はいささかチープな感じで深みはないが幻想の音楽として捉えると感慨深いものがある。確かこの年のスィングジャーナル金賞を取った作品でもあるので納得である ただ不思議な事にモダンジャズカルテット(旧MJQ)での生演奏とレコードではかなり違いがあるのにこの新MJQ(マンハッタン ジャズ クィンテット)では生とレコードの演奏にさほど違いはない。

録音技術が発達したのかそのエンジニアの感性が変わったのか それとも機材のせいかリアルに近いものは多くなってきた。今後益々その傾向は続くであろう 実を言うとその事が良い事であるのかちょっと分からない…なんというか達成感の違い 何でも簡単に手に入りお手軽に出来ると逆にしっぺ返しを食らい大切なものを見落としてしまうような気がしている。

[PR]
by kurama66644 | 2018-03-31 09:42 | ジャズ | Comments(0)

内向きにする

スピーカーの振り角度を意識するなんてオーディオを始めた当初ぐらいであった。一昨年対向法なるスピーカー同士向い合せにするセッティングした時を除けば稀である。

スピーカーの位置は重要というセオリーでいけばこの振り角度も重要であるがキタサン部屋の様な間口の狭い所で細かい事を考えてもしょうがないと無頓着であった。

きっかけはやはりエレクタ・アマトール導入である。Minimaを置いてあった場所、振り角度のまま聴いていたが確かソナスの初期作品は視聴位置手前1mぐらい前に音の焦点が交差するような角度で置くと弦楽器の音が甘美に聴こえる云々と聞いた事がある。それまでスピーカーの角度は平行より若干内向きにするぐらいでかなり適当であった。
それを今回かなり内向きに変えてみた ハッキリ言うと内向きでも外向きでも「音楽」が聴こえてくれば善しで音は二の次である ただここはバイオリンの音、音色を意識して聴いてみたい きわめてオーディオ的アプローチである。 冒頭にも書いたがこの角度を変える試みはオーディオを始めた頃は結構行っていた 結局自分の駄耳ではよく分からなかったし特定の楽器の音のみ集中して聴くなんてことはそもそも無かった。

オフ会などでクラッシックはよくかかり聴いていたが皆とても美しく鳴らす…家じゃこんなきれいに鳴らせない というかバイオリンやチェロの鳴りに余り興味が無かったので意識しなかっただけかも? ともかくバイオリンの音源をいくつか聴いてみた。
b0323858_08093909.jpg
中には関係ないアルバムもあるが…ギターの音色も同じ弦楽器だし。

ソナスのSPの音色は柔かいとよくいうがこのアマトールは結構硬質な音色がする。アマトールだけではなくMinimaもそうだがソナスの初期作品は硬質でありクレモナ以降の中期作品以降が柔らかくなってきた。それにしても濃い音だ!アンプが真空管ではないがとても豊かな音の粒のようである そしてなにより美しい。
特にムターのバイオリンの音は麻薬的に感じる とても危険である(笑)

ところで内向きの話はどうなったの? もう内向きでも外向きでも関係なし!そういうオーディオ的試みはこの音色を聴くと全く無意味に感じる。



[PR]
by kurama66644 | 2018-03-28 08:51 | クラッシック | Comments(2)

寝釈迦の音楽

キタサンは布団部屋では床で寝ころがりながら音楽を聴く

この布団部屋は音響的に余り好ましくなくオーディオ機器は置いているがそれまで余り音楽は聴かないでいた。
今年に入り使用頻度が低いオーディオ機器類を寄せ集めデスクトップオーディオなるものを始め そして最近ではエレクター・アマトールのスピーカー、QUADのCDプレーヤー等購入するなどオーディオ環境に変化が起きている。

オーディオを知ってちょうど11年目だが一昨年のQUADのアンプとソナスのMinimaに機器類を変えた辺りからこの趣味に対する自分のスタンスが分かったような気がする。
学生時代からラジオやラジカセ、ミニコンポで音楽は寝転んで聴いていた…その時は音ではなく音楽が聴こえていたと思う。オーディオを知ってからは装置を気に掛けるようになり部屋を気にする 出てくる音がどんな響きであるか気にする…特にオフ会を行うようになってから周りの影響が大きくなったようだ。(オフ会そのものは別に悪くはない)その影響を断ち切ったのが引っ越してきたこの布団部屋であり装置ではQUADのアンプやMinimaなど今まででは購入するなど思いもつかなかった機器類である。

以前オフ会で訪問したお宅でメインで使用しているオーディオより4畳半の広さで聴くミニコンポ?(スピーカーは小型でも10万位はする優れ物だったが)の方が自分には合っていて心に触れる音楽を鳴らしていると感じた事がある そこでも他人の家ながら失礼にも寝転がって聴いてしまった(笑)
装置も視聴環境もセッティング等も複雑にすればするほど(凝れば凝るほど)難しくなってくる。 それではシンプルイズベストなのだろうか? オーディオの趣味に関してはその複雑なパズルをひも解くその過程と結果が面白いのだと思う 現にそういう方は周りに沢山いる とても楽しそうだ。そこに音楽はあるのかどうかは又別の話 個人的には音楽があっても無くても構わないと思っている 自分は音楽を聴くのに複雑な思考を持ちたくないし高額な機器や作られた部屋も必要ない ただ複雑なパズルをひも解き日々悩みながら格闘しているオーディオファンの方をみるとそれだけでもオーディオの趣味は成り立つし心の充足はあると思っている。

アマトールを導入してMinimaはその傍らに置き時々交換して聴いている そしてMinima専用台として作ったスピーカースタンドを布団部屋に持って行きBONSAIスピーカーをそこに設置スタンド自体背が低くBONSAIスピーカーも小さいのでちょうど寝転んで聴くのに適度な高さだ。
安い真空管アンプと壊れかけたCDプレーヤー、昔のオートチェンジャーアナログプレーヤーでフルレンジ10cmのスピーカーを鳴らす
ゴロンと横になり右手で頭を支え寝ながら聴く姿は寝釈迦に似てなくもないが(-_-;)自分が音楽を聴く原風景でもある。そういえば足裏がムズムズしてきた…寝釈迦の足裏に描かれている宇宙観の文様がうずいたか?と思いきや単なる水虫であった…
b0323858_08143716.jpg


[PR]
by kurama66644 | 2018-03-25 08:20 | Comments(2)

ひこうき雲

先週久しぶりの土曜日休みに3月いっぱいで閉店してしまう神保町の「いもや」に向かった。  ランチタイムを外し混まない時間帯を選んだのだが驚いた事に長蛇の列…
水道橋から歩き まずはとんかつの「いもや」でかって見た事のない行列に遭遇… こりゃアカンと思いもう少し先の天丼「いもや」に向かうと とんかつ以上に長蛇の列(^_^;)さすが60年近くの歴史に幕を下ろすだけあり最後の「いもや」の味を味わいたいと思う人は沢山いるわけである。
半チャンラーメンのさぶちゃんも閉店し神保町の庶民派のお店がどんどん無くなっていき寂しいものだ。 それでも長い歴史に幕を下ろさないで頑張っている大衆店もある 結局いもやは諦め靖国通り一つ裏にあるラーメン「伊峡」へ行って来た。

実はキタサンこの伊峡は初めての訪問(^_^;) 学生時代から何度か行く機会はあったが又 この次でいいやと思い30年以上経ってしまった(笑) この伊峡も創業50年以上は経つカウンターだけの小さなお店 ラーメン430円なんて他にある?(チェーン店は別として) 半チャンラーメンで630円と大衆的 15時ぐらいに店に入ると誰もいない 店主がアーッやってるからどうぞと引き返すそぶりをみせたキタサンを止めそのままカウンターに着席 半チャンラーメンを頼むとアッという間に出来上がり ラーメンは昔ながらのシナそばといった感じ 小さなメンマ3切れとこれまた小ぶりなチャーシューが1つ ノリが1枚、シンプルである。半チャンのチャーハンも濃い味付けはなくあっさりとしたパラパラチャーハン つまみがあと1つぐらいあればビールが飲みたくなる(笑) 今の凝ったラーメン屋とは一線を画く潔さ 神保町の大衆店の火を消さないでくれよ~!と願いながら靖国通り沿いのユニオンに向かう ちょうど年度末セールを行っていて10%offとの事 アマトールを導入してからクラッシックをやたら聴きたくなる クラッシックのCDを8枚ほどとジャズCD2枚、J-POPアナログとジャズを1枚づつ購入 合計8000円との事 ジャズのちょっとした(有名盤など)オリジナルはこれでは全く買えない…この4年ほど無理をして随分散財したものである 金銭に余裕のある人ならいざしらず馬鹿な事をしたものだ

3月中旬 桜のつぼみが膨らみようやく春が訪れようとしていたがあいにくこの日は冬の気温に逆戻り 三寒四温というやつだ ただ天気が良かったので神保町の駅から水道橋までテクテク歩く 自分の知っている店は殆ど無くなったなぁと考えているともう水道橋 ついでに春日駅まで歩いてしまえと白山通りをひたすら歩く 昔はよく歩いて巣鴨近辺まで歩いた 歩くのは苦でなかったが今は年齢とともに歩く速度も遅くなり多少は苦になってきた。 春日には後楽園があり今は東京ドームシティとなっている 春日方面までくるとそばに東京大学がある 仕事で週一東大にはよく通っていた。東大に行った帰りは決まって右肩が重くなる そこで帰り道近くに小さな神社がありそこでお参りするようになるとこの肩の重みも軽くなった もう10年前の事である(笑) 春日駅に着き地下鉄の入り口を降りようとした時 ふと空を見ると ひこうき雲が真っ青な空のなか太筆の筆跡で描いた如く見事に現れていた。

その日購入したレコードの1枚がこちらである。
b0323858_17160566.jpg
状態の良い盤でありエサ箱の中で捨てられるように置いてあった ちょうど当時の定価と同じプライスの値札がついていたオリジナルなのだろう 持っていたようで持っていなかったアルバム 今 アマトールで聴いている 先ほど見たひこうき雲のように太い筆跡のような音で。

[PR]
by kurama66644 | 2018-03-21 09:36 | 歌謡曲 | Comments(8)

空間を揺らすスピーカー

昔通っていたジャズ喫茶でその音圧に圧倒され部屋の空気を揺るがす?ような感覚を覚える事は度々あった。最近のジャズ喫茶は(ジャズ喫茶そのものを見かけなくなってきたが…)BGM的に静かにかかっている事が多い これも時代の変化なのだろう。オーディオと知り合ってまだ年数は少ないがオフ会などで他の人の音を聴くケースもある、総じて爆音派の人は少なかった 音場が綺麗に出 そこに奏者が演奏しているかのような音像のようなものが現れるなどかなり音場や定位に拘りをみせている様子がうかがえる。

オーディオの音は幻想だと常日頃から思っている。生の音ではない作られた音である 録音された時の音は生からだがそれ以降はどうしても作り物になってしまう。
音場や音像をリアルに出すのが究極のような風潮があり もちろんそれには異議はないし そんなリアルに出るのならは楽しくワクワクしてしまうのかもしれない。

エレクタ・アマトールの第一声を聴いた時 「空間」が揺れる感覚を覚えた。それは大きな音を出して音圧で「空気」が揺れるという感じではない。
音像なんてハッキリしない 演奏者がそこにいるような感覚もしない 包み込むようなフワーッとした感じでもない 空間が揺らいで何となくそこから音楽が流れてくる…
今まで聴いた事がない感触である。「音場がスピーカー間に広がり奏者がリアルに演奏している風に聴こえる」 そういうオーディオが素晴らしいものだとしたらこのスピーカーは落第である。

このスピーカーはオーディオの音が幻想である事を分かっている。そこで敢えて幻想的な幻のような音を出す アブストラクトな音と言ってもよいだろう。
作者のフランコ・セルブリンも出来上がった作品(スピーカー)の音を聴いて困惑したと思う とんでもない物を造ってしまったと…
エレクタ・アマトールの次に世に送り出したMinimaはごく普通のスピーカーでこのアマトールを聴いた後だと ある種ホッとする。その明るい音色はイタリアの風土を思い起こす 狭い部屋だけではなくある程度の広さがあるリビングでも浪々と鳴りその筐体から考えられないほど低音もでる 音楽性のあるとても優秀なスピーカーである。そのMinimaを更に洗練させたのがリファレンスとして発表されたガルネリ・オマージュだ。

実はアマトールを購入する時 この最高峰のガルネリ・オマージュも選択肢にあった。ちょうど良い出物がありアマトールとどちらにしようか迷った。
価格的にはガルネリがアマトールより数段高価だったがかなりの値ごろ感はあったものの結局アマトールに決めた。
b0323858_18212185.jpg

アマトールはどんな音楽もその中の情念を音として再生させる作為的なスピーカーである 性能的には現代の高精細なスピーカーには敵わない 低音もかなり出るとはいえ甘さと緩さが目立つ  悪い言い方をすると締りのない低音である。特にキタサン部屋の狭い空間だとボンつきが時々発生し聴感上不快な時もある そういう時は普通の感覚として何とかしようと試みるし 今までもそうしていた しかし今このスピーカーから鳴る音楽を聴いているとそんな事はどうでもよいと感ずる。
Minimaで聴いていた時CDの音は少しきつめに感じていた アナログライクに鳴るCDプレーヤーであったがそこはやはり本当のアナログに敵わない。アマトールで聴くCDもレコードもアマトールの音に毒されてしまいアマトールの音色に変わってしまう。あれほどアナログオリジナルの音に魅了され(今でも変わらないが…)ていたが選ぶ音源、ソースはアマトール色に染まってしまう このスピーカーを所有する限りもうアナログのオリジナルには拘らなくなってしまうような気がするし そうなりつつある。

空間を揺らし別世界に連れていかれる様な不思議な感覚を覚える唯一無二のスピーカー「エレクタ・アマトール」愛着を覚えるどころか恐ろしいスピーカーである。
故にMinimaは正常心を保つ為傍らに置き時々聴くようにしている…異空間に放たれ戻ってこられないそんな状況にならないようなストッパー的な存在でもある。


[PR]
by kurama66644 | 2018-03-18 09:23 | オーディオ | Comments(0)

CDプレーヤーの不調

現在CDプレーヤーはDENONのDCD-755Ⅱという機種を使っている。これはDENONで確か最後のマルチビット機であった記憶がある。
このプレーヤーを手に入れたのは2年前で もちろん中古ではあった、普及帯価格の安いもの(実売2~3万位)でオフ会等色々行かせてもらったがこれほど安い機種を使っているお宅は無かった(笑)。
これをサブで使う人はいてもキタサンのようにメインで使うようなオーディオを趣味としている方はほぼいないと思う。
この機種を選んだのはマルチビット機であるという事ともうひとつ改良がくわえられていた事である 改良と言うかチューンナップといったほうがよいかもしれない。
特にクロックを変えたとか中のメカを最新鋭のものに変えたとかではなく ある技術者の方に手を加えてもらった。その技術者の方は長年CDプレーヤーの開発に従事されていた方で曰く「最近の機種は素材を重視し見せかけのコストをかけ過ぎている」と話されていた。素材の特性を生かすのも大切だがまだ先にやる事があるということである。

まぁそんな事で手に入れたプレーヤーだがアナログライクに調教されデジタルっぽい嫌な音はしなく高品位なプレーヤーとして蘇っている ただし筐体等は変わりないので天板など叩くと安っぽい音はするし年数も経っているので見た目はやぼったい 外身重視のオーディオやブランド志向の方は敬遠されるであろう。

そのプレーヤーだが最近読み込みが悪くなった…特に1曲目を読み込めないCDが多い ピックアップの交換が必要なのかもしれない。 以前だとアナログがメインであったのでだましだまし使っていたが最近では購入したエレクタ・アマトールがソフト(アナログやCD等)関係なしに麻薬的な音を聴かせてくれるので利便性の高いCDを使う事も多くなった。

修理でも構わないのだが昔からCDプレーヤーは国産のものしか使用しておらず海外のものに少し興味を持っていた。オーディオ仲間からは海外製はメンテナンス等不自由があり性能の割には高額なものが多いと聞いていた キタサンはCDプレーヤーでは高額なものには食指が動かないので出来るだけ音楽性の高い物がないか探していた。
そこである製品との出会いがあった。
キタサンもアンプで使用しているQUADである QUADのCDプレーヤーって目立たない存在である。アンプもそうだが物量が予算の中で限られているその中で音楽性の高い製品を普及帯価格で提供するその理念は共感するものがある。

b0323858_08403287.jpg
QUAD66CD 発売時期は89年 CDの普及が加速的に進んでいった時期であるがまだアナログの良さが忘れられないオーディオファイルも多かったアナログとデジタルの端境期の作品である。 名機スチューダA730と同じマルチビットDACを使用 更にこちらはQUADらしい暖かみのある太い音がする 最新鋭のCDプレーヤーには性能的には敵わないかもしれないが味のある名品だと感じる。

スィングアームCDM4を採用し実にアナログチックな音楽を再生してくれる 今までDENONの改造機を使っていたが読み込みエラーが多発しイライラしていたがこれで安心してCD再生が出来そうである。

ところでこのCD66プレーヤー中古でありながらかなりの美品である それなのに格安で手に入れる事が出来た それには訳がある。まず付属の電源ケーブルが付いていない…更にはリモコンが無いのである… 電源ケーブルは市販品でいくらでも代替えがきくが問題はリモコンである 本体には元電源とトレーの開閉ボタンしかなくあとは全てリモコン操作 そこで手に入れたのがこちら
b0323858_08404339.jpg
マランツのオモチャの様なリモコン(笑) 一応これでトレーの開閉、再生、停止、曲送り、曲の選択など基本的な操作は出来た ただし一時停止したあとの再生が出来ない(^_^;) 結局その曲を選び直し再生という2度手間がかかってしまうがまぁこの辺は仕方がない。

トーレンスTD124のアナログプレーヤーもそうだがCDプレーヤーは軒並み高額品となっている 手間暇、人件費、作る側のその他のマージンがかかっているとは思うが庶民が買う感覚とかけ離れすぎているようにも思う 1台が何十万、何百万としているプレーヤーをみると羨ましいというよりか購買意欲は逆に無くなってしまう。

[PR]
by kurama66644 | 2018-03-17 09:56 | オーディオ | Comments(0)

大きくなったMinima

小柄ながらセンシティブな魅力で明るい音を出すMinima 90年に発売されてから30年近く経つがその魅力は衰えない。

ジャズを聴くのにMinima?と訝しい目で見られるが…聴けば分かる!オレンジ色の明るい音色がとても気持ち良い。
その小さな筐体からは意外なほど低音も出 躍動感あふれる鳴りっぷり ソナスのスピーカーと言えば弦楽器や声楽の再生が得意でクラッシック愛好家が主に所有する傾向があるがクラッシックというよりアコーステックな楽器等の再生にシックリくる だからジャンルは実はそれほど関係ない。

物理的特性の優れているスピーカーが多い昨今は音質を正確に伝える高品位なものも多いがソナスの創業者フランコ・セルブリンは演奏者の情念をスピーカーという楽器に伝えたのだと思う その一つがMinima(オリジナル)である事は間違いない。


この小さな筐体…
b0323858_08542454.jpg

「あれ? 奥行きが大きくなったような」

b0323858_08543855.jpg
足元が大理石?

b0323858_08544801.jpg
確かにソナスの作品なのだが このフロントはMimimaとは少し違う


b0323858_08550189.jpg
お気づきの方もおられると思うがこれは「エレクタ・アマトール」である。
フランコ・セルブリンがMinimaを出した90年その2年前88年 当時のソナスの戦略的モデルでフランコの処女作品でもある。
ワシントン条約で禁輸措置がされ今では手に入れる事が出来ないブラジリアンローズウッドのハカランダ材をエンクロージャーに使い 採算度外視のユニット フロントには反響防止の本革を使うなど大変手の込んだフル・ハンドメイドで作られている。

Minimaのカラッとした明るい音色とは対極の深い 心をえぐる様な音色 豊かで広大な低音の響 部類としては小型スピーカーの範疇だが大型スピーカーを彷彿させる広がりをみせる。しかしながら誇張した感じはしない 久しぶりにオーディオで驚いた…。

難点はキタサン宅が狭いのでこのスピーカーはもったいない事か…ハハハッ(^_^;)

色々遊べそうである。



[PR]
by kurama66644 | 2018-03-11 09:05 | オーディオ | Comments(6)

いもや

「2018年3月末をもって閉店」自分の中ではかなりショックであった。

オーディオやジャズとは全く関係のない話だが神保町にある飲食店「いもや」の閉店のお知らせにである。
いもやはこの界隈で営業しているとんかつ、天丼、てんぷら定食などを提供している老舗のお店である とんかつのお店、天丼のお店などでそれぞれ単品の料理を提供する。ここはチェーン店ではないが複数のお店を展開して2006年辺りから幾つかの店舗が閉店したとうわさでは聞いていた そうして今回 白山通りのとんかつのお店と天丼のお店(最後のお店?)が閉まってしまうということだ。

聞くところによると昭和34年頃から営業して早60年近く経つようだ キタサンは学生時代 この近くでバイトしていた事もあり そしてこの沿線に住んでいたのでとんかつのお店も天丼のお店もよく行った。当時はとんかつ定食が450円でおしんこを付けてちょうど500円の記憶がある、そして天丼の方も同じ値段(ひょっとすると500円だったかも?)であった。社会人になっても時々食べにいっていたが価格は変わらずだった ここ10年ほどで少し値上がりしたようだがそれでも庶民的な価格には変わりない。

今の若い人にとってとんかつや天丼など普通の食べ物?だと思うが(銀座など老舗のお店で出るものは別として)自分の学生時代とんかつや天丼など夢の様なご馳走であった。
自炊生活が普通であったがたまに天丼やとんかつのボリュームのあるものが欲しくなる時がある そういう時にはなけなしのお金で「いもや」に行ってガツガツ食べた思い出がある
当時のとんかつ定食はおかわり自由であった ただしご飯粒もきれいに食べないとおかわりをもらえない 米粒一つも大事にしないと生産者の人に申し訳ないという店主の気持ちからだと思うが腹ペコの貧乏学生にはとてもありがたいお店であった。

家の米が無くなりお金も無く バイト代が入るまであと3日あるという時に無性に「いもや」のとんかつ定食が食べたくなった時があった。友人もお金が無いのは知っていたので借りられないし どうしようと一案して高校時代までコインと切手を少し集めておりそれの存在を思い出した がまんしきれなくなり神田のコイン売買のお店に行き換金してもらい その足でいもやのとんかつのお店と天丼のお店2軒 はしごしてたらふく食べた その味は今でも忘れない。

偶然かもしれないが今 学生時代と社会人になって1~2年の間住んでいた街に6年前に又 戻ってきている。神保町界隈は書店やユニオンが近くにあるのでよく行くがこの所いもやは素通り状態であった 閉店する前に食べに行こうと思うが…味は昔とさほど変わらなく美味しいと思う しかしいつも腹をすかしてなけなしのお金でようやく食べる事が出来たあの時の心の充足感まで味わえないような気がする。

b0323858_09472723.jpg
このアルバムは有名盤だが未だオリジナルはおろかレコードすら持っていない。CDは90年代に購入したが最初に聴いたのはダビングしてもらいカセットで聴いた その時分はラジカセしか持っていなかったのでそれでしか聴けなかった AIWAのラジカセだったと思うが寝転んでよく聴いていたのを思い出す。
自分にとってマイルスのラウンド・アバウト・ミッド・ナイトとともにオリジナルより当時のラジカセの音の方が心にくるアルバムである。(CDも意外と悪くない)


[PR]
by kurama66644 | 2018-03-01 09:53 | Comments(4)

ジャズは好きです!


by キタサン
プロフィールを見る
画像一覧