カテゴリ:オーディオ( 330 )

素のMinimaとアマトール

宙に浮かぶMinimaを聴いて1週間経つ スピーカー本来の素の状態に近い音を聴き色々な意味で感心している。
改めてMinimaのポテンシャルの高さが分かったようで当時スペック価格面で倍近くあったモニターオーディオPL-100から切り替えた事は間違えていなかった。
もちろんPL-100が悪いわけではない スピーカーの個性は様々で本人にとってその当時の音楽、オーディオに対する感じ方捉え方で機器の入れ替えはあると思っている かたくなに機器を変えないで追及していくのも一つの道でそういう方も沢山いる それはそれで結構であると思っている。

サイドプレススタンドという鉄製の華奢なスピーカースタンドは今までの常識と真逆な思想で作られている すなわちスタンド自体は何も仕事をしない いかに脇役に徹しられるかが勝負 それに対して従来のスタンドはそれ自体が主張しすぎていた 素材や構造に凝り主役と共に存在しようと目立っている そういう意味で本来のスピーカーの実力にスタンドの実力が相まって良くなったり逆に悪くなったりし スピーカーの素の音は殆ど聴いていなかったのだと思う。

ここでいったん宙に浮かぶMinimaを横に置き従来の専用スタンド+アマトールを設置してみた
b0323858_09472403.jpg
同じ部屋に2組置くのはこの狭い部屋がより狭くなる…専用部屋ではない普通の生活する部屋なのでどちらか撤去しなくてはいけないなぁと考えながらいくつかCDを視聴 専用スタンドも今までは一番低い高さにしていたが公正を期すため高さ調整しサイドプレスと同じ高さにスピーカーユニットがくるようにした。
リファレンスの音源は以前は色々あったが余り神経質に調整してもしょうがないと思い 今では特にないがヨーロッパの録音でボーカールのライブ盤あたり会場の拍手によるホールの響きや歌手の歌声と伴奏楽器の調和等 対比できるのではと思いこのリタ・ライスのライブ盤をかけてみた。
b0323858_09471286.jpg
宙に浮かぶMinimaで聴くこのCDは会場での拍手の広がりが大きく響き臨場感は以前より増すようになった ギターやドラムの音も鮮明になり位置関係がハッキリ分かる これが定位がいいという事なのだろう リタ・ライスの口元もけして大きくならずピンポイントで歌いかけてくる。
次にアマトールに専用スタンドを使って同じCDを同じボリュームで聴く、意外と変わらない…低域が膨らむようだ いわゆる低音の量が多いという事だろうか?そもそもウーファーの大きさが違っているので量は多くなる むしろMinimaの小さな筐体、ウーファーでアマトールと質は少し変わるが同程度の低域が出る事自体凄い事である。
あと音の広がりも宙に浮かぶMinimaの方が広がるようだ そして大きな違いは全体的な ざわつき感がアマトールの方にはある これはS/Nが圧倒的に宙に浮かぶMinimaの方が優れている いや優れているというよりこれはがスタンドに起因する音の濁りのようなものかと思う。ただしアマトール自体素晴らしいスピーカーでその音の存在感は相当のものだと思う Minimaと価格差で3倍違うしブックシェルフとはいえMinimaより2回りぐらい大きい、フランコ・セルブリンもこの大理石をベースにしたスタンドも込みでアマトールの音決めをしていたので「アマトールの音」=専用スタンドの音と一体になったのが本来の音として認知され称賛を得てきたのだと思う。

Minimaはアマトールが発売されてから2年後に同じくフランコ・セルブリンが手掛けた名機でもあるがフランコ・セルブリンの情念がのり移ったアマトールとは違い広く一般大衆に使ってもらえる普及機の位置づけであったのだと思っている その為 数値的なポテンシャルではアマトールに大きく水をあけられているが実は使い方によってアマトールに匹敵する作品である事が今回のサイドプレスを使用し分かった。

素のMinimaの音を知ったことでMinimaの優秀さを改めて知り更にはアマトールの存在感の大きさも知る事が出来た 今回スピーカースタンドそしてスピーカー自体の比較論的なものになったが どちらも特徴があり差ではなく違いという範疇で捉えればそれを選ぶのも好みという事になる  それよりもやはり音源、録音の違いでこうも音楽の表現、視聴する側の感じ方が違ってくることの方が重要であるように思う。 S/Nの良さ、音の広がり、低域の沈み方、定位の良さなどやり方、工夫により調整は出来るし それを追求していくのがオーディオマニアなのだろうが…普通の部屋、普通の装置で聴く分には音源のセレクトの方が大事なような気もする。

オーディオを詰めていくと色々な事にシビアになってくる ちょっとしたことでも違いが分かってくる(自分は分からないが…) こうなったらあーする、こうすると日々変化せざる負えない オーディオコミュなどを見ているとなるほどというのも分かってきた ただその行為が面白いと思う人もいるが敏感になりすぎ音楽より より良い音を出し満足するために色々な反応をせざる負えない状況になっていくのは際限がない事だと個人的には思っている。何気にサイドプレススタンドなんてマニアックなものを導入したのも程々にしないと際限なく進んでしまう その戒めだったのかとフッと思ってしまう。


by kurama66644 | 2019-01-19 11:37 | オーディオ | Comments(0)

オーディオ機器の音

今更ながらこういう記事を書くのも恥ずかしいが…「これは何々(アンプやスピーカー)の音」「この素材の音が乗るから音が変わる」「これが原因で正しい音が出ていない」等々オーディオ評論や関連記事、ブログなどでよく聞く話である。今でもそうだがこれらの事がキタサンにはよく分からない…オーディオ機器は単体として音の発生源ではないからである 電気を通しアンプやプレーヤーなど複数の機器を介して始めてスピーカーから音が発生する アンプをひとつ置き外回りをコンコン叩けば素材の音の違いは分かる スピーカーなんかは木材を使っている事もありその違いはキタサンのような素人でも分かりやすい それは叩くという動的作用を起こした時そのもの自体が発生源として鳴っているから分かるのである。

アンプを変えた、CDPを変えた、アナログプレーヤーを変えた そして音は変わった…よくある話である キタサンも頻繁に(;^ω^)機器を変えるからそう思う事もしばしばであるが果たして原因はその機器を変えたからなのかといつも思っている。ちょっとした配置の違い、使っている機器との相性 極端な話 自分の体調具合など別の事の方が大いに影響している可能性もある。

以前使っていたオーディオデザインのアンプの社長さんへよくある質問として「お宅のアンプはどういう音がするの?」という問い合わせがあるらしい そこでの回答は「お使いのCDやレコードの音がします」という事で(笑) すごく的を得た回答だと思う。
結局は同一条件で色々なものと絶対比較をしない限り分からないように思う 凝ったオーディオマニアはそういう事もしているかもしれないが一般オーディオファンはそこまで出来る環境や資金的な余裕はないと思う そして面倒な事に先ほども触れたが個々の体調具合や聴く耳の熟練度にもより違う風に聴こえたりすることもある そうなると絶対条件といえども結果は違う事になりかねない…

そもそもオーディオ機器メーカーは他社製品との比較は当然行っているはず? それは限りなく同一条件下で行っている そうしないと自社製品の特長が出ない(分からない)装備の豪華さや部品の優劣などの違いより最終的には音で判断されるので違いはあって当たり前 その違いの差を確かめたいのがオーディオマニアのサガなのである。

オフ会を余りやらなくなったのはその違いの差に執着し比較対象されるのが苦痛になってきたからでもある。特に部屋自慢、機器自慢、設備自慢、音自慢されるお宅には極力行かないようにしている 一見そういう素振りを見せない方でもその雰囲気や気配等で分かってしまう その辺は伊達に歳を重ねてきたわけではない(笑) 別に立派な機器やご自宅をお持ちの方が全てそうではない  これは前にも書いた育ちの違いやその人の生き方の違いによるところも多々あると思っている。
なるべく機器好きより音楽好きな方と交流していきたいがあまりにも嗜好が違う方だと音楽好きでも馬が合わないかもしれない…
「差」ではなく「違い」と割り切ってしまえば済むことなのだが人はどうしても「差」の方をみてしまい優劣を競う その優越感が強まると「執念」に変わってくる。一見 努力、頑張りに見えるがそれは執念深さから来るもので余り健全と言えないような気がする。
「大体こんなもの」とアバウトなやり方では許してもらえないのがキタサンが感じたオーディオの世界、これはこうだ!と物事をイコール(=)で考える人も意外と多いのがオーディオの世界 そのイコールの思想を上手く利用しようとする業界がオーディオの世界… こんなことを言っては身も蓋もないが だからこそ普通のオーディオをしたくなった。個人が、家族がくつろげる普通の部屋で普通の機器を使い心地よく聴くそういうオーディオの世界とは付き合っていきたいと思っている

b0323858_10244758.jpg
最近よく聴いているバッハの平均律 クラヴィーア曲集 何?キタサンらしくない…普通のシステムにして がぜんクラシックを聴くことが多くなった。
クリーク社のアンプとCDPで鳴るピアノの響きが美しい ジャズの美しさとも違い えらく感心している 単体では分からないオーディオ機器の音 しかし現在の普通のシステムで聴く音楽は今までになく美しく感じる。

by kurama66644 | 2019-01-14 10:15 | オーディオ | Comments(2)

宙に浮かぶスピーカー

最近は音楽を楽しく、面白く聴くと言うより心地よく聴きたいと思うようになってきた 歳のせいなのか普通のシステムにしてから力が抜けたのか自分でもよく分からない。

監督や演出家でもあるアンプとプレーヤーを英国のクリーク製にしてから役者であるスピーカーの立ち位置(演技)が変わったと前にブログで書いたhttps://andokan.exblog.jp/29061184/  演技をする場所がこんな狭い所では申し訳ないと思いつつ布団部屋には音響機器は置きたくないし他に部屋も無し、別の場所に引っ越す事も当面は無いので それならば素の演技が出来るように環境を整えるのもオーナーであるキタサンの責任 このようなものを導入した。

b0323858_10103663.jpg
そうスピーカースタンドである。小型ブックシェルフには必須のアイテムで FAPSさんから発売されているサイドプレススタンドである。
従来の剛性が高く音の濁りの元凶であるスピーカーからの振動を抑えるものとは真逆の作りである。このサイドプレススタンドは華奢な鉄製のフレームを使っておりモロにフレーム自体が響く(鳴く) そして天板が無くサイドでスピーカーを押さえ底面は1本のスパイクの先端で支えるだけのものである こちらの製品はキタサンが参加しているオーディコミュでも使っている人が何人かいて実際聴いてみたこともある 特徴としてスタンドの天板を無くしほぼ宙に浮かんだ形態をとる為 本来のスピーカーの素の音が聴け音場が広がる傾向にある 付帯音が減るので一聴すると音が小さくなった、低域のボリュームが減った そんな感想を持ってしまうが実はそれが今まで聴いていたスタンドの影響からきている事が分かる。

このスタンドを導入された方が皆 従来より音量を上げる方向に行く 普通だとうるさく感じてしまうのがうるささはなく音場が広がり包み込むようなサウンドを感じるはず 逆にボリュームを小さくした場合小型スピーカーの点音源的なスポットライトを照射するような感じになり音場感は減少する。

苦心して(;´・ω・)水平その他調整しながら組み上げ最初にジャズのアルバムを聴いた時 実はかなり落ち込んだ(笑) 昔の録音で一応ステレオ録音なのだが音がスピーカーからポツ、ポツと出てスピーカーに音が張り付くそして音の塊が出ない なんじゃこれ?と思った この時音量は今まで聴いていたスタンドの時と同じである。気を取り直して今度はボーカルを聴くと大型スピーカーから出るような等身大のボーカルが出て驚いた…更にはクラシックを聴くとバイオリンやピアノの余韻がそして弾くニュアンスが今まで以上によく分かりこれまた驚き(笑) そうこの時点で音量を大きくしたのである 今までだと部屋の広さも考え音量自体は大きくできたが飽和しかねないので適正な音量で聴いていたのだが このスタンドを使用してその適正音量の目盛りが大きくなった しかし飽和しないで音場は広がるのである。あとこのスタンドは従来のスタンドより10~15cm高くなっている その辺りもある程度の音場の広がりがないと変に高い位置からポツンポツンと音が聴こえてき違和感を覚えてしまう、先ほど一番最初に聴いたジャズアルバムは音源を左右に振っておりソロ演奏が多かったせいもある もう一度音量を上げて聴くと上手く音場の中に単一の音がブレンドされ最初に聴いた印象とは違う感じになってきた。

購入された方の評判が良いのもうなずける 今まで聞こえなかった音やニュアンスも感じる事が出来るし狭い部屋でも広いステージが手に入るという文言も伊達ではない事が分かる オーディオマニアや音楽好きな方からは好評であろう…。ここで困ったことが起きた!スピーカーの素の音が聴くことが出来ると色々アンプやCDPによる違いも聴きたくなってきた…クリークとクォードで感じた違いなど本当にそうだったのかとかCDPを3台所有しているバカ者であるがそれぞれの音そしてアンプを変えた時の違いなど うーんマニアさながらになってしまう((;´・ω・) 結局何かが良くなったりするとさらに良くなるのでは と欲が出てくる。本当は普通のシステムでは付帯音だらけの多少ノイズが入った音でも構わない 使用しているMinimaやアマトールの専用台は大理石、天然木、鉄の複合されたスタンドだがスピーカーを脚色した音色にわざとするように作られている 音場は狭いけどこれはこれで十分いいと思っている。※取りあえず従来の専用スタンドは布団部屋に撤去したが移動は簡単なのでいつでも交換して聴く事が出来る

この宙に浮かぶスタンドはスパイクや台座受けの長さで色々チューニング出来るらしい、FAPSの志賀さんに組み上げたスタンドと現状の視聴環境の写真をメールしたら的確なアドバイスを色々いただいた 久しぶりにオーディオマニアっぽい事をやりそれも中々楽しいものである こ慣れてきたら又 感想など書いてみようかな それと今回Minimaを試したが重量20kgまで対応可能という事でアマトールもその範疇に入っている アマトールの素の音も聴いてみたいので機会があれば試してみようと思っている。

なに?普通のシステムが段々特殊なシステムになっているだと?まぁオーディオ機器本体の価格が普通という事で…勘弁してください。


by kurama66644 | 2019-01-13 10:20 | オーディオ | Comments(0)

演出と脚本

4年前 トーレンスTD-124を購入した時 プレーヤーは演出家であるとブログで書いたことがある https://andokan.exblog.jp/24290424/
その他 アンプは監督、スピーカーは俳優などと書いた 我ながら上手い例えだと思う(笑) 自画自賛であるが(-_-;)

アナログプレーヤーは細かい調整箇所が沢山あり 確かカートリッジは脚本などとも書いた そうするとCDプレーヤーは演出と脚本同時に行う事になるわけだが分業化するためには複数台必要というのは正しい気がする 現実問題場所もとるしCDプレーヤーを演出家と思う概念も普通はないだろうからそんなことをする人もいない。
外国製品が面白いと思うのは(全てではないが)この演出の部分が優れているからだと思う。昨年11月から監督であるアンプと演出家であるCDプレーヤーを英国クリーク製に変えたことによりスピーカーである俳優の立ち位置も変わった 原作であるレコードなりCDが監督の好みとする題材を使う事が多くなったので当然である 今までは原作に忠実に熱く演じろと指示していたのが力を抜き優しく演じろと指示が変わったので俳優も最初困惑していただろう しかし優秀な俳優は監督の指示に答えるだけの器があり難なくこなしてしまう。

劇場規模を小ホールに限定しての演出なのでそれに合わせた俳優の声量、動きを指示する 原作にはない演出脚本を描いてくれる演出家(CDプレーヤー)の作品は観る人をわくわくさせてくれる。 アンプが悪いから、性能が低いから 安物だから云々と上手く再生出来ない時 機器のせいにしがちであるが壊れていない限り機器類が悪いわけではないオーディオは総合力で決まるのでその組み合わせ一つで大きく表情が変わってくる その辺りを分からせてくれたのが今回使用している一連のクリーク製品なのである。

音楽を聴くのにアクセサリーや部屋、電源など副次的なものにしかすぎない 今ある普通の部屋、環境を舞台と置き換えてどういう演出、演技を見せてくれるか楽しんでいればいいと思っている。

オーディオの世界で部屋や電源はマストの存在らしい 初心者やよく知らない人はそれに感化され何とかしようとする。監督や俳優、演出家達が上手く連携し事に当たれば舞台規模や舞台装置が普通であっても素晴らしく感動できるはず。

自分はオーディオの世界で善しとされている事はなるだけやらないで(※セッティングや配置は別の意味で重要)普通に聴きたい 自己満足の世界になるかもしれないが環境や装置が普通でもいいなぁと思えるような音楽の世界を築ければいと思っている それには原作選びも重要な事はいうまでもない その原作選びだが今年は原点に戻ってみようと思っている。

b0323858_08594080.jpg
今更感はあるが最近よく聴いている村治佳織 5年ほど療養期間があり最近復帰アルバムをだしたようだ。かわいい顔をしているが酒や煙草も好きでそれが原因の病気だとか(真偽はよく分からない…)天才少女の面影は今はもうなく素敵なひとりの大人のアーティストとして今後も活躍してほしい


by kurama66644 | 2019-01-02 09:06 | オーディオ | Comments(2)

育ちの違い

お正月から変な話題(タイトル)であるが まずは明けましておめでとうございます。

最近は「貧乏暇あり」状態でこれは諦めの境地から来たものなのかもしれないと思っている('◇')ゞ まだまだ黄昏る年齢でもないが60歳が見えてくると自然にそうなってしまうのか?  周りのオーディオマニアを見ていると益々精力的に活動されている方も多いがパターンは「金持ち暇なし」と先に挙げた逆のパターンであろう これは40代から50代半ばの働き盛りに多い そして「金持ち暇あり」というのもある いわゆる富裕層特に日本の場合老人が多く 若者から羨望の目と顰蹙の目 両方で見られている。

オーディオと関わってきてネット上の付き合いだけでなくリアルな付き合いもしてくると必然的に人の育ちを見てしまう事になる 別に意識して見るわけではないが話し方や書く文章 もちろん生活スタイル等々何となく見てしまうのである どうも以前万引きGメンなんてやっていた事があるので人を客観的にみてしまう癖が出来てしまったようだ

育ちの違いというのはやはり幼少期の体験や家庭環境でその後の生き方も大いに変わってくるような気がする ここではオーディオを通した音楽という観点から書いてみる
まず自分の事から…父親は音楽には全く興味の無い人で歌の一つも知らない 母親は小学校の先生をしていたのでそのせいか家にはオルガンがありたまに弾いていた 自分や姉も遊びで弾いていたがオルガン自体に余り興味は無かった 音楽が嫌いになったのは小学校の時 強制的に鼓笛隊に参加させられたことである 当時その学校では小4になると自動的に参加 体に不自由がない限りは強制であった 軍隊のような感じで音楽より隊列を揃えて足並みも合わせるなど厳しい指導がありそこで音楽は大っ嫌いになった 中学に入学して解放されたのでホッとしたのを覚えている。元々は美術の方が好きだったのでその後は絵の方に興味を示す 姉も油絵を描いていたのでその影響もあった。
音楽は嫌いになったが当時はテレビが全盛期であり娯楽であった 歌番組も多くテレビでは歌謡曲がいつも流れていた テレビを見ない日は無かったので当然歌謡曲も聴く 翌日学校での話題はドリフのコントや歌謡曲(歌手)の話題ばかりであった 音楽は嫌いだったが歌手や歌謡曲は知っていたし話にもついていけた それが今の普通のシステムで聴く歌謡曲につながっているのだと思う。

クラシックなど好んで聴かれる方は親の影響で聴き始めた人も多い 幼少期からそういう音楽を聴いていたという事は中流家庭以上の環境であったはず ジャズ好きな方も親がオーディオマニアでジャズを聴いていたケースも少なくない そもそもオーディオ装置が家にあるのはこれも中流家庭以上のお宅であろう。幼少期の親や家庭の影響と言うのは音楽の嗜好にも関係しているように思う

青年期に入ると世の中の視界も段々広くなり色々な音楽に接する機会も多くなる そこで出会えた音楽が好きになりその後自分の好みになっていくことも多い。
小学校の時の鼓笛隊の影響も薄れ青年期 社会人になってからはテレビやラジオを通して普通に音楽は聴くようになった そこでも歌謡曲等の大衆音楽を聴いていた
ジャズは20代後半から本格的に聴きだした ただ家にオーディオ装置が無かったので必然的に生の音を聴きに行くしかなった。オーディオを始めたのはそれから15年以上経ってからである この15年の間モダンジャズを体現してきたアーティストたちの演奏を沢山聴けたことは自分にとって貴重な体験であった 彼らを知ろうとジャズの本を色々読んでその歴史等も知ってきた オーディオ装置が家に無いとはいえミニコンポぐらいはあったので彼らのCDを聴き曲も覚えていった。当然のことながらオーディオを本格的に始めてからかけるのはジャズばかりである ボタンを押せばアンプを通してスピーカーから鳴る 非常に単純なものだ ミニコンポ感覚で行ってきたがオーディオはそんな単純なものではないセッティングやら電源 装置の質で音が違ってくると周りから諭された 挙句の果てに部屋によっても変わってくらしい 大変手間のかかる趣味である お金も膨大にかかってしまう… お金のある老人たちは時間もあり色々出来るが若い人たちはそういうものを見て羨ましいと思うのだろうか?若い人たちもオーディオに興味のある人はいると思うが大抵は金銭的に余裕のある富裕層である どうも金満オーディオ化している老人達(老人だけではないが…)の真似をしているのではないかとさえ思ってしまう。

そういうオーディオの世界を見ていると無性に「普通のオーディオ」をしたくなる。
話は変わるが無職期間の3年間 同じ無職の人のブログをよく見たり生活保護の事を色々調べたりしていた。日本はいったん社会からドロップアウトすると中々這い上がるのは難しい 特に大手の企業なんかに勤めてリストラ等にあえば今までと同じ生活レベルと言う風にはいかなくなることが多い 自分は零細企業に長年勤めて最後は自主廃業になり50歳手前で無職になった 元々それほど給料が高くなかったし廃業になる前10年間は賞与も出なかった…そういう中でオーディオを始めたものだからやはりその世界に違和感を覚える 運がいいのか悪いのか分からないが今は大手といわれる企業に勤めている… そこにいる人たちは幸い悪い人?はいないが話していると自分なんかとは生活というか育ちが違うと感じてしまい疎外感を覚えてしまう。向こうは普通に会話しているのだろうけど話す内容は育ってきた環境が自分なんかの貧乏生活とは違うんだと思わざる負えない事もよくある。

生活保護の不正受給が問題になったり生活保護受給者が年々増え続けているので日本は財政的に厳しい状況だ それで生活保護費を削減する方向にはあるが賛否両論あり議論が平行線に終わっている 若者は貧乏で高年齢の老人が資産の7割近く持っているという統計があるが片や生活保護受給者の大多数は老人である ここでも2極化し富める者と貧する者が完全に分かれ中間(普通)がどんどん減っている。 自分の親の世代は戦争体験者で音楽どころではなかったが自分の世代は音楽が街に身近にあった キタサンはたまたま音楽嫌いになった時期もあったが今は普通に聴ける  オーディオはごく個人的なもので何をしてもかまわないがいわゆる勝ち組だけがオーディオを行える社会ではダメなような気がする 絶対的貧困は日本では無くなったが相対的貧困層はむしろ多くなり存在する そういう人達でも何かしらの心の余裕は持ち続けてほしい 

高年齢になってから始めたオーディオであるが大人が節度ある常識的な価格の機器で普通の部屋で音楽を楽しむ そういう普通のオーディオをやり幸せな気分になる そういう人が沢山いてもいいと思う。 若い人が成功者といわれる金満オーディオを見ていつかこういう装置、生活をしてみたい、持ちたいと頑張る気持ちにさせてくれるのかもしれないが「普通」「中庸」という別のオーディオスタイルも存在する事を知ってほしいと思っている 部屋は狭くても ちょっとオンボロでもそこにある質の良いオーディオ装置からは幸福感を満たす音楽が流れている 装置の価格や部屋の大きさ、豪華さは全く関係ないのが普通のオーディオである。

以前 浮浪者の方と交流があり隅田川の河川敷にあるブルーシートの掘っ立て小屋に案内してもらったことがあるAIWAのラジカセがそこにあり「これで時々音楽を聴いているんだ」と歌謡曲を聴かせてもらった。その時はまだオーディオなんて全然興味が無い頃でジャズの演奏を主に聴きにいっていた時であった そこで聴かせてもらった音楽はまさに「命の音楽」と直感してわかった そしてしばらくはその音が耳から離れなかった これが初めてのオーディオ オフ会でもある。

音楽を聴くスタイルは時代とともに変化している 歩きながらでも聴けるように機器類は小型軽量化してきた 無理して家庭で音楽を聴く為の大型の装置を置かなくてもよくなった 存在自体段々無形になってそのうち壁面から何気に聞こえる装置が出来てくるかもしれない 音自体が目に見えないのでそれもありかなと考える…それでもオーディオは音楽文化の一つであってほしい やはりそこは無形ではなく有形であってほしいものである。

タイトルとは関係ない話もつらつらと書いてしまった…単なる雑感であり戯言である 又次回から普通の?記事を書いていくつもり…。

b0323858_11420417.jpg
「かつてこれ程楽しい楽しいアルバムがあっただろうか?」なぁーんて帯に書いているがこの時代(70年代終りから80年代)こんな大げさなコピー、文句が多かった気がする(笑) ジャズアナログは殆ど買わなくなったがたまたまジャケ買いで購入 確かに楽しいのだが商業主義化したレコードで面白さは50~60年代の方が勝っている アナログでなくても50~60年代のジャズは十分面白く魅力的なのである。

by kurama66644 | 2019-01-01 09:25 | オーディオ | Comments(2)

使い分け

アナログプレーヤーを何台かお持ちの方はよく見かける  ないしは1台でもアームを増設
Wアーム化 トリプルアーム化してあるお宅もまぁまぁある…カートリッジの違いを確認し音色の変化を聴くのに便利だからである。ジャズを主に聴くお宅(クラシックの古い音源も)はステレオ用とMONO用に分けて使うため2台以上のプレーヤーやWアーム化しているケースが多いであろう。そういうキタサンも一時期は常設2台体制で3台体制の時もあった(;´・ω・)

キタサンの場合 今は普通のオーディオ、システムを目指しているのでもう複数台必要としない シンプルが一番だと思っている そういう理由とは別にジャズのMONO再生を諦めて(挫折)しまったのでステレオ、モノラルの2系統にする必要はなくなってしまっている。あれほど熱を入れていた唯一のビンテージ品 トーレンスTD-124も殆ど稼働せず SPUのモノラル専用針も売ってしまった。アナログに関しては歌謡曲を聴くことが多くなり当時の機器 80年代のケンウッドKP-1100で十分足りているし針はシュアーかオーテク、オルトフォンの中堅どころの中古のカートリッジでこれまた十分すぎるぐらいである。

今回の「使い分け」というタイトルはアナログ機器ではなくCDプレーヤーの事である。
前回の記事にも書いたがクリーク製のCDプレーヤーを2台同時に購入 さぞ呆れたと感じた方も多いだろう 更に呆れる事にQUAD3兄弟の一つ QUAD製のCDプレーヤーもまだあるので計3台所有している事になる(笑) なにが普通のシステムを目指すだ…マニアと変わらない 本当に馬鹿ですね~ ただ価格帯は本当に普通のシステムなのである 3台のそれぞれの価格が4~6万で合わせると15万ぐらい 市販で出回っている高価なアナログのカートリッジ1個分ぐらいだろうか
今 日本の入門機用の新品で最低3~5万ぐらいするだろうから中古品とは言え中級機であるので御の字である。

オーディオマニアのお宅へ行ってもアナログならいざ知らずCDプレーヤーを複数台所有しているお宅は少ないのではないだろうか? ある程度良いものを1台購入してそれを使うのが普通だがCDとはいえ音源の時代性を考えての事 必然的に3台になってしまった。
キタサンにとって家庭で聴くメディアとしてやはりCDを聴いていた時期が長かった それと手軽に聴ける利便性はアナログの比ではない  PCオーディオやネットワークオーディオはまだ過渡期の段階 いくら音質がよくてもまだまだ動作不安定にあるので導入する気にはなれない。アナログも小ブームのようだがソフトも含めてだんだん金満オーディオ化してきた 普通のオーディオとはいえない。日本とドイツ以外はCDはもはや過去のものだがメディア媒体としては気楽に使え優秀であると再認識している アナログは別に辞めるわけではないがこちらはもう程々にという感じである
b0323858_09054612.jpg
現在QUADのプレーヤーをこのようにQUADアンプの横に床置きしているがジャズのモノラル時代(50年代から60年代)は断然このQUADのプレーヤーが面白い SPはソナス製で固定の上でだがジャズのらしさがこのCD黎明期のプレーヤが一番感じられる。そしてクリークCLASSICプレーヤーであるが2000年代に入ってからの比較的新しいものでCLASSICの名の通り新しさの中に熟成した香りを漂わすクリーク製品の真骨頂といえる製品なのである とにかく音楽的に楽しく美しく聴こえる 文字で例えると楷書を少し崩した感じ さりとて行書や草書のように崩し過ぎなく分かりやすい 時代的には70~80年代歌謡曲 ポップス、ジャズでは60年代から80年代が上手くマッチングする そしてこのプレーヤーを導入してクラシックを聴く事がものすごく多くなった。クラシックには門外漢であるがクラシックがこんなに気持ち良いものなのかとこの歳になって感じられるほど よい響きで鳴る。
b0323858_09060000.jpg
最初にクリーク製アンプと合わせて聴いていたエボリューションCDプレーヤーだがCLASSIC CDプレーヤーとほぼ同じ時期発売で下位機種にあたるが品質的な面を見ると立場は逆転する 背景がとてもきれいで今ある他の2機種では聴こえない音も再現し現代風の高音質といえる そしてHiFi過ぎない節度ある音でとても聴きやすい。価格的な面 品位、音の質感などで普通のシステムにするならこのエボリューションCDプレーヤーが1番かと密かに思っている。

自分は性格的に長く物を所有していたくない これだと思ったものが何かのきっかけで嫌になったり興味を失せてしまう事はよくある 人も物もうつろいやすいものである。きっかけは何でもいいのだが何となく惹かれてそれが10年以上継続するとそこで色々なものが見えてくる ジャズなんかは最初は興味なかったが何やかんやで30年以上の付き合いになる オーディオはようやく12年だ 最初から一生ものと決めつけるのは自由を奪われるようでちょっと怖い。お金に余裕のある人だと高価な物を頻繁に変えられるが普通はそうもいかない 価格面で天井知らずのオーディオ製品は本当にその価格としての価値はあるのか疑問に思う事もあるというのは殆どの人は感じているはず キタサンは高価格 ハイエンドの存在を否定しているのではない 趣味はあくまでも余裕の部分 その余裕の幅が人により金銭面、時間面で違ってくる。 時間的な面では若いころに比べ取れるようにようになってきたが金銭的な面では根っからの貧乏体質なので普通のオーディオをやらざる負えない 普通のオーディオでも結構幸せは感じるんですけどね(笑)

by kurama66644 | 2018-12-30 08:36 | オーディオ | Comments(2)

音楽を聴かせるプレーヤー

普通のシステムにしてからアナログよりCDを聴くことが多くなった。

アンプとCDプレーヤーをクリーク製にしたことは何度か紹介した アナログプレーヤーは色々弄るところが多いので音の調整(音質、音色等)はその各パーツで変化させやすい ところがCDプレーヤーはある種ブラックボックス化され プレーヤー本体そのものを変えるしかない もちろん内部のDACや配線、そして置く台やインシュレーター等での変化はあるが内部を変えるのはプレーヤーそのものを変えるに等しいので避けたいところである キタサンの目指す普通のオーディオは価格的には低単価の製品で構成される 基本的には云十万、云百万の製品は選択肢に入れていない  そこで中古になるのだが(笑) 良い製品が市場に出回っているんだなぁ~これが('◇')ゞ
現在クリーク製 エボリューションCDプレーヤー(2007年発売)の製品を使っており 定価ベースでは10万強だが半分以下で手に入れた 有り難い事である 前に書いたがリモコンのオープン、クローズだけ効かないのが玉にキズ 許容範囲である。そして同時期に発売された同じくクリーク製の上位機種CLASSIC CDプレーヤーも購入していた(;^ω^) こちらは確か定価ベースで24.5万位していたがエボリューションCDPとさほど変わらない価格で手に入れた。
b0323858_08202887.jpg
同時に2台とは…馬鹿な事をしていると思われるがこの2台 クリーク製品の昔からの流れ(音質傾向)を組むCLASSICプレーヤーと現代調のエボリューションプレーヤーと完全に色分けした2つの製品なのである。前にも書いたが音源の時代性と言うのはとても大事で機器との相性、整合性で再生表現がまるっきり変わってくる アナログの場合先ほども言ったがプレーヤー本体もそうだが周辺部品カートリッジやフォノイコライザー等で変える事も出来るがCDプレーヤーの場合そうもいかない 80年代以降の音源であればCDがオリジナルということも考えられるがそれ以前の音源でCD化したものは殆どがリマスターで現代基調のものに変えられている そういう意味でキタサンが最近よく再生している歌謡曲や音源が古いジャズのCDなどは例えばスイングアーム方式マルチビットの古いプレーヤーが合うものもあるし現代基調のワンビット方式のものも必要と感じている。
上記写真は2段重ねの上がCLASSIC CDプレーヤー、下がエボリューションCDプレーヤー 普段は2段重ねにしていなくどちらか片方を使用している。Minimaを使う時はエボリューションCDP、アマトールを使用の時はCLASSIC CDPにする傾向が多い。

この1か月ほどエボリューションCDPで再生していたが先日からCLASSICCDPに替えて聴いている
一聴すると同じクリーク製だけに基本的な暖かみのある音色や やや抑えた帯域などスピーカ間の中で展開する箱庭的な音の出だが…うーん何かが違うぞ
そう中音域がCLASSIC CDPの方がとても明瞭で分かりやすい それに対してエボリューションCDPの方は帯域が広くなり中域から高域にかけてきれいに鳴っている。
オフ会などで聴く音の傾向は殆どがこのエボリューションCDPの音に近い 高級な機種などはそれをより高め 広帯域で普通聴こえない音なども拾い再現している いわゆる高音質というところであろう。
CLASSIC CDPの中域が明瞭であるというのは 昔の機器(特にビンテージ)にある中域に特化し押し出し感のある音とも違う しいて言うならば現代版ビンテージの音であろうか?
低域のボリューム感は大くないが躍動感のある音がする なんだろうこの感覚… エボリューションCDPが青空のもと桜の花を見る幸福感を覚える音とするとCLASSIC CDPはそれに大地の土の匂いも同時に感じる音がする こんな感じかな とにかくこのCLASSIC CDPは過去使ったCDPの中でも一番この部屋にシックリくる音がする まさにいつまでも聴いていたい音 そしてジャンルを問わず音楽を聴かせてくれるCDプレーヤーである。

ちなみにこのCLASSIC CDP クリーク製のCDPとしては英国本土で設計、製造されている最後のCDPかと思われる。それは今使っているアンプ50iRと同様でそれ以降(2008年)は中国での製造になる。

まぁいい事ばかり書いてきたが 多少動作不安はある(;´・ω・) 主電源が後ろのパネルにありそれをONしてから正面右にあるボタンを押しオレンジ色から緑のランプに変わると使用できる仕組みになっている ところが主電源を入れてから正面のボタンを押しても中々ランプの色が変わらない…現状主電源をつけっぱなしにし待機電源状態にしておけば問題ないのだがこのCDPとアナログプレーヤーはレギュレーションから電源を供給してその電源は就寝前には切ってしまうので結果的には主電源も切る事になる CDプレーヤーで立ち上がりが遅いプレーヤーなんて前代未聞である(笑) 更にはトレーの開閉がイマイチ反応の鈍い時がある これはベルトの経年劣化等考えられる。新品と違い中古だから仕方がないのか元々の仕様が結構いい加減だからそうなるのか微妙な面もあるが現代機器ともビンテージ品とも違うこのように中庸な音を出すプレーヤーは普通のシステムを目指す中でなくてはならない存在で貴重なのである。 

by kurama66644 | 2018-12-29 08:42 | オーディオ | Comments(0)

憎みきれないろくでなし

先日 約2年振りにSさん宅におじゃました いわゆるオフ会である。オフ会自体余りやらなくなったがSさん宅には昭和歌謡のソフトが結構あり好んで聴かれているようなので食指が動いた(笑) 高価な機材をあれやこれや説明を受けてもよく分からない こういう純粋に音楽を聴かせてくれるお宅はマニアの中では珍しい存在だ。同席されたNさんも同じようにジャンルが幅広く 色々な音楽を聴かれて楽しんでいる アナログプレーヤーもあるので今回張り切って7枚ほど昭和歌謡のアナログを持って行き 聴かせていただいた。

Sさん宅にはCDプレーヤーがなくPC経由でDACを通し再生するPC再生をアナログと併用し昔から行っている いつものようにPC音源からオフ会はスタートした いちいちディスクを変えないでスマートフォンを通し曲をセレクト出来るので昭和歌謡だけでなくポップス、ジャズ、クラシック、ソウル、演歌と様々な音源をチョイスし再生した
リッピングしたCD等は別に保管しているのだろうが改めて考えるとソフトの収納スペースが殆どいらなくなるということだ… オーディオ 特にアナログ再生されている方の部屋を見るとその収納スペースが馬鹿にならない 狭い住宅事情の日本ではアナログからCDそして配信等へと ソフトの形が無くなっていくのはもう必然の事なのかもしれない。
b0323858_19443835.jpg
かなりバラエティにとんだセレクトである(笑) ジャズもあったが写真は失念してしまった(;'∀')

b0323858_19444884.jpg
クラシックはキタサンも普通のシステムに変わってからよく聴くようになった もちろん内容等はよく分からないし聴きどころも今一つつかめない ただジャズを初めて聴いた時もそれほど関心を示さなかったがそれから10年位して本格的に目覚めた 聴き続けているとそのうち分かるかもしれない…
Sさんのシステムではクラシック特にピアノの響きがとても美しかった ソナスのSPは弦楽器が美しいといわれているがSさん宅のウィーン・アコーステックのSPはピアノの音が白眉のような気がした。キタサンもソナスのSPを2組持っているわりには弦楽器(ウッドベースやギター等)はブンブン鳴らして情緒もへったくれもない 使い方によりこうも違ってくるのは中々面白い事だ。

前半はこうしたPC再生に終始し 後半戦はアナログそして昭和歌謡メインであった。3人とも同じような世代で70~80年代の歌謡曲は馴染みがある これは知らないだろうと思っていたものを意外と皆知っていた テレビやラジオがメディアの主なもので殆ど見て聴いていた そして歌謡番組も多く 素敵な歌が街中至る所に溢れていたとても良い時代であったと思う 歌詞や歌手は知らないがどこかで聴いたメロディと懐かしく思う それがいいオーディオを通して聴くととても感動する いいオーディオと言ったのは単に高価なオーディオの事ではなく自分が好きな音楽を鳴らすために購入した機器類であり その時代を蘇らせてくれるタイムマシンのようなものである。
それはそういう音楽を聴いてきた人でないと感じる事は出来ない。

b0323858_19445910.jpg
最後にEP盤のこのシングルをかけてくれた。Sさんが初めて購入したレコードである。人それぞれ思い入れのあるアルバムがある 余り盤質は良くないとSさんは言っていたがSさんにしか分からない思い出が曲とオーバーラップして蘇ってきたことだろう。

昭和の歌は物悲しさがあった 自己主張しないで内に秘めた哀愁があり自分を卑下し開き直っていた節もみられるそれは70年代終りまで続いた 昭和の終りそして平成になり自己愛の歌が多くなった 個性を強調する オンリーワンの姿が正しい 自分だけの物、存在 と自己中心になってきた感はある それはすなわち大衆音楽からの別離である。 現在は個性を重視し大衆という事を没個性とし周りに喧騒する 大衆音楽が無くなってきたのは皆が大衆を望まなくなり 個を望むようになったからである それがいいのか悪いのか…大衆のパワーを恐れそれを分散させ個にして力をそぎ落とす そういうほうが都合が良いと考えている権力者がメディアを通してそうさせているのだろうか?

オフ会が終わった後中華屋で飲み会を開いた。現役の今の世代は平成が終わり新しい年号になった時 昭和なんてはるか昔と考えるだろう。 今回集まった3人とも60年代生まれの昭和世代である「我々が明治は古いと感じている それと同じ感覚が昭和になるのだろうね」とNさんが言った キタサンもSさんも黙ってうなずく 中華なのに日本酒を燗で注文するNさん 負けずと紹興酒を冷で頼むSさん そしてキタサンはいつものレモンサワー… 大衆音楽が好きな三人はお酒に関しては3種3様個性的であった。  
 
by kurama66644 | 2018-12-19 21:03 | オーディオ | Comments(4)

無音の快楽

最近 街を歩いていてもヘッドフォンやイヤフォンで音楽?を聴きながら歩いている人が多いのに驚く 今の時代そんなの当たり前といわれるとそうなのかもしれないがものすごくもったいない気持ちにさせられる。

好きな音楽をいつでもどこでも聴ける事を批判しているわけではない そんなのは個人の自由であり問題はないのだが部屋で音楽を聴ける環境ではなくなったのかとも思ってしまう それはオーディオの衰退にも繋がっている。もっとも携帯用のオーディオ機器も「オーディオ」の範疇にあるといえばそうなのだがここでは部屋で聴く昔ながらのオーディオという前提で話を進める。

最初に書いた もったいないと思うのは外の世界はあらゆる自然の音が存在する  せっかくその自然の音を聴けるのに耳を機械で塞いで?人工の音楽(音)を聴くという行為に対してである その自然の音は特に都会になればなるほど減って人工音が多くなっている それがいやで同じ人工音でも自分の好きな音楽だけを聴いているのかもしれない。でもよく耳を澄ませて聴いてほしい 自然の音ほどさりげなく聞き逃してしまいがちなだけで沢山の自然の音は存在している。

音楽はその名の通り音を楽しむ、又は楽しい音で作為的なものである その作為的なものは結構パワーがあり時として人を疲れさせる場合もある。体調がすぐれない時 癒しの音楽をと言われるが人によっては音楽が苦痛になる場合もあり逆に音楽が無い方がいいという人もいる。 キタサンの場合 癒しの音楽は存在しない それは意図的で作為的なものとすぐ感じてしまう 結局音楽無しの方が楽になったりする もちろん人によりまちまちでそんなことはないと反論される方もいるだろうが自分は無い方が楽だという素直な感想なのである 言いたいのは音楽自体ものすごくパワーがあるものでそのパワーに圧倒され精神的に不安定になる事もあるという事だ。

怒られるかもしれないがオーディオをやりだして機器に凝っている人も多く見かける反面 機器ではなく音楽だ!と強調される方も少なくない。音楽が好きで仕方がない音楽なしでは生きていけないという人もたまに見かける ちょっと怖い気がする… 先ほど書いたように音楽自体 恣意的な要素が多くパワーも大きい 知らず知らずのうちにそれに洗脳されている事もあり得る。

昔若い頃 オフコースの武道館ライブに行ったことがある その時のファンの陶酔ぶり、熱狂に驚いたことがある。大きな会場での人気アーティストのコンサートなどは似た感じなのだろう 
ジャズのライブはどちらかと言うとこじんまりとした場所で行うが以前にも書いた通り キタサンは正面ではなく外れた位置、隅っこで聴くことが殆どなのは自然と音楽の持つパワーを避けていたからなのかもしれない そのパワーを受け止めるほど気力もなかったともいえる(笑)

サブシステムと称していくつかの部屋にオーディオ機器を設置されている方も多いと思う。キタサンも布団部屋にオーディオ機器を設置しては外すを繰り返していたが そこまでして音楽を聴きたくないと思いオーディオ機器を布団部屋に置くのを止めた。そしてオーディオ機器がある部屋は普通のシステムで普通の音を出すように変えた お金がないのもそうだが余り人工の音を聴き続けるのもどうかなと思ったのか自分でもよく分からない 音量もそれほど大きな音では聴かなくなった
人工の音だが中庸な音でこの装置で聴く時間が以前より長くなった 余計に自然の音、ないしは音楽のない部屋で過ごす時間も多く取りたいと体が欲しているのが分かる。

タイトルの「無音の快楽」というのは音楽が無い自然の(音)中の快楽と捉えてもらえばよいと思う 本当に無音の無響音室は1分も過ごせないと知り合いのメーカーの人が言っていた。

b0323858_10141545.jpg
村治佳織の「レスプランドール」スペインの聴衆を沸かせたロドリーゴへの熱き思いがこの作品によく表れている。普通のシステムCREEKのアンプとCDプレーヤーの再生だがボリュームを絞って聴いていても質感が落ちない この辺りはミニコンポ等の再生との大きな違いである かといって7桁クラスの例えば国産A社の製品であればこれぐらいの表現は簡単に出せますよと 言われるかもしれないが「普通の人」は車が買えるほどの金額を再生装置にかけないのではないかな?(-_-;)

by kurama66644 | 2018-12-16 08:16 | オーディオ | Comments(2)

QUADとCREEK

普通のシステムで普通の音を出すようになり1か月が経つ 何か変化があったかといえば あったような無いような…何だかよく分からない(-_-;)
b0323858_08470178.jpg
しかしながらラジカセやミニコンポでBGM的に聴いていた時の感覚とは違う オーディオを始めてから今までいくつかの機器を変え聴いてきた時に感じたその感触とも違う 不思議な感じである。
音楽をそれほど真面目に聴いているわけではないのだが聴く時間がとても長くなった。聴いていて幸せを感じてしまう これはジャンルを問わない むしろジャズを聴くことが少なくなってきた もちろん嫌いになったわけではない 特にアナログよりCDを聴くケースが多くなった CREEKのプリメインアンプとCDプレーヤーという普通のシステムである。

ブルーノートのCDを聴くのはものすごく久しぶりである ブルーノートはアナログのしかもオリジナルでとマニアになればなるほどその欲求は高くなるが もう富裕層レベルでないといいものは手に入らないようだ キタサンもオリジナルに凝っていた時 集めたりしたがやはり自分にとって高嶺の花で大方売却してしまった。
b0323858_08471199.jpg
聴いたのはこちらのドナルド・バードのアルバムで「バード・イン・フライト」であるマクリーンやモブレーに加え当時新進気鋭のデューク・ピアソンなどが参加しておりブルーノート4000番台の中でも秀作である。それを普通のシステムで聴くと とてもよく鳴ってくれる こんなに良かったっけ?と思うほどである ただしそこは普通のシステム あくまでも箱庭的であると付け加えておきたい… そしてジャズのらしさは 無い! 以前のキタサンだったら やはりアナログでないとその感じは出ない 押し出し感がない ちょっとスカスカのような…と心の中で思っていただろう しかしこの普通のシステムは中庸で音楽そして音として悪い所はない

試しにQUAD3兄弟(プリ+パワー+CDP)でこのアルバムを聴き直してみた。低音がずっしりとくる 意外とパワフルである 管楽器とリズム楽器が調和してとてもリズミカルでこりゃ楽しい(笑)  流石QUADアナログではないがCDPでこれほどアナログらしい音を出す 深みを出すにはMinimaよりアマトールの方がいいかな?なんて考えながら聴き続けていたらちょっと聴き疲れしてきた…

オーディオでジャズは表現出来なくジャズという音楽は鳴らせるといつも思っている そのジャズという音楽をそれっぽい雰囲気で鳴らせるQUADは(もちろんジャズだけではなくあらゆる音楽ジャンルをシッカリ鳴らせる)良質なオーディオ装置だと疑わない しかしながらCREEKで鳴らしているそれを聴くと自然に引き込まれ いつまでもこのまま聴いていたい そう思ってしまう QUADには音楽の楽しさを教えてもらい そしてCREEKは音楽を聴く幸せを感じさせてくれる。
音楽は好きでも嫌いでもないと公言してきたキタサンだが音楽に引き込まれるこれらの機器に出会い 嬉しいやら少し困ったような…(※なぜ困ったかというのは又 別の機会にお話しする)

QUADとCREEKはどちらも英国製のオーディオ機器である。キタサンはオーディオ素人なのでこれらの音の比較 音楽性の比較等は上手く説明する事が出来ない その辺は専門家に任せることにする どちらのメーカー品も普通の部屋で普通のシステムで音楽は楽しめますよと言ってくれている感じがする。QUADはポンっと肩をたたいて応援してくれる CREEKはそっと肩に手をふれ寄り添ってくれる そういう違いのような気がする。
b0323858_08463894.jpg

by kurama66644 | 2018-12-13 20:29 | オーディオ | Comments(0)

歌謡曲とジャズは好きです!


by キタサン
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る