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有機的な結合

オーディオ機器の形を見る事が好きである。オーディオに興味を持ち始めてから買わないまでもパンフレットやオーディオ店に行ってはよく機器を眺めていた 買わない(買えない?)事をいいことに「こんな形のスピーカーがあるのか~」とか「部屋に置くと異様な存在になるなぁ」とか勝手に思っていた。
アンプ類は歴然と機械と化した風貌の物が多いがスピーカーになると木をベースとしそれにユニットを付けた見るからに人工物然としたものが多いように思う もっとも最近では木ではなく共振しないような新素材が使われているものも多く より人工物化しているようにも感じる。

形や素材だけでどんな風に鳴るのかなんて専門家でもないので分かりもしないが それを自分の部屋に置いた時の姿は誰もが分かる事である。
その存在が部屋に溶け込むのか いやいい音さえ良ければ形なんか関係ないと人それぞれで更には専用部屋で他の人が(家族等)関知しないような環境下であれば持ち主の勝手であるがリビングなどに置く場合 異様なものがそこに存在すると家族が不信感を抱く場合もある。

昔 テレビと言えば家具調のものが多く家のテレビは確か観音開きであった…観音開きなんて仏壇じゃないのだから今の人に言っても信じられないと思うがテレビにレースの布なんかかけてそりゃー大事に扱っていた。親戚の家でオーディオ装置を買ったと聞き行ってみると観音開きのテレビと同じようないでたちでやはり家電と言うより家具そのものであった それゆえ居間でも違和感がなかった記憶がある。でも今の感覚で見るとその家具調のデザインのテレビなりステレオも違和感丸出しである(笑)
それは西洋文化と日本文化の合成であり とても中途半端なものであったからのように思う。当時は欧米製品への羨望があった 舶来優越主義で安かろう悪かろうの日本製品は下に見られていた しかしながら日本製品のそれが下に見られていたのは工業製品であって伝統的な工芸品などは逆に羨望の目で見られていた。緻密な工芸製品を作る日本製品は工業製品でも素晴らしいものを作るのにそれほど歳月はかからなかった そうしてメイドインジャパンの製品は世界的にも認められるようになってきた。

ところがオーディオ機器に於いてはまだまだ日本は後進国であるように思う 機器類の部品、パーツは素晴らしい性能のものが日本製にはあるが出来上がりの製品は音楽を再生するにおいて「ゆとり」がないように感じる それはデザインしかり実際の音楽の表現力などである。ありていな言い方をすれば感性の違いというところかもしれない そもそも日本人は音楽後進国であり(ここでいうのは西洋音楽のことである)クラッシックや広義な意味でのジャズなど再現する装置はまだまだ遅れているようにも思える。

能面のように表情を消し淡々とこなす姿は日本的であり日本の美のひとつでもある。ただ西洋音楽の歴史や成り立ちからくる感情の表現は豊かでワクワク期待させる そういう西洋人の作る音楽再生機はその姿からも斬新で面白く思う

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天然木と融合させた真空管アンプのこの意匠は独特な存在感を示しているユニゾンリサーチの製品

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なんの変哲もない小型のプリアンプ QUAD44 パワーアンプとともにこちらも独特の意匠である こちらは中期の作品だが初期の作品はボタンの色に赤も混じっていた その色彩感覚は日本にはないものである 帯域はそれほど広くないが表現力と力強さは特筆すべきものがある

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上質なウッドブロックの削り出しエンクロージャーと皮のバッフルの組み合わせ 前に使っていたモニターオーディオのPL-100もバッフルは高級な革製品であった

これらの異質な素材の組み合わせ、意匠は有機的であり好みも分かれるところだが存在感を示している。
最近の日本家屋は洋風になってきているので ある程度有機的な物が置かれていてもそれほど違和感はない、ただ単一素材(特に木材)を使った奇をてらわない自然な風貌が好みという日本人は多いような気がする それゆえ有機的な物はなるだけ小さくして目立たせないように置くのが日本人にとってごく自然な成り行きなのかもしれない。


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by kurama66644 | 2018-07-15 10:10 | オーディオ | Comments(0)

自動ブレーキ

現在アナログとCDの聴く割合は5:5か6:4位で大体半々といったところである これはアンプをそれぞれ使い分けているのでいったんつなぎ直しが必要で つなぐとしばらくそのままで聴いているからでもある。セレクター等で切り替えも考えたがつなぎ替えるのにそれほど手間はかからないのでそのままにしてある。
たいがいはオーディオ装置のある部屋で聴かず隣の布団部屋で部屋越しに聴いたり台所で聴いたりと視聴位置は適当である その為CDで聴く場合は自動的に最後までいくと止まるがアナログ特にトーレンスのプレーヤーの場合手動なので終わっても気づかなければ中心部分でいつまでも回転し続けることになる…もう1台のケンウッドのプレーヤーは自動的に最後はアームが上がりストップがかかるので余り気を使う必要がない。

アナログ自体 今はLPの数もそれほど多くないので同じ盤を繰り返し聴くことが多い そうなると曲の途中でそろそろ終わる頃合いが自然に分かってくるようになった。更には曲のこのフレーズが出てくると残りは1分ぐらいだとかより具体的な事も体で覚えてくる(笑) こういうところは過去の物を聴いているのでその経験、体験から容易に予想がつく 変な意味でスリリングはない(;'∀') 生演奏だと先の事は分からないからハラハラドキドキする それに対してオーディオでの再生はある程度予想がつくので自分的にはそれほど興奮することは多くない。

話は変わるが現在 車の運転をしなくなり久しい 車の事は詳しくないが生産ベースで7割近くが自動ブレーキ搭載のようである 更には自動運転化も世界的に進められている。そして2輪車にも自動ブレーキの搭載を進めていく方針だそうだ 昔 2輪車にも自動ブレーキを搭載した車種が試験的にあり実際乗ったベテランのモータージャーナリストによると誤作動が発生し急ブレーキがかかりあやうく転びかけたとか…これが直線だったので何とか踏みとどまったらしいがカーブであったなら自分は間違いなく転倒していたと回想していた キタサンは昔よくツーリングに行っていたので2輪の急ブレーキの怖さは知っているつもりだ。

いずれにしろ人間が自力で出せるスピードの範疇内であると自制は効くがそれ以外になるとどうなるか分からない。人間の走れる最高速度は平均50kmと言われているがあの100m金メダリストのウサイン・ボルトでさえ38km 初速で40km程度だそうだ それ以上早く走れる乗り物に乗るという事は何かあったときに死と隣り合わせになってもおかしくない 普段何気なく乗っている電車やバス へたすると自転車でもなにか故障があったときはそれなりの覚悟はしていたほうがよいようにも思っている。

通勤する電車や車に乗るたびにいちいちそんな覚悟をして乗る人はいないだろうが「自動化」という文明の享受に慢心しているとしっぺ返しをくらう事もあるぐらいの意識は持っていた方がよいと思っている。
自動化するという事は全ての動きを均一にすることに等しいと考える。それはもちろん人が快適に過ごせるようになるため人が考えた作為的な行為である 作為的であるのでそれを作った人の快適への基準が含まれている でも人の快適さを感じる基準なんてそれこそ人によって違うしバラバラであると思う。

オーディオ機器が見た目とてもシンプルになったのはとてもありがたい反面 不均衡にする調整(面白さ、変化)が自らできなくなったようで残念でもある。
ブラックボックスされた機器の中身はメーカーやその技術者が複雑に より高度な技術を投入しているのかもしれないが最終的には視聴者、使う人の判断に任せてもらいたい気もする。トーンコントロールは無くなり左右のバランス調整すら割愛した機種も多い かろうじてボリュームは残っているが今ボリュームを気にするのは部屋の中で出る音がうるさいかうるさくないかの違いでしか使っていない人が殆どであろう。へたなアクセサリーやルームチューニングよりこのボリューム調整で何の変哲もないと思っていたアルバムの数々が蘇ることだってある 更にはトーンコントロールを上手く使うとより良いとも思っている CD再生でも効果はあるがアナログ再生の方がより顕著に表れる。

ルームチューニングやアクセサリーに昔凝っていた時期もあるがその効果というのは音を画像化しより立体的にする手段であると感じる それに対しボリュームやトーンコントロールというのは音は音として質を変えず聴き手の感じ方の範囲を広げる役割を持っているようにも思う。

2輪車の自動ブレーキ化という記事を読んで思いつくままに書いたが相変わらず脈絡のない文章になってしまった ご勘弁を!

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ジョー・オーバニーといっても今では誰も見向きもしない バップピアノ パーカー派ぐらいの認識はあるが既に過去の人である。
この74年のアルバムはぺデルセンとのデュオアルバムである デュオアルバムはめったに聴かないがこのアルバムは結構聴いてしまう そうトーンコントロールを微調整しボリュームもこれだという位置で聴くととても上質な雰囲気をもたらせてくれる ジャケットの深緑も味わいがある色で好きだ。

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by kurama66644 | 2018-07-14 11:48 | オーディオ | Comments(0)

そぎ落とす事を拒絶する感性

先日 相互オーディオオフ会を行った… なんだキタサンはオフ会は好んで行わない とブログの中でも言っていたのではないのか?と思われる方もいるかもしれない
確かにそうなのだが人生の音を聴かせてくれそうなお宅には興味がある それは年齢やシステム規模等関係がなく こちらの直観的なもの(判断)にもよる。

今回相互訪問となったKさんは年齢的には自分より一回り、いや二回りぐらい若い方だがとても 真面目でしっかりされた方である。5年ぐらい前に一度Kさん宅におじゃまし それっきりになっていた中 最近キタサン宅にほど近いところに引っ越されてきたという事で話が進んだ。

最初はキタサン宅に来てもらいそのあとKさん宅に訪問その後近くの飲み屋で反省会?という流れだったが お互いの家ではそれぞれ好きなアルバム、音楽の話題が中心になった。
オーディオオフ会だから機器類や視聴環境等の話題も多少はあったが基本 自分の好きなアルバムや好きになった経緯、感想などそちらがメインであったのでオーディオは余り詳しくない自分にとって少しホッとしたオフ会でもあった。

Kさんはクラッシックが好みであるがその他にJ-POPや最近ではジャズも聴くようになったとか オフ会では自分の知らない曲、アルバムなどクラッシック以外の異なるジャンルは積極的に聴くようにすると それが刺激となり好奇心につながる クラッシックなんかも別の感覚で聴けると話されていた。まぁその辺りは自分のようにジャズ一辺倒(歌謡曲も聴くが)の偏屈オヤジと違い柔軟性があると感心する(笑)
ネットワークオーディオとCD再生、アナログ再生の3通りで再生できるKさん宅のシステムであるが好きなクラッシックは50年から60年頃のクラッシックが特に好みのようで そうなるとアナログ再生になってしまう しかも音源は当時のもの(アナログオリジナル等)を揃えている。ジャンルこそ違うがキタサンもジャズでは同じように50年から60年辺りが好みでその当時のオリジナルが中心になるところに共通点があった ただ違うのはクラッシックとジャズの今現在の市場に出ている中古価格 その時代のジャズのオリジナル等を集めるのを断念したのは高価になったアルバムを買う資金が続かなくなったのも大きな原因である それに対してクラッシックのそれは比較的安定した価格帯である… もちろん中には希少盤とされた高いものもあるがほんの一部でジャズのように常軌を逸した価格ではない。

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クレンペラーのワーグナー Kさんが衝撃を受けたと言われるアルバム 確かに幽玄な雰囲気を持ちえた独特の気配に固唾を飲む

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ダビッド オイストラフの演奏はありふれた言い方だが魂を揺さぶられる

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実は最初にネットワークオーディオ中心にクラッシックやジャズ、POPS等数曲(比較新しいものも含み)聴かせていただいたのだが上記の古いアナログ盤(オリジナル等)の何とも言えない説得力に最初にかかった数曲がかすんでしまった それほどクラッシックは余り聴かないキタサンでも圧倒され聴き入ってしまった。
これはkさん宅のシステムが良いせいもあるのかもしれないが やはりその時代のもつ音源に起因されるように思う 奏者もさることながら録音したエンジニア、スタッフ等の良い演奏を我々の手で世に残し皆に聴いてもらいたいという使命感のようなものがあったのではないだろうか。

Kさん曰く「鉛筆削りに例えるのもなんか変なんですが最近の音源はどんどんそぎ落とし(削って)とても繊細になっている そのそぎ落とした部分にとても大事なものがあるのに見た目や体裁から整えてしまっている」

キタサンはオーディオに対して冷めた目で見ている オーディオの音は過去の音で(録音された段階で過去のものになっている)それはエンジニア等色々なスタッフが元の音を加工した幻の音であるのにリアルにとか生演奏さながらをオーディオでというのは無理な事であると思っている。それでもKさんの言わんとしている事は分かるし そのそぎ落とした部分に大事なものがあるというのも同意見である。

Kさんのオーディオの音は音場や音像を感じさせない 上記の古いアナログ盤による再生などは特にそれを感じる。一般のオーディオファンは音像やら音場をいかにリアルに出すか腐心しているのに対してKさん宅のシステムは気配を感じさせる 演奏者ではなく演奏(音)そのものの気配だけを感じる事は稀である それはなるだけ そぎ落としの少ない音源を選び再生しているからのようにも思える。 そぎ落としをすると残された部分が浮いて周りの景色と対峙しコントラストがハッキリする そしてあたかも音像がリアルに浮き出るように聴こえる(見える)。 生演奏はそぎ落としをしない 周りと同化し混濁しそれが本来の自然な在り方、姿でもあると思う

そぎ落としをして見えない音を映像化するのが今のオーディオ、音楽産業の流れで これは更に進んでいくであろう 一つの流れとしてそれはそれで構わないと思っている。ただkさんのようにそぎ落としを拒絶(ちょっと大げさかな?)する感性も片方では存在する こちらも大事であるように思う。

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by kurama66644 | 2018-07-07 08:56 | オーディオ | Comments(2)

演奏を聴く位置

参加しているオーディオコミュを見るとコンサートホールで最前列で聴いた時の感想が書かれていた。一人はコンサートホール初心者? もうひと方は超ベテランの方と2件の記事である。

やはり聴く人の嗜好や音楽にたいしての捉え方等で感想も違うのだと興味深く拝見した。(最近は興味のある記事が殆ど無いのでスルー状態であったのだが)
もちろんオーディオ絡みであるので単純な音楽批評とは違う視点からの感想であり一見 お二方とも同じような意見とも思える内容であったが裏読みするとそれぞれの嗜好の違いが極端に表れているようにも思えた。

この記事はクラッシック演奏時との事である キタサンはコンサートホールは殆ど行かない というのもジャズは大きな会場では野外コンサートを除いては非常に少ないので行かなかったというだけである。昔 某ホールでソニー・ロリンズのコンサートがあり2階席の真ん中より左側で聴いたことがあるがものすごく違和感を覚えた。大きな会場になると(大きくなくても)PAでの過剰な音出しが迫力があるように思えるのだがジャズの熱が全く伝わらなく今一つの印象であった。それではその会場の真ん前 最前列で聴けば良かったのかと言われればそれも疑問である 奏者がより近くにいるが壇上との段差があり下から見上げるような感じでこれまた視覚的にも不自然でありおそらく変な感じに捉えたであろう。

それでは昔よく通っていた比較的小さな会場、ライブハウス、バーなどでの演奏時はどの位置にいたかと言うと端っこの席が好みであった(-_-;)
別に通ぶってわざわざ視聴環境のよくない端に席を取っていたわけではないが 何となく眺めているのが好きなだけである。ここでもよく書くことだが音楽は好きでも嫌いでもない 演奏者と一体になり楽しむという事は昔からしない そもそも音楽自体よく分からないし音楽より人が懸命に動く姿が好きでその動きの方に注目する癖?があった。
ジャズを聴く人は正面の真ん中 なるだけ奏者に近い位置で音を浴びるように聴く人も多い そうしないとジャズの熱気、勢いが感じられなく快感が薄いという人も見かける
でも自分は昔からそのような感覚はない 奏者と聴き手が分断した音楽はある程度俯瞰して聴いた方が安心する それはクラッシックの聴き手によく似ているのかもしれない。

奏者を芸人と呼んでいいのかどうか分からないが音楽と言う芸事を行える人なので芸人と呼んでも良いような気がする クラッシックなんかは王侯貴族の余興でもあったのでいくら奏者、演者が一生懸命行っていても階層の違う貴族等は自分たちの自慢話に夢中になりロクに演奏を聴いていなかった。ジャズも白人たちに聴かせる音楽としてどこか媚びて銭を稼ぐためには仕方がないという感じでもあった。今は立場が変わりシッカリ聴かない客は客ではないと思う奏者や演者も多くなった 逆にそういう人達に媚びする聴き手も多い 音楽に格差は付きものだったのが今ではお互いに意見を言える平和なものになってしまった。

視聴する位置が会場の端っこの変な席を好むというのも 奏者には媚びしなく寄り添わない、かつ自分には出来ない演奏を提供してくれる奏者をリスペクトするその立ち位置(立場)が自分的には端っこという場所が妥協点であると体が知っていたからなのかもしれない。

尚 自宅オーディオに於いてオーディオ機器が鳴っていない隣の部屋や台所へ行ってわざわざ?聴くのはセッティングやら視聴環境を金科玉条の如くいうオーディオに対しての反論でもある。(セッティングや視聴環境の吟味等行うのは個人の自由で大いに結構だと思っている)

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これのモノラル盤が欲しかった…ロリンズとコールマン・ホーキンス新旧テナータイタンの競演。尖った演奏をするこの時代のロリンズはジャケットの描写といやにマッチしている ジャズは個性の音楽というのがこのアルバムではよく分かる アルバムオリジナルには執着しなくなったがモノラルでのリリースは再発では無かったような気がする いつか手に入れたい。

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by kurama66644 | 2018-06-24 10:07 | オーディオ | Comments(0)

なんちゃってモノラル再生 Part2

挫折したモノラル再生をなんちゃってレベルでお試しでやってみると これが中々ツボにはまり楽しく聴ける。

なぜこんなに楽しく聴けるのかと言うとモノラル再生の思い込みを無くしたからのような気がする。
つまり半世紀以上前の録音なので当然現在のステレオ再生とは違う技法で再現しないと本物の?モノラル再生が出来ない、当時の機器類、そのやり方でないとダメであると勝手にこちらが思い込みをしていたようだ。

音楽は物語を読むが如く再生するものであると思っている。現在のオーディオ再生(ステレオ再生)は例えるなら映画や動画のように空間に音像を展開させそれがリアルに映し出せるような方向性にいっているような気がする。それに対してモノラル再生は「活字」である ステレオ再生が映画だとするならその脚本がモノラル再生ではないかと思う。
同じ物語でも表現方法が映像と活字で違うだけで内容は同一なのである。映像は一目でわかり より具体的であるのに対し活字での表現はそれを読む人の解釈の仕方等で捉え方が大きく変わってくる それだけに読み手の想像の幅も広くなる。

レコードで専用モノラル針を使いオリジナルを初めて聴いたときステレオ再生やCDなどと違い勢いと音の厚み、激しさに驚いた記憶がある。結局それからレコードそしてオリジナル等に嵌り ジャズのモノラル盤を聴きまくったが再生は上手く出来なかった。その再生はジャズの勢い、迫力がいかに表現できるか 当時のジャズの熱さが伝わるか等が自分のオーディオにおける指針でもあった ジャズオーディオをやる人はBGM的に聴く場合を除いて皆その辺りを求めているのだと思う。自分も狭い環境で小型のスピーカーであってもその熱気を伝わるようなオーディオは潜在的に意識はしていたようだ

音楽という物語を音で聴き それを映像化する現在のオーディオに対して昔のモノラル時代のオーディオというのは音で聴き活字として捉えていたのではないかと想像する。モノラル時代に映像や映画はもちろんあったがリアルではないのはハッキリ分かっていた 映像技術がまだ活字で捉えるのと変わらないぐらい劣っていたからである
今は立体化、3Dやホログラフィやら現実と架空の世界が入り乱れて区切りが無くなってきているように思う。

モノラル録音再生をオーディオのベテランでもつまらないと思っている人は多い 音場が狭いとか勢いはあるが単調だとか音の広がりがないとか…の理由からである。映像化を目指しているステレオ再生と比べると確かに色彩感もモノクロだし狭い範囲の音場しかないが映像ではなく書物と捉えれば これは中々いける。
今まで自分もモノラル再生をステレオと同等の「映像化」での再生を試みていた その為ベストな状態というのは当時の機器類など用いてやるのがステレオ再生に負けない?表現で出来ると思っていたが根本的に間違えていたようだ。モノラル再生は活字である 活字の大きさは見えればよい 太い字でも大きい字でなくても要はその内容が楽しめるかどうかなのである。

ひとつ断わっておくがステレオ再生を否定しているわけではない。音を映像化する方向性は間違えてはいないしそのやり方工夫で大いに感動を得られると思っている。
オーディオに於ける過去の幻影の再生にマイ電柱を立て、専用電源、専用部屋を構築し、云百万円の機器類を揃えてまで自分はやれない というだけである。

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普及帯価格の安いプレーヤーにこれまた安いカートリッジで聴くモノラル(オリジナルだけど…)  上質の小説を読んでいるかのように楽しくなる。



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by kurama66644 | 2018-06-17 10:41 | オーディオ | Comments(2)

なんちゃってモノラル再生を試してみる

ミンガスやアービンを急に聴きたくなったが彼らのアクの強い音楽はモノラル再生のほうが自分的には好みである。
現在モノラル再生は挫折して2台のプレーヤーもステレオカートリッジを装着 モノラルレコードも殆ど買わなくなり(レコード自体買わなくなった)人にあげるか売却し減ってきている。モノラルレコードの時代は今から半世紀前の事でその時代のプレーヤーなり機器類で再生するのがベストであると思っていたが機器自体はデカいしビンテージは超高価になって簡単には手に入らない 調整も中々難しいなど物理的(金銭的)な事も踏まえ諦めてしまったがモノラルカートリッジだけはまだいくつか持っている。

アマトールを導入しだした頃からモノラル再生はほぼ止めてしまったのでこのスピーカーではモノラル再生はほぼ試していない状態である アマトールのボワボワした締まりのない低音が意外とモノラル再生には合っているのではないかと想像し 装着簡単なケンウッドのKP-990に疑似モノラル針のオーテクAT33MONOを付けてなんちゃってモノラル再生を行ってみた。
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アクの強さは少し薄らぐがまずまずの調子で鳴ってくれる 使っているアンプがQUADでスピーカーがソナス、プレーヤーとカートリッジが日本製のものと国内外混合でかなり適当な感じがしないでもない(-_-;) いずれにしても余り高級感のある音ではない(笑) そもそもミンガスやアービンが高級なオーディオ装置から鳴る姿は余り想像したくない…それにしてもモノラル感は余り感じられない カートリッジが疑似モノラルというのもあると思うがステレオ再生を前提としている装置群だからそうなっちゃのかもしれないなぁ。やはり本当のモノラル再生はお金と部屋に余裕のある人でないと出来ないのであろう オリジナルモノラル盤は機器類と変わらないぐらい高価だし あのまま突き進んでいたら破産していたと思う 辞めて助かった。

性格にもよると思うが執着すると周りが見えなくなってくる。ある記事でスピーカーに10万かける(出す)人はいないと書かれていた 書いた方はもちろんオーディオマニアではない普通の?音楽好きな方である 今から11年前初めてオーディオ機器と言われるスピーカーを購入したが その価格は25万円だった それまでの自分を考えるとスピーカーに25万?など考えた事も無かった スピーカーの価値もよく分かっていなかったこともあるがオーディオ機器にお金を出してもせいぜい5万位が限度だと思っていた。
そこからタガが外れてしまったようにも思う その後も「これがこんな値段?」と分かっても購入することがあったし分かっていても周りの雰囲気に流されていた感じではあった。アナログレコードも似た感じで中古品の昔のものは捨て値で売買されていると思っていたがそうでないものも沢山存在していたそれに嵌ると周りが見えなくなり意思の弱いものは流されていく。

オーディオ業界は売らんが為に高級路線にまっしぐら 更には付加価値と称して高級アクセサリーはたまた部屋の音響が一番大事、電源が大切と吹聴して機材よりさらには高い買い物を促進する。自分のように意思の弱い流されやすいタイプは要注意である「音楽を聴くのに大げさな装置や部屋はいらない」という事が10年かけてようやくわかりかけてきたところである。そういう思いでなんちゃってモノラル再生を試している自分がいる。

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ニュージーランド産のJAZZりんご 国産にはない味わいである。

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by kurama66644 | 2018-06-15 13:32 | オーディオ | Comments(2)

アッコルドとアマトール

特にソナス・ファベールのスピーカーを好きというわけでもない 作者のフランコ・セルブリンのスピーカー製作に対する意気込みに惹かれただけである。

そうして手に入れた「Minima」と「アマトール」特にアマトールはフランコの処女作でもあり本革を使ったフロントバッフル、寄木集めのエンクロージャーというソナススピーカーの原型を作った作品でもあるので感慨深いものがある。

アマトールはラテン語で「選び抜かれた友人」とあるが友人になれるかどうか導入して3か月経つが分からない(笑) 造られて30年経つので現代スピーカーに比べ性能的には劣っている部分もあるかとは思うが発売時の評判は大変良かったそうである しかしながら作者のスピーカー作りに対する情熱が時として音楽再生にじゃまになる場合もあると感じている すなわちジャンルにもよるが感情を豊かに表現しないような音源、音楽はとてもバランスが悪く聴こえてしまう アマトールを利己的なスピーカーと以前書いたがスピーカーが音源を選んでしまうというのはとても珍しくスピーカーに合ったものはとてつもなく素晴らしい再生をもたらすが そうでないものはこちらの意図しないおかしな再生をしてしまう傾向にある…
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アマトールと右端に置いてあるのがMinima(訂正:スタンドに置いてあるのがminima、右端がアマトールです)

現時点に於いてこのスピーカーに翻弄されているというのが正直なところである。ただし使いこなそうとか無理やり型にはめる気は無くしばらくは様子見である 再生する音楽はジャズや歌謡曲が多い ジャズはアタック感が信条であるとよく言われるがこのアマトールにはアタック感は少ない(;'∀') それを補うドロドロした情熱が再現できるので結構聴ける それは歌謡曲(昭和歌謡)でも同じことが言える。そうそう昭和歌謡といえば先週ご近所のオーディオファイルIさんと相互オフ会をした オフ会自体はもう余りやらなくなったがテーマが「昭和歌謡再生」である事とIさんはアッコルドを所有しているのでそれにも惹かれた。

アッコルドはフランコ・セルブリンの遺作でアマトールとは形からも違うが音色はフランコの匂いが感じられた。音色に匂いというのもおかしな話であるがなんとなくそう感じてしまった(笑) おそらくこの処女作品と遺作を同時に聴き比べできる機会はそうそうない筈でありお互い家が近くであるのも珍しいと思う 再生するのがクラッシックではなく「昭和歌謡」なのでフランコ・セルブリンも草葉の陰で泣いているだろうなぁ~(-_-;)
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Iさん宅のアッコルド キタサンの写真の撮り方が悪くよく写っていないが流麗な外観でとても美しいスピーカーである。

アッコルドは2012年発売の新しいスピーカーで「調和」という意味である その名の通り宙を浮かぶ音色が心地よくバランスよく鳴る優秀なスピーカーである。
フランコ・セルブリンが最後に残したかった音の集大成がこういう音というのなら なるほど納得できる。アマトールが若者の血気盛んなほとばしる音に対してアッコルドは達観した静かながら芯のある音かと思う。アマトールもそうだがそれはその時代に求められていた音でもあるように思うし時代を反映しているようにも感じる。

音を聴くのも楽しいが観る価値のあるスピーカーの存在も趣味としての醍醐味があるようにも思う。

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by kurama66644 | 2018-06-02 09:41 | オーディオ | Comments(2)

レコードの音

最近CDを聴くことが多くなった。元々CDをメインで長年聴いていたのに(長年というのはミニコンポ、ラジカセでの再生も含めて) ここ4~5年はアナログオンリーになっていた。自分でいうのもなんだがそういう時のエネルギーはすごいもので結局あれほど多く集めていたCDはほぼ売却 CDプレーヤーも売却し アナログしか聴けない状態に自分をもっていった。何か求道的にアナログを求めていたようだがアナログ再生の方が自分にとって心地よい音が出せたというのが大きいように思える ジャズの元の音を知りたかったというのは何度も書いてきたことだが古いジャズの当時のメディアはレコードでしかもモノラル音源も多い その初盤いわゆるオリジナルの音を知ることがオーディオ再生に役立つともその時は思っていた

レコード盤自体趣味性が高く 特にジャケット好きなキタサンはレコードに嵌ってしまった。センターレーベルの違いやマトリックス番号からオリジナルか否か判別するのもなかなか興味があり面白かった。レコードの音は一般的にはパチパチとノイズが多く 柔らかな、癒し系の音がするというイメージがあると思うが機器性能の向上や使い手の工夫、鳴らすまでの作業行程の熟練によりデジタル機器とさほど変わらずノイズレスに近くなる あと柔らかな音というは音出しの際 針により盤と接触し音以外のノイズを拾うそのノイズが混ざった音が意外と柔らかな音を印象付けるのではないかと思っている(何となくの想像である)今は高音質かそうでないものかという2極分化されているようなので音質の件で今更アナログ、デジタルと線引きするのはそれほど意味はないような気がする。※高音質という表現も実は曖昧ではあるが…

使い勝手が不便故 それに伴う一連の作業終了時の達成感、ブラックボックス化されたデジタル機器と違い見える化されているのでその安心感、レコードという媒体の存在感などレコードの音そのものより視覚による違いが大きいように感じる。

年齢的にはレコード世代の最後の方かと思っている 中学、高校と大学時代は主にカセットで社会人になりCDがメインになった といってもちゃんとしたオーディオ機器はなく ここ10年位で機器類は揃えた素人である。原体験としてもちろんレコードの音は色々なところで聴いていたがそれほどレコードの音を知っているわけではない ただここ4~5年ほど集中的にレコードばかり聴いていたのでひょっとしたらレコードの音は体に染みついたかもしれない…それでも音は目に見えないもので音色といっても人が頭の中で想像し比喩しているに過ぎない それぞれの感覚によりこの「色」も変わってくるように思う

アナログでもCDなどのデジタルでも最終的に音が出るスピーカー部分でその印象はだいぶ変わる。今まで聴いていたMinimaでは音色がオレンジ色をしている印象を持ったがアマトールにしてから赤と黒の音色に変化した あくまでも個人の感覚でありそれは人によっても違うはず レコードの音、CDの音はそれぞれが視覚からくるもの 体験からくる各自の捉え方、感性で大きくその音の印象は変わってくるはず。


オーディオは物理的特性を自分の感性に最適なように調整し音楽を楽しむ趣味かと思っている その特性をトコトン追及してそこで初めて音楽が生きてくるというアプローチの仕方と 音楽そのものは特性とは別というアプローチの仕方と両方あるように思う。オーディオマニアは前者が多い 後者はそもそもオーディオにはさほど興味がないし趣味と思っていない、自分は後者だが周りにマニアが多いのでそれを見ていると前者のような試みも「なるほど」と納得する事もあり面白さはあると感じている

レコードの音は同じアルバムでも盤の材質や製造国(製造機器)その工程により違いがあるらしい 更には録音方法、技術により違うなど物理的特性からすると何となく違っている気もするが一般の人はおそらくそんなこと考えもしないで聴く。 歌手や演奏者が同じであればその演奏や曲に何らかの感情を持ち自己判断(好き嫌い等)を下すだけである。

ひょっとするとレコードの音、いやCDの音、配信系の音云々なんてそもそも存在しないのではないだろうか? 見た目(再生する機器類など)で判断する自分の過去体験からの想像の音でしかないような気もする。そうオーディオの音は所詮 幻想の音でしかすぎない 実際にありもしない音を探しお金と時間をかけ時には音の違いとやらで喧嘩しもめる…当事者同士だけでもめる分には構わないがSNSの発達で他の人も巻き込んで大もめになってしまう。

最後は少し愚痴っぽくなってしまったがレコードの音にそれほど意味はあるようには思えない
自分にとっては過去に実際聴いた人の形見、思い出としてとらえている。

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ジミー・スミスの中では結構好きなアルバム 「サーモン」というタイトルからして鮭と思っていたら祈りのほうだった(;'∀') 大食漢のジミーのことだから鮭を抱えている姿にも思えた…
この人のフットペダルさばきはものすごいものがあり衝撃的だった 亡くなってから13年経つがオルガンの音よりフットペダルさばきとあのダミ声の印象が強く記憶に残っているのは音ではなくジミー・スミス本人を見ていたからだと思う そこにはオーディオやレコードが入り込む余地はない。
 
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by kurama66644 | 2018-05-20 11:55 | オーディオ | Comments(2)

スピーカースタンド

大型スピーカーやトールボーイ型のスピーカーの場合特に必要ないが小型スピーカーなどにはスピーカースタンドを用意する場合もある。
用意する場合もあると書いたのはマニア以外は実は結構適当に設置する場合も少なくはないからである。カタログなどを見ると意外とこのスピーカースタンドは高価な物が多い、メーカーサイドに聞くと需要が少ないのでそれだけ割高になるようなのである(本当かな?)ブックシェルフスピーカーには大抵はオプションとしてスタンドも売られているが見た目重視で必ずしもそれを用いて音決めをしたかは疑問である。

ソナスのMinimaを購入した時 スピーカースタンドは木工家具を手掛けている方に作ってもらった。というのも専用のスタンドはかなり高価でそして古いものであったため中々市場には流通していなかったからである。サイズもMinimaに合うように作ってもらったが高さが少し低く椅子に座って聴く高さと床に座って聴く高さの中間位の位置であった。
Minimaの取説を見るとツイーターが視聴する時 顎から胸の位置の場合とおなかの位置でのそれぞれの周波数特性のデーターが載っていた。その図には専用のスピーカースタンドを用いた場合の説明であったのでこのスピーカーには専用のスピーカースタンドを用いるのがマストであることを想定し音決めをしていたのであろう。

3月にアマトールを導入し専用台(スピーカースタンド)も購入した、逆にアマトールを導入するのが遅れたのはこの専用台が中々見つからなかったせいでもある。本体が程度の良いものがあってもスピーカースタンドが無かったり その逆のパターンもあった 決して安いものでもなかったので両方見つけてもその時 お金が無かったのも遅れた原因の一つでもあった(;'∀')

このスピーカースタンドは4つの異なる材質を使っている。一番下のベースが大理石で支える支柱が天然木、天板が鉄製である 更には天板の4隅にはゴムが付いており滑り止めになっている こうしたいくつかの素材の違う組み合わせのスタンドは初めての経験だがアマトールは間違いなくこの専用スタンドによる音決めをしている。
気になるのが天板の大きさでアマトールを乗せると半分は外にはみ出す…多少はみ出す分には構わないがただ乗せているだけなので何かの拍子に落っこちはしないか不安である。重量があるのと4隅のゴムで滑り止めが効いているので大丈夫かと思うのだが…

よく素材の音がスピーカーにのる ないしは被ると聞くが単一素材の場合はその傾向が強いと聞いた そうするとこのスタンドのように素材の違うものを複合して使うと素材同士が音を打ち消して固有の音を消す効果があるので結構有効なのかもしれない。

明るい音が聴きたくなりアマトールからMinimaに代え今週初めから聴いている。アマトール用のスピーカースタンドに乗せているのだがこのようにサイズ的にはピッタリする。Minima専用スピーカースタンドも基本的には同じ形だが支柱の木製の間が確か空いており耐荷重が軽くなっていたような気がする。
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家具屋さんに作っていただいた木製の特注スタンドより軽快に鳴り以前に比べ低音も深く沈む 
昔 JBLのスピーカーを持っていた先輩はコンクリートブロックの上に置いて使っていた キタサンが初めて使ったJBL4318には木製のスタンドの上に置いて使った。
電気的な影響とは別にこの振動系の影響は現代のオーディオを行う人の興味の一つだと思う。ガチガチに固めた筐体をいかに振動を消すかと腐心した作りの現代機器に比べ昔の筐体は逆に響きを利用する作りの物も少なくはない 実を言うと周りのオーディオマニアが言う素材の違いによる音の違い等 自分にはよく分からない…
きっと経験が足りないからなのだろう 耳も悪いのかもしれない 「音は何をしても変わる」とよく言われているが それならばそれが素材の音なのかどうか判別できるのだろうか?オーディオは総合的な結果として音が出てくるので単体での音の区別は難しいような気がすると最近になって思うようになった。今までアンプの音、スピーカーの音、プレーヤーの音はどうこうと書いてきたがそれがはたして本当にアンプの音だったりスピーカーの音なのか?そもそも単体では音はしない…。

スピーカースタンドの話はどこへやら(笑) 

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by kurama66644 | 2018-05-13 09:58 | オーディオ | Comments(2)

人に聴いてもらうという事

自分のオーディオの音を人に聴いてもらうという事は色々な発見が得られる。それまで気づかなかった事、理解出来なかった事が氷解するなど有意義であると思っている。

自分はオーディオを知ってから5年位一人黙々と調整していた 周りにオーディオを行っている人がいなかったしそもそも一人で弄っているのが好きだったこともある  
2年目位の時に身近に(職場)オーディオを何十年もやっている同僚がいる事を知った その人には技術的な事や素人にありがちな疑問など聞くことがあったが実際に家に来てもらって音を聴いてもらったのはそれから4年後ぐらいであった その方はこのブログでも時々登場する私のオーディオの師匠である。

SNSの発達で同じ趣味同士の交流がとても簡単にできるようになった。更にはそこからリアルな付き合い、出会いが生まれオフ会なるものも行えるようになった。お金と時間があれば場所や距離に関係なく日本全国いや世界中でも行き来できるのはすごい事である。キタサンもオーディオコミュで知り合った人たちと実際の交流をし相互オフ会なるものを行ったりしたが今は正直言って積極的ではない… 人付き合いはそれほど苦にならないがご招待するには狭すぎる環境なので一人ぐらいならまだしもそれ以上だと窮屈になり ゆったりできないだろうというのが一番の理由である。それとオーディオ以外の事を色々と観察してしまい極端な話相手の人生観のような事にも踏み込んで想像してしまう変な癖?があるの落ち着かない事が挙げられる 考えてみるとこれだけ世の中が個人情報漏えい云々と言われている中でネットで知り合ったというだけで初めての人でも自宅に案内、招待してしまうオフ会なるものはある意味非常に危険でもあり恐ろしい事でもある 日本人は島国で閉鎖的な人種であると海外から言われるが本当はオープンな人種なのではないかとも思えてしまう(笑)

そういう中 1年振りに若手オーディオファンのNさんのお宅に訪問した。オフ会には積極的ではないと言いながらの訪問で上記に書いた事と相反するかもしれないが他人宅でそれなりのスペースがあるお宅では問題ない(笑) 自宅が狭くて呼ぶのに申し訳ないというだけである(相変わらずいい加減ですね…) ただどうしてもオーディオ以外の所も見てしまう…歳が離れているせいもあり余計なおせっかいかもしれないが気になる事もあったので訪問に至った。

最近高価なカートリッジを購入したと聞くそのカートリッジでアナログ中心に聴かせていただいた
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最初に聴かせていただいたのが25年振りの復活「ABBA」の昔のアルバム この手の音楽は当時余り聴かなかったが同時代を生きていた自分にはとても懐かしく感じた
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ただ正直に言うとそれほどこのアルバムには感動はしなかった(;'∀') おそらく音源の影響だとすぐ分かった。次にかけていただいたのがクラッシックギターのアルバム とても奥行き感と臨場感がある素晴らしい再生である。ジャズ好きのキタサンのリクエストでコルトレーンの「ブルートレイン」を次にかけてもらった このアルバム キタサンはオリジナルではないがセカンド盤を所有しておりバンゲルダー録音の凄さを認識しているつもりだ。かけていただいたのがディアゴスティーニの復刻盤 この盤もキタサンは所有しており 本家との違いは認識しており余り期待はしていなかったがコルトレーンのサックスがいやに生々しく再生される おそらく自宅のシステムでこのディアゴスティーニ盤だとこれほどサックスの質感は望めない ちょっと驚いてしまった。ここまで聴いて1年前とシステム自体殆ど変わっていない 最近購入されたカートリッジによる影響が大きいのとご自身のアナログへの探求心と興味が再生技術を上達させたのではないかと想像する。次にカートリッジによる音の違いと称して3種類のカートリッジを手際よく交換していたのも慣れた手つきで行っていた。

その後オフ会では余りやらないのだが自分で持ってきたジャズのアナログ盤をNさんにことわりを入れ勝手に再生させてもらった(笑)
70年代の渡辺貞夫とクリフォード・ジョーダンのアルバムだが いやはやとても爽快に鳴ってくれる こんな再生久しぶりでとても楽しくなってしまった。今のキタサンシステムでは音色がダークになってこんな快活に鳴ってくれない(-_-;) ナベサダやジョーダンが10歳は若くなったようでこれはこれで良いと感じる。

8割りがたアナログで2割りはCDだったが個人的にはアナログの方が好みである。CD再生も高価なプレーヤーを持っているので悪いわけはないのだがアナログのほうがとても自然で奥行き感もある。 最後に総括でNさんから1年前と比べて音が良くなったか?アナログの音はどうだったか?等々…怒涛の如く回答を迫られ困ってしまった…

というのも良かったものもあるし余り好みでないものもあり相対的にはアナログの方がCD再生より好みであった。より詳しく言うとアナログ再生でも素晴らしく良かったものもあるし普通に聴こえたものもある CD再生でも良いものもあれば好みでないものもあった… これは何を意味するかというと音源に対してシビアな再生になっているという事だと思う システム自体フラットになりモニタールームで聴いている感覚なのである。良いものは良く聴こえそうでないものはそれなりに聴こえる 音源を選別するシステムとしては理想の姿ともいえるのではないだろうか? 部屋は一般の普通の部屋でありながら稀有な音出しかと思う。

オーディオに非常に熱心なNさんは自宅に人を呼びシステムの様子を聞く いわゆるオフ会を多くされる方である。人の言われる事を聞き参考にし改良して向上していく事は当然のプロセスだと思うがそこに落とし穴があるように個人的には思う。余りにも色々な意見を聞くとその人の個性が消えてしまいかねない、人は自分の理想を他人にも押し付けてしまう 結果万人に受けようと思うといいどこ取りをしてしまうものである もちろん自分の考えも持っていて参考にするだけと自身は思っていても権威やブランド、他の人の経験に流されてしまうのである。これは若かろうが年寄だろうがそうなる危険性はある。

オーディオの音は所詮 音源の音を機械で再生するだけに過ぎない。抽象的だがそこにその人の生き方が反映され自分はその音を聴きたいと思っている。
誰しも人生の音は持っていると思う その人の人生が見えない音は機器性能が良くても視聴環境に恵まれていても魅力は感じない 少し大げさな言い方かもしれないが人に聴かせるというのはそれだけの覚悟がいると思っている。

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久しぶりに聴いたけどこのアルバムもgood! Nさん辛辣な意見申し訳ない レコード棚、CD棚は整理整頓して下さい ありがとうございました。

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by kurama66644 | 2018-05-06 09:12 | オーディオ | Comments(4)

ジャズは好きです!


by キタサン
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