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カテゴリ:オーディオ( 344 )

改めてアナログ

オーディオを縮小して(機材は余り変わっていないが…)から一番の変化はアナログをほぼやらなくなった事だ。
昨年までレコードのオリジナル等に狂っておりそれが4年ぐらい続いていた…価値と音質を混同しながら試行錯誤しそれを確かめるにはある程度の財力が必要である事がわかった(ジャズやロックのレコードは特にそうである)一端それに関わると自分の性格からまっしぐらに進んでしまう(-_-;) ようやく我に返ったのが昨年末位である。
気づかせてくれたのがやはり普通のオーディオ、身の丈にあったオーディオスタイルでその時  購入した英国のクリーク社製アンプとCDPの存在である。

ジャズのオリジナルという特異な存在に魅了されていたが音楽の本質に目を向けるとオリジナルも再発盤もそれほど変わらないと今は思うようになった。オーディオマニアからすると音が違うと言うが(自分もそう感じるのは事実)実際商業製品としての価格と価値が全く合っていない 普通のオーディオをするようになってから頭の中で何かが吹っ切れ 持っていたアナログのオリジナルを大方処分してしまった そしてそれを再生するアナログプレーヤーとカートリッジなどの消耗品も同時に処分 一応再生する装置はあるがケンウッドの80年代のプレーヤーに合研ラボのフォノイコライザーと合計6万位のものしか今は無い(笑) SPUのアナログ針も今は無い お気に入りのオーディオテクニカの針と金属製の特殊なターンテーブルシートはまだ残している 笑ってしまうのがこの針とターンテーブルシートの方が本体やフォノイコライザーより価格が高い…何ともおかしな状態である ちなみに針とターンテーブルシートの合計で10万…オーディオに興味のない人からすると「?」となるだろう 実際今のキタサンの感覚からしてもおかしいと思う。

アナログが一時的にブームになったようだが今も続いているのかはっきり分からない ターンテーブル(プレーヤー)なんて各社で販売しているようだが特定の人向けなのは確かである。
今の若者は音楽再生の機器に云十万なんてとてもじゃないが使わない それをメーカーは知っていて強気の価格で販売するということは完全にマニアというかある程度お金に余裕にある人を対象としている。そこで言われるのがデジタルは低価格でも高音質のものも出てきたがアナログに関してはある程度の価格のものが必要と購買層を限定させるような事を喧騒する そりゃそうだろう音が出るまでのプロセスに於いてプレーヤー一つ見てもパーツが沢山ありそれぞれ厳選して作ればコスト高になってしまう 更にデジタル機器の流通量に比べ少ないわけだからコスト高にしないと採算が合わなくなってしまう。結局一時的なブームもお金持ちのオジサンたち向けの金儲けの手段としてのパフォーマンスのような気がして業界内の喚起だとしても罪深いと思ってしまう。

ここまで所有機器類の安さをアピールしたかのようだがアナログ再生するにあたってアンプ、
スピーカー、SPスタンド、プレーヤー本体+アクセサリー類総額で50万位になる(ほぼ中古品)…これだけかけて音楽を再生するかというと今の若者にはとてもではないが奨められない 出来る限り生の、実際の演奏を聴きにいくほうを奨める。
そうでなければ自分の買える範囲内の機器類を選び 部屋にあったセッティングやらよく聴ける環境を工夫する方法を身につけてもらった方が良いと考える。

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その時代輝いていたアナログプレーヤー 本当の真価を発揮させるにはその時代を生きその音楽に対して何かしらの時代に対する思いを持っていないと生かせないような気がする もちろん年齢に関係なく現代でも上手く鳴らせるがそれは単にきれいな音でありそれ以上でもそれ以下でもない。



by kurama66644 | 2019-07-15 11:42 | オーディオ | Comments(0)

スピーカーかアンプか

スピーカーとアンプの重要性を2元論的に述べられる事がよくあった よくあったというのは過去の事で今は余りそういう議論自体無くなったように思う つまりオーディオに於いてどちらも必要で優劣は決められない 決めたとしてもあくまでも個人的な主観によるもので人により意見は違う 議論の余地はないというわけだ…

音が最終的に決まるのはその出口であるスピーカーであるから大方の人はスピーカー選びに慎重になる 機器購入の構成比(どこにお金をかけるか)はスピーカーが5とすると残り3はアンプで2はプレーヤーに充てるのが一般的とオーディオを始めた当時何かの本に書いてあったのを覚えている オーディオを進めていくうちにこの構成比は人により変動はあるもののスピーカーに重点を置いてある人が多いのは確かなようだ ベテランの中にはアンプはそこそこのものでいいからスピーカーを極めろ!という人もいた 確かに最終出口であるスピーカーの性能で音は決まると言われると納得はするし そう思っていた。

今 少しオーディオを離れているがやり始めて今に至るまでスピーカーもアンプもいくつか変えてきた中 自己のオーディオ活動の中で根源的な変化があったのはアンプを変えた時であった オーディオデザインのアンプでありクォードそしてクリークのアンプ類である それに対してスピーカーであるがスピーカーもJBL→エラック→パイオニア→モニターオーディオ→ソナスファベール(途中に波動スピーカーやRCAモニタースピーカーなどいくつかある)とオーディオ歴が少なくお金も無いのに(笑)もかかわらずまぁ色々と試したものである(;'∀') 改めて思い起こしてみると音の変化はあったが自分の行動を変えるまでの影響はなかったような気もする…あれ?

このブログはというかキタサン自身オーディオに余り詳しくないので技術的な事は書けないし書くつもりもない そういうのは専門家に任せるとして何故スピーカーよりアンプを変える事による変化が自分にとって大きかったのかと言うと 人に例えるとスピーカーは外見でアンプは内面だからだと思っているからでもある(笑) 技術者の方からはオカルト的な物言いで何の根拠もない迷い事とお叱りを受けそうだがそう感じてしまったので仕方がない しかも同じ工業製品であり工芸品で人が作ったものである どちらも作り手の情熱が込められている事に変わりはない…だから影響を受けるのはどちらも同じはず?なのだが…

ここで話が終わってしまうと中途半端なので取りあえず先に進める アンプはプレーヤーからの微小信号を増幅する役割を持つ そしてその電気信号をスピーカーに送り振動板を通して空気を震わせ音を出すという流れである アンプは増幅と言う能動的な行為を行う それに対しての指示通りの命令を行うのがスピーカーである つまり意識的に行為をなすのがアンプでありスピーカーはあくまでも受け身の状態にある これはアンプやスピーカーの性能や特性の良し悪しではなく能動的か受動的かで感じる事は違ってくるという事である。
キタサンのところにMinimaとアマトールという2機種のスピーカーがある 作者は同じフランコ・セルブリンであり この両者価格で4倍の差、当然性能も違う 値段や性能が良いアマトールをメインスピーカーとしていたが今はMinimaを主役としている アンプはクォードに固定し両方一定期間毎に交互に聴いていたが値段の安いMinimaの方がこのクォードには合う気がしている それはスピーカーが受け身に徹っして存在を消してくれたからだと思う そう今年初めに導入した宙に浮かぶスピーカースタンドを使ってそれを可能にした。スピーカーはオーディオの花形である スピーカーなくして音は出ない とても重要な役割を持つ存在である ただし音楽を聴くのにスピーカーは主張しすぎても良くないと考える 空気を振動させ音を出すが感情の機微を発するのがアンプである限りスピーカーにとって重要なのはその立ち位置でありその振る舞いである 外観や性能という目に着くものだけで評価するとその判断に間違いが生じてしまう。

空気の揺らぎを音に変えるスピーカー 外観や大きさ性能はあくまでも個性であり本質ではない 様々な揺らぎを与えるアンプにこそ音楽を奏でる上での大きな意味があるように思う。
人は見た目で判断される でもやはり内面が大事だと歳をとるほどそう思う今日この頃である…

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アンプではないが現在使用中のクォードが最初に出したCDプレーヤー 近づくとキュルキュルとディスクの回転音が聞こえる(笑) クリークのCDPも良いのだがジャズはこのクォードでないと心に響かない おかげでアナログプレーヤーは殆ど稼働していなく営業停止状態である 内部メカもディスコンだからこれが壊れたら さてどうしよう(笑)

by kurama66644 | 2019-07-13 09:55 | オーディオ | Comments(2)

退場しました…

先日、参加しているオーディオコミュを退会した…2012年1月からの参加だから約7年半在籍したことになる。(※手続きに2~3日かかる?ので名前はまだ残っている)

特にオーディオが嫌いになったわけではない。音楽を聴く手段として特定の機器(狭義の意味でオーディオ)を使って鑑賞するのがオーディオという趣味である
時代と共に聴くスタイルや方法、そして機器自体変わっていく それは進化であり当然の事だと思う しかしながら頑なに昔のスタイルを守るのもよし 時代時代の変化に伴いやり方を変えていくのもよし それは各自の自由である。

オーディオに興味が無い人からすると広いリビングで優雅にクラシックなど聴いている富裕層の イメージやら改造機器に囲まれたマニアの巣窟など想像する人もいるのではないだろうか? 
実際キタサンも最初そういう想像をしていた(笑)  そしてその世界に入ってみると意外と普通で一般家庭の一室に装置を置き「良い音で良い音楽を聴きたい」と切望する真面目な方も多く ちょっと肩透かしをくらった感じを当初受けたのを覚えている。

技術の進化と生産性の向上により利便性が追及されオーディオ機器も小型軽量化していった 音楽を単に聴くだけなら手のひらに入る大きさにまで小さくなり 日本の住宅事情にもマッチしとても良い事だと思うが どうしても物としての存在感がなく物足りないと感じる人も少なくない   それは機器だけではなくソフトもしかりで元々は音楽という形のないものだったのが再生するメディア媒体としてはどうしても固有の形ができてしまう それがレコードだったりCDなのだが今や配信の時代 そういう形のあるものも必要としなくなりつつある。オーディオの世界は面白いものでソフトの世界では形のないものを許容するようになってきたのに再生する機器に関しては存在感のあるものを必要とする人がまだまだ多くいるようである。これは音を発生させる装置として物理的に大きさや形、素材が影響する関係上何でも小さければ済む話でもないので ある程度は仕方がない事かと思う 逆に必要以上の大きさもいらないと個人的には思っているのだが…

冒頭に上げたコミュだがコミュニティという事から色々な情報発信の場でそれに対する各々の考え方意見を交換する場でもある ただここ最近は自分の勉強不足のせいもあり話されている内容についていけなくなった そしてそれを知ろうとする意欲も無くなってしまった… あとは始める前から薄々は感じていたがお金の掛かる趣味でもある…オーディオ自体が斜陽化し需要が減ってきている 当然供給が減り限られたパイの中ではどうしてもその機器類は高額化してしまい富裕層などの購買層を中心としたラインナップになってしまう それだけではなくオーディオ関連用品更には「部屋」や「家」までも音に影響すると喧騒し需要を掘り起こし益々ディープな世界に進んでいっている。
音への探求心と言えば聞こえはいいがどこまで本当のことか (あるいは本物なのか)話している内容もよく分からないし そもそも生活の一部に普通の機器が家電といっしょに置いてあるという感覚でいるのでそれを特別視する人達と話が合うわけがない かろうじて音楽の話でつながっていた部分もあるが高音が低域が歪が云々という話が出てしまうと正直言って興ざめしてしまう…所詮は機械を通して出る音で自分で演奏した(出した、作った)音ではない。

このコミュニティの「場」に正直言って馴染めなくなってしまった…

まとまりのない事を書いてしまったがコミュ内では色々オフ会等参加させていただき感謝である。誰一人として変な音は無かった とても心地よい音であったのは確かである 真面目にやられている証でもある
安い?オーディオ機器はまだ若干残っているのでこのブログ内で時々オーディオの話はするとは思うが今後は雑感という形で日々感じたことなど書いていこうと思っている。
関わりがあった方々には深くお礼を申し上げたい ありがとうございました。

by kurama66644 | 2019-06-30 08:58 | オーディオ | Comments(12)

宙に浮かぶスピーカーその後

歳を重ねると体の事を考える事が多くなった(-_-;) ただし巷で言う健康を意識するのとは違っている 体の動かし方あるいは自分の体だけではなく筐体というか構造物などの仕組みをみて どういう状態にあるのが楽か 動きやすいのかなど考える。
きっかけはやはりピアノを弾くようになり普段使わない体の動きをするようになり 特に脱力状態(体の力を抜く)が素早く動ける事が分かってからである。

肩こりがひどかったのでマッサージや指圧に通っていたことがあったがその時は気持ちよいのだが後日また肩こりになる  普通痛みのある個所を揉み解したり叩いたりするが痛みの箇所ではなく根本的な原因を知らなくては治らない もちろん精神的な要素も大いに関係するが体だけで考えると肩とは全然関係ない所がこわばっていたりそこが遠因になり肩こりを起こす事もある 体の位置バランスが崩れていたりする場合元の状態に戻すと治る場合もありその元に戻す動きを意識的に行うと改善できる。

まぁ肩こりの話はさておきタイトルの宙に浮かぶスピーカーだがhttps://andokan.exblog.jp/29184159/今年の1月に購入 Minimaの新しいスタンドとして使用中 もう1台あるアマトール(こちらは専用スタンド)と定期的に交代しながら聴いている。
文字通り宙に浮かぶさまのスピーカーだがそれを支えるスタンド自体は従来の剛性が高くスピーカーの鳴きを押さえるものとは180度違っている 細めのスチール そのスチールを触るとスピーカーから出る音で物凄く共振しているのが分かる…ところが出てくる音はCDやレコードに収録された音場、音像を見事に描写する 私のオーディオの師匠も驚いていた。おそらくだが安価なスピーカーでもその能力を最大限発揮出来るように作られているように思われる それは体に例えると可動域を最大限自在に動かせるような自由度を確保しているからであろう 接点を空気以外最小限度に抑えかつ揺らぎすぎないよう(紐やロープでつるす場合などと比べて)工夫されている。
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スピーカーも人間の体も構造物に違いはない そうであるならばその構造物の動きないしは機能するのになるべくじゃまにならないような作りや位置にある事が重要である。そう考えるとこの宙に浮かぶスピーカーを支えるスタンドはかなり優秀なものだと思える 見た目や素材からするととてもチープに感じられるが機能を最大限生かせるように考えられた物である。

ここまで褒めてきて私の師匠も絶賛しているのならこの宙に浮かぶスピーカーで固定して聴けばよいと思われる方もいるだろう。実際このスピーカースタンドを使って聞いている時はオーディオを意識しない ただし音楽を聴いて楽しくなると感じるのは普通の専用スタンドで使用しているアマトールである…

よく理想の音を目指してとか自然なバランスある音を出したいとかマニアの方?はあれこれ創意工夫をする 道なき道を進むかの如く行っていくとある時 音を意識しないようになっていき日常の中に溶け込んでいく いわゆる自然な状態になっていき安らぎや安心感が芽生えるものである。 でもそれってそれほど拘りを持って行ってきた人にはとてもつまらない退屈な姿になっているのでは?とも思ってしまう 非日常的なものを求めていたのに日常的なものになっていく全く逆の事が起きてしまうからである。

何だかいつものようにまとまりのない文章になってしまったが完璧を目指せば目指すほど実はとてもつまらないものになってしまい 人は欲望を少なからずもっている限りつまらなくならないように刺激などを欲するようになる 理想の姿、形を求めても意外と満足しない(面白みがない) 年老いて体のパーツのいたるところが経年劣化していく それを補うための体の動きを変える事は完璧を目指すのとは違う もう完璧を目指せない諦めの境地からくるものであり現時点での理想を求めての動きでもある。 高級なオーディオ装置に比べ価格やそのポテンシャルが落ちるMinima それに別の動き(ここでは宙に浮かべるスタンド)を加える事により本来の能力を十分発揮出来るような現時点での理想の音が出る その理想の音が自分にとって楽しいのかそうでないのかは又 別の事でもある。

by kurama66644 | 2019-05-29 13:02 | オーディオ | Comments(0)

オッカムの剃刀

先の連休中 久しぶりにオーディオをフルに聴いた事は前回のブログでも書いた 不思議な事にとても良い感じで鳴っている どのアルバム(CDが殆どだったが)を聴いてもよい感じであった…以前と比べ環境的にも変化はない Minimaとアマトールは定期的に交互に変えて聴いているしアンプやCDPをQUADに戻して聴いたがそれぞれの機種の違いはあるものの やはり以前と違ってよい感じで鳴っている。

ピアノを弾くようになってから音感がアップした?それも違う!相変わらず下手な状態である  楽理は少しづつ分かるようになってきたが腕は素人レベルである

どうしてなんだろう と考えてみたのだがオーディオの事を余り考えなくなったからではないかと思う それはオーディオを始める前の状態に戻っている証拠でもある
音楽がただ鳴っている ごくありふれた状景であり それ以上でも以下でもない アルバム(CDが殆どだったが)を買ってはワクワクドキドキ聴いていた 自分が(生で)実際聴いていたジャズマンのアルバム 新譜であろうと中古であろうとときめいていた。

オーディオを始める前の頃はただひたすら旋律を追っていた 音質は考える余地はない 所詮ミニコンポである(;^ω^) 定位や音像もしかりである。分析的な聴き方は様々な比較検討するファクターが必要になる マニアは音(音質)もそうだがその原因になる事を追求する 研究者に近くなってしまう…自分もそれに近い事(聴き方)を知らず知らずのうちにしていた。
そうするとどうなるか? 沼に嵌ってしまう…沼に嵌ってしまいながらも進もうと必死になる  追求者とはそんなものである それがいいんだよと自ら認める人も多い。

先日、私のオーディオの師匠が遊びに来られたが結局オーディオの話は殆どしなかった…演奏されているライブの話や聴衆の反応 たまたま演奏した曲の話や弾き方云々…ときおりCDをかけて聴いても典型的なバップのコード進行であるとか このピアニストはストライド奏法をしていますねとか 演奏に絡めた話題しかでてこない もちろん師匠はそれほどジャズには詳しくないのでその演奏者の事はよく知らない 初見で聴いてからの素直な感想なのである そしてマニアの好きな高音が低音が定位がなど一切話題にならなかった。

同じ趣味を持った人が集まるとある一定の話題あるいは共通の話題で盛り上がる 今回オーディオの話は殆どでなかったと言ったが英国のアンプの話が唯一オーディオの話題になった たまたまキタサンがQUADとクリークという英国のアンプを使っている事が発端であったのだが このアンプを特にQUADを買うきっかけが未だに分からない なぜこんな古ぼけた?昔のアンプを買うようになったのか…実は師匠もオーディオをしていた最後の方がこのQUADのアンプを使っていたことを今回初めて聞き少し驚いた。

師匠曰く「スペックが高いアンプは山ほどあり なるほどと感心するがスカスカの中身のこのQUADのアンプの音楽には感動しかなかった」
QUADは確かに音楽を聴くのが楽しくなるアンプである そしてもう1台あるクリークは幸せな気分にさせてくれるアンプでもある byキタサン

英国のオーディオは一部を除き庶民の生活に沿った機器を作っている 限られた予算の中で最大限に良い音楽を鳴らすように作られている そう音より音楽が重要である その辺りはヨーロッパの文化とも関係し音楽が無理やり存在しているのとは違う 音楽の中にたまたま音が存在している こんな感覚なのであろう、それに対して音のなかに音楽が存在しているのは日本である 日本人は昔から音に対して敏感であった 虫の声が会話に聴こえるのは日本人とポリネシア人しかいない それほど音に対しある意味拘りがある その最たるものが(日本の)オーディオであるように思う。もちろんそのことの是非や善悪を議論するつもりはないし それぞれのお国柄の特性として捉えればどおってことはない。

オーディオを始めてから音だけではなく様々な事(要素)が覆いかぶさり膨れ上がったように思う その要素を少しずつ無くしていき今 あらわになった音をも削っている そうして初めて音楽が聴こえてきたように感じている 同時にオーディオの興味も失せてきたことは残念な事でもある(;^ω^)
物事の余計な部分を削りシンプルに判断する「オッカムの剃刀」は強烈だ 強烈ゆえやり過ぎもよくない…シンプルになったキタサンのオーディオ 又新たな気分で少しづつ再開するか?ちょっと迷っている ピアノの方は相変わらずノンビリと演っている(笑)

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おかげさまでレコードの処分も大方完了した。一部を除いてほぼ譲るか売却した。そういう中でこのアルバムは譲り先が決まっているのでまだ保管している
その譲り先の人はオーディオに熱心な方で音楽も好きな方でもある この人のオーディオを聴いてから今後のキタサンのオーディオ 続けるかフェードアウトしていくか判断しようかなとも考えている。


by kurama66644 | 2019-05-22 12:53 | オーディオ | Comments(2)

空間を楽しむ趣味

久しぶりにオーディオの話  現在BGM的に少しは鳴らしている程度で実質オーディオ活動は中止している状態である…前にも言ったが嫌いになったわけではなく あれこれ音の事を考えるなら自分で音を作った方が手っ取り早い それならば音や音楽を奏でる方法?すなわち楽器を演奏するなり歌を歌うなりした方が分かりやすいと思い ピアノを弾いている。
もう一つの選択肢があり自作でオーディオ機器を作るなり弄るなりする手段であるが こちらはもう最初から苦手で諦めた…

布団部屋(ピアノが置いてある部屋)ではピアノを弾く時ヘッドフォンを使っている 以前にもブログで書いたがとても安価なヘッドフォンであるhttps://andokan.exblog.jp/29321267/
簡易防音されており元々はアップライトのピアノが置いてあった部屋なのでヘッドフォンを使う必要もないのだが このヘッドフォン越しの音 とても美しく聴こえる
一応はオーディオ機器?の部類に入ると思うが千円~2千円位と大げさに言うと百円ショップの延長線上にあるぐらいの製品だがとても使い勝手が良い
美しく聴こえるというのはオーディオ機器で聴いていた美しさと違い和音の構成からなる調和の美しさやメロディラインの滑らかさ?音の流れ具合というのか上手く表現できないのだが そういう面で美しいと感じている。

高域が低域がとか何KHzがどうこうと数値で確認できるオーディオ的視点も認めるがちょっとそれとは別の感覚を持つようになってきたのは確かである。

そういう中で先の連休はオーディオをBGM的ではなく久しぶりにフルで鳴らして聴き そして自分で弾くピアノはヘッドフォンで聴いていた。
当初 ヘッドフォンとは違い耳への圧迫感がない分 開放的で心地よいと感じで聴いていたのだがヘッドフォンの方が音や音楽がよく分かる感覚である それは直接耳から脳へダイレクトに伝わるので当たり前と言えばその通りなのだが…(ここでいうよく分かるというのは広義な意味で人によっては捉え方が違うかもしれない)
簡単に言うと部屋の問題でもある オーディオは部屋の音とはよく言ったもので機器以上に部屋の影響は大きいものである。

自分もオーディオを始めた頃には広い部屋にあこがれていて そういう場所でオーディオを聴けたらいいなぁとか思っていたし多くの方もそう思っているのではないだろうか?実際オーディオ業界もオーディオルームの構築にも何らかの関わりをもつようになり推奨しだしてきている
物理的な面で音が良く聴こえるのは広い方が有利だからと考える節もあるのだが色々調べていくと必ずしもそうではない事も分かる そもそも音響を考えて建物を作るケースはマニア?以外なく生活するための住居、部屋なのである。そうであるならば部屋にオーディオ機器を合わせて行く方が無難である その為に機器の特性、仕様があり セッティングの仕方がある それで満足がいかないからアクセサリーにはしったり部屋そのものを作る人まで出てくる それは別に悪い事では無く個人の自由で需要と供給があれば続いていくしどちらかが疲弊すれば消滅していくだけである。

先ほども書いたがピアノを弾く時はヘッドフォンで音を確認して楽しんでいる 音楽や音を楽しむだけならこれで十分 そして今はそういう楽しみ方をする人が増えてきている 音楽や音を聴く人が減ってきているわけではないと思う。
部屋が広くても狭くても空間は存在する その空間内に漂う音を楽しむのがオーディオであると思う ただ残念ながらその空間を楽しむ余裕のある人は減っているようにも感じる 日本が貧しくなっている(金銭的にも精神的にも)事も事実だが色々な規制や人々の感受性にも問題があるように思っている

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連休はアマトールに替え設置、以前も話したがアマトールとMinimaは時々交代して聴いている もうMinimaだけで十分かなと思っているがアマトールにQUADのアンプをつなげるととても面白い音を出す(笑)
オーディオ自体 以前より聴かなくなったがキタサンの唯一の贅沢として空間を楽しませてくれる。

by kurama66644 | 2019-05-18 12:17 | オーディオ | Comments(0)

QUADの復権

タイトルからして誤解されそうだが これはあくまでも我が家での話でオーディオメーカーQUADが現在どういう位置づけにあるのかは知らない。

昨年から英国アンプ クリークを使い普通のオーディオ?に戻り その後ピアノに傾倒していきオーディオへの関心は薄れた ただスピーカーはソナスの2機種があるので1か月~2か月おきぐらいには交代して聴いている(スペースに余裕があれば2機種置くのだが…)クリークは一言で言えば幸せな音を聴かせてくれる マニアが好きな音は出ないがほのかな甘い香りと桜色の音色が美しく感じる そういう出音に満足していた。

ピアノの横に半ば引退状態のQUADのアンプを置いている ソナスのスピーカーを一定時期に交代して聴いているのにQUADだけほったらかしでは不公平と思い約半年ぶりに復活!現在このようになっている。
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セパレートアンプの2段重ね 相変わらずいい加減な置き方である…CDPもQUADに替えオールQUADにした(※アナログプレーヤーは国産) 先般12年前の聴き方に戻った記事を書いたばかりでなんだが何気に聴くのではなく以前のクリークの音と聴き比べながら鑑賞(笑) 何気に聴く習慣は戻りつつあるが12年間オーディオに接していたので完全にオーディオ聴きの癖を脱却できたわけではないようだ(;´・ω・) まぁそれはさておき 久しぶりのQUADの感想はと言うと「秘めた熱さ」を感じた。

秘めた熱さと意味不明な表現をしてしまったが冷静な中にものすごく熱い情熱を感じるという意味である クラシックは余り詳しくないがジャズなどはブルーという表現が良く使われる 熱さが伝わる赤色と対照的だがその赤と青が同じ音楽、楽曲の中に同時に存在する不思議な音楽のジャズ それを上手く出している装置だなと思う。一般的にジャズにQUADなんて合わないように思えるが使っているスピーカーMinimaとの相性も関係しているように思う 能率の低いスピーカーをドライブするのにパワーより駆動力(トルク)が重要である そもそもジャズをメインで聴くのにMinimaなんて小型のスピーカーを使っている人は少ない ただこのスピーカー パワーをつぎ込んでやれば又別の側面を見せる 音源を素直に出すモニタースピーカーとは違い 作り手の意思を音として表すMinimaはいったん手放しても又 聴きたい、買い戻したいと思わせる数少ないスピーカーの一つでもあると思う。

アンプのパワーで部屋の調音をねじ伏せたとキタサンが参加しているコミュで記事に書かれた方がいた 同じく部屋スペースは狭く苦労され工夫して音楽を聴いている方であるがその方もアンプを変えて変化したと記事に書いてあった。このQUADは中古でマニアの方からみると年代物の格安品としてしか見られないかもしれないが現在の測定器重視、データー重視で作られたアンプとは一線を画く それはminimaにも言える事で偶然とはいえQUADとMinimaを所有できたことは大変誇らしく思う。
聴きやすさからいうとクリークなのだが熱さや押し出し感の強さなどはQUADのほうが感じられ 音楽の楽しさを味わえるように思う

QUADのパワーがもたらす音楽のうねりを感じ久しぶりにオーディオに向き合っていたが… まだハノンの練習の途中であったことを忘れ慌ててピアノ部屋に戻り おぼつかない指で打鍵しているキタサンであった。

by kurama66644 | 2019-04-17 09:45 | オーディオ | Comments(0)

12年前に戻る

一応今回のカテゴリーをオーディオとしたのでこれはオーディオの話である。
(※カテゴリーに雑感を追記 今後キタサンのぼやきとして雑感が増えるかも?(;´・ω・))

やっとというかようやく12年前の聴き方に戻りつつあるそうオーディオを始める前の感覚にである
ちょっと何言っているか分からない?と思われるかもしれないのだが確かに戻ってきているのである…オーディオ装置に、ソフトに、音に拘らず何気に聴いていたその時に それが12年前の2007年3月以前の状態にである。

やはりピアノを始めた事が大きい オーディオの電源は入れるが本当に何気にしか聴かない 気が付けば同じソフト しかもCDしか聴いていない、音楽に感動するという感覚でもなく本当に何となく音が流れている 音が良いとか悪いとかという意識もない 当然もっと良い音で聴きたいとか別の機器も試してみたいとかの欲望もない。
その当時と違うのは音がどういう構成音になっているのだろうか?とかリズムはどうか?など作った人がどのような心情で演っているのかと分析的に聴くことが多くなった そして気になった音やフレーズをピアノで鳴らしてみる いわゆる耳コピーである こういう時に傍に楽器があるのは有り難い 即座に試すことが出来る。もちろん毎回毎回こんなことをやっているわけではない あくまでも気になったフレーズ等があり乗り気になった時の事である 殆どは何気に聴き流す だから以前のミニコンポやラジカセとある意味同じ感覚 「流れている」その感じが大事。分析的に聴くフレーズはあくまでもピアノの練習に絡む事 ただ音はラジカセやミニコンポなどと質は違うのは認める

別に達観したわけでもなくまだまだ欲はある オーディオの世界やコレクターの世界(レコードなどのソフトなど)に足を踏み入れて良い事も悪い事も感じ色々と楽しめた。
ただこういう世界はどうしても差を競ってしまうものであることも分かった 自分はその気が無くても周りに感化されてしまいがちである もちろん関わっている人すべてがそうではないと思うが差ではなく違いと認識している人はごくわずかしかいない それは当然のことで当事者になってしまうといやでもその雰囲気に同化してしまうからである。
今あるものを捨てるないしはそこから離れる事で客観的に見る事ができる ただこれまで培ってきたものを簡単に捨てるのは容易ではない。自分もかなり捨てて(手放して)きたが価格的にグレードダウンしているとはいえ買い戻したり新規で(中古で)購入したりしていた…結局はこだわりを捨てきれずに12年続いているということでもある。

自分の場合は金銭的に余裕が無くなってきたことも原因ではあり(元から?)オーディオをという趣味も二極化していると肌で感じている。散財大歓迎という羽振りのいい人もみられ そういう人がオーディオの世界を支え それ以外の人は小型で簡易的なもので楽しみ別のオーディオの世界を築いている。高性能、高品質、拘りと一部の人たちだけが楽しむ閉鎖的な世界に進んでいるようにも思えてしまう そして先ほど挙げたそれ以外の人が利用する小型で簡易的(最近では高音質?)な装置、環境で音楽を楽しむ人はそもそもオーディオの世界なんて呼ばないし眼中にないような気がしている そういう人たちは実際の演奏を聴きに行くことも多い 機器や媒体(ソフト)が売れなく右肩下がりの状況が続くがライブやコンサートは相変わらず人気がある 趣味は多様化しているが音楽を聴く行為自体さほど昔と変わらない。

レコードもオーディオ機器も徐々に売却譲渡しているがこの間 オリジナルに狂って?いた時にようやくの思いで購入したアルバムを売却した。このアルバムを売却できればその当時の思い(過去)も捨て去る事が出来ると思ったからである 結果は二束三文にしかならなかった(笑) 貧乏人にしてはかなり無理して大金で購入したアルバムだが まぁこんなものだろう 物に価値を見い出し夢中になると本当の価値も分からなくなる実例でもある。それよりも何もない所から作った自分のフレーズやコード 曲を弾いている方が今は楽しい 自分で作った本当のオリジナルが手元にある そのオリジナルも一瞬の内に宙に消えそして又新たなオリジナルが出来る その繰り返し。常に流れていくという感覚を持っていないと澱んでしまう。

12年前の聴き方に戻った自分は後退したのだろうか?オーディオの2極化そのどちらとも違う道を進んでいると思う。

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大病を患ってから5年振りのアルバム「ラプソディー・ジャパン」年齢を重ねて人生経験を積んでくるとある日思う時が来る きっかけは色々だが顔つきが変わってくるものである。

by kurama66644 | 2019-04-14 09:32 | オーディオ | Comments(0)

オーディオの効用

ピアノの練習をするようになってからオーディオは疎かになっている ただでさえ弄らなかったのに殆ど弄る事は無くなった ソフトさえ購入する機会も減ってきた…
ただしスピーカーの入れ替えは定期的にやっている 宙を浮くMinimaと専用スタンドのアマトールを大体1ヵ月ぐらいおきに取り換えて聴いている スピーカーはそれぞれ違うので音色や音の出方等もちろん違うのだが専用スタンドと宙に浮かぶスピーカースタンドでは比較するとこの音の出方(定位や音像の現れ方)がかなり異なるので音出しした時の部屋の空気感もかなり変わってくる その変化が面白く入れ替えして聴いている

以前はただ漠然と聴いていたのだがピアノの練習をしだしてから結構分析的に聴くようになった(-_-;) 自分がオーディオをやるようになり一番嫌いな聴き方である。特に宙に浮かぶスピーカースタンドの方がコードトーンやフレーズ、アーティキュレーションなどが分かりやすい 素人は素人なりに分かろうと集中すると少しづつだが理解出来るようになってくるものだ ただし理解できるからと言ってそれを実践できるかというとそれほど甘いものではない 体(指等)が反応しない…脳はこちらを指示しているのに指は別の方に動く 左と右が別々に動かない これは初心者では誰でも経験する事かもしれないのだが幼少期この手の訓練(ピアノの練習など)をして慣れている方からするとそれほど難しくないようだ。なるほど知識は少しづつ増えて何となく分かるようになり指使いも少しづつだが軽やかに動くようになる ここまでは意外と順調にいくが「左右の動きを別々にする」この辺りが第一?の壁かも とオジサンはひとり納得する。

動画などみるとこの左右別々の動きについて「練習や慣れ」の一言で片づけているケースも多い 究極的にはそれなのだが独学でここまで出来た等の動画の人たちは意外と幼少期に少しピアノの経験があったりする方も多い そして大人になり再開し悪戦苦闘しここまで出来るようになった!と紹介していたりする この陰に隠れた部分こそ本当の素人が知りたい事 よーしそれならば本当の素人のキタサンが左右別々の動きが出来るようなるには具体的にどうしたかを順次紹介できるよう試みてみよう
もしできなければピアノの道は諦め…かな?(笑) まぁ仮に上手く出来なくてもリハビリみたいところもあるから続けていくと思うけど

嫌いだった分析的な聴き方もフレーズやコードトーンなど理解するのに聴く分にはこれはこれで役立つし結果的にはこの宙に浮かぶスピーカースタンドを購入して正解だったのかもしれない そしてその前にアンプもクリーク社という英国の大衆機?(ピアノの音が気に入っている)に替え聴くようになったのも知らず知らずの内にそういう方向に自然に導いてくれたのかもしれない 何か不思議な感じはする。
音楽を楽しむために聴くにはこの宙に浮かぶスピーカーよりアマトールで聴いた方が好ましい感じはする ただもうここまで大げさなものはいらないとさえ思い始めている…ミニコンポでいいとまでは言わないがクリーク社のアンプ、CDPとMinima そして更に普通に聴きたかったら以前Minima用に使っていた木製のスタンドもあるしそれに変えてもいいように思っている。ヴィンテージのトーレンスTD124もないしそしてアマトールもなくなれば本当に「普通のオーディオ」で音楽を楽しむ そういうスタイルに変わっていく 自分の普通の生活の中に溶け込む身の丈に合ったオーディオを展開するようになっていく。

オーディオは日々の生活に潤いをもたらせてくれる「音楽」を再生するシステム その音楽をより良く再生したいと熱望するそのための過程・行為が行き過ぎるとマニアになってしまう。逆の意味でその行為が日々の暮らしの中で心を豊かにしてくれるのならそれもありと思っている 音楽が優先か再生が優先かは大げさかもしれないがその人の生き方により違ってくると思う。

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天性のジャズボーカリスト「ストックホルムの妖精」という帯の言葉にひかれ購入したジャズアルバム 彼女の名前はリサ・エクダール 聴いた最初の感想は「このアニメ声?はジャズには合わない」と感じ 一回聴いたっきりそのままにしておいたのだが ここ2か月ぐらいで一番聴いたアルバムになってしまった(;^ω^) 慣れてしまうと病みつきになってしまう その声… そしてバックを支えるピアノトリオが秀逸 本道ジャズ?を好きな方からは敬遠されるようなアルバムであるが今では愛聴盤の一つになってしまった。

※文字が小さかったのでブログデザインを元に戻しました…老眼にはきつかった

by kurama66644 | 2019-03-23 08:29 | オーディオ | Comments(2)

音楽の橋渡し

ピアノを弾くようになってからジャズを聴きに行っていた頃の事を色々思い出している。酒を飲みながらステージから離れた端っこの席、膝でリズムを取りながらニヤニヤしていた この頃は煙草も吸っていたので紫煙がライブハウスの中を覆っていた 生の音が自分にとって基準だった だから電子ピアノとはいえ生の音がすぐそばで聴けるのはとても嬉しい だからこそあの当時の事を色々思い出す プロと自分のようなど素人の演奏は天と地ほどの差はあるのは分かっている 自分で言うのもなんだが出てくる音はそれでもジャズなのである 音楽は好きでも嫌いでもないがやはりジャズは好きだ。

クラシックピアノとジャズピアノは本当に真逆のように違う。ジャズピアノの先生の所にはクラシックピアノ出身者の方も習いに来る レベルは様々だがクラシックピアノの事をひきづって習いに来る方が殆どのようだ。そこで先生は言う「クラシックの事は忘れて下さい」…いったん覚えたことを捨てるのは勇気のいる事である でもそうしないとジャズは弾けない ジャズっぽいクラシックはひけるがジャズではないと断言している。

オーディオをやるようになってオフ会にも参加するようになった そこではクラシックも聴ける というよりオーディオファンはクラシックを聴く人が多い ジャズやロックも一定数いるがクラシックファンが多い もしオーディオに出会わなければクラシックは聴かなかったように思う。

オーディオを通してのクラシックは聴けるのだが実はクラシックの実際のコンサート等は苦手なのである…ジャズの演奏会場とは別の緊張感が走る そう自分にとってクラシックの生の演奏は敷居が高いのである これは生まれ育った環境のせいもあるのかもしれない…

実際の演奏を聴くと言うのはその音楽(ジャンル)の歴史や成り立ちも時には感じさせられる事がある それは演奏者やその演奏というよりも その演奏する場所、建物、聴衆の雰囲気などで違いを感じる場合も多いと思う。会場で酒を飲み騒ぎながらクラシックの演奏を聴くだろうか、身じろぎもせず 咳の一つもせずジックリとジャズのカルテットの演奏を聴くだろうか、場の醸し出す雰囲気やTPOなど実際の演奏を聴くというのは聴く側もそれに合わせる事は少なからず生じる。もちろん聴く側の好き勝手なように聴けば良いとの意見もある 昨今は今までの常識とは異なったスタイルで様々なジャンルの音楽を聴くという試みも多い  ただしその音楽のルーツを知っている人 いい意味での保守的な人から言わせると中々革新的な事も出来ないように自分自身は感じる。
クラシックにはクラシックのジャズはジャズの音楽ルーツをもち歴史もある その背景を感じとり実際の生演奏を聴く その際視聴者の態度(聴く姿勢というか心構えのようなもの)は大事だと思っている。

何やら小難しい事を書いているがつまりクラシックの会場で聴く自分はその場にそぐわないと昔から思っているのである…品性が無い、落ち着いて聴けない、斜に構えて聴いてしまう等々…何やら引け目を感じてしまうのである。
そういう中 自宅のオーディオで音楽を聴くというのはその音楽の歴史や伝統、形式的なものを一端フラットにし純粋に音の旋律を聴くことが出来る良いシステムであると思う。音楽ジャンルに関係なく自分の好きなフレーズや美しい旋律に出会えた時快感を覚える そういう楽しみを味わっていたのだと オーディオから少し距離を置いて接すると改めてそう感じてしまった。

ただしどんな世界でもそうだがヒエラルキーというものが存在する。趣味の世界でも横のつながりが出来てくると自然と発生するものである それは音自慢、機械自慢、部屋自慢など優劣を争う表現が最近特に多くなってきたような気がする(某コミュなど)自分も含めてそれに嫌気がさしている人もいるのではないかと思っている。

生の音楽ではその歴史や成り立ちなど背景を感じ 尻込みしてしまう場合や逆にそれに合っていると感じ積極的に行くようになったり(自分の場合はジャズの生演奏がそうだった)様々な中 機械を通してだがリセットし何の音楽でも純粋に音や旋律を聞けるオーディオ せっかくジャンルを超えた「音楽の橋渡し」的な存在であるのにかかわらず 別の概念が入って楽しめないという事態は困りものである…

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モコモコテナーの代表格 ジョー・ヘンダーソン 実際この人の演奏を聴くと「どこがモコモコやねん?」と思えてしまう そして音が大きい サックスのベルを朗々と鳴り響かせているのが分かる ジャズを聴き始めた頃は余り興味はなかったが実際の演奏を聴いてからがぜんファンになった ただ意外と早く亡くなり落胆している この人のフレーズもピアノで弾けるようになり会話したいと思っている。

by kurama66644 | 2019-03-16 10:26 | オーディオ | Comments(0)

感じた事を素直に書きます 一日一つは何かを得、逆に何かを手放すように心がけています


by キタサン
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