無音の快楽
好きな音楽をいつでもどこでも聴ける事を批判しているわけではない そんなのは個人の自由であり問題はないのだが部屋で音楽を聴ける環境ではなくなったのかとも思ってしまう それはオーディオの衰退にも繋がっている。もっとも携帯用のオーディオ機器も「オーディオ」の範疇にあるといえばそうなのだがここでは部屋で聴く昔ながらのオーディオという前提で話を進める。
最初に書いた もったいないと思うのは外の世界はあらゆる自然の音が存在する せっかくその自然の音を聴けるのに耳を機械で塞いで?人工の音楽(音)を聴くという行為に対してである その自然の音は特に都会になればなるほど減って人工音が多くなっている それがいやで同じ人工音でも自分の好きな音楽だけを聴いているのかもしれない。でもよく耳を澄ませて聴いてほしい 自然の音ほどさりげなく聞き逃してしまいがちなだけで沢山の自然の音は存在している。
音楽はその名の通り音を楽しむ、又は楽しい音で作為的なものである その作為的なものは結構パワーがあり時として人を疲れさせる場合もある。体調がすぐれない時 癒しの音楽をと言われるが人によっては音楽が苦痛になる場合もあり逆に音楽が無い方がいいという人もいる。 キタサンの場合 癒しの音楽は存在しない それは意図的で作為的なものとすぐ感じてしまう 結局音楽無しの方が楽になったりする もちろん人によりまちまちでそんなことはないと反論される方もいるだろうが自分は無い方が楽だという素直な感想なのである 言いたいのは音楽自体ものすごくパワーがあるものでそのパワーに圧倒され精神的に不安定になる事もあるという事だ。
怒られるかもしれないがオーディオをやりだして機器に凝っている人も多く見かける反面 機器ではなく音楽だ!と強調される方も少なくない。音楽が好きで仕方がない音楽なしでは生きていけないという人もたまに見かける ちょっと怖い気がする… 先ほど書いたように音楽自体 恣意的な要素が多くパワーも大きい 知らず知らずのうちにそれに洗脳されている事もあり得る。
昔若い頃 オフコースの武道館ライブに行ったことがある その時のファンの陶酔ぶり、熱狂に驚いたことがある。大きな会場での人気アーティストのコンサートなどは似た感じなのだろう
ジャズのライブはどちらかと言うとこじんまりとした場所で行うが以前にも書いた通り キタサンは正面ではなく外れた位置、隅っこで聴くことが殆どなのは自然と音楽の持つパワーを避けていたからなのかもしれない そのパワーを受け止めるほど気力もなかったともいえる(笑)
サブシステムと称していくつかの部屋にオーディオ機器を設置されている方も多いと思う。キタサンも布団部屋にオーディオ機器を設置しては外すを繰り返していたが そこまでして音楽を聴きたくないと思いオーディオ機器を布団部屋に置くのを止めた。そしてオーディオ機器がある部屋は普通のシステムで普通の音を出すように変えた お金がないのもそうだが余り人工の音を聴き続けるのもどうかなと思ったのか自分でもよく分からない 音量もそれほど大きな音では聴かなくなった
人工の音だが中庸な音でこの装置で聴く時間が以前より長くなった 余計に自然の音、ないしは音楽のない部屋で過ごす時間も多く取りたいと体が欲しているのが分かる。
タイトルの「無音の快楽」というのは音楽が無い自然の(音)中の快楽と捉えてもらえばよいと思う 本当に無音の無響音室は1分も過ごせないと知り合いのメーカーの人が言っていた。
すいません。車なら軽自動車なら買えてしまうレコードプレーヤーを買ってしまいました。
車とレコードプレーヤーを天秤に掛けて
レコードプレーヤーを取ったので、友人からは白い目で見られました。
私も外はイヤホンを付けない派(電車内を除く)です。
車とか自転車とかのクラクションやベルの音を耳を塞ぐと聞こえないので
危険を察知出来なくなると思います。
その分自宅のオーディオを聴く時間は至福の時です。
ニッキーさんはもう「普通」ではないです(笑) いったい何がそこまでアナログに駆り立てるのか私にはよく分からないですが 素敵な音楽がまだまだ沢山ありますので色々聴いてみて下さいね