最終的に残る物
以前 ご年配の方が莫大な数のレコードをどうにかしたい旨の記事があり その中でレコード音源をデジタル化すれば場所もとらず良いとの意見が意外と多かったのを覚えている。キタサン的には思い入れのある物だけ手元に残してあとは売るなり他の好事家の方に譲ればよいのにとも思ったのだがその方にとってどれもが思い入れのあるものばかりで選択が難しいとの事(汗) その後その方はレコードをどうしたのか分からないが仮にデジタル化してもレコード自体に思い入れがあれば その再生方法にも思い入れがあるのでボタンひとつで簡単に再生できたとしても違和感を覚えるのではとも思ってしまう。ただ慣れもあるからなぁ~その再生が普通に感じるようになるのかも?
自分も思い入れのあるレコードは売らないようにしているがリアルタイムで買ったわけではないのでそもそも思い入れはそれほど無いのかもしれない。
レコード熱は急激に冷めてしまい 当時の価格以上だとほぼ買わなくなった。そうなるとジャズのオリジナルの異常な価格はいったいなんだろうと それほど興味が無かった時の感覚に戻りつつある。 作品の内容が良いからそれは高くなって当然と言う意見もあるが同じ内容のCDや配信がその何十分の1の価格という事実はどういうことなのだろうか? 結局は音の違いでの価格差と言う事なのだろうが 音の価格とはいったいどういうものなのだろう 何だかよく分からない。
先月末にインターナショナルオーディオショーがあったが1台でマンションが買える程の機器類が普通に展示されている異次元の世界には殆ど興味が無くなった。
夢のある世界、目の保養になるなど色々な感想があるとは思うが自分的には別世界のものでオーディオそのものがそういう方向性でいくのなら業界そのものが末期状況であるようにも思えた。 お金をかければそれだけ良いものが出来るという迷信からはもう脱却した方がよい! …とここまで書いたがその辺りは自分自身の物に対する美意識が大きく関係してくる事だから他人がどうこう言える事でもないのかもしれないなぁ (メーカーの方、関係者の方 スイマセン…)
それに引き換え ブルーノートの復刻盤アナログはちょっと低域を強調しすぎていた感じが否めない オリジナルはもう少しバランスが良かった気もするが復刻盤のほうが実際 生で聴いたアーティストの音の感触に近かったような気もする…
結局は再発はオリジナルを超えられない ただし再発と言えどもオリジナルを超えるものがあるという二律背反が成り立つ不思議な世界ですねぇ
音の価格はそのような側面をもっているので誰にも決められない。
お題の「最終的に残る物」は写真にあるQUADのアンプとDUALのプレーヤーがキタサン宅では最終的に残るかな?と思ってつけたタイトルだったが余り関係ない内容になってしまった…
乱筆失礼。
お説ごもっともと感じ入りました。
クルマ好きが洗車ばかりして乗らずにいる。あるいは大好きな服は着ることなくクローゼットの奥に埋もれてしまっている、などということが多いものです。
わたしはワインが大好きなのですが、酒は飲むもので語るものではないと思っているので、基準はつねに旨いか否かです。
音楽、オーディオも聴いてナンボだと思っておりますので、不幸にして好みが一致しなかったCDやレコードは捨てております。かといって気に入ったものを奥深く仕舞い込むということもなく、ケースなどボロボロですが…。
人は何か所有していないと不安になることはありますよね。私は49歳を転機になるだけ物を持たないように捨てる事が多くなりました。
かといって今流行の?ミニマリストというわけでもありません。
シンプルイズベストと単純な事が良いとの風潮もありますが 単純が集まり複雑になっているのが世の中です。物事を深く考えるのも必要だと思います。
要はほどほどにというところでしょうか。