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選挙を考える

本日は統一地方選である。地元の区長と区議会議員を選ぶため投票しに行く 成人してからもう何十回選挙に行っただろう?回数を重ねるごとに感じる事がある 若い人が少ない 候補者もそうであるが投票者も若い人が少ない…

若者、あるいは中年層の選挙離れと言われている 自分一人では変わらない、自分が投票しなくても影響はないと 遊びやレジャー、私用と投票に行かないケースが多い。それに対して暇を持て余している(失礼)年寄りは朝早くから投票行動を起こす 投票する候補者は安定している人、実績?がある人、経験の多い人、福祉医療に貢献する公約をうたっている人等 自分に有利な人を選ぶ 相対的に年寄りが増えてきたので年寄りに有利な発言をする人が通ってしまう。

若い人は年寄りと比べると人数が少ないので所詮無駄と諦めてしまう人がいるが最近は政党を特に支持しない無党派数の人が選挙のカギを握っている 投票率が高ければ高い程この無党派数が大きく影響してくる 若い人が投票するという行動を起こすだけで政党多数にに胡坐をかいている人達に脅威をもたらすのは確実なのである。

人は欲で動く事が多い たとえ投票に値する候補者がいなくても若い人が必ず投票するという事実を作れば候補者は若い人向けの政策を公約するようになる。
自分の一票が政治を世の中を変えるとなると人は必ず投票行動を起こす 投票率が低いのは現状に満足しているというよりはある程度普通に暮らしているから選挙、政治なんて二の次と考えている人が多いからだと思う。生活が貧しい、あるいは戦争で貧困を余儀なくされている国の投票率は100%に近い。それは生死がかかっているから明日の生活が見えなくなるからそれは必死になる 面倒くさいから 何も変わらないし…なんて言っているのはそれなりに余裕がある ゆとりがあるとしか思えない それは怠慢と言うしかない! そういう面では日本は平和と言うか危機感のない国だと思う。

日本人はまじめで勤勉よく働く礼儀も正しいし謙虚と日本を称賛する記事が結構見受けられる  日本は美意識が高く繊細で芸術にもそれが反映されているという 本当だろうか? ひと昔前まで確かにそういう面もあったかもしれないが現在は違うように思う。そうであればブラック企業なんてこれだけ世評を浴びるほど存在するだろうか 自分は体育会系ではないが普通の挨拶もできない人が沢山周りにいる 周りが見えないのだろうか あるいは挨拶するのが格好悪い、自分から挨拶すると下の立場になると思っているのだろうか?コールセンターに勤める知り合いがいるが信じられないようなクレームを言ってくる人が後を絶たない 外国の方もいるが殆どが日本人からのクレームである 一言でいうと自分しか見えない自分の事しか考えない そこには礼儀も謙虚さのかけらもない。

突き詰めていくと子供の頃からの教育、家庭環境による事も大きい そして貧困からのゆとりのなさも関係しているだろう それは政治による社会制度の不備が原因ともいえる。政治の状態はそのまま映し鏡のように我々に返ってくる 決して他人ごとではない

候補者を選ぶというのは意外と難しいものだ 見た目で選ぶ、名前は聞いたことがあるから選ぶ(有名人、芸能人など)、田舎に行くと選挙演説で握手したから、言葉を交わしてくれたからとそれだけで選ぶ人も少なくない公約なんて二の次と考えて投票する人が大半を占めているような気がする。公約自体任期が終わったあと見直しをしないからそうなってしまう 選ばれればそれっきり その辺りが分かるように役所や自治体など公の場で2期目3期目など再選を望む候補者にたいして成績表をテレビでもネット、雑誌と分かるように発表したらよいのにと思うのだが…たぶん言い訳で終わるのだと思う 個人の力ではどうにもならなったとか党の方針で阻害されたとか 大体想像はつくだろう。だから全体的に抽象的な公約が大半を占める 法律と同じで言い訳ができるように玉虫色のぼやけた公約をするようになる。

そうであればピンポイントの具体的な公約を掲げる候補者を選んでみたくなるのがキタサンの最近の傾向だ その公約に注視して世の中の情勢をみていると変わったかどうか分かる 政党や経歴、役職には関係なくセレクトできる 一つの目標も完結出来ない人が多数の目標なんて達成できるとは思わない。

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元は警察官だったのにロシアンルーレットで暴発して自死なんてジャズマンらしいというか…オリジナル盤はないけどこの再発盤でも中々聴かせてくれる好きなヴィブラフォン奏者 レム・ウィンチェスター 合掌。

# by kurama66644 | 2019-04-21 08:44 | 雑感 | Comments(0)

無くなるもの

「印鑑レス化にハンコ業界猛反発」という記事をみて 印鑑は様々な所で使用 それが無くなると印鑑を作る業者の売り上げは当然落ちる(無くなる)わけであるから関係者は必死になるはずだと 興味深くその記事を読んだ。

売買などの契約 相続関連、届け出 会社でもあらゆる場面で印鑑は使用されている。 日本では印鑑は一つの文化でもある。
実はキタサン 前職で印鑑業界にも関係していたのでその製作、あるいは製造原価など結構詳しく知っている 実際製作現場にも行ったしあと手作りの印鑑と違うが大手メーカーのシャ○ハ○さんなどは製造工場も見学したことがある。

偽造を防止するため微妙に同じ字体でも変えてはいるがそもそもその人が本当に捺印したのか? なんて見ていなければ分からない 偽装以前の問題で倫理の問題でもある
忙しい時山積みになった書類に機械的に捺印する事なんてありえる あとから問題になって誰が押したのかその証拠といってもロクに内容も見ずに押して返答に困り責任の所在がうやむやになってしまった その実情は経験者、関係者なら分かっているはず そんな事件?もニュースでは見かけたこともある。
電子署名も以前に比べだいぶ使われるようになってきたが感覚的にまだ紙ベースでの印鑑使用は多いように思えるのだがどうだろうか?それは企業規模の大小問わず日本人の懐疑的かつ新しいものには慎重に対峙する性格にも関係するように思える 便利だからといってもしもの場合… とすぐに躊躇して中々踏み出せないのではないかと思う。
はるか昔(20~30年前)から紙は使わなくなりペーパーレスになると騒がれていたが結局 紙は無くならずペーパーレスの仕組みを作っても念のためと言いつつ紙で保存するという企業もまだまだ存在する(笑)
レコードやCDなどの媒体がいまだあるのは物としての存在感を求めているからなんだろうと思う 仮にリッピングやコピーをしてその元の媒体は必要なくなるが取りあえず取っておくと言うのは保存した物が消える可能性もあり安全のための措置でもある そうすると保管性の利便性もなくなり本末転倒のような気もしないではない…

キャッシュレス化も進んできており日本はまだその点では後進国である。そもそも物々交換で始まった(支払いの方法)が不便な為 硬貨そして紙が代替えとして使われたがいつのまにか紙やら硬貨がその価値そのものと捉えられるようになってきた よくサービスの対価と言う言葉があるが人によりその価値は違う そうするとそこで支払われるお金の価値というのは何だろうと疑問にも思う ある人は100万の価値があるといい別の人は一銭の価値もないという 供給した本人は大体50万ぐらいの価値かなと?言う全くデタラメというかいい加減なものである。色々と影響力のある人が決めた価格がそうなるのか多数の人が納得したあるいは認定したものが価格になるのか何だか よく分からない。
キャッシュレス化以前に価値やお金そのものの意味を考えないで使用していると大抵は騙されていると考えた方がよい そこでキャッシュレス化なんて更に見えなくした分には尚更訳が分からなくなり 頭のいい人や要領のいい人に搾取されていくように思う。

最近はブロックチェーンと言う言葉もよく耳にする 簡単に言えば台帳のことだ 台帳なんて言葉も今余り使われていないかも… ネットを通し全ての取引記録が分かるようになる仕組みだが 傍から見ると不正や偽造がなくなりオープンになるのはとても良い事だと思うし 今後こういう仕組みが増えていくだろうと思う。
ただ今までインチキな事をしていた人にとっては邪魔な存在で反発することになるだろう 世の中を動かしているのはどこかしらインチキや不正を裏でしている人が多いと感じている もちろんその規模は大小さまざまで余りにもあからさまな反権力のものが捕まったりするだけで表面に出ていないだけである。

今の世の中 便利さや効率、儲かる、儲からないの基準で無くなっていくものも多い シンプルが一番 何も持たない生活というミニマムな思想も昨今は見受けられる 逆に良いものに囲まれた豊かな生活を望む場合も多い それはあくまでも個人の生き方によるもので物を沢山持っていても心は寂しい人もいるし無くても大丈夫な人もいるだけに過ぎない。本当に怖いのはその存在の意味を考えなくてもよいように便利で楽が一番と考える今の世の中の仕組みや雰囲気で その「判断力」までが無くなるともう無秩序な世界になってしまう いや もうそうなっているのかもしれない…

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CDは無くなるかもしれないがアナログレコードは無くならないように思う。音楽としてより文化遺産的側面で残るような気がする 
久しぶりにこのレコードを聴いてみたがエバンスの無理に明るく振る舞う独特の語り口調が面白いと感じた メジャーコードに♭9をぶつけるなど型にはまらない演奏もエバンスらしい アナログ機器も高価な装置が多くなってきた 生産量が限られるので高額にならざる負えない そうしないと商売として成り立たなくなる
メーカー側も廉価で良い製品をと考えているだろうがそれならばCDや配信の方に分がある 中々難しい問題でもある…

# by kurama66644 | 2019-04-20 09:59 | 雑感 | Comments(2)

QUADの復権

タイトルからして誤解されそうだが これはあくまでも我が家での話でオーディオメーカーQUADが現在どういう位置づけにあるのかは知らない。

昨年から英国アンプ クリークを使い普通のオーディオ?に戻り その後ピアノに傾倒していきオーディオへの関心は薄れた ただスピーカーはソナスの2機種があるので1か月~2か月おきぐらいには交代して聴いている(スペースに余裕があれば2機種置くのだが…)クリークは一言で言えば幸せな音を聴かせてくれる マニアが好きな音は出ないがほのかな甘い香りと桜色の音色が美しく感じる そういう出音に満足していた。

ピアノの横に半ば引退状態のQUADのアンプを置いている ソナスのスピーカーを一定時期に交代して聴いているのにQUADだけほったらかしでは不公平と思い約半年ぶりに復活!現在このようになっている。
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セパレートアンプの2段重ね 相変わらずいい加減な置き方である…CDPもQUADに替えオールQUADにした(※アナログプレーヤーは国産) 先般12年前の聴き方に戻った記事を書いたばかりでなんだが何気に聴くのではなく以前のクリークの音と聴き比べながら鑑賞(笑) 何気に聴く習慣は戻りつつあるが12年間オーディオに接していたので完全にオーディオ聴きの癖を脱却できたわけではないようだ(;´・ω・) まぁそれはさておき 久しぶりのQUADの感想はと言うと「秘めた熱さ」を感じた。

秘めた熱さと意味不明な表現をしてしまったが冷静な中にものすごく熱い情熱を感じるという意味である クラシックは余り詳しくないがジャズなどはブルーという表現が良く使われる 熱さが伝わる赤色と対照的だがその赤と青が同じ音楽、楽曲の中に同時に存在する不思議な音楽のジャズ それを上手く出している装置だなと思う。一般的にジャズにQUADなんて合わないように思えるが使っているスピーカーMinimaとの相性も関係しているように思う 能率の低いスピーカーをドライブするのにパワーより駆動力(トルク)が重要である そもそもジャズをメインで聴くのにMinimaなんて小型のスピーカーを使っている人は少ない ただこのスピーカー パワーをつぎ込んでやれば又別の側面を見せる 音源を素直に出すモニタースピーカーとは違い 作り手の意思を音として表すMinimaはいったん手放しても又 聴きたい、買い戻したいと思わせる数少ないスピーカーの一つでもあると思う。

アンプのパワーで部屋の調音をねじ伏せたとキタサンが参加しているコミュで記事に書かれた方がいた 同じく部屋スペースは狭く苦労され工夫して音楽を聴いている方であるがその方もアンプを変えて変化したと記事に書いてあった。このQUADは中古でマニアの方からみると年代物の格安品としてしか見られないかもしれないが現在の測定器重視、データー重視で作られたアンプとは一線を画く それはminimaにも言える事で偶然とはいえQUADとMinimaを所有できたことは大変誇らしく思う。
聴きやすさからいうとクリークなのだが熱さや押し出し感の強さなどはQUADのほうが感じられ 音楽の楽しさを味わえるように思う

QUADのパワーがもたらす音楽のうねりを感じ久しぶりにオーディオに向き合っていたが… まだハノンの練習の途中であったことを忘れ慌ててピアノ部屋に戻り おぼつかない指で打鍵しているキタサンであった。

# by kurama66644 | 2019-04-17 09:45 | オーディオ | Comments(0)

12年前に戻る

一応今回のカテゴリーをオーディオとしたのでこれはオーディオの話である。
(※カテゴリーに雑感を追記 今後キタサンのぼやきとして雑感が増えるかも?(;´・ω・))

やっとというかようやく12年前の聴き方に戻りつつあるそうオーディオを始める前の感覚にである
ちょっと何言っているか分からない?と思われるかもしれないのだが確かに戻ってきているのである…オーディオ装置に、ソフトに、音に拘らず何気に聴いていたその時に それが12年前の2007年3月以前の状態にである。

やはりピアノを始めた事が大きい オーディオの電源は入れるが本当に何気にしか聴かない 気が付けば同じソフト しかもCDしか聴いていない、音楽に感動するという感覚でもなく本当に何となく音が流れている 音が良いとか悪いとかという意識もない 当然もっと良い音で聴きたいとか別の機器も試してみたいとかの欲望もない。
その当時と違うのは音がどういう構成音になっているのだろうか?とかリズムはどうか?など作った人がどのような心情で演っているのかと分析的に聴くことが多くなった そして気になった音やフレーズをピアノで鳴らしてみる いわゆる耳コピーである こういう時に傍に楽器があるのは有り難い 即座に試すことが出来る。もちろん毎回毎回こんなことをやっているわけではない あくまでも気になったフレーズ等があり乗り気になった時の事である 殆どは何気に聴き流す だから以前のミニコンポやラジカセとある意味同じ感覚 「流れている」その感じが大事。分析的に聴くフレーズはあくまでもピアノの練習に絡む事 ただ音はラジカセやミニコンポなどと質は違うのは認める

別に達観したわけでもなくまだまだ欲はある オーディオの世界やコレクターの世界(レコードなどのソフトなど)に足を踏み入れて良い事も悪い事も感じ色々と楽しめた。
ただこういう世界はどうしても差を競ってしまうものであることも分かった 自分はその気が無くても周りに感化されてしまいがちである もちろん関わっている人すべてがそうではないと思うが差ではなく違いと認識している人はごくわずかしかいない それは当然のことで当事者になってしまうといやでもその雰囲気に同化してしまうからである。
今あるものを捨てるないしはそこから離れる事で客観的に見る事ができる ただこれまで培ってきたものを簡単に捨てるのは容易ではない。自分もかなり捨てて(手放して)きたが価格的にグレードダウンしているとはいえ買い戻したり新規で(中古で)購入したりしていた…結局はこだわりを捨てきれずに12年続いているということでもある。

自分の場合は金銭的に余裕が無くなってきたことも原因ではあり(元から?)オーディオをという趣味も二極化していると肌で感じている。散財大歓迎という羽振りのいい人もみられ そういう人がオーディオの世界を支え それ以外の人は小型で簡易的なもので楽しみ別のオーディオの世界を築いている。高性能、高品質、拘りと一部の人たちだけが楽しむ閉鎖的な世界に進んでいるようにも思えてしまう そして先ほど挙げたそれ以外の人が利用する小型で簡易的(最近では高音質?)な装置、環境で音楽を楽しむ人はそもそもオーディオの世界なんて呼ばないし眼中にないような気がしている そういう人たちは実際の演奏を聴きに行くことも多い 機器や媒体(ソフト)が売れなく右肩下がりの状況が続くがライブやコンサートは相変わらず人気がある 趣味は多様化しているが音楽を聴く行為自体さほど昔と変わらない。

レコードもオーディオ機器も徐々に売却譲渡しているがこの間 オリジナルに狂って?いた時にようやくの思いで購入したアルバムを売却した。このアルバムを売却できればその当時の思い(過去)も捨て去る事が出来ると思ったからである 結果は二束三文にしかならなかった(笑) 貧乏人にしてはかなり無理して大金で購入したアルバムだが まぁこんなものだろう 物に価値を見い出し夢中になると本当の価値も分からなくなる実例でもある。それよりも何もない所から作った自分のフレーズやコード 曲を弾いている方が今は楽しい 自分で作った本当のオリジナルが手元にある そのオリジナルも一瞬の内に宙に消えそして又新たなオリジナルが出来る その繰り返し。常に流れていくという感覚を持っていないと澱んでしまう。

12年前の聴き方に戻った自分は後退したのだろうか?オーディオの2極化そのどちらとも違う道を進んでいると思う。

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大病を患ってから5年振りのアルバム「ラプソディー・ジャパン」年齢を重ねて人生経験を積んでくるとある日思う時が来る きっかけは色々だが顔つきが変わってくるものである。

# by kurama66644 | 2019-04-14 09:32 | オーディオ | Comments(0)

上を向く

1年ほど前から外を歩く時 なるべく上を向いて歩くようにしている。上と言うか前方の空を見る感じで歩く そうすると当然ながら視界が広くなり今まで気にしなかった風景が見えてくる 時々だが龍を見かける(-_-;) 頭がおかしくなったのかキタサン!と思われるかもしれないが確かに龍の形をした雲を目にする…都会では余り見かけないが昔バイクでツーリングをしていた時 特に山中ではよく見かけた その姿は正に空中を泳ぐようにユラユラとゆっくり動く 龍が胎動している時よく天候が急変したのを覚えている そりゃあ山の中だから天候は不順で変わる事は珍しくないと言われればその通りだが 龍の仕業だと心の中では思っている。

東京地方は桜は今がピークだが この時期 上を見る人が多いのは嬉しくなる そう桜を見るのに皆 顔を上げる 険しい顔をしてみる人はまずいない 家庭で、仕事で色々イヤな事があっても不思議と桜を見る顔つきは柔和になり幸福感漂う。桜の花そのものも美しいが上を見ることにより広さを感じ 今抱えている問題なんかもほんの小さなどうでもよい事に過ぎないと落ち着くからではないかと思っている。

子供の頃家の屋根に上って空を見る事が多かった 田舎だから周りに大きな建物もない360度視界が広がる大パノラマである 地上にいる時より風を感じ心地よい気分にさせてくれた 関東の瓦屋根とは違いトタン屋根である 夏場は太陽の光で熱くなるのでやけどに注意だ 自分でおにぎりを作って水筒に麦茶を入れピクニック気分で空を眺めていた。

冬になると雪が降る 北海道だからサラサラの雪である 思いきり首を90度上に向け空から降る雪を顔で受けていた 雪と体が同化する感覚に陥る。
雪は冷たいものだと思っている人が多いが雪の中に身を置くと意外と暖かいものである もっとも本当に寒い地域 北極やら南極あるいは高山などではそんな悠長な事は言ってられないと思うが…札幌より電車で1時間ぐらい北上したところであったが冬場にはそれでもマイナス10°以下は珍しくない たまにだがダイヤモンドダストも見かけたことがあった。

以前からこのブログで街角や電車の中で皆うつむき加減の状態にいると書いたことがある 殆どがスマホを眺めている…スマホ自体は悪くない 今にスマホを持っていないと生活に支障が来る時代がくるだろう というかもう来ている スマホ決済、スマホで予約と スマホがないキタサンは生きにくい世の中になりそうだ…ガラケー自体も殆ど使わないが先日お知らせが郵便受けに入っており2022年をもち今の携帯のサービスを停止するという内容だ つまりあと3年でこのガラケーは使用不可になる このガラケーは使ってちょうど10年が経つ 充電の部分のふたが壊れて外れてしまった バッテリーもすぐ切れるようになってきた 買い替えのアラームが鳴っている状態である スマホ自体興味はないが生活行動に支障がくるのは嫌だなと心の底では思っていたりして…あと3年あるからそれからでもいいや ひとり納得する。

先ほど書いた桜(花見)もそうだが日本の季節の風物詩や行事では上を向くことが多い 高い所にあるものに畏敬の念を抱くから高い所に行こうとする心理になる 高い地位につきたい、高層マンションの最上階に住みたい、より高い山に登りたい、宇宙に行きたい…と色々ある ただそうはあっても高い所にずーっといられるわけではない必ず下がる方向にいく 自分が下がっているのに高い所にいた感覚で人と接するいわゆる見下すという行為 これは反感を買うから要注意である。

ほんの少し首の角度を上に向けるか下に向けるかで気分も大きく変わる 不思議なものである。 皆が下ではなく前を(上を)向いて普通に歩いているそんな世の中も以前の日本にはあった…

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63年全米ビルボードで1位に輝いた唯一のJ-POP 欧米では発音が難しくて「SUKIYAKI」と命名されたようだ 作詞は永六輔、作曲はジャズピアニストでもあった中村八大 戦後の敗戦をひきづっていた日本人の労働者を癒すムード歌謡に辟易していた永と中村はもっと軽やかで元気が出る歌がないかと模索していた中 作られた曲のようである。



# by kurama66644 | 2019-04-07 09:20 | 雑感 | Comments(2)

感じた事を素直に書きます 一日一つは何かを得、逆に何かを手放すように心がけています


by キタサン
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