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今年はカレンダー通りでいけばゴールデンウイークは2段階に分けての連休というところでしょうか
私も勤め人としておそらく最後のゴールデンウイークかなと思っております(笑)

それはさておき今回も少しオーディオの事を書いていこうと思います

オーディオをやっていた頃スピーカー間に機材を置くのを善しとしていませんでした(-_-;)
反射等音への影響が何かしら発生するのではと思っていたからです(;´・ω・) マニアですね…

5月3日からの4連休 部屋の衣替えでこのように配置しました
嫌だなぁ~_b0323858_16394786.jpg
ここ1年ぐらいオーディオは「ユーチューブ視聴用装置」としての一環と置いていましたが元オーディオマニアの性というか機材はスピーカー間に置かず右横の壁面に配置していました…
ただ画面が横にあるので当然視聴しにくく… 昨日このように配置し直しました。※飲みながら撮っていたので調味料やグラスなど写っています(;^ω^)
家にはテレビがないのでモニターから映るユーチューブがテレビ替わりです 部屋が狭いので大画面も必要ありません 大きさも27インチ程度で十分です
ユーチューブミュージックから時々音楽を鳴らしていますが大音量ではないので結局スピーカー間に物があってもなくても変わりません!

音の変化に敏感なオーディオマニアにとって ある程度の部屋の広さと出せる音量が確保できないと機器の性能も本領発揮できないという現実が分かってくる  こういうことは本当は分かっていながら何かが違うはずだと内心 自分に言い聞かせているのだと思います それがいい悪いではなく「自己満足していれば」それで何も問題がないのだと。
更にはこうしたモニター画面を覗きながら酔っぱらって…聴いている(観ている)と音の違いなど殆ど気にならなくなります…

限られたスペースしかない場合 物を集約して有効スペースを確保する方を優先せざる負えません(笑) 音ではなく生活スペースの方が大事です(;^_^A

それではまた

オーディオを辞める宣言をして1年が経過しました。

オーディオ機材…現在は(-_-;) ちゃんと残っています(笑)
スピーカーはイタリアのPATHOSとセレッション3 アンプはQUAD VENAⅡ、クリーク4140S2 それぞれ定期的に組み替えて聴いています。
うーん 立派なオーディオマニア!と言いたいのですが音楽というより家にはテレビがないのでモニターでYouTubeを見るために接続して使っているのが現状です
音楽はユーチューブミュージックを音源として時々聴く程度なので本来はこのような立派な?オーディオ機器はもう必要ないかも と感じています。

そうそうCDプレーヤーもNmodeのプレーヤーが残っていますがCD自体今 家にあるのは50~60枚ぐらいでしょうか 殆ど使用していない状態です…

現状はこのような感じです オーディオに対して特に嫌いにはなっていません(;^ω^) 機器を組み替えて聴いているところなんかマニアっぽいですが「音への感度」はかなり鈍くなったような気がします 機器を組み替えて聴くという事はその違い(音の違い)を楽しむという事でもありましたが正直言うと今はもうそれほど違いは感じられなくなりました 何となく違いはあるような感じはありますが特に気持ちの高揚は起きないのです すなわち音への関心が無くなった…ですから感度が鈍くなったと言えるのかもしれませんね。

ただ音への関心は無くなったとはいえ ここで改めて音楽をしっかり聴くにはちゃんとしたオーディオ装置(抽象的な表現ですけど)はあった方がいいなぁとは思います
特にこれといった根拠はないのですが1年以上オーディオから離れた現在そう思います ※オーディオ機器自体そばにあるので離れたという表現もどうなのという意見もあると思いますが…

「去る者は日日に疎し」ではありませんが時間の経過とともに慣れ親しく関心があったもの(事)でもそのものが無くなる あるいは興味が失せていくと忘れていくということでしょうか。文中でも書きましたが本当 音楽を聴く時間が減りました BGM的に聴く事も含めて少なくなりました 以前から音楽は好きでも嫌いでもない事は何度も書きましたがその音楽を聴かなくなったので再生するオーディオ機器の必要性が減ってきた(なくなってきた)のは当然かもしれません

私がオーディオを始めたのが2007年でしたがその頃には好きだった多くのジャズミュージシャンが鬼籍に入られて実際聴くことは(生で)できなくなっていました それでもまだ生きて演奏していた方はおられましたが昨年ベニー・ゴルソンが亡くなりモダンジャズを作ってきた人は現在はソニー・ロリンズぐらいしか生きていません(今年で95歳!)もちろん演奏はできる状態ではありませんがこの方が亡くなったら自分の中ではジャズは(モダンジャズは)終わったと区切りをつけるつもりでいます。
クラシックの世界ではこの感覚は分からないと想います 曲が後世に永遠と残り引き継がれていくものですから それと比べるとジャズは演奏者そのものなのでその人がいないと忘れられていくという感じです 異論はあると思いますが自分はそういう感覚なのです。

オーディオというより最後はジャズの話になりましたがオーディオと音楽、ジャズについての最近の雑談めいたことを書いてみました(笑)

東京の桜も思いのほかもちました 葉桜になってしまいましたがこの季節は本当に気持ち良いですね
それではまた

少しオーディオの事について_b0323858_07311845.jpg
 


令和7年の今年 元号が昭和のままだとしたらちょうど100年になるようです。
西暦表記が一般的になってきている現在それほど気にすることはありませんでしたがコンピューターや人口動態に関する昭和100年問題とか昭和を改めて回顧する機会とみてか一部媒体でこの「昭和100年」を取り上げている記事もありました。

私の両親は昭和一桁生まれで戦前の人です 戦争の事はあまり話さなかったですが北海道の田舎にいた事も関係があるかもしれません 食べ物は確かに不足していたようですが空襲など頻繁にあったわけではなくそれほど大きな被害は受けなかったようです。
ただ戦争という今の日本では非日常的な事なので良い思い出 ではないのは確かでそういことを敢えて話したくない心情もあったのかもしれません。

そのような悲惨な戦争体験を知っている方もどんどん減ってきて昭和というとその後の高度成長期に焦点が当たることが多いように思えます
高度成長期は1955年から1973年頃の期間でしたが自分は子供でしたのであまりその実感はありません(;^ω^) その後の低成長ながらGDPは一応上がり1986年から1991年頃のバブル期に至ります。ちょうどバブル期は社会人になり働いていましたが中小企業でまだ新人の域を脱していない時(笑)ほぼ恩恵は受けておりません…テレビなどでそのバブリーぶりを見ていましたがそういう別の世界があるのかとどこか他人事でした。その後失われた30年という事で今に至るわけです(元号は平成、令和と変わっていきます)

こういう昭和の話をすると必ずと言っていいほど「あの頃は良かった」という話を中高年、老齢層から聞こえてきます 私ももう老齢層ですがあの頃は良かったと一度も思ったことはありませんし昔に戻りたいなんて事もよく聞きますが全く思いません。これは経済的な事だけではなく精神的な事も含めてです つまり現在が一番良いと感じています。勘違いされては困るのですが充実しているのとは違います 給料(収入)は今より良い時はありましたし体力面でみても現在の方が明らかに衰えが出ている面もあります…

とにかく便利になっている それに尽きると思います。便利になっているということは楽にもなっているという事ですね ただし楽になることが幸せかというと そうとも限らないのです 要はバランスの問題 世の中の便利さを享受している中で自分の今の行動はそれに少し抗う事をやっています つまり「ある程度の負荷をかける」その感覚を忘れず実践しているのが良いのではないかと個人的に思っています。若い時にはその感覚はなかったですね(笑) より楽に効率的になんて考えていましたがやればやるほど上手くいかなく不満ばかり残っていました(;'∀')

話は昭和について戻りますが懐かしさに伴う郷愁なんてものは誰にでもあるもので 昭和という時代に生まれなかったとしてもどの時代でも年月が経てばその生きた時代を懐かしむものです 要はどの時代に生きていても良い面も悪い面もあり「今を生きる」その時に良いと感じるのが一番なのではないかと思っています。
まぁ味で例えるなら昭和の初期から比べると最後期には相当薄味になっていると思います それが平成になり令和になりどんどん薄味になりそのうち無色透明になっていく…味が濃くても薄くても美味ければ良いのですが無色透明になり味そのものが無くなっているのは嫌ですね(-_-;) 

いやはやタイトルの「昭和100年」とはあまり関係ない話になってしまいました…いつもの事なのでご勘弁ください

それではまた

昭和100年_b0323858_11534176.jpg
昭和33年完成 高さ333m 昭和の傑作 東京タワー こちらの近辺 今年に入ってから3~4回は来ていますがいまや外国人観光客ばかりでした(笑)




# by kurama66644 | 2025-04-02 12:03 | 雑感 | Comments(0)
その名の通り政治での争いごとです。
政党間だけではなく政党内での派閥争いなどいわゆる権力闘争というやつです 昔からよくあることで珍しくはありませんが一般的に表立つ事は少なく当事者や関係者はもちろん分かっていますがマスコミも結託して行われたりしますので政治に興味や関心がある人以外は知る機会は余りありません。

11月に行われた兵庫県知事選挙 もう3か月も過ぎているのにまだニュースに上がっているのですね(-_-;)
選挙が終わった後も公選法違反やら継続している百条委員会の議員が亡くなったとか当選はほぼ不可能に近かった斎藤知事が当選したのはSNSで真偽が定かではないデマが流れたせいでそれを誰が流出させその犯人が判明したとか毎日にように記事に出ています…

ネットニュースなどでは今はコメントが見れますので昔の一方方向のメディア環境より第三者目線で物事の判断がしやすくなりましたね 下品な書き込みや誹謗中傷、侮蔑した書き込みはもちろん論外で見ないようにしていますが自分の考えてもいない論点での書き込みなど参考になるものもたくさんあり興味深いです。

話は兵庫県知事選とその後の色々な問題?に関してですが細かい事は抜きにして明らかに「政争」ですね!いわゆる斎藤派と反斎藤派どちらがイニシャチブを取るかの権力争い 従来の権力を持っていた側と新しく権力を得た側の情報戦による潰しあい SNSなどにより より一層可視化して一般庶民でもそれが分かるように表に出てきて大騒ぎになっているという感じでしょうか
おそらく昔から政治の世界ではそういう潰しあいは行われていて一方の権力のある側がマスコミなどの力により知られたくない事案や事実など封じてこれたのがバレて隠せなくなってきた…

どちらが正義でどちらが悪かと二項対立に成りがちですがどちらにも正義があり悪もあると思っています そのために定期的に選挙があるわけですから自分の考えに近い方を選び多数決で決まる 一律ではありませんが4年ごとに選挙があり各自投票する権利も持っている お金を配ったり、脅すなど余程悪いことをしない限り民意で決められたことに従うのが大前提です。

今回の兵庫県知事選も色々ありましたが選挙で再選したわけですからこれ以上足を引っ張るようなことをしないで素直に任期まで従えばよいと県民ではありませんが思ってしまいます。掲げた政策が停滞したり県民の為にならない事ばかりやるようだと次回は選ばなければいいだけですから

いずれにしろ「政争」ですから有権者はどちらの正義に納得するのか あるいは悪としても許容できるのはどちらかで選び多数決の結果それに従うという事です。
これまでも何度か書きましたがせっかく政治に参加して意思表示できる権利を今の日本は半数近くが放棄しているおバカな状態(-_-;) 平和と言ってしまえばそれまでですが…
嘘の中にも本当があり 本当の中にも嘘が混じっている 人間の本質は昔から変わっていません だまされたとか引っかかったと後悔するのではなくそんなもんだと最初から思っていればいいだけです 政治は対立が必ず起こります その妥協点を見つけるのが政治ですべてが納得できない事も多々あります。
何となく思っていたことをダラダラ書いてしまいました…個人的な感想なので正解かどうか分かりません。

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それではまた


# by kurama66644 | 2025-02-23 08:49 | 雑感 | Comments(0)
昨年4月にオーディオを辞めてから先日フッとオフ会をやっていた頃を思い起しました。
特に懐かしくて思い出したわけではなく自分の言動がどうだったのかと昨今のSNS上での意見対立に伴う誹謗中傷や行き過ぎた発言など無意識のうちに人に対して不快な思いをさせていたのではないかと心によぎったのです。

同じ趣味を持つ同志ですから共通した話題が多いわけです そしてそこには人それぞれ得意分野が存在します 知見が浅い深いはあるでしょうがその分野での話はその人にとって盛り上がり時には饒舌になります。
問題は他の人(相手)がその分野に疎い場合ないしは全く興味がない場合 話が一方通行になりがちで相手が聞いてもいない事を自慢げに披露してしまう事も少なくないという事です、

私がオフ会をやり始めたころオーディオ歴は浅くオーディオそのものに対しての知識は周りの人たちよりは多くありませんでした ただジャズは好きで実際の演奏を週に2回は聴きに行っていたり趣味でSAXを吹いていたりとその時はジャズ全般に対してそれなりの知見を持っていると自負していました。

オーディオオフ会では音楽よりも機器や音の事に関しての話が多くなります そういう中でたまに音楽の話 特にジャズの話題がふられるとここぞとばかりに饒舌になってしまっていました(笑) 聞かれて答える分にはまだよいのですが自分がついていけないオーディオの話に敢えてジャズの話題をかぶせて話の主導権というのか自分が優位に立とうといういわゆるマウントを取るような行動をしていなかったか?思い出しています(;'∀')…

おそらくですが心の中で実際生の演奏を長年聴いてきている自分はオーディオ歴こそ短いですが音に対して分かっている 特にジャズ分野では尚更であると知らず知らずのうちに上下関係やヒエラルキーを勝手に作っていたのではないかと思っています、
そのような事は相手からすると何となく雰囲気で分かります 競技と違い同一条件というものは存在しないオーディオの世界で一人一人の感性や使用している機器の組み合わせ、環境(経済的面も含めて)、取り組む姿勢(情熱のかけ方)が違う中でそれぞれの得意分野で自分の存在価値を知らしめるのは人の性(サガ)として当然のものかもしれませんが行き過ぎると相手のプライドや行動そのものを否定しかねません。

いずれにしろ人が集う場では相手の得意分野にある程度話が合わせられないようでしたらその場(会)には出席しないで独りで行う方が無難のような気もします。
もっとも自分の知らない事で興味があると思ったらじっくり話を聞いて聞き手に徹すればよいでしょう 経験による自説も相手からすると興味がないと苦痛でしかありません

オーディオを辞めた自分が仮に今オフ会に参加したらどういう気持ちになるのか?

実はここまで書いていて最近正式なオフ会という場ではなかったのですが似たような場に遭遇しました…
詳細は省きますが相手側が得意分野で朗々と話してきます…自分はその分野ではあまり経験がないので聞くしかありません 一歩通行の話、自慢話のようにさえ聞こえてきます 相手側は意識しているのか無意識なのかよく分からないですが自分は興味がないので正直苦痛でした。
これは自分が被害者ということではなく逆の事も言えるので例えば昨年からオーディオとは別の事をしていますがそのことを興味がない人に朗々と語ると多分相手側は辟易すると思います(-_-;) 

多種多様な意見を聞いて自分を高める そういう目標をもって進んでいくことは良い事だと思っていましたがそれよりは心穏やかに行える そういう人や場を求める自分がいます。久しぶりの投稿でとりとめもない事を書きましたが引きこもってはいないのであしからず(笑)

それではまた

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梅の次は桜が待ち遠しい あとひと月ぐらいですかね?