ジャズ床屋

ジャズ喫茶はよく行ったがジャズ床屋は生まれて初めての経験である(汗)

実は頭を刈りに行ったのではなくオフ会でおじゃましたのである。参加しているオーディオコミュの方のご紹介で「営業が終わった後オフ会をやるのでどう?」というお誘いのもとずうずうしくもお伺いした次第である。

場所は都内亀有駅前 亀有なんて30年振りぐらいであろうか有名なこち亀の両津勘吉の金色の銅像があった(写真失念…)
駅前ですぐ分かる場所にあるとの事だったが方向音痴のキタサンはその場所を通り過ぎあっちをウロウロこっちをウロウロ…電話で場所を確認するとホント駅からすぐの場所
こういうときスマートフォーンは役立つのだがアナログ人間のキタサンは所有しておらず…そろそろ買い換えようかなぁと考える

なんとかたどり着き まずはJBL4343Bにご挨拶(笑)
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いやいや~壮観であります。JBLにマークレビンソン、そしてマッキンのプリ、クラウンのパワーとジャズの王道スタイル。
送り出しはソニーのHDプレーヤーというのが又 現代的でよろしいかと。この組み合わせだと普通はガラードやトーレンスのアナログプレーヤーとくるところだが営業の傍ら始終盤交換などもってのほか利便性を考えてオーナーがセレクトしたものであります。
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今回はプリはマッキンのC28を使い
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パワーはクラウンのDC-300Aを使用
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パワーもマッキンを使用していたらしいが故障でこちらの業務用アンプを今は使っているとの事

早速 音楽をかけていただいたのだが久しぶりに聴く大型のJBL とくに80年以前の4343Bなんて鳴らすのがとても難しいSPとてもよく調教?されてこりゃ楽しい~
昨今のスピーカーはトールボーイ型ないしは小型のものが多く このようなバッフル面が広いのは家庭環境、場所の問題もあり敬遠しがちである。
奥の方に音が固まるのではなく前に音が来る これが本来のオーディオの姿(と自分は思っている) 自然な音の出具合もオーナーの日ごろからの細かな調整の賜物であると思う。一聴してジャズだけではなくクラッシックその他どのジャンルもオールマイティに上手に再生できると思わせる。  変な味付けをしないのはオーナーの感性,嗜好なのだろう。

いつも思うのだが部屋の制限がある中 このような大型のスピーカーそしてユニットの多いスピーカーを鳴らすのは大変な努力がいるはず。実際制限がある中 スピーカーの足元そしてバッフル面の角度など微調整しながら音を詰めていったというお話を聞き(あとマルチにもしたのかな?)  ずぼらなキタサンはこの手の作業は無理 すなわちオーディオマニアにはなれないと改めて思う次第…でもそういう苦労(作業)を楽しんで出来る事が趣味としての醍醐味なんだろうなぁ。

営業が終わってお疲れの中のオフ会 2時間程度が話がはずみ3時間に延長 途中音楽とは関係ない飼っている大クワガタの話になったりでとても楽しい時間を過ごさせていただいた オーナー様、そしてM様ありがとうございました。




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# by kurama66644 | 2017-10-14 08:58 | オーディオ | Comments(4)

日本語の詩(うた)

「五月雨は緑色 恋しくさせたよ一人の午後は」 「夕映えはあんず色 帰り道一人口笛吹いて」

久しぶりに村下孝蔵さんのレコードを聴いた 上記の歌詞は名曲 初恋の中に出てくる一節である。
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村下孝蔵さんは99年に46歳の若さで亡くなった シンガーソングライターで殆どの歌を作詞、作曲しており透き通った声で歌詞をかみ締めながら丁寧に歌う村下孝蔵の世界を作っていた。

キタサンはジャズのインストをメインに聴いてボーカルは聴く頻度は低い つまりメロディやリズム主体に聴いているのだが楽器の音が時として歌声にも聴こえ何かゴニョゴニョ(笑)訴えているようにも感じる時はある 楽器の音=声=言葉として捉えても良いのではないだろうか。 ジャズの場合ボーカルの歌詞は英語だが日本の歌謡曲の場合 当然ながら日本語である 日本人として理解度は日本の歌謡曲の方がニュアンスも含めて分かる。 ジャズの他にこの日本の歌謡曲も好きなのであるがそれはあくまでも昭和歌謡で現代の平成歌謡曲?(そういう呼び名はないのかもしれないが)は殆ど聴くことはない。 和製英語がいたるところに現れ ありきたりのフレーズの使いまわし そして言葉が高速なのである(笑) 速くてついていけない…歳をとったからそう感じるだけなのかもしれないがテンポの速いのはどのジャンルでも昔から存在する つまり早くてもよいのだが伝わらなければ意味がない。

村下さんの書く曲のメロディーラインはとても美しいそして特筆すべきは作詞である。ほぼ日本語だけの詩をつづり自然の情景を織り込む そこに登場人物の思いや感情が入りドラマが出来上がる そう歌の中で映画を観ているかのような感覚を覚える。

この風景が見えてくる曲は昭和歌謡には沢山存在した それは日本語による詩が大いに影響していると思う。そしてその詩の持つ意味や感性を捉える受け手側も対応していないと意味がない。昭和歌謡は子供の頃テレビでリアルタイムで見て、聴いていた ただその時はその詩の意味も分からないで聴いていたと思う そしてこの歳になりそのときに聴いていた昭和歌謡の詩に託された意味も分かるようになり素晴らしさ(遊び心も含めて)を再認識している。

オーディオファイルでこの昭和歌謡を好んで再生する人はあまり見かけない。それは昭和歌謡が オーディオファイルが好きな音像や定位など実は余り必要としないからだと思っている つまり日本語の歌詞を理解できる人であれば その歌詞で音像を超える風景が思い描けるのである だからカセットやミニコンポなどでも十分なのである(と思う…)
詩の世界だけで情景を映し出せる日本語の歌  西洋には無い独特の音楽といってよいのではないだろうか。

個人的に作詞家では岩谷時子さんが好きである。時代を問わずジャンルも歌謡曲だけではなくドラマ主題歌、訳詞と幅広く活躍された 4年前に亡くなられたが戦後の日本歌謡を支えた重要人物であると思う。


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# by kurama66644 | 2017-10-08 11:55 | 歌謡曲 | Comments(6)

最終的に残る物

オーディオやレコードを趣味とするとどうしても物がたまってくる。特にレコードやCDなどは増殖する一方である そういう中でデジタル化すれば物理的な収納も省スペースで済む事になるのだが見た目は少なくとも持っている数?は同じだから結局は変わらないようにも思う。

以前 ご年配の方が莫大な数のレコードをどうにかしたい旨の記事があり その中でレコード音源をデジタル化すれば場所もとらず良いとの意見が意外と多かったのを覚えている。キタサン的には思い入れのある物だけ手元に残してあとは売るなり他の好事家の方に譲ればよいのにとも思ったのだがその方にとってどれもが思い入れのあるものばかりで選択が難しいとの事(汗) その後その方はレコードをどうしたのか分からないが仮にデジタル化してもレコード自体に思い入れがあれば その再生方法にも思い入れがあるのでボタンひとつで簡単に再生できたとしても違和感を覚えるのではとも思ってしまう。ただ慣れもあるからなぁ~その再生が普通に感じるようになるのかも?

自分も思い入れのあるレコードは売らないようにしているがリアルタイムで買ったわけではないのでそもそも思い入れはそれほど無いのかもしれない。
レコード熱は急激に冷めてしまい 当時の価格以上だとほぼ買わなくなった。そうなるとジャズのオリジナルの異常な価格はいったいなんだろうと それほど興味が無かった時の感覚に戻りつつある。 作品の内容が良いからそれは高くなって当然と言う意見もあるが同じ内容のCDや配信がその何十分の1の価格という事実はどういうことなのだろうか? 結局は音の違いでの価格差と言う事なのだろうが 音の価格とはいったいどういうものなのだろう 何だかよく分からない。

先月末にインターナショナルオーディオショーがあったが1台でマンションが買える程の機器類が普通に展示されている異次元の世界には殆ど興味が無くなった。
夢のある世界、目の保養になるなど色々な感想があるとは思うが自分的には別世界のものでオーディオそのものがそういう方向性でいくのなら業界そのものが末期状況であるようにも思えた。 お金をかければそれだけ良いものが出来るという迷信からはもう脱却した方がよい! …とここまで書いたがその辺りは自分自身の物に対する美意識が大きく関係してくる事だから他人がどうこう言える事でもないのかもしれないなぁ (メーカーの方、関係者の方 スイマセン…)

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パワーはQUAD405でほぼ固定しているが久しぶりにプリをラックスマンからQUAD44に切り替えてみた。プレーヤーもこの44に接続しているDualの年代物で再生。
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先日買った450円のこの竹内まりやのアルバムの再生 思ったより良かった(笑) もっと古いアルバムでないとしっくりこないかとも思ったが意外である。
それに引き換え ブルーノートの復刻盤アナログはちょっと低域を強調しすぎていた感じが否めない オリジナルはもう少しバランスが良かった気もするが復刻盤のほうが実際 生で聴いたアーティストの音の感触に近かったような気もする…

結局は再発はオリジナルを超えられない ただし再発と言えどもオリジナルを超えるものがあるという二律背反が成り立つ不思議な世界ですねぇ 
音の価格はそのような側面をもっているので誰にも決められない。

お題の「最終的に残る物」は写真にあるQUADのアンプとDUALのプレーヤーがキタサン宅では最終的に残るかな?と思ってつけたタイトルだったが余り関係ない内容になってしまった…
乱筆失礼。


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# by kurama66644 | 2017-10-07 13:50 | オーディオ | Comments(2)

肌(皮膚)で感ずる

部屋にいるときは裸足でいる事が多い そして仕事以外の時は靴底が薄いコンバースのシューズを履いて出かける。

先日 久しぶりに運動シューズ(表現がオジサンくさいかも…)を履いて出かけるとものすごく違和感を覚えてしまった。
昨今の運動靴は軽く機能的に出来ている 軽いのは良いのだが靴底にジェルのような緩衝材があり足の保護というよりか ひざにかかる負担を軽減するように出来ているらしい。歩くとふわふわと浮いているような感覚で足裏が落ち着かない 歩きやすいといえばそうなのかも知れないがとても変な感触である。慣れれば大した事がないのかもしれないが今はこれが普通なのだろうか?

高校と大学時代に空手をやっており道場はもちろん外のランニングなどは素足である。田舎の高校だったので当時はまだ舗装されていない道路も多く石や砂利は当たり前のようにあり時にはガラスのような生身の皮膚には危険なものも多かった。しかしながら石や砂利は意外と足裏には無害で殆ど怪我をする事もなかった 危険なのは人工物で鉄や先ほどのガラスなど人の手で作られたものは危なかったのでその辺には気をつけて注意深くランニングをしていたような気がする。

更に遡る事 小学生時代 運動会がありその時は足袋を履いていた。もちろん昔とはいえ運動靴ぐらいはあったが何故か足袋で走る方が爽快で速く走れたような気がする。
雨の日は泥の中に素足で入り 足に絡まる泥のヌメッとした感触も今思い出すと快感だったのでそういう行為をしたのかもしれない。
足の裏には神経がいきわたっていて第二の心臓とも言われている。本物の心臓は直接触る事は出来ないがこの第二の心臓には様々な刺激を与える事が出来るのに人はそれを保護するようにしているのはもったいない話である。

たまたま足の裏の話をしたが要は肌で皮膚で感じる事に無頓着になってはいないかと考える。頭で考え理屈で効率化を目指す それほど現代人は急ぎ 触覚を軽視する
目で見た事、聴いた事がそのまま脳で実感として捉えるが意外と皮膚感覚の方が実態に合っているのではないかと思う事がある。

前回記事にしたオフ会に行った時のホールや演奏会場とも言える広い場所での空気感は皮膚にとても心地よかった。座った椅子の木質の感じや2階窓のステンドグラスから漏れる陽の光がホールに陰影を与え 音楽の波がその陰影を揺らす 視覚や聴覚より肌に感じる感触が最優先していたような気がした。

ジャズやオーディオ、音楽の事を主に書いているが実はそのどれもが自分はよく分かっていないのだと思う。良い悪い(好き嫌い)の判断基準は案外この皮膚感覚に合っているかどうかで決めているような気もする。子供の頃 山の中の自然で育った 頭で考えるより(肌)感覚で色々なものに接してきたそんな生活が今でも基準になっているからだと思う。

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# by kurama66644 | 2017-10-01 11:04 | Comments(2)

音楽の館

自宅の小規模なシステムでも十分音楽を楽しめる事が分かり最近はオフ会など行わなくなったキタサンだが先日 参加しているオーディオコミュのお宅?に訪問してきた。
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個人宅というより演奏会場、ホールなのである もちろん個人所有である。シンフォニーが好きで実物大で演奏を再現したく建てられたこのホールは基本演奏の場でありステージその他グランドピアノ 諸楽器もあり即 その場でコンサートも可能である。そのホールをオーディオサロンとしても活用するオーディオ魂とその執念はものすごいものがあると思う。そこには家庭用オーディオの姿はなく若い頃から情熱をかけたオーディオのノウハウが込められたシステムが存在した。

さぞかしオーディオシステムにお金をかけているだろうと想像するがご本人曰く 「自分は貧乏だったのでそれほどお金をかけられなかった やれる範囲でチャレンジしてみた」との事 なるほど上流部分の機器だけみても昨今の金満オーディオの類ではなくとても質素なもの 下流部分はカスタムして作成したものが多い ただし長く使う事を前提としていたので部品等は今の使い捨ての安い部品とは違い上質のものが多い そして故障したときの事を考え仕組みをなるだけシンプルにしている。
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座席は150ぐらいはゆうにあり2階席も完備 木の香りと壁に飾ってある絵画が印象的である。
オーディオルームはガチガチにしてはいけない!と若い頃オーディオルームで音と格闘されていたそんな経験が生かされている部屋(ホール)の造りだ。
そして「オーディオルームを完璧にしようといじればいじるほど音は悪くなる」とこれまでの長い経験から話されていた。ある種 大雑把な方が音が上手く逃げ楽しませてくれるなど含蓄のある言葉には説得力がある。

壁に埋め込まれた8つの巨大ユニット 1番上の朝顔型ラッパ口のユニットが全体の帯域の80~90%を受け持ついわゆるシングルホーンであるとの事 残りの3つのユニットは高域ではなく低域の足りない部分を補う補助的な役割に過ぎない。実際家庭用オーディオで殆ど聞こえる事がない正確なパイプオルガンの極低域の重低音 うなりとも判別しかねない領域をいとも簡単に再生していた。

正面にあるグランドピアノの屋根の開閉角度でこのホール全体の(オーディオ再生時)調音を行っているのには驚いた。屋根を開く角度でホールでの音の響きが明らかに違う 広く開閉すればするほど音は柔らかくなり狭くなればシャープになる 楽器そのものを調音材として利用するのは広さゆえの理由の他 電気的なアンプなどでのトーンコントロールでは自然な音の減衰が出来ないらしい それと聴く場所で音はかなり変わるのはクラッシックでの演奏会場など行けばお分かりであろう。
一番前の正面に座って聴くとホーンの指向性でいかにもオーディオ(スピーカー)が鳴っている感じは否めないが中ごろの席に移動するとフワーッとした包み込まれる音がする すなわちホールの響きの音なのである。

かけて頂いたのは殆どがクラッシックであったが交響曲(シンフォニー)はやはり圧巻である。実物大で鳴る迫力は家庭用で広いといえる規模の大きさでもここまでは再現されない それでいて大音量でも圧迫感がないのは有り余る空間の広さのおかげであろう。

オフ会?最後の方はステージに上がり実際グランドピアノを弾かせてもらった(弾けないけど…) 簡単なコードをおぼつかない指で鳴らすとホールに響く 何故かとてもうれしくなる(笑) 場所は都内ではなく関東平野内、出不精のキタサンではあったがとても貴重な体験で有意義な一日であった。
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なに? こんなスケールの大きい所で聴いた後 自宅での音楽を聴いてがっかりしなかったのか?って
不思議な事にその感覚は全くなかった。このホールで聴いていた時 キタサンは殆ど目を閉じて聴いていた そこには自宅で聴く音楽と同様のテイストがあり音楽の再生はスケールとは又別のものである事を再認識した。つまり頭の中でいくらでも音楽の規模を拡大できるのでリアルな規模はそれほど必要ない場合もある。主催者(所有者)もこれだけの規模をお持ちではあるが考え方は同様であるように思う。

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# by kurama66644 | 2017-09-29 07:54 | オーディオ | Comments(2)

ジャズは好きです!


by キタサン
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