伝説のジャズボーカリスト

いささか大げさなタイトルだが若くして亡くなった実力のある方にこのような敬称を付ける事が多いように思う。

今回ご紹介するのは女性でしかも日本人の方「木村芳子」さんである。ボーカルファンでもそれほど知られていないのは先に挙げたように若くして亡くなり生涯1枚のアルバムしか発表していないせいもある。

45年生まれ、学生中に米軍キャンプで歌うようになり それから10年間都内のジャズクラブでバンド活動をする。第1回69年のニューポートジャズフェスティバル・ジャパンにも参加、ペドロ&カプリシャスの初代ボーカル前野曜子さんとも交友があり親友同士であった。

木村さんにレコーディングの話が持ちかけられたのは77年 ジャズボーカルという特異なジャンルの中 そういうレコーディングの話は当時は中々巡ってこない。大衆世界を相手に経済的採算性を考えると世間的に受けそうな歌謡曲やポップス系の人々にどうしてもレコーディングの機会は優先させられてしまう。
千載一遇のチャンスを与えられた木村さんであるが驚く事にバックを務めるのはゲイリー・フォスターやクレア・フィッシャーなどのアメリカの大物たち そしてレコーディングもロサンジェルスのスタジオと破格の待遇であった。地道な活動をしてメディアにも殆ど取り上げられなかった木村さんではあるが木村さんのジャズボーカルの実力もさることながらジャズレコードが徐々に売れ行きが上がった事と日本のレコーディング会社や個人プロデューサーがアメリカなど海外のミュージシャンとの交流を図り 日本のジャズも少しづつインターナショナルのマーケットを拡大していくという当時の背景と一致していた時期も関係があると思う。

アルバムタイトルは「メモリーズ」モリス・アルバートがヒットさせた曲でもある。
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選曲自体はこのメモリーズをはじめバーバラ・ストライザンドの追憶など ややポップス系の曲も入り硬派なガチガチのジャズアルバムではないが木村さんの歌声は正に「ジャズ」なのである それも「和ジャズ」と言っていいだろう。あちらの(米国)の歌手を真似してジャズっぽく作った感じはしない自然な歌声、無理の無い声量、感情を相手に押し付けない不思議なクール感も漂わせている。それでは情熱的ではないのか?というと不思議な事にその情熱が伝わってくる。これは日本で言う阿吽の呼吸と呼べばよいのか 歌い手と聴き手が何となく意思疎通できる感覚にも似ている そこら辺りが「和」を感じ同時にあちらの(米国)のジャズも感じてしまうのである。

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ジャケットは野暮ったいがちょっと低めの親しみのある声も日本人には受けると思う。30代の若さで亡くなられたのは非常に残念である。

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# by kurama66644 | 2017-11-12 08:20 | ジャズ | Comments(0)

自分の目指すサウンド?

「自分の目指すサウンド」…とオーディオや音楽の記事、コメントによく書かれている。今まで何気にしか見ていなかったがそういえば自分の目指すサウンドなんてものがあるのかなぁとフッと考えてみた。 そうすると特に思いつくこともない…まぁいい加減で実に不真面目なのかもしれないがどうなのだろう?

一般的には生演奏の雰囲気とかホール感を出すとかスタジオ録音が再現されるとか具体的に自身が聴いた?感覚を再現してみたいという事や あるいは感動したい、心が揺さぶられる音が聴きたい、人の声がリアルに聴こえるようなというどちらかというと刺激を求めるものが表現できればという事なのだと思う。

当たり前かもしれないが1時間前の私と1時間後の私では違う人間である。どこかの細胞が死んで違う細胞が生まれる からだひとつとっても 変化して同じではない。
体のひとつである脳も同じく変化している 寝ている時と起きてからでは別人になっている事に不思議さはない。いつまでも同じであるというのは勝手に想像しているだけで1秒1秒変化している。これは人間だけではなく他の動物も外の自然も同じ事がいえる。

人自体が自然のひとつで刻変化しているのに音が変わったと機械や部屋のせいにしてあれやこれや弄くり自分の理想にしようと考える方が(コントロールするほうが)無理があるようにも思えてしまう。
そう思うと良い音、悪い音、理想の音という枠組みも余り意味が無い気がしないでもない。それでもその意味の無い事にあれこれ悩んでしまうのが人間の性(さが)のようである。

コントロールできるのは人工物だけで自然は出来ない。いくら機器を調整しても部屋を作って「自分の理想のサウンド」とやらを構築したとしても肝心の人(自然)が日々変化しているのだから理想のサウンドも変化してしまう。それならばそれを素直に受け止めるしかないと思う あとは好き嫌いぐらいしかない。


機械にこだわるのもアクセサリーにこだわるのも部屋にこだわるのも人としての性(さが)が成しえる事で仕方がないこと それは別名 個性という名で呼ばれている。

自分は各人の個性に立ち入る事はしないし出来ない。他人のお宅に訪問しても弄る事はしない 弄るのは自分の個性になってしまう それは相手に対して失礼だと思う。
仮に相手からお願いされて弄る場合 これは自分の個性であると注釈してからのほうが良い そうでないと相手の個性を消してしまう。

結局オーディオとは自然(人)と加工物(機器等)の組み合わせ 目指すサウンドは人と言う自然が絡むので日々変化してそこから逃げていく。機器や部屋その他でコントロールできたとしても自然がそうさせない。あるがままのものを素直に聴くだけである。

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キタサンの好きなジョー・ニューマンのアルバム。これは再発盤だが柔和でありながら時に激しさもある演奏をしてくれる好アルバムである。




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# by kurama66644 | 2017-11-05 10:33 | オーディオ | Comments(4)

煙草の煙

煙草を吸わなくなって10年以上経つ。なにやら煙草の税率が上がり値上げを検討しているとか… 喫煙者にとって辛い世の中になってきた。
受動喫煙とかで吸わない権利を主張する人も多いが吸う側の権利も当然ある。しかしどこのお店、公共機関、乗り物等も喫煙者には厳しい感じにはなってきている。

キタサンも煙草を吸っていた時はヘビースモーカーと言うほどでもなく一日に数本吸うぐらいであとは飲み屋では多少多く吸う程度であった それゆえいざ禁煙する時は比較的スムーズに止められた。若い頃も何度か禁煙した事があったが大抵は1~2ヶ月ぐらいで又 吸うようになったのはジャズ喫茶や飲み屋に行くケースが多く その空間ではどうしても吸いたくなる欲求にかられたためである。現在は外で飲む機会は減り好きだったジャズ喫茶も行かなくなったので特別に吸いたいとも思わなくなった。

そうジャズ喫茶には煙草がつきものである(笑) 煙草と珈琲、小瓶のビールが似合う。そういう中 先日 平日であったが久しぶりに都内のジャズ喫茶に行った。
平日の昼間という事で客は私も含めて3人だけ 一人は老人で懐かしそうに目を閉じジャズに浸っているようだ そしてもう一人は背の高い外国の方…席を二つおいた私の横に座っていたが珍しそうに周りを見ていた 外国にはジャズ喫茶なんておかしなもの?はないので不思議な光景なのであろう。まぁそんな事はどうでもよいのだがその外国の方 煙草をスパスパ吸っていてその煙がキタサンのところに集中して漂ってくる… 実は昔自身が煙草を吸っていた時は煙草の煙なんてそれほど気にしていなかったのだが吸わなくなり10年が経つと もう煙草の煙は「アカン!」(笑)  においもそうだが正に煙が目にしみるようで(汗) どうにもこうにもならない しばらくしてその外人さんも帰られて煙は浴びなくて済んだが においは敏感に感じたままである ジャズ喫茶には煙草の煙がにおいと共に歴史として染み付いているのである。

オフ会などでキタサンに気を使って?ジャズをかけてくれる事はあるがそれはジャズという音楽であって「ジャズ」とは違うと思い聴いている。
ジャズ喫茶でかかっているジャズはいまどきの高精細なシステムに比べ どことなくぼんやりとした鳴り方をする。全てとは言わないが大掛かりなシステムの為 家庭用で調整と称して弄るのがそう簡単には出来ない あれこれと細かく弄る暇も余裕も無い ジャズ喫茶商売も今では殆どが赤字であろう われわれが家庭で聴いている趣味のオーディオとは意味合いが違う。
そういう場で鳴っているジャズは音楽ではなく人生の音 すなわちジャズの本質そのものなのである。たとえオーディオ機器を通した音であっても 生身の人間が演奏した本物のジャズに近いものがあると思っている。

家庭のクリーンな空間で聴くジャズと言う「音楽」は楽しいが「ジャズ」ではない。キタサンもすっかりクリーンな空間でのジャズという音楽に慣れてしまったが本物のジャズとの出会いに出かけたりする。 出かける数が減ってきたのは やはり煙草の煙が今では手ごわい存在で耐えられなくなってきたからなのかも…

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美味そうに吸っているなぁエバンス 薬ではなく煙草で我慢していればもう少し長生きできたのに…。

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# by kurama66644 | 2017-11-03 11:07 | ジャズ | Comments(0)

ふくよかに鳴らすプレーヤー

QUADアンプ+Dualプレーヤー+ソナスMinimaというシンプルシステムですっかり落ち着いてしまったキタサンだが そうなると他の機器は使わずじまい=必要のないものは処分という自ら課した方式を実践してしまう… それでもいいかなぁ~と思いつつラックスマンやトーレンスはどうするの?と後ろ髪引かれる気持ちもある。

そういう事で久しぶりにトーレンスTD124MK2を稼動してみることにした。実はDualプレーヤーにシュアーM44-7でステレオ盤ばかり聴いていたのでトーレンスでのモノラル盤を聴いてみたくなったのが本音である。
トーレンスはアウタープラッターを損傷し外してからイマイチ稼働率が低くなっている。本当は新しいものを買えば良いのだが6~8万もするしオークションで2万ぐらいで出ていたが実物を見れないのが欠点である。もっともアウタープラッターが無い方が回転時の歪みが少ないので見た目もいいし却ってこちらの状態の方が良いような気もする。
それとモノラルのオリジナルを殆ど買わなくなったのでモノラルの再生が激減したのも使わなくなった原因でもある。

確か前回使ったのは珍しく自宅オフ会を開いたとき以来だから2ヶ月ぶりである(汗) TD-124を買ってこれだけ使わなかったのは初めてである。
久しぶりに聴いたTD-124の感想は「ふくよかさ」である。音と音楽が豊かに鳴っている印象。Dualのプレーヤーは前回のブログでも書いたが かけた音楽が楽しく聴こえるのに対しこのTD-124は溌剌とした中にも豊かさ、余裕を感じさせる鳴り方をする。モノラル音源を鳴らしているのにステレオ再生しているかの如く音の広がりを見せるのはMK2の特徴 自分のは70000番台終わりのものなのでMK1のモノラル再生に特化したプレーヤーよりステレオ再生重視なのであろう プリアンプやカートリッジの違いがあるので純然たるプレーヤー同士の比較にはならないかもしれないが後段のパワーアンプとスピーカーが同じものを使っているのであながち間違えているとも思えない。

再生したのは50~60年代のオリジナルモノラル盤なので音源そのものが中域重視で現代の高域、低域を広げて再生する方向(録音)とは違うのでその辺りも影響しているのかもしれない。
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TD-124もオルトフォンのモノラルカートリッジをステレオ針に変えて聴いてみようかな こういう機械仕掛けのプレーヤーは日々使わないとご機嫌斜めになってしまう(汗)


話は違うが某オーディオコミュはジャズの話が殆ど無くなってしまった…PCやら部屋自慢やらそしてアクセサリー関連、映像関係(これはOKかな)やらで音楽の話題はたまに出てもクラッシックの話ばかり 考えてみるとオーディオ関係のコミュなのでこれが普通なのかも?でもキタサンには余り食指が動かない事ばかり そろそろ引き際かもしれない…。
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マイナー奏者 ジミー・ウッズのアルトは艶があって好きである。同じウッズでもフィル・ウッズの華やかさはないがこちらの方がジャズ本来のうねり、情念が感じられる。

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# by kurama66644 | 2017-10-29 09:27 | オーディオ | Comments(7)

楽しい再生

最近 音楽を再生するのが楽しい。

使っている機器は以前とたいして変わらないのだが旧西ドイツのDualのプレーヤーにQUADのプリとパワーのアンプの組み合わせで聴いている。
この組み合わせはモノラル音源を聴く際 時々使っていたのだがカートリッジの針をシュアーのモノラル専用針からN44-7というトーレンスTD124でよく使っていたステレオ針(モノラルでも可)に変え ステレオ、モノラル盤 両方をこれ一つで再生してみると とても味わい深い音楽が聴ける。キタサンがこのブログでもよく口に出す体が自然と「スイング」するのである(笑)
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DualのプレーヤーはトーレンスTD124と同じくアイドラータイプの機械仕掛けの古いプレーヤーである。年代的には60年代終わり頃 もう半世紀も経っている メンテナンスをシッカリしてもらったのだが一時期不調で使用していなかった。あとでこの不調の原因はこのプレーヤーではなく繋いでいた中華製の真空管アンプのせいだと分かったのだがケンウッドとトーレンスを併用して使っていたので中々出番が回ってこなかった次第なのである。

先月ホールでのオーディオオフ会を行い(音楽の館 http://andokan.exblog.jp/27171685/)超弩級のシステムを聴いてから何故かこのQUADとDualのプレーヤーが頭の中に浮かんできた。システムと環境規模は象とアリぐらいの差はあるのだが音楽のテイストはそれほど変わらないように感じた 今までだと他人の家のオフ会に行くと高額な機器類とそれなりの余裕のあるスペースで視聴し終わって帰宅してから結構落ち込む事が多々あり(汗) 音楽はしばらく聴きたくないと思ったりしたものだったが 今回は自宅での音楽を無性に聴きたくなった初めての経験である。

音楽のテイストと書いたが聴覚を別の感覚(味覚)で捉えるのもおかしな話で日本語の面白い表現でもある。キタサンはジャズは知識として多少詳しいぐらいで音楽そのものには疎い それとオーディオ製品もそれほど詳しくない。
オーディオを介してのオフ会なり集まりで色々な話しがでるのだがオーディオの知識やそれに関連するアクセサリーの使いこなしなどそちらの話題が大半を占める。
その大半を占める事に疎いので話にはついていけない(笑) ついていけるのは音楽や曲に話題がいった場合である ジャンルは問わないが(特にジャズに関しては前のめりに身を乗り出す)「この曲のこの部分がいいよね」とか「こんな背景でこの歌ができたんだ」とか音楽や曲を聴いての感想なら同調できる。

さきほどの音楽のテイストの部分だが必要な栄養素が十分に含まれているから良いというものでもない。美味しいかまずいかという嗜好的なものがあるかということだろうと思っている。感じ方は色々だがまずくても ちょっとうまみがあり悪くないとか 美味しいけどちょっと苦味がアクセントになっているとか 音楽の味わいは様々である。高域がどうこう低域が出るとか出ないとか この音が聴こえるいや聴こえない 定位や音像が合っているなどマニアの好きな「音」の話は自分にはよく分からないし「音楽のテイスト」にはさほど影響はないと思っている。(少しはあるかも…)

オーディオの場合 やはり音源の質により音楽のテイストの違いが大きいと思う。機器はスパイスかと思う 塩であったりソースや醤油、砂糖、タバスコetc 今回のQUADやDualのプレーヤーは聴く音源にうまくスパイスが絡んで料理が美味しく感じられたのかもしれない。

巷(オーディオ業界など)で言われるほど部屋の善し悪しやセッティング、電源環境に関してそれほど神経質にならなくてもよいような気もするのだが…
少なくとも自分には音楽のテイストは上記の事が完璧でなくとも感じられると思っている。

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# by kurama66644 | 2017-10-18 10:38 | オーディオ | Comments(2)

ジャズは好きです!


by キタサン
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