7月に新宿ユニオンに行って以来だから2か月振りにソフトを買う事になる。さて何を買おうかと向かった先はいつもの御茶ノ水JAZZTOKYOではなく神保町のディスクユニオン もちろんジャズもクラッシックも置いてあるが歌謡曲がねらい目である。新宿に昭和歌謡館もあるがきっと欲しいものが目白押しで散在するのは分かっているので避けた もうジャズのオリジナルで後悔したのでソフトに散財したくない 感覚的にひとつのソフトで云千円、云万円というのは自分の金銭感覚では無理がありすぎる…大した金額ではないとお小遣い感覚の人もいるだろうがそういう中流階級以下の自分であるというのは分かっているので無理は出来ないのである。
4610円! 購入金額である。EP盤6枚 LP3枚、CD2枚 EP盤は5枚で100円のものがあり懐かしJPOP,歌謡曲があったので即買いであったがLPは中々食指が動くものが多くなかった。ねらい目の物はネットであったが実際の店舗にあれば買おうと思っていたがそう上手くいかない それでもオーッというものもあったので3枚購入 詳細はまた別の機会に紹介しようと思っている。
CDコーナーはJPOP,歌謡曲を中心にみてきたがお目当ての物は置いていなかった。そういう中 「南沙織ベストヒット」のCDが置いてあった。6月にご近所のオーディオ仲間Iさん宅で南沙織のEPが沢山あり時間が無かったので1枚位しか聴けなかったがこのCDはそれらのEP盤が凝縮されたものだ。おもわず購入、それと桜田淳子のヒット曲集も購入 帰宅し早速 南沙織のCDを聴く。 このCDはデビュー曲から順番に選曲され かかった瞬間から当時を思い出してしまった。17歳から始まり尾崎亜美作曲の春の予感まで16曲 殆どがヒットチャートにランキングした南沙織の人気がこの当時不動のものでアイドルという枠を超えたスーパースターであったことが分かる (71年~78年)。
17歳を歌う南沙織のバックコーラスが「パッパヤーパー」と言っているのが今の感覚では間の抜けたレトロな感覚だがこの当時はこれが普通であった。それにしても特質すべきは作詞家の存在であろう 南沙織の大部分の曲を作詞した有馬美恵子さんはまだ存命だと思うが南沙織の他 伊東ゆかり「小指の思い出」布施明「積み木の部屋」金井克子「他人の関係」などベストセラー曲の作詞をした大家である。哀愁のページの冒頭部分を除いてほとんどが美しい日本語の詩で構成されており今のチャラい英語混じりのヘンテコリンな和製英語は入れない 日本の情緒、人のふれあいからなる細かな心の機微を巧みに表現している シンガーソングライターがこの後 流行り自ら作詞作曲するのが当たり前になり評価もされているが個人的な感覚としてはそれが日本の歌謡曲をダメにした事と思っている。メロディーラインの美しさだけでは歌謡曲は成り立たないのである それに対応できる素晴らしい歌詞を作れるセンスが必ずしも曲を作った歌い手にあるとは思えない 餅は餅屋に任せればよいのである。
このCDの裏面にシングルジャケットが小さく載っているが信じられないぐらいの美少女である… そうそう思い出した篠山紀信と結婚すると聞いた時は信じられなかった なぜあのようなモジャモジャ頭の親父がこんな美女と結婚するのか!世の中間違えていると本気で当時は思ったものである(笑)
そうして家のオーディオシステム(CDP QUAD, SP アマトール等)で聴いてみたがこんな立派なシステムではダメ! 急きょ壊れかけた改造CDPと中華製アンプ BONSAIスピーカーという簡易システムを組んで聴いてみた そうそうこれです 云十万と言うシステムでは全く味わいが出ない それでも当時聴いていたラジカセの方が良い音だと思ったキタサンであった。
4610円! 購入金額である。EP盤6枚 LP3枚、CD2枚 EP盤は5枚で100円のものがあり懐かしJPOP,歌謡曲があったので即買いであったがLPは中々食指が動くものが多くなかった。ねらい目の物はネットであったが実際の店舗にあれば買おうと思っていたがそう上手くいかない それでもオーッというものもあったので3枚購入 詳細はまた別の機会に紹介しようと思っている。
CDコーナーはJPOP,歌謡曲を中心にみてきたがお目当ての物は置いていなかった。そういう中 「南沙織ベストヒット」のCDが置いてあった。6月にご近所のオーディオ仲間Iさん宅で南沙織のEPが沢山あり時間が無かったので1枚位しか聴けなかったがこのCDはそれらのEP盤が凝縮されたものだ。おもわず購入、それと桜田淳子のヒット曲集も購入 帰宅し早速 南沙織のCDを聴く。 このCDはデビュー曲から順番に選曲され かかった瞬間から当時を思い出してしまった。17歳から始まり尾崎亜美作曲の春の予感まで16曲 殆どがヒットチャートにランキングした南沙織の人気がこの当時不動のものでアイドルという枠を超えたスーパースターであったことが分かる (71年~78年)。
そうして家のオーディオシステム(CDP QUAD, SP アマトール等)で聴いてみたがこんな立派なシステムではダメ! 急きょ壊れかけた改造CDPと中華製アンプ BONSAIスピーカーという簡易システムを組んで聴いてみた そうそうこれです 云十万と言うシステムでは全く味わいが出ない それでも当時聴いていたラジカセの方が良い音だと思ったキタサンであった。
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by kurama66644
| 2018-09-17 07:57
| 歌謡曲
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Comments(2)