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位置の違い

関心があるなしによって捉え方が全く違う事はよくある話である。このブログはジャズとオーディオに関して書く事が多いのだが昨年末から始めたデスクトップオーディオで机上のスペースが急に狭くなり?スピーカーが置けなくなるという状況になってしまった(-_-;)…。

というのもPCが壊れてしまい以前使っていて液晶の1/3が薄く黒ずんでしまうモニターのものを再度使い出した。PC内部は壊れてはいなく液晶部分の損傷で画面一体型のPCなのでそれさえ我慢すれば使えるのである そしてそれを我慢できずに(笑)昨年の7月にオークションで安いものを落札した それが23インチ液晶のデカいものだったのでそれが今回壊れてしまい現在PCオーディオを設置していたデスク上に撤去しているのである。別にデスク上に置かなくてもいいじゃないかと思われるだろうがキタサン宅は狭い!部屋数は少ないし余分なものは置くスペースはないのである。

机上に壊れたPCを置いて今まで通りデスクトップオーディオも出来るのだが「まてよスピーカーの後ろにデカいモニターがあると音の周りが良くないのでは?」とハタッと思った。スタンドにスピーカーを移動するのも邪魔になるし どうしよう…と考え そこで一案!
RCAユニットスピーカーの2段重ねでちょうどデスクと同じ高さになる そこに片方のスピーカーを置けばデスク上のスペースは広くなる で早速試してみた。
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どうですか… 余りカッコよくない それよりRCAユニットのスピーカー全然使っていないなぁ~60年代前半のユニットで性能もいいのに能率も高く迫力はあるが低音が全然出ないけど音は前に飛んでくる ちょっと疲れる音なので封印していたがまさかスピーカーの置台(スタンド)代わりになるとは いけない使い方かもしれない(反省)
そこで肝心の出音だがこれが意外と悪くない というのも聴いている位置がそもそもいい加減で斜め横で聴いているので2段重ねにしたSP上のSP(なんだかややっこしい)のユニットを視聴している方向に向けているので聴きやすくなったような…気がする 錯覚かもしれないけど そもそも音場感や定位などこのデスクトップオーディオでは求めていないし 狭い部屋内で音符が飛んで自分の頭の周りに浮かんでいるそんな音出しでよいと思っている。
PCはわずか半年でダメになった ことPCに関しては中古はダメである。使っていた人の癖と自分の使用時の癖が合わなく障害を起こしてしまうのだろうか?オーディオ機器は逆に中古の方が(モノによるかもしれないが)馴染んで良い事も多いのだが…。

オーディオに興味を持って今年で11年目になるが音像やら音場、定位など未だ関心が少ない。オーディオコミュを見ていて神経質なぐらい気にされる方も多い 聴くジャンルにもよるのだろうか?そちらの方に関心がいくと音楽の面白さに注意がいかなくなるのではと思ってしまう そうそう以前 オーディオでジャズのベースがどちらから聴こえるかの話題が出た事がある でもそんな事ジャズライブにいけば場所によってもマチマチだしい「位置」には関心が無い。左から鳴っていようが右から鳴っていようがベースはベースなのであるトランペットでもサックスでもない 位置関係が明確なクラッシックの方からすると位置が違う事は気持ち悪いし落ち着かないようである。そういうものなのかとその時は思ったが確かに焦点が合っていないピンボケカメラより焦点がぴっしり合っている方が安心できる オーディオで作品の内容を探る事によりより理解できるという考え方なのかもしれないなぁ。それとも機器性能の正しさを確認したいのだろうか?部屋の影響により音の反射等で微妙に変わったりするから一般家庭ではそれも難しいような気もするが なんだかよく分からない そのあたりはマニアなファンにお任せしておこう。

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お正月からジャズだけではなく歌謡曲、J-POPも再び聴きはじめた。QUADのアンプが楽しさを伝えてくれるので面白い。
稲垣潤一はまだ現役でバリバリ活動している。この「シャイライツ」が出た頃はまだまだキタサンは歌謡曲主体に聴いていた頃である。ジャズ喫茶には通っていたが歌謡曲の方に興味があった。このアルバム 名曲ばかりで未だに歌詞は覚えている(笑)

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by kurama66644 | 2018-01-17 12:51 | オーディオ | Comments(2)

全てをさらけ出すのは良い事なのか

ソフトに収録された全ての情報を知りたいと思うのがオーディオマニアの性だと思う。その為解像度を重視しこれまで聴こえない音を探るようになる 音源にある素のままの状態を素直に再現できるのが良い機器の条件の一つというのも分かる気がする。自分がオーディオを始めた時はこの考えに近かった そうなると高音質ソフトや機器類も高価な物を買わないといけない ただし原資は各自限られているので出来る範囲でやるのが普通である。原資が少ないとそこで色々な工夫をする セッティングしかりアクセサリーでカバーするなど方法はいくつかある。

ここ何年かビンテージとはいかないまでも昔の機械を使って再生していた。音源が古い物が多くそれに合わせた形だが今年に入り使っていない機器類の整理の際 以前使用していた現代のアンプを使うとこれまでどことなくぼやけた音だったアナログがとても元気に鳴るようになった(全てではないが昔のオリジナルの一部など)こりゃぁ面白いとばかりに余り聴かなかった音源など聴き直してみて新たな発見をしたかのような感じである。

新たな発見とは進歩ということでもある とても大事な事だが聴き続けているととても疲れてきた…何となく違和感を覚える 体がついていけないといった感じである。
最初は面白いと思ったのだがついには以前の機器に繋げ直し聴いている自分がいた。今まで聴こえていた音が所々聴こえなくなる 元気な音ではなく少し憂いを持った音に戻った こちらの方がアルバムの本来の音のような気がする。(本当かな?)

音源が持っている正しい情報を素直に出せる機器が優れた機器とも言える それは昔も今も変わらない。その技術が進化している現代は本来聴こえないような音をも(昔は出せなかった音等)正確に出せるようになってきた 待ち望んだ結果だが時と場合あるいは人により残念な結果になっている事も多いような気がする。

よりディテールがハッキリした音像を再現できるよう工夫しているオーディオマニアも多い その奏者の凄いところ又は欠点のようなもの(情報など?)までより分かるようになるからだと思う。 しかしオーディオは幻影の音だと思っている その奏者の出す音は人格に反映するわけでもないし出している音も本物ではない。機械を通した音であり録音時のエンジニアが加工した音でもある。音自体 大きくても小さくてもよいのだが理想は霞(かすみ)のような音である 実態が無い音といったほうがよいのかもしれない。バカな事を言っているなぁと思われても結構 そう感じているのだから仕方が無い… 最近オフ会に参加しないのも実態のある音を目指して躍起になっている人が多いので自分とは合わなくなってきているからである。在りもしない音を目指して愛おしいほど頑張っている その姿には感動するが心はどんどん離れていってしまっている。
自分にとって全てをさらけ出す音は余り必要としない。ハイレゾや高音質という定義もよく分からないが体が受け付けなくなっている 単なる老化現象なのかもしれないのだが…
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(※相変わらずのいい加減なセッティング 3段重ね…軽いからまぁいいか)
ラックスマンのC-06αからプリをQUAD44に切り替えて聴いてみる。パワーは同じQUAD405を使っているので純正の組み合わせだ。以前この組み合わせで少し聴いていた事があるのだが常用しているトランス内蔵のフォノイコE-06を通さないで使っていた 今回は初めてE-06を通して聴いてみたがとても素敵な音楽を奏でてくれる。
ラックスマンのこの時代のアンプは「全てをさらけ出す」を命題に作られたバブル期の傑作である アナログ時代を決別しデジタル再生に舵を切り出した時代のものであるが現代のアンプに比べまだ温もりがあるように感じる。それより10年程古いQUADのアンプは「美味しい部分を抽出する」かなり割り切ったアンプである この美味しい部分というのがポイントで日本のメーカーはこの美味しい部分の抽出が中々できないように思う(あくまでも私見) 技術力があってこそ良い物が作れるのだが最後はやはりセンスなのかと思わせる名機である 価格的にも(笑)
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再発盤だがQUADのアンプで鳴らすと生き生きとしてくるのが不思議? このオリジナルは盤質が余りにも悪すぎて売却してしまった 持っていたのはモノラルだったので今度はステレオオリジナルを聴いてみたい。

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by kurama66644 | 2018-01-14 10:03 | オーディオ | Comments(0)

忘れ去られていたプリアンプ

年末から年始にかけオーディオ断捨離を行い 結局使っていない機器同士の組み合わせでデスクトップオーディオを構築した。そしてあと1台大物?が残っていた…オーディオを始めた初期の頃 購入したオーディオデザインのプリアンプDCP-105である。

キタサンがオーディオを始めたのが2007年からで知識もないままプリメインそしてセパレートとわずか1年半の間に5回ぐらい買い換えた(汗)…その当時ラックスマンの中級機のセパレートを購入し初心者にはもうこれで十分と思ったのもつかの間 有楽町のオーディオショーの視聴で感激し即 このオーディオデザインのプリアンプに買い換えたのである ラックスマンの半分の値段であったが性能はとても優れており買い換えるのに躊躇は無かった この視聴時でパワーアンプはまだテスト品として製品化されていなかったがプリアンプ導入後半年して製品化され こちらもラックスマンのパワーアンプから買い替え使い続けていた。

この頃はアナログプレーヤーは所有していたが実質使っておらずCD再生中心であった。スピーカーもモニター系のものを使い いかに音源を正確に出せるか そしてキレの良い低音、明確な音など現在の再生とは違う方向で進んでいた。そういう中でこのオーディオデザインのアンプはその当時のキタサンにとって価格的にも納得がいく製品であった DCP-105は20万ちょっと パワーアンプのDCPW-100は20万円後半ぐらいだったと思う。オーディオデザインはこの当時まだまだマイナーでオーディオ仲間でも使っている方は殆どおらず しかもセパレートアンプの価格が新品で20万円台というのも市場では余り見かけなかった記憶がある。大手メーカーが価格に加算する宣伝費や人件費などガレージメーカーゆえ余計な金額を上乗せしなかったのでこの価格でいけたのだと思う。最近はオーディオデザインも以前より名が知られてきて色々な製品も出すようになった そしてそのことは価格にも反映され…ちょっと高くなったというのが正直な感想である それでも技術力や製品の出来具合からみてもまだ価格は抑えている様子も感じられる。

こちらの製品はS/N比やダンピングファクターの高さなど数値的な凄さが強調されるが社長の大藤さんは数値は丁寧な作りと適切な設計を詰めていくとたまたまこうなっただけでそれほど意味はないと言っている。工学博士で数値的な理論には長けている大藤社長だが最後は各自の感性がものをいう それを常に念頭にいれ製品を作っていくという考えなのだろうと思う。

ラックスマンのC-06αを手に入れてからもこのDCP-105は使い続けていたがQUAD、Minimaと古い音源をアナログで再生する方向にシフトし いつのまにかDCP-105は追いやられていた… パワーアンプは時々取り出してQUADと併用して使う事もあるがこのDCP-105のプリアンプはそれから棚にしまったままでほぼ使わなくなってしまった。断捨離を行った時 このプリアンプを久しぶりに出し電源を入れてみた。問題なく動く しかしボリュームにガリが出る(汗) ボリュームは確かセイデン社製のLパッド型アッティネーターと音響用カーボン抵抗を使っていたはず いいもの使っているんだよな。ガリはでるが実際音楽を鳴らしてみたく何年か振り?に音出し。
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相変わらずいい加減なセッティング…プリアンプの2段重ね(汗) 軽いからまぁいいか 最近はパワーアンプをオーディオデザインのDCPW-100にしているからこれで純正のプリ、パワーの組み合わせになる スピーカーはモニター系のスピーカーではなくなったがどんな感じの音になるのか興味津々。

音出しするとラックスマンをプリとして使っていた時より帯域が広くなったように聴こえる そして低域のダンピングが歯切れよい これはQUADをパワーにしていた時からオーディオデザインのパワーに変えた時にも感じたがプリを純正の組み合わせにした時のほうが更に現代的な音がする それを少し和らげているのがMinimaなのであろう。
確認の為 もう1度プリをラックスマンに変えたが上述した印象通りである。オーディオデザインのプリの方がスピーカー間より広く音場が形成され低域の弾みがボーンボーンからボンッ、ボンッと小気味良くなる これはこれで良いというかこういう音を以前は好んで聴いていた。
しかしこういう音って更に良くなるのでは?と次なる展開を求めてしまうんだよね~ それを音源に求めたり機器性能であったり使いこなし、セッティングや身近なところではアクセサリーに走ってしまう…音楽も聴くけどそちらにも頭がいってしまう それを楽しみに行っている方もいるんだけどね…

いずれにしても改めてこのプリアンプの優秀さを再確認したのだけどボリュームのガリが気になる所 修理して使った方が無難であろう。(※味わい深さはQUADの方が魅力的) 年始からデスクトップオーディオで聴くことが多くなったからもう余り色々なシステムはいらない。 今度断捨離する時はオーディオシステム全体がいらなくなったりして(笑)

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by kurama66644 | 2018-01-12 09:40 | オーディオ | Comments(4)

デスクトップオーディオ 2

年末から年始にかけ家にあった100枚ほどのCDをこのシステムで聴きなおした。ニアフィールドの視聴は思いのほか良く 俗に言うオーディオ的な快感は無いが自分にとってこれで十分ではと感じている。ヘッドフォンに近い感覚ではあるが耳にダイレクトに来ず多少の空気感(空間を介すので)があるのでこれもオーディオの一つといえよう。
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華奢な木製のデスクにはサンシャインの薄型シートを置きスピーカーのインシュレーターは3点支持から前方2点支持にしやや上向きに設置し直した。配線も邪魔にならないように整理したがCDプレーヤーの上に真空管アンプを置くという掟破りはそのまま継続(笑) いい加減なものである。
この部屋には以前使っていた小型スピーカー用のスタンドがありスピーカーケーブル等長くすればスタンドに設置して聴ける。PL-100やクラッシック1などの海外製のスピーカーでそれを試し 狭い部屋内で試行錯誤したが音場やら定位など求めすぎ壁にぶち当たる そして音も壁にぶち当たる距離が短いので上手くいかず…そういう中 たまたま使用頻度が低い機種同士を組み合わせたデスクトップオーディオなのである。

昔からこんな小振りなシステムでBGM的に聴いていた ただしニアフィールドではなく視聴位置は様々な所で聴く形であったので音自体気になったり ならなかったりで好きなジャズとはいえ音だけをかけ流していたように感じる。しかしこちらのデスクトップオーディオでは音より音楽に心が奪われる こういう感覚はひょっとして今まで無かったのでは?とも思える。

視聴位置が真横に近い感じで機器が目の前にある その為音楽を聴きながらスピーカーやら真空管アンプ、プレーヤーと機器類をまじまじと眺める(汗)そうすると不思議な感覚になる 真空管から音が出てるような…いやCDプレーヤかな? やはりスピーカー本体から出ているような… 機器類が音を発しているような気がするのである。
もちろん発信元はスピーカーなのだが音場や空間を意識しないとそうなってしまう。

オーディオは部屋が色々な意味で重視される 音場や音像を正確に再現する為に部屋の構造、形は重要な要素になるからである。スピーカーが視界から消える事が良いオーディオの条件の一つであることはよく聞く それだけ部屋の中で音場や音像が自然に出るからだと思う そういう音が部屋中に行き渡りどこで聴いても正しく?聴こえるのが正解だというベテランも多い。

キタサンのデスクトップオーディオの意識として観るオーディオだと思っている。花や観葉植物を眺める 動いていないようで日々変化している 電気仕掛けのオーディオであるが音楽という養分を得て日々変化している様を音で確認する。(本来電化製品は変化するのは不良品なのだが…)それはすぐ近く、身近にそれが無いと感じにくい くしくも所有のスピーカーの別名は「BONSAI」 盆栽を見て感じる事(人それぞれだが)に似ているような気がする。Minimaほど筐体に重厚さは無いがとてもきれいな木目の表層が ラウンドされたリュート型にとても合っている 真空管アンプは安物だが安物なりにしっかり働いてくれる CDプレーヤーも同様である 何でもそうだがそれぞれ世界観がある それを認めるか認めないか人それぞれ MinimaとQUADの組み合わせは箱庭の世界で こちらのデスクトップオーディオは更に小さい盆栽いじりというところである。何か爺くさいなぁ~ でも爺だからしょうがないか…

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by kurama66644 | 2018-01-08 10:06 | オーディオ | Comments(2)

オフ会のマナー

オフ会は呼ぶ方も呼ばれる方も相当神経を使う…と個人的には思っている。特にキタサンはアガリ性なのでとても緊張してしまう 何度か訪れた家でもやはり緊張はする。

よく音は人となりを表わすというが少し違うと思う。優しい人だから優しい音がする その逆に性格のきつい人だから音もきついかというとそうではない。あくまでも視聴する建物、部屋などの風情(整っている、雑である、色使い、家具の配置、センスetc…)などからそういう印象を受け あたかも性格と一致するかのような錯覚に捉われる事も少なくない。かなり攻撃的な性格の人で心優しい静かな音楽を好む人もいるし、誰にも親切で温和な方が暴力的な音楽を愛聴する場合もあったりで様々である。

今はオフ会を行う事は少なくなったが一時期 月に何度か行うなど熱心な時期があった。それは他の人の音を聴いてみたくなった事しいては自分の出している音が人とどう違うのか確認したくなったからである。考えてみると個人的な趣味のオーディオにおいて部屋環境、機器類など違うのに比べる事はナンセンスなのであるが その時分は心の中でどちらが優れているのかなど比べたかったのだろう。

当時オフ会を行ったあとブログなど日記として感想を書いたものだが(今も書く事は書く) 音の表現を文章にするのが難しく相手に伝わりにくいので比喩をよく使った。絵画に例えたり事象に例えたりとストレートな感想を避けてきたが所々で本音が出るようで(汗) 後から相手から不満のメールを頂いたりして対応に困った経験がある。
自分自身がオーディオの事をまだよく分からない未熟な面も多々あるので軽く受け流してくれればよいのにとも思ったが 長年付き添った愛器やシステム構成に四苦八苦しながら構築してきた物を貶されるのはやはり気分はよくないものである 自分も逆の立場ならやはりいい気分はしないであろう。

実際 訪問して感想を聞かれる事は多い「どうですか~?」と… 相手も気にしていると思う 感想とはオフ会そのものの進め方、接待?の仕方や居心地などのオーディオ以外の事とオーディオ機器から出てくる音、ソフトの質などオーディオの事に対してで 「どうですか~?」にはそれらが総合して含まれていると思う。

そして感想には必ず比較、対象とするものがある。それは自分のシステム、環境やオフ会を何度か経験している人は更に別宅との比較である。そうなると本人が出している音、音楽そのものは機器類が壊れて変な異音がでるとか相手に対してよほど思いやりの無い態度をとり続けているとか特別な事がない限り 悪いと言う評価、感想は無いと思う。頻繁にその相手に会ってそのシステムを毎日聴いているとか相手の音楽の好みを熟知しているとかいう状況でないと所詮他人の事なんて分かるはずもない。

一時期 オフ会を頻繁に行っていたことは先に述べたが正直言って相手のシステム 出音が悪いと思った事は1度も無い 殆どが良いと思った。
自分とは当然違うので そこで相手にこうした方がいい、ああした方がいいというのは個人的には出すぎた行為かと思っている。好みがあるので一般論として音響的にこういう手法が使われているとかこういうお宅があるという事実だけに留めておいたほうが無難である アクションを起こす事はどうしても主観が入る プロとして商売をしている方で常識のある方はならまだしも一般人で趣味程度やられている方だと客観視するのは難しいような気もする。

あとはどうしても見た目で判断しがちである。豪華な建物、部屋、高級そうな?システム等々 あとは広さかな 普段見慣れない光景を見ると圧倒され 何となく凄いと思ってしまう。万引きGメンをしていた時も相方の元刑事の人から見た目でだまされるな!と何度も教わった 紳士然としている方や小奇麗な服装をした婦人などでも平気で盗んでしまうケースに何度も出くわした…人の善と悪を目の当たりにし精神的ショックで辞めてしまう人もいるぐらい 人は表と裏がある。 自分は相手宅では 目を閉じて聴くケースが多い音だけではなく気配や雰囲気で違いを体感する それだけ心地よいと思ったら自宅でもそういう心地よさが出せるかなぁとか 違和感を覚えたら何が違和感の原因かと考える。そしてそれは相手に話す事ではなく 自分自身を振り返る材料になるだけである。

それと音楽的素養と生の音をどれだけ聴いたかはオーディオ趣味に於いて大事なのかだが これはどうなのだろう? この趣味を行う目的によって違うのだろうと思っている。「好きな音楽を良い音で」「良い機器で好きな音を」「機器弄りがあってこそオーディオ」「音楽再生の為の大事な道具」「コンサートホールを我が家で」等々始めるきっかけや目的は人それぞれなので各自で大事だと考えていることがその人にとって正解なのだろうと思う。

オーディオだけではないが仕事以外のこのような趣味では意外とその人の人生や生き方が見えてくる。自分の場合 音よりその人の生き方、人生が垣間見えてしまうので疲れる事が多い… あれっ結局何書いているんだろう? オフ会のマナーでしたね マナーとしては「余計な事はしゃべらない」 その一言が相手の人生に影響を与えるかも そうオフ会は案外怖いものなんです(笑)

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年末ユニオンのセールで「スピークロウ」の他にこの1枚を購入。まさかこれがエサ箱にあるとは思わなかった…ジャケットが汚れている分価格も安かった 盤質はBクラスだがノイズはさほど気にならないレベル この1枚があれば今年はもうオリジナルはいらないかな それほど欲しかった盤である。当時の定価を上まらない価格でしかオリジナルは購入しないというポリシーを早速破ってしまった(汗)

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by kurama66644 | 2018-01-07 09:24 | オーディオ | Comments(0)

レコード大賞

お正月を過ぎてレコード大賞のことを語るのも何だが まだレコード大賞なるものを行っていた事に驚いた。

キタサン宅にはテレビが無いし そもそもレコードブーム復活とはいえ歌手のアルバムってCDやネット配信になっているのに未だ「レコード大賞」って?
何年か前にネットで賞はお金で買われているという記事を見て今はそうなっているのかとガッカリした。審査方法も何だかよく分からないし単純な売り上げ枚数だけで競っても現在の歌謡曲は殆どメガヒットは無い状態で人気や知名度を優先しているのか?

テレビが娯楽だった子供時分 キタサンは歌謡曲が好きでこのレコード大賞も楽しみにしていた。実際はっきり覚えているのが69年「いいじゃないの幸せならば」の佐良直美の時からで司会はこの年から三木鮎郎さんから高橋圭三さんに代わっていたと思う。先に審査方法はよく分からないと書いたが この頃はレコードの売れ行き枚数、人気、知名度、有線のランク、そして重要なのが歌唱力が評価基準にあったと子供ながら感じていた。翌年70年は菅原洋一の「今日でお別れ」そして71年は「また逢う日まで」の尾崎紀世彦が大賞を受賞した。
テレビを見ていて大賞は誰がとる?と父親に言われ 下馬評では「おふくろさん」をヒットさせた森進一が優位であったが自分は尾崎紀世彦と その時は余り知名度は高くなかったが勘で答えた。そうすると1000円かけるか?と言われ 当時の1000円は子供にとって大金であったので躊躇してしまい その賭けには応じなかった(汗) 結果 尾崎が大賞をとり悔しい思いをしたのは懐かしい思い出である(笑) 72年 ちあきなおみの「喝采」73年 五木ひろしの「夜空」74年 森進一の「襟裳岬」75年 布施明「しくらめんのかほり」76年 都はるみ「北の宿から」人気度、歌唱力、知名度と文句が無い人選であった。

自分の中で微妙な変化が起きたのは翌年77年「勝手にしやがれ」で受賞した沢田研二(ジュリー)辺りからである。この時はジュリーはそれほど歌は上手いとは思っていなくて…ただ人気はとてもありテレビでジュリーの姿を見ない日は無いほど勢いは凄かった。グループサウンズ タイガースからソロデビューして年数は経つがレコード大賞は何となく場違いのような気がした。もちろん「ブルーシャトウ」で大賞を受賞したブルーコメッツもGS(グループサウンズ)であったが何となく違和感を覚えていた。

決定的だったのは翌年のピンクレディ「UFO」である。先の沢田研二もピンクレディも今から考えると歌はとても上手くエンターティナーである。単なる歌が上手いだけではなく魅せる歌い手でありスターなのである。ただレコード大賞発足時からの受賞者の傾向といささか変わってきた感じは否めないような気がした。
その後ジュディーオングや八代亜紀、細川たかしなど実力者が受賞するようになってからも見るようになったが87年の近藤正彦、光GENJI以降は自分の中ではレコード大賞は無くなっていた…。 この頃になると歌謡曲よりジャズに傾倒しておりオーディオ装置はなかったが よく生を聴きに行った時代である。歌謡曲の俗の部分がモダンジャズと一致していた事もあり幼稚化した歌謡曲に見切りをつけた時でもあった。歌謡曲の俗の部分は演歌ではまだ見受けられるがリズムが嫌いで余り好まない 情の部分も今の歌手はそれほど実体験とし持っていなく上面だけ真似しているだけで伝わってこない。

あと気づいた事なのだが昔は作詞家、作曲家、歌い手とはっきり分業化していたことだ。作詞 阿久悠、作曲 平尾昌晃、 あるいは松本隆 筒美京平なんてヒットメーカーだったし 今は一人で全部やる事も少なくない 良い面もあるけど それぞれ得て不得手があるから専門は任せておいたほうが結果的には良い作品が出来る事も多かったのではないだろうか。
それとレコード会社の遍歴にも注目が行く 大手レコード会社が圧倒的な力をもっていて日本ビクター、日本コロンビア、キングレコード、テイチクなんて幅を利かせていたが 今は余り聞いた事がないような新興メーカーが多いような…ワーナーやソニーは健在だけどね 音楽産業が娯楽の担い手として大きかったので物量を投じる事が出来る大手会社は予算もあり宣伝が出来たし採算も取れていた。現在右肩下がりになっている音楽業界では安全な道を進んで冒険が出来ない状況だ。

お金を払ってまでソフトを買わない、ネット配信で音楽はただで聴ける(有料が普通なのだが…) お金をかけるならライブに行く。そういう状況ではレコード大賞という存在はもう意味が無いのかもしれない。

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第一回レコード大賞「黒い花びら」で大賞を受賞した水原弘 波乱万丈の一生だったがモダンジャズのアーティストに共通する雅俗の混交を感じさせる。
水原の歌を聴いた後では現代の歌謡曲は幼稚園のお遊戯会の歌にしか聴こえない それだけ大人の歌を表現できる歌謡曲の歌手は少なくなった。

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by kurama66644 | 2018-01-06 09:22 | 歌謡曲 | Comments(2)

この音!

予定通り?年末最終日のユニオンのセールに2年ぶりに行って来た。といっても整理券を貰って開店前に並ぶあの争奪戦の地獄絵図はもう味わいたくないので午後2時ぐらいの時間に訪問。店内はすっかり落ち着いていた ちょうど2時位までがタイムセールで割引(15%だったか20%だったか?)終了のアナウンスをしていた。元よりお金が無いのでせいぜい1枚か2枚いいのがあれば買うぐらいの気持ちでいたので売れ残りをじっくり見ていた。マニアらしき人が何人か残っていて念入りにエサ箱を探していたが すでに人気の盤などは売れていた様子であった。

壁には高価な盤がまだ残っていたが同時に有名盤の復刻盤も飾っており値段的には3~5千円位のプライスである。しかしマニアはそれらには余り目を向けずエサ箱に集中している そう復刻盤は中身もそうだがジャケットの色使い等明らかにオリジナルと違い いかにもコピーを繰り返した面持ちでそれからして食指が動かない もちろん新品できれいなのだが正直言って一部を除いて買う気にはなれない。

その中に有名盤の復刻盤でウォルター・ビショップJrの「スピーク・ロウ」が飾ってあり値段は4200円ぐらいであった。この盤はピアノトリオでベースのジミー・ギャリソンのベース音に注目がいく盤でオリジナルを探していた時期 確かネットで350,000円ぐらいで落札され驚いた記憶がある その後時々オークションでも見かけるが6桁は軽くいくトンでもない価格のものである。CDではもちろん所有していたが部屋や装置の関係かベースの音が強調されうるさいだけで上手く再生出来なく 自分にとっては敬遠していたアルバムでもある アナログに回帰した時もこの再発盤を持っていたがCDと同様上手く鳴らせなくその後売却した。

そんな事を思い出しながら又 エサ箱を探すと今回のセール品の中に「スピーク・ロウ」が混ざっていた…もちろんオリジナルではない オリジナルだとおそらく壁の一等地に(そんな場所があるのか分からないが)飾ってあるはず。そうこれは2009年にユニオンで限定発売された復刻盤である サブタイトルに「この音!今までのスピーク ロウは何だったんだ」by寺島靖国 と書かれている。解説はジャズ評論家の原田和典さんで 可能な限りジャケットやレーベル面もオリジナルに忠実に、マスターテープから正確にカッティングなどかなり力を入れている文言が書かれている。ジャケットも中々いい感じで盤も重量盤らしくずっしりとしている 価格を見ると「5400円」?これ定価は3990円なのに中古の復刻盤が高くなっている…壁に飾っている新規の復刻盤より高いぞ~ということは貴重盤になっているのか?キタサンのポリシーとしてオリジナルに関しては当時の定価より高いものは買うのは止めている しかもオリジナルではない復刻盤が2009年時より高いなんて当然買わない!と決めていたが…一応検盤だけでも そうすると1本の傷のような線が盤を横断している…音に影響があるか視聴すると問題は無い 結局 買ってしまった(汗)タイムセールの時間が過ぎたとはいえ10%オフなんですって(笑) まぁお正月だしたまには贅沢してもねぇ。

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しかし上手く出来ているもんだ…センターレーベルに溝はあるし ジャケットのビニールや帯を取ると色合いは本物にかなり近い感じがする(※本物は見た事がないのであくまでも想像)アルバムは61年のものだからこの時期はまだ凸版印刷で作られた物もある 現在は殆どオフセット印刷になっているが文字の輪郭等はオフセットの方がハッキリしているが黒文字などのインクの濃度が凸版に比べ薄い こういうところでもオリジナルと後年出された再発のジャケットは雰囲気が違ってくる。

帰宅し視聴はQUADとDualのプレーヤーで行った。M44-7のシュアーのステレオ針を使用 モノラル音源だが復刻盤なので1ミルのモノラル針は敢えて使わず(当時のモノラルカッティングマシンではなくステレオカッティングマシンを使用の為)やはりというか低域 ベースの音を少し強調し過ぎか?大型のスピーカー、広い部屋などを使っている方は大いに楽しめる?かもしれないがキタサンシステムでは部屋の関係もありちょっと過剰に聴こえる。そこは昔のアンプQUAD44だけにBASSやTILTという独自の音質調整機能を上手く使い聴きやすく出来た。 このアルバムの肝はベースとよく言われるがキタサン的にはリズムと速度だと思う 昨今のピアノトリオはスピード、早弾きで視聴者の気を引く 時折バラード等でスローに弾くがこのアルバムは終始ゆったりとして全体的におおらかな印象だ そういう中 加速したり減速をしたりアルバム内の曲に変化をもたらしている。この手のアルバムは中々あるようでないものである 音だけに気をとられベース音をどう再生するかという事に腐心しているとその部分を見落としがちである。

それにしても350,000円で買う人ってどういう人なんだろう?機器類やケーブル類に何千万と使っている人なのか コツコツと貯めたお金をここぞとばかりにつぎ込んだ人なのか 価値観は人それぞれだが どういう人なのか会ってみたい気もする…(ちょっと怖いかも)



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by kurama66644 | 2018-01-03 10:35 | ジャズ | Comments(2)

デスクトップオーディオ

使わない物は処分というクールなキタサンであるが これはオーディオにもいえる事でオーディオ機器類の見直しを行った。

結果 稼働率が低い AIRTIGHTの「BONSAI」スピーカーと中華製真空管アンプが候補に挙がった。
「BONSAI」は筐体は小さいがフルレンジのセンシティブなスピーカーである。小さいが能率が高くとても元気な鳴りをするが いかんせんMinimaと比べるとどうしても見劣りする… Minimaと交代して使う事もあるが低域が余り出ないせいかどうしても軽く聴こえる SP間隔を狭めニアフィールドで聴けば又 印象は変わるとは思うのだが…

そして中華製真空管アンプだが不調で使うのを止めたが修理し直したものの それっきりになっている(汗) このまま処分でもいいのだが この使わない同士を組み合わせデスクトップオーディオができるのでは?と思い直し いつもの布団部屋で再構築 季節がら寒いし真空管はちょっとした暖房代わりにもなる?のでちょうど良い。

まてよ! プレーヤーをどうしようか? アナログプレーヤーは3台あるが全て稼動しているので残りはCDプレーヤーがあるだけ そういえばCDも聴くケースが減ってきた。CDも買いたいものがないしCDを復活させ再び100枚近く購入したがアナログ盤ばかし聴いている ということでCDプレーヤーを持ってくることにした。
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仮置きでお試し ケーブルも左右長さが違うしCDプレーヤーの上にアンプを置くというおきて破り(汗) ※一応シートは間に挟ませてある スピーカーにはオーディオテクニカの安いインシュレーターを3点支持でセッティング。配線はおりを見て整理…見た目は良くない(笑)
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パソコンが横にあるので視聴位置は真横といういい加減さ… あくまでもお試しという事なのでどんな鳴り方をするのか聴いてみた。

「おーっ中々いいじゃないですか~」 これはスピーカーが優秀なせいもあると思う。ニアフィールドでは本領を発揮という感じ CDプレーヤーも安物だがチューンナップした改造品でアナログライクな音をするし アンプも修理後快調な動きをみせている 昔聴いていたミニコンポよりは落ち着いた音で良い鳴り方をするようだ。
スケール感は出ないがオーディオとミニコンポの中間の世界を上手く表現できていると思う。普及帯価格の品とは言えこれでも結構 それなりの価格になるんだよなぁ(笑)※定価ベースで15万ぐらい

考えてみるとこのシステム キタサン宅では年代的には一番新しいシステムなのである(汗) 「BINSAI」は2008年、CDプレーヤーは2004年、中華製アンプは一昨年作ったもので最新鋭の機器類なのである…最新鋭でも10年は経っているものもあり やはり時代遅れかも141.png

このデスクトップオーディオは部屋の大きさとマッチして気に入っている。使用頻度が低いもの同士の組み合わせだったが上手く組み合い良かったと思う 年末から年始にかけてこのシステムでばかり聴いている、

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by kurama66644 | 2018-01-02 08:52 | オーディオ | Comments(6)

オリジナルと再発盤

明けましておめでとうございます。
基本的に連休は殆どないのだが3日まで休みと人並みの連休を満喫しているキタサンであります。

新年1発目は前回の記事「オリジナルと私」の続編でもある。CDを聴いていた時もオリジナルの存在自体知っていたが興味はわかなかった 一応アナログプレーヤーは持ってはいたが同じ内容が入っているソフトにそれほど違いはあるとは思っていなかったからである。音がちゃんと出ていればそれで十分であり音質は機器の性能がものをいうものと思っていた。

オーディオを始めて5年ぐらい経ってからオフ会を行うようになりその時初めて同じCDでも機器の違い(セッティングなども含め)により自宅では聴こえない音や音楽のニュアンスなど変わっている事が分かった。ただ単に長い間?ボーっとしてしか(笑)聴いていなかったのでその時の衝撃は忘れられない そしてオフ会も続けるようになった。

続ける中で聴こえなかった音が聴こえる、高域が伸びる、低音がハッキリ聴こえる…などオーディオ目線で捉え 好きで聴いていたジャズをジャズとして捉えなくなってきた。そもそも今まで聴いていたCDの音を基準にしてあれやこれや言っても元の音源がどういうものか知らないと他人宅で聴いていた音も本物?かどうか分からないような気もしたのであった。

3年ぐらいオリジナルと再発盤の聴き比べをしたことは前回述べたが再発盤のほうが自分の好みだった盤もそこそこあった。それは年代の古い物ほどそうであった アナログ盤の当時のRIAAカーブを採用していたか微妙な盤、50年代のモノラル盤などである。それらの再発盤は作成された時期やエンジニア等もオリジナル時と違う 再生する自身の環境もフォノイコライザーやアンプが当時の録音状況とも違うだろうしスピーカーも然りである それらは自分の再生技術もそうだが時代とのアンマッチがそうさせているような気もする。音自体それほど違いはないのかもしれないがその時代のにおいや雰囲気、空気感のようなものが装置、メディアのパッケージ、なにより自分自身がその時代の状況的なものを知って、感じていないと音楽は体に入ってこないような気がする。

その時代の音源を時代に合わせた装置で聴く それを実践している人を何人か知っている すごい事であり徹底していると思う。オーディオ再生に正解はあるのかどうか現時点で分からないが これはひとつの正解であるとも個人的には思う。しかし自分には出来ない…オーディオは結構面白いがそこまでの情熱は無いし もっと一般大衆が普通にやる趣味であると思っている、結局貧乏性で昔からラジカセやミニコンポで気軽に聴いていた不真面目さがあり現在でも変わらないという事であろう。

休みの日はアンプをQUADとDualのアナログプレーヤーに切り替えて聴いている そして再発盤を楽しむ事も多い。50~60年代のジャズを主に聴いているが50年代はまだ生きていなかった…60年代の時代からは肌感覚で分かる たとえオリジナルが50年、60年の時代に発売されたもので70年、80年代に再発された盤でも時代背景やその時代を生きていた感覚は持っている。再発盤とオリジナルの音の違いはあるし どちらが優れているのかいないのか それは先に述べたように時代に合わせた機器等の選択使いこなし 再発当時の技術面、エンジニア等での違いも出てくるので一概には言えない。

時代の音を聴くオーディオのスタイルは懐古主義と捉えられかねない。しかし古い音楽ではなく現在の音楽にも時代は存在する そして現在の音楽は敢えてオーディオで聴く必要は無いと思っている 普通に(生演奏を)聴きに行けば済む事である(場所や経済的な理由で聴きにいけない場合も当然あるが) そういう意味で自分が生きてきた時代の音楽は肌感覚でシックリくる 更に自分の好みのジャンル(ジャズや歌謡曲、当時のアニメ、CM、映画音楽)においては尚更である。

オリジナルも再発盤も中身は同じ演奏の録音である しかしそれぞれ製作された時代の技術、製作者、背景が違うのでニュアンスも違っている。オリジナルも素敵な盤は多いが再発盤も その再発された時期の時代の音を聴ける。オリジナルの音と再発盤の音は確かに違うが その時代の音として捉えるとどちらも楽しんで聴くことは出来る。…と楽しんで聴けるのだが最初期の音源は作られた方々の思いが再発盤とは異なる その思いを感じたくオリジナルを買う自分がいる。

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休みの日はこの装置で聴いている。さしずめ形は古いが高級(安価ではあるが)ミニコンポという感じでもある(汗)オリジナルでも再発盤でも楽しんで聴けるのには間違いがない。CDやPCオーディオとは明らかに違う その時代を鳴らす装置には再発盤かオリジナルかどうかの区別もあまり意味をなさない 時代の音にはマッチするが時代が違う音源は寂しい鳴り方をするような気がした。(QUAD44 84年頃、 QUAD405 80年前後、Dual1019 60年代後期製 シュアーN44-7カモメマーク オリジナル針)

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by kurama66644 | 2018-01-01 10:20 | ジャズ | Comments(0)

ジャズは好きです!


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