カテゴリ:オーディオ( 254 )

美音とは

「良い音」と「美音」とは少しニュアンスは違う。目指す音は無いと言い放ったが最近QUADとMinimaから鳴る音を聴いていて美しい音だと感じている。

ここのところ他の人のお宅の音は余り聴きに行っていないが「いい音しているなぁ」とか「立派な音?」だとかは感じるが美しい音、美音と感じる事は稀である。

感じ方は千差万別で人により違うものだが総じてきれいな音は多いように思う。きれいな音は電源にこだわり部屋の調音を上手に行いS/Nを良くすると出やすいようだ あとは機器やスピーカー等にかかる振動を抑えることにより静寂感が出てソフトに秘められた性能を最大限に出せると聞いた。(もちろんそれが全てではない)

「とてもきれいな音が出てますね」とあるお宅で言ったらその方は喜んでいた。逆に同じオーディオでもジャズを主に聴く人のお宅でそれを言うと「…!」と思われるらしい。普通 きれいと汚いを比べるときれいな方が良いと思うがジャズの場合少し捉え方が違うのか いわゆるダーティな音のほうがジャズらしく聴こえるというのが世間一般の捉えかたなのかもしれない。

オーディオを趣味としているお宅に訪問すると大抵はオーディオ(機器)を中心に部屋を弄くる人が多い それは当たり前の事で だからオーディオの趣味と言える。
それに対して既に家具などの調度品があり空いているスペースにオーディオ機器を配置しているオーディオマニアは殆どいない。いわゆるセッティングの妙が使えない理由だと思う。それが我慢できないので専用部屋やオーディオ再生のために新たに部屋を作る人がいるのだと思う。

自分の場合 最初は専用部屋となる部屋があった それが時々このブログでも書いている布団部屋である。狭いが一応簡易防音の備えがあり周りには迷惑をかけずに音楽を鳴らせる しかしながら音楽が美しく聴こえないのでこの部屋で再生することを諦めた。今は台所とつながっている6~7畳ぐらいの部屋で聴いている。壁面収納もあるので実質は5畳ぐらいの感覚で窮屈な感じは多少する 部屋に添えつけの棚がありちょうどそこにプレーヤーやらアンプなど置いてベランダの窓際にスピーカーを置いて動線は確保、機器も小さいのでそれほど違和感はないと思っている。

美音の話からなぜこのような部屋の話になったかというと音楽を聴きたいが為の人の欲望が部屋を侵食し何故か人が自然を破壊しているそんな自然破壊を想像したからである。部屋自体も人工物なのでもちろん自然ではないが 音楽を聴きたいが為に無理やり部屋を作る、弄るのは人間の身勝手さなのかと思ってしまった。(個人の自由は尊重します)
スピーカーの下に敷くボードなどはあるがアンプも重ねて配置(薄い鉄板などは挟んでいる)スピーカの配置なども適当な感覚 それよりも生活するのに支障が無いような置き場所で聴いている。音楽もオーディオも生活のほんの一部 邪魔にならないように置いてから安堵感が増した。

オーディオマニアの方が来られて電源環境や設置等のアドバイスを頂いたがただジャズを聴いている自分からするとそのアドバイスはとてもありがたかったが異様に感じた。演奏者や歌手が提供するソフトはそんな特殊な環境、装置を想定して作られた物ではないと思っている 中身、内容にどう視聴者が感じてくれるかそこが問題であって部屋や機器、電源は二の次であると個人的には思っている。

汚いよりきれいな方がいい でもきれいな音はもう余り聴きたくない。ジャズだから歪んだ音、荒々しい爆音というのも歳とともに食傷気味である。
美しい音が聴きたい。それはオーディオマニアのお宅からは聴けないと思う 訪問したお宅で1件だけ美しい音に遭遇した その方はオーディオマニアではなかった。

MinimaとQUADだから美音というわけではない。再生するソフトの内容が美しかったからそう感じたのであろう それがたとえジャズだとしても…。
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by kurama66644 | 2017-11-23 12:49 | オーディオ | Comments(0)

自分の目指すサウンド?

「自分の目指すサウンド」…とオーディオや音楽の記事、コメントによく書かれている。今まで何気にしか見ていなかったがそういえば自分の目指すサウンドなんてものがあるのかなぁとフッと考えてみた。 そうすると特に思いつくこともない…まぁいい加減で実に不真面目なのかもしれないがどうなのだろう?

一般的には生演奏の雰囲気とかホール感を出すとかスタジオ録音が再現されるとか具体的に自身が聴いた?感覚を再現してみたいという事や あるいは感動したい、心が揺さぶられる音が聴きたい、人の声がリアルに聴こえるようなというどちらかというと刺激を求めるものが表現できればという事なのだと思う。

当たり前かもしれないが1時間前の私と1時間後の私では違う人間である。どこかの細胞が死んで違う細胞が生まれる からだひとつとっても 変化して同じではない。
体のひとつである脳も同じく変化している 寝ている時と起きてからでは別人になっている事に不思議さはない。いつまでも同じであるというのは勝手に想像しているだけで1秒1秒変化している。これは人間だけではなく他の動物も外の自然も同じ事がいえる。

人自体が自然のひとつで刻変化しているのに音が変わったと機械や部屋のせいにしてあれやこれや弄くり自分の理想にしようと考える方が(コントロールするほうが)無理があるようにも思えてしまう。
そう思うと良い音、悪い音、理想の音という枠組みも余り意味が無い気がしないでもない。それでもその意味の無い事にあれこれ悩んでしまうのが人間の性(さが)のようである。

コントロールできるのは人工物だけで自然は出来ない。いくら機器を調整しても部屋を作って「自分の理想のサウンド」とやらを構築したとしても肝心の人(自然)が日々変化しているのだから理想のサウンドも変化してしまう。それならばそれを素直に受け止めるしかないと思う あとは好き嫌いぐらいしかない。


機械にこだわるのもアクセサリーにこだわるのも部屋にこだわるのも人としての性(さが)が成しえる事で仕方がないこと それは別名 個性という名で呼ばれている。

自分は各人の個性に立ち入る事はしないし出来ない。他人のお宅に訪問しても弄る事はしない 弄るのは自分の個性になってしまう それは相手に対して失礼だと思う。
仮に相手からお願いされて弄る場合 これは自分の個性であると注釈してからのほうが良い そうでないと相手の個性を消してしまう。

結局オーディオとは自然(人)と加工物(機器等)の組み合わせ 目指すサウンドは人と言う自然が絡むので日々変化してそこから逃げていく。機器や部屋その他でコントロールできたとしても自然がそうさせない。あるがままのものを素直に聴くだけである。

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キタサンの好きなジョー・ニューマンのアルバム。これは再発盤だが柔和でありながら時に激しさもある演奏をしてくれる好アルバムである。




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by kurama66644 | 2017-11-05 10:33 | オーディオ | Comments(4)

ふくよかに鳴らすプレーヤー

QUADアンプ+Dualプレーヤー+ソナスMinimaというシンプルシステムですっかり落ち着いてしまったキタサンだが そうなると他の機器は使わずじまい=必要のないものは処分という自ら課した方式を実践してしまう… それでもいいかなぁ~と思いつつラックスマンやトーレンスはどうするの?と後ろ髪引かれる気持ちもある。

そういう事で久しぶりにトーレンスTD124MK2を稼動してみることにした。実はDualプレーヤーにシュアーM44-7でステレオ盤ばかり聴いていたのでトーレンスでのモノラル盤を聴いてみたくなったのが本音である。
トーレンスはアウタープラッターを損傷し外してからイマイチ稼働率が低くなっている。本当は新しいものを買えば良いのだが6~8万もするしオークションで2万ぐらいで出ていたが実物を見れないのが欠点である。もっともアウタープラッターが無い方が回転時の歪みが少ないので見た目もいいし却ってこちらの状態の方が良いような気もする。
それとモノラルのオリジナルを殆ど買わなくなったのでモノラルの再生が激減したのも使わなくなった原因でもある。

確か前回使ったのは珍しく自宅オフ会を開いたとき以来だから2ヶ月ぶりである(汗) TD-124を買ってこれだけ使わなかったのは初めてである。
久しぶりに聴いたTD-124の感想は「ふくよかさ」である。音と音楽が豊かに鳴っている印象。Dualのプレーヤーは前回のブログでも書いたが かけた音楽が楽しく聴こえるのに対しこのTD-124は溌剌とした中にも豊かさ、余裕を感じさせる鳴り方をする。モノラル音源を鳴らしているのにステレオ再生しているかの如く音の広がりを見せるのはMK2の特徴 自分のは70000番台終わりのものなのでMK1のモノラル再生に特化したプレーヤーよりステレオ再生重視なのであろう プリアンプやカートリッジの違いがあるので純然たるプレーヤー同士の比較にはならないかもしれないが後段のパワーアンプとスピーカーが同じものを使っているのであながち間違えているとも思えない。

再生したのは50~60年代のオリジナルモノラル盤なので音源そのものが中域重視で現代の高域、低域を広げて再生する方向(録音)とは違うのでその辺りも影響しているのかもしれない。
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TD-124もオルトフォンのモノラルカートリッジをステレオ針に変えて聴いてみようかな こういう機械仕掛けのプレーヤーは日々使わないとご機嫌斜めになってしまう(汗)


話は違うが某オーディオコミュはジャズの話が殆ど無くなってしまった…PCやら部屋自慢やらそしてアクセサリー関連、映像関係(これはOKかな)やらで音楽の話題はたまに出てもクラッシックの話ばかり 考えてみるとオーディオ関係のコミュなのでこれが普通なのかも?でもキタサンには余り食指が動かない事ばかり そろそろ引き際かもしれない…。
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マイナー奏者 ジミー・ウッズのアルトは艶があって好きである。同じウッズでもフィル・ウッズの華やかさはないがこちらの方がジャズ本来のうねり、情念が感じられる。

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by kurama66644 | 2017-10-29 09:27 | オーディオ | Comments(7)

楽しい再生

最近 音楽を再生するのが楽しい。

使っている機器は以前とたいして変わらないのだが旧西ドイツのDualのプレーヤーにQUADのプリとパワーのアンプの組み合わせで聴いている。
この組み合わせはモノラル音源を聴く際 時々使っていたのだがカートリッジの針をシュアーのモノラル専用針からN44-7というトーレンスTD124でよく使っていたステレオ針(モノラルでも可)に変え ステレオ、モノラル盤 両方をこれ一つで再生してみると とても味わい深い音楽が聴ける。キタサンがこのブログでもよく口に出す体が自然と「スイング」するのである(笑)
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DualのプレーヤーはトーレンスTD124と同じくアイドラータイプの機械仕掛けの古いプレーヤーである。年代的には60年代終わり頃 もう半世紀も経っている メンテナンスをシッカリしてもらったのだが一時期不調で使用していなかった。あとでこの不調の原因はこのプレーヤーではなく繋いでいた中華製の真空管アンプのせいだと分かったのだがケンウッドとトーレンスを併用して使っていたので中々出番が回ってこなかった次第なのである。

先月ホールでのオーディオオフ会を行い(音楽の館 http://andokan.exblog.jp/27171685/)超弩級のシステムを聴いてから何故かこのQUADとDualのプレーヤーが頭の中に浮かんできた。システムと環境規模は象とアリぐらいの差はあるのだが音楽のテイストはそれほど変わらないように感じた 今までだと他人の家のオフ会に行くと高額な機器類とそれなりの余裕のあるスペースで視聴し終わって帰宅してから結構落ち込む事が多々あり(汗) 音楽はしばらく聴きたくないと思ったりしたものだったが 今回は自宅での音楽を無性に聴きたくなった初めての経験である。

音楽のテイストと書いたが聴覚を別の感覚(味覚)で捉えるのもおかしな話で日本語の面白い表現でもある。キタサンはジャズは知識として多少詳しいぐらいで音楽そのものには疎い それとオーディオ製品もそれほど詳しくない。
オーディオを介してのオフ会なり集まりで色々な話しがでるのだがオーディオの知識やそれに関連するアクセサリーの使いこなしなどそちらの話題が大半を占める。
その大半を占める事に疎いので話にはついていけない(笑) ついていけるのは音楽や曲に話題がいった場合である ジャンルは問わないが(特にジャズに関しては前のめりに身を乗り出す)「この曲のこの部分がいいよね」とか「こんな背景でこの歌ができたんだ」とか音楽や曲を聴いての感想なら同調できる。

さきほどの音楽のテイストの部分だが必要な栄養素が十分に含まれているから良いというものでもない。美味しいかまずいかという嗜好的なものがあるかということだろうと思っている。感じ方は色々だがまずくても ちょっとうまみがあり悪くないとか 美味しいけどちょっと苦味がアクセントになっているとか 音楽の味わいは様々である。高域がどうこう低域が出るとか出ないとか この音が聴こえるいや聴こえない 定位や音像が合っているなどマニアの好きな「音」の話は自分にはよく分からないし「音楽のテイスト」にはさほど影響はないと思っている。(少しはあるかも…)

オーディオの場合 やはり音源の質により音楽のテイストの違いが大きいと思う。機器はスパイスかと思う 塩であったりソースや醤油、砂糖、タバスコetc 今回のQUADやDualのプレーヤーは聴く音源にうまくスパイスが絡んで料理が美味しく感じられたのかもしれない。

巷(オーディオ業界など)で言われるほど部屋の善し悪しやセッティング、電源環境に関してそれほど神経質にならなくてもよいような気もするのだが…
少なくとも自分には音楽のテイストは上記の事が完璧でなくとも感じられると思っている。

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by kurama66644 | 2017-10-18 10:38 | オーディオ | Comments(2)

ジャズ床屋

ジャズ喫茶はよく行ったがジャズ床屋は生まれて初めての経験である(汗)

実は頭を刈りに行ったのではなくオフ会でおじゃましたのである。参加しているオーディオコミュの方のご紹介で「営業が終わった後オフ会をやるのでどう?」というお誘いのもとずうずうしくもお伺いした次第である。

場所は都内亀有駅前 亀有なんて30年振りぐらいであろうか有名なこち亀の両津勘吉の金色の銅像があった(写真失念…)
駅前ですぐ分かる場所にあるとの事だったが方向音痴のキタサンはその場所を通り過ぎあっちをウロウロこっちをウロウロ…電話で場所を確認するとホント駅からすぐの場所
こういうときスマートフォーンは役立つのだがアナログ人間のキタサンは所有しておらず…そろそろ買い換えようかなぁと考える

なんとかたどり着き まずはJBL4343Bにご挨拶(笑)
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いやいや~壮観であります。JBLにマークレビンソン、そしてマッキンのプリ、クラウンのパワーとジャズの王道スタイル。
送り出しはソニーのHDプレーヤーというのが又 現代的でよろしいかと。この組み合わせだと普通はガラードやトーレンスのアナログプレーヤーとくるところだが営業の傍ら始終盤交換などもってのほか利便性を考えてオーナーがセレクトしたものであります。
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今回はプリはマッキンのC28を使い
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パワーはクラウンのDC-300Aを使用
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パワーもマッキンを使用していたらしいが故障でこちらの業務用アンプを今は使っているとの事

早速 音楽をかけていただいたのだが久しぶりに聴く大型のJBL とくに80年以前の4343Bなんて鳴らすのがとても難しいSPとてもよく調教?されてこりゃ楽しい~
昨今のスピーカーはトールボーイ型ないしは小型のものが多く このようなバッフル面が広いのは家庭環境、場所の問題もあり敬遠しがちである。
奥の方に音が固まるのではなく前に音が来る これが本来のオーディオの姿(と自分は思っている) 自然な音の出具合もオーナーの日ごろからの細かな調整の賜物であると思う。一聴してジャズだけではなくクラッシックその他どのジャンルもオールマイティに上手に再生できると思わせる。  変な味付けをしないのはオーナーの感性,嗜好なのだろう。

いつも思うのだが部屋の制限がある中 このような大型のスピーカーそしてユニットの多いスピーカーを鳴らすのは大変な努力がいるはず。実際制限がある中 スピーカーの足元そしてバッフル面の角度など微調整しながら音を詰めていったというお話を聞き(あとマルチにもしたのかな?)  ずぼらなキタサンはこの手の作業は無理 すなわちオーディオマニアにはなれないと改めて思う次第…でもそういう苦労(作業)を楽しんで出来る事が趣味としての醍醐味なんだろうなぁ。

営業が終わってお疲れの中のオフ会 2時間程度が話がはずみ3時間に延長 途中音楽とは関係ない飼っている大クワガタの話になったりでとても楽しい時間を過ごさせていただいた オーナー様、そしてM様ありがとうございました。




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by kurama66644 | 2017-10-14 08:58 | オーディオ | Comments(4)

最終的に残る物

オーディオやレコードを趣味とするとどうしても物がたまってくる。特にレコードやCDなどは増殖する一方である そういう中でデジタル化すれば物理的な収納も省スペースで済む事になるのだが見た目は少なくとも持っている数?は同じだから結局は変わらないようにも思う。

以前 ご年配の方が莫大な数のレコードをどうにかしたい旨の記事があり その中でレコード音源をデジタル化すれば場所もとらず良いとの意見が意外と多かったのを覚えている。キタサン的には思い入れのある物だけ手元に残してあとは売るなり他の好事家の方に譲ればよいのにとも思ったのだがその方にとってどれもが思い入れのあるものばかりで選択が難しいとの事(汗) その後その方はレコードをどうしたのか分からないが仮にデジタル化してもレコード自体に思い入れがあれば その再生方法にも思い入れがあるのでボタンひとつで簡単に再生できたとしても違和感を覚えるのではとも思ってしまう。ただ慣れもあるからなぁ~その再生が普通に感じるようになるのかも?

自分も思い入れのあるレコードは売らないようにしているがリアルタイムで買ったわけではないのでそもそも思い入れはそれほど無いのかもしれない。
レコード熱は急激に冷めてしまい 当時の価格以上だとほぼ買わなくなった。そうなるとジャズのオリジナルの異常な価格はいったいなんだろうと それほど興味が無かった時の感覚に戻りつつある。 作品の内容が良いからそれは高くなって当然と言う意見もあるが同じ内容のCDや配信がその何十分の1の価格という事実はどういうことなのだろうか? 結局は音の違いでの価格差と言う事なのだろうが 音の価格とはいったいどういうものなのだろう 何だかよく分からない。

先月末にインターナショナルオーディオショーがあったが1台でマンションが買える程の機器類が普通に展示されている異次元の世界には殆ど興味が無くなった。
夢のある世界、目の保養になるなど色々な感想があるとは思うが自分的には別世界のものでオーディオそのものがそういう方向性でいくのなら業界そのものが末期状況であるようにも思えた。 お金をかければそれだけ良いものが出来るという迷信からはもう脱却した方がよい! …とここまで書いたがその辺りは自分自身の物に対する美意識が大きく関係してくる事だから他人がどうこう言える事でもないのかもしれないなぁ (メーカーの方、関係者の方 スイマセン…)

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パワーはQUAD405でほぼ固定しているが久しぶりにプリをラックスマンからQUAD44に切り替えてみた。プレーヤーもこの44に接続しているDualの年代物で再生。
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先日買った450円のこの竹内まりやのアルバムの再生 思ったより良かった(笑) もっと古いアルバムでないとしっくりこないかとも思ったが意外である。
それに引き換え ブルーノートの復刻盤アナログはちょっと低域を強調しすぎていた感じが否めない オリジナルはもう少しバランスが良かった気もするが復刻盤のほうが実際 生で聴いたアーティストの音の感触に近かったような気もする…

結局は再発はオリジナルを超えられない ただし再発と言えどもオリジナルを超えるものがあるという二律背反が成り立つ不思議な世界ですねぇ 
音の価格はそのような側面をもっているので誰にも決められない。

お題の「最終的に残る物」は写真にあるQUADのアンプとDUALのプレーヤーがキタサン宅では最終的に残るかな?と思ってつけたタイトルだったが余り関係ない内容になってしまった…
乱筆失礼。


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by kurama66644 | 2017-10-07 13:50 | オーディオ | Comments(2)

音楽の館

自宅の小規模なシステムでも十分音楽を楽しめる事が分かり最近はオフ会など行わなくなったキタサンだが先日 参加しているオーディオコミュのお宅?に訪問してきた。
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個人宅というより演奏会場、ホールなのである もちろん個人所有である。シンフォニーが好きで実物大で演奏を再現したく建てられたこのホールは基本演奏の場でありステージその他グランドピアノ 諸楽器もあり即 その場でコンサートも可能である。そのホールをオーディオサロンとしても活用するオーディオ魂とその執念はものすごいものがあると思う。そこには家庭用オーディオの姿はなく若い頃から情熱をかけたオーディオのノウハウが込められたシステムが存在した。

さぞかしオーディオシステムにお金をかけているだろうと想像するがご本人曰く 「自分は貧乏だったのでそれほどお金をかけられなかった やれる範囲でチャレンジしてみた」との事 なるほど上流部分の機器だけみても昨今の金満オーディオの類ではなくとても質素なもの 下流部分はカスタムして作成したものが多い ただし長く使う事を前提としていたので部品等は今の使い捨ての安い部品とは違い上質のものが多い そして故障したときの事を考え仕組みをなるだけシンプルにしている。
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座席は150ぐらいはゆうにあり2階席も完備 木の香りと壁に飾ってある絵画が印象的である。
オーディオルームはガチガチにしてはいけない!と若い頃オーディオルームで音と格闘されていたそんな経験が生かされている部屋(ホール)の造りだ。
そして「オーディオルームを完璧にしようといじればいじるほど音は悪くなる」とこれまでの長い経験から話されていた。ある種 大雑把な方が音が上手く逃げ楽しませてくれるなど含蓄のある言葉には説得力がある。

壁に埋め込まれた8つの巨大ユニット 1番上の朝顔型ラッパ口のユニットが全体の帯域の80~90%を受け持ついわゆるシングルホーンであるとの事 残りの3つのユニットは高域ではなく低域の足りない部分を補う補助的な役割に過ぎない。実際家庭用オーディオで殆ど聞こえる事がない正確なパイプオルガンの極低域の重低音 うなりとも判別しかねない領域をいとも簡単に再生していた。

正面にあるグランドピアノの屋根の開閉角度でこのホール全体の(オーディオ再生時)調音を行っているのには驚いた。屋根を開く角度でホールでの音の響きが明らかに違う 広く開閉すればするほど音は柔らかくなり狭くなればシャープになる 楽器そのものを調音材として利用するのは広さゆえの理由の他 電気的なアンプなどでのトーンコントロールでは自然な音の減衰が出来ないらしい それと聴く場所で音はかなり変わるのはクラッシックでの演奏会場など行けばお分かりであろう。
一番前の正面に座って聴くとホーンの指向性でいかにもオーディオ(スピーカー)が鳴っている感じは否めないが中ごろの席に移動するとフワーッとした包み込まれる音がする すなわちホールの響きの音なのである。

かけて頂いたのは殆どがクラッシックであったが交響曲(シンフォニー)はやはり圧巻である。実物大で鳴る迫力は家庭用で広いといえる規模の大きさでもここまでは再現されない それでいて大音量でも圧迫感がないのは有り余る空間の広さのおかげであろう。

オフ会?最後の方はステージに上がり実際グランドピアノを弾かせてもらった(弾けないけど…) 簡単なコードをおぼつかない指で鳴らすとホールに響く 何故かとてもうれしくなる(笑) 場所は都内ではなく関東平野内、出不精のキタサンではあったがとても貴重な体験で有意義な一日であった。
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なに? こんなスケールの大きい所で聴いた後 自宅での音楽を聴いてがっかりしなかったのか?って
不思議な事にその感覚は全くなかった。このホールで聴いていた時 キタサンは殆ど目を閉じて聴いていた そこには自宅で聴く音楽と同様のテイストがあり音楽の再生はスケールとは又別のものである事を再認識した。つまり頭の中でいくらでも音楽の規模を拡大できるのでリアルな規模はそれほど必要ない場合もある。主催者(所有者)もこれだけの規模をお持ちではあるが考え方は同様であるように思う。

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by kurama66644 | 2017-09-29 07:54 | オーディオ | Comments(2)

アナログは大きな音量で聴きたくなる

家に来られた方で思ったより大きな音量で再生されていない事を言う人がいる。 おそらくジャズをメインに聴いているのとジャズ喫茶が好きであるという前情報を元に爆音で鳴らしていると想像されての事であろう。見てわかる通りこんな小さな 普通の部屋で しかも集合住宅で爆音も出せるはずもない(笑)

今現在 平均で70~85dbぐらいの音量なので小さくは無いとは思うが?爆音とはほど遠い。分譲マンションなので多少作りはシッカリしているが音響用に防音その他加工しているわけではないので隣、階下の住人に気を遣う。それでも周りの協力?ご理解も得て出そうと思えば100dbぐらいは出しても苦情は来ない。

確かにジャズ喫茶ではかなり大きな音量でかかっていて その中でコーヒーを飲みながら平気で本を読んでいた 時折 おーっと思えるフレーズなんかが聞えると誰が演奏しているのか?アルバムはどんなものかとジャケットを確認しにいく。その時分は生演奏も同じくらい聴きに行っていたのでスピーカーから鳴る音と生演奏での聴こえる音との違和感をよくおぼえていた。違和感はあったが気持ちよいものは気持ちよいのでそれはそれで良かったと思っている。

オーディオを始めた当初は今の住環境と違って大きな音は出せなく小音量再生で我慢していた。もっと広い部屋で大きな音で!とその当時は思っていたが実際 その頃に比べて大きな音は出せる環境にはなったが部屋には適音があり大きすぎても小さすぎてもバランスが良くない。特にCD再生は大きな音では上手く鳴らないと感じた(※あくまでも今の自分の環境下での話) おそらく空間のボリューム(広さ)にも関係するのであろう CDでの音量調整は今も苦労する。

今のところに引っ越してオーディオを最初にセッティングしたのがこのブログでもよく登場?する布団部屋である。狭いが簡易防音もしてあり大きな音は出せるからである
ところが音を出すとうるさくてしょうがない…ボリュームをしぼると今度は生気が無い音になる そして又ボリュームを上げると うるさい この繰り返しで その時考えたのは部屋の調音である 機械より高い調音材を購入したのだが上手くいかず諦めていたところ お飾りで持っていたアナログを再生すると こちらはうるさくは鳴らない 中々いいぞと思ったが その時はアナログは本当にお飾り程度 ほぼCD再生がメインであったので多少広い 隣の今の部屋に移り 現在に至る。

アナログは不思議な事にドンドン ボリュームを上げたくなってくる 上げるとサウンドの風景も変化する。CDでの再生だと音量は大きくなるが風景の変化は小さいように感じる。

知り合いが部屋をオーディオ用に改装してそこで聴かせてもらった事があるのだが単に防音だけではなく音の逃げ道を作り適度に音を逃す工夫をしていた。そこでは我が家のようにCDであろうがアナログであろうが心地よく鳴り快適な気分を味わった。そこでもアナログとCDの音量の変化によるサウンドの風景には違いがあった とても上手く考えられた部屋だなぁと思ったが 誰しもが手に入れられるわけではない 暗騒音たっぷりの普通の部屋で聴きなれているキタサンは快適すぎて逆に不安になってしまった… 何故か そんな快適な部屋で心地よい音楽を聴くとそこから抜け出せなく引きこもりになってしまいそうだったから…。

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ルーストのソニー・ステットを聴きたくなりアルバムを探すも無い… ひょっとして間違えて売却したのかも(汗)
仕方なく中古のCDを購入 ご覧のようにケースが傷だらけ 中身は問題ないのだが いかんせんこのCDではBGMとして聞き流すにはちょうどよいのだが…
このオリジナル 今 いくらぐらいするのだろう?

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by kurama66644 | 2017-09-22 09:36 | オーディオ | Comments(6)

輪郭を描かないスピーカー

久しぶりにCDを購入した。アナログ同様ソフトを余り買わなくなったが こちらのCDはちょっと聴いてみたくなり思わず買ってしまった。
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2003年録音のもので新譜ではないのだがヨーロッパのピアノの人である。ギド・マヌサルディという余り聴き慣れない方だがベテランピアニストである。キタサンがいつも聴いているのが50年から60年代の古いジャズが多いのだが こちらの作品は録音も現代的にメリハリが効いているようで曲想は50年代で全体的な雰囲気はヨーロッパの格調高い音楽のティストを含んでいる 泥臭さは少し控え目と言ったところであろうか。

スピーカは常時Minimaで聴いているのだが こちらも久しぶりにBONSAIスピーカーに替えて聴いてみた。(というかせっかく買ったのだからもう少し使えよ~)

能率の違いもあるのかとも思うが ものすごくエッジのある鳴り方に驚いてしまった。型落ちとは言え2008年頃のスピーカーでMinimaより現代のものであるからこういう鳴り方をするのだろうか?Minimaの前はちょうど2007,8年頃の同じ時期に作られたスピーカー モニターオーディオのPL-100を使っていた。 このようなキビキビとしっかり鳴るスピーカーで長年聴いていたのに今は違和感を覚えてしまう。つまりMinimaの音に慣れてしまったという事であろう…

このBONSAIスピーカーでアナログをかけてみたが余り上手くマッチィングしないように感じる。高域でキンキンする場合もある…Minimaだとそれほど感じなかったのだが…そして違うCDをBONSAIで聴くと 中々いい感じである 水彩絵の具で描いたようなきれいさが出る 以前はこのような音に満足していたのかもしれない。

Minimaは水彩画というより水墨画に近いイメージを持つ それを際立たせるのがアナログによる再生だと感じる。

おそらくだが「音」に関して曖昧という表現をするのはオーディオマニアにとって許せない事なのではないのかと想像する。

スピーカーから鳴る音が 「余りはっきりしないですね~」とか「焦点が合っていない」など言うと烈火の如く怒る人は多いのではないか?
まぁ自分も同じように人から言われると余りいい気分がしないかもしれないが…(笑)

Minimaは現代の高精細なスピーカーに比べると ややぼんやりした鳴り方をする 色彩感覚は薄いと思う 先ほど書いたように墨絵のかすれ部分が適所に現れる。
そのかすれ具合が独特な個性を出す モノクロのかすれだが それは聴く者の想像力を無限に沸き立たせる やはり不思議なスピーカーである。

輪郭は境界線でもあり白か黒か 正しいのか間違えているのかなど物事を2分に区切る。今は何でもハッキリさせるのが当たり前になってきている その方が分かりやすいからであろう。ただ物事は何でも分かりやすくはない 見方考え方によりどっちつかずの事の方が多いそれを判断して解釈したもの、事が個性であり より自由のような気がする。 


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by kurama66644 | 2017-09-17 10:04 | オーディオ | Comments(0)

白いキャンバスを求めて

子供の頃から絵が好きで学校では美術部に所属していた。高校、大学と運動部にも所属していたが絵は社会人になってからも時々書いていた。

今 オーディオをやっているがオーディオの事も絵や美術目線で色々考えてしまう。

他の方のオーディオを拝見(聴く)する機会も増えて感じた事を話そうと思う。 例えると白いキャンバスを求めて奮闘している方が多いのかな?と…

白いキャンバスに自分の好きな絵を描く 素晴らしい事である。キタサンも描きたい(笑) ところがその白いキャンバスを見つける、あるいは作るのが困難である事がオーディオを始めてすぐ分かった。多少良いと思われる機器類を購入してもキャンバス全体の一部は白くなっても他の箇所は違う色ないしは濃淡が異なる下地になってしまう…。
機器だけではダメで元になる電源環境を整えないと白くならない、いや部屋そのものをオーディオ用に適した?ものにしないとダメのようだ…そう白いキャンバスを作るのに大変な労力、時間、資金が必要 それでも白いキャンバスを求めて奮闘されている方々が沢山いると感じてしまう。

最初の5~6年ぐらいは出来る範囲で白いキャンバスに近づけようとしたが身の丈に合わない事をするとやはりダメである お恥ずかしい話 金銭的にも厳しくなる、そしてセンスがないのであろう 創意工夫したつもりも白いキャンバスではなく別の色にしかもまばらになってしまう(-_-;) 絵を(音楽)描く気が失せてしまう。そういう中 4年前からアナログに回帰し同時にオリジナル音源を探すようになった。 元々CDで聴いていたのでその元の音源はアナログのオリジナルである。(厳密に言えばマスターテープかも) 更にはアナログでも再発盤なども聴くようになり いわゆる聴き比べをする事になった。

古い音源が多く しかもアナログだとプチパチノイズも聞こえる。盤が歪んでいたり 針圧の調整がイマイチ上手くいかなかったり…四苦八苦しながらも続けていった。何年か続けていく内に 意外とオリジナル音源はキタサンの狭い部屋 そしてそれほど高くない機器類でも心地よく鳴ってくれる事に気づいた。

知らず知らずの内に白いキャンバスではないけどベージュやグレーの色が付いたキャンバス地を見るかのような感覚。そしてそのキャンバス地はまだらな濃淡はなく色は付いているけど真っ新キャンバスのような気がした それが今でも続いている。

CD再生を1年半前に再開した。廉価品だが改造してもらいアナログチックに鳴るようにしてもらった。当然プチパチノイズはない(当たり前) アナログでは白いキャンバスを作れないがそれよりは白い感じである。これは中々いいぞと思ったのもつかのま 白いけどオーディオを始めた時に感じたキャンバスの部分部分の濃淡が違っている。 この濃淡を無くす事はちょっと大変 セッティング等で改善も出来るがもちろん一部分の改善でまばらは相変わらず うーん難しい。


お気づきかもしれないが この内容 絵のキャンバスをオーディオ再生に例えた話だが 先日書いた「CD再生は難しい…」の記事を別角度から見て同じ意味合いで書いた。

キャンバスの大きさはその視聴環境の広さと考える。皆 大きなキャンバスに雄大に描いてみたいと思っている ただキタサンはFサイズの8号位のキャンバスが好みでそのサイズに風景画、ポートレイト等描く事が多く 手ごろな大きさである。その位のサイズだと全体像が把握しやすく調整しやすい 大きければ大きいほど全体像を把握するのが困難になり難しい。 その難しい事にチャレンジしていくのがオーディオの趣味で醍醐味と言われればその通りだと思うし反論はしない。

キタサンは おそらく今後も大きな白いキャンバスに絵を描く事は無いと思う… それはFサイズの8号キャンパスの大きさが好きで白より生成りや薄いベージュの下地が好きだからである 白は少し眩しすぎる。

単に感じた事で戯言である 変な例えをする奴がいるなぁぐらいの気持ちで読み過ごしていただければと思う。

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ブルーノートのオリジナルは数少ないが持っている。このホレスのアルバムは盤質もよくジャケットも経年劣化していない良盤である。
それにも関わらず比較的安い値段で購入できた。人気が無いのであろう ホレスも3年前に亡くなりモダンジャズを体現できた奏者は殆どいなくなってきた。
このアルバムもキタサンには必要なくなりつつある 20年前にホレスを実際聴いた感覚は多少なりとも心のどこかに残っている。

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by kurama66644 | 2017-09-09 08:58 | オーディオ | Comments(2)

ジャズは好きです!


by キタサン
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