有機的な結合
アンプ類は歴然と機械と化した風貌の物が多いがスピーカーになると木をベースとしそれにユニットを付けた見るからに人工物然としたものが多いように思う もっとも最近では木ではなく共振しないような新素材が使われているものも多く より人工物化しているようにも感じる。
形や素材だけでどんな風に鳴るのかなんて専門家でもないので分かりもしないが それを自分の部屋に置いた時の姿は誰もが分かる事である。
その存在が部屋に溶け込むのか いやいい音さえ良ければ形なんか関係ないと人それぞれで更には専用部屋で他の人が(家族等)関知しないような環境下であれば持ち主の勝手であるがリビングなどに置く場合 異様なものがそこに存在すると家族が不信感を抱く場合もある。
昔 テレビと言えば家具調のものが多く家のテレビは確か観音開きであった…観音開きなんて仏壇じゃないのだから今の人に言っても信じられないと思うがテレビにレースの布なんかかけてそりゃー大事に扱っていた。親戚の家でオーディオ装置を買ったと聞き行ってみると観音開きのテレビと同じようないでたちでやはり家電と言うより家具そのものであった それゆえ居間でも違和感がなかった記憶がある。でも今の感覚で見るとその家具調のデザインのテレビなりステレオも違和感丸出しである(笑)
それは西洋文化と日本文化の合成であり とても中途半端なものであったからのように思う。当時は欧米製品への羨望があった 舶来優越主義で安かろう悪かろうの日本製品は下に見られていた しかしながら日本製品のそれが下に見られていたのは工業製品であって伝統的な工芸品などは逆に羨望の目で見られていた。緻密な工芸製品を作る日本製品は工業製品でも素晴らしいものを作るのにそれほど歳月はかからなかった そうしてメイドインジャパンの製品は世界的にも認められるようになってきた。
ところがオーディオ機器に於いてはまだまだ日本は後進国であるように思う 機器類の部品、パーツは素晴らしい性能のものが日本製にはあるが出来上がりの製品は音楽を再生するにおいて「ゆとり」がないように感じる それはデザインしかり実際の音楽の表現力などである。ありていな言い方をすれば感性の違いというところかもしれない そもそも日本人は音楽後進国であり(ここでいうのは西洋音楽のことである)クラッシックや広義な意味でのジャズなど再現する装置はまだまだ遅れているようにも思える。
能面のように表情を消し淡々とこなす姿は日本的であり日本の美のひとつでもある。ただ西洋音楽の歴史や成り立ちからくる感情の表現は豊かでワクワク期待させる そういう西洋人の作る音楽再生機はその姿からも斬新で面白く思う
これらの異質な素材の組み合わせ、意匠は有機的であり好みも分かれるところだが存在感を示している。
最近の日本家屋は洋風になってきているので ある程度有機的な物が置かれていてもそれほど違和感はない、ただ単一素材(特に木材)を使った奇をてらわない自然な風貌が好みという日本人は多いような気がする それゆえ有機的な物はなるだけ小さくして目立たせないように置くのが日本人にとってごく自然な成り行きなのかもしれない。