美音とは

「良い音」と「美音」とは少しニュアンスは違う。目指す音は無いと言い放ったが最近QUADとMinimaから鳴る音を聴いていて美しい音だと感じている。

ここのところ他の人のお宅の音は余り聴きに行っていないが「いい音しているなぁ」とか「立派な音?」だとかは感じるが美しい音、美音と感じる事は稀である。

感じ方は千差万別で人により違うものだが総じてきれいな音は多いように思う。きれいな音は電源にこだわり部屋の調音を上手に行いS/Nを良くすると出やすいようだ あとは機器やスピーカー等にかかる振動を抑えることにより静寂感が出てソフトに秘められた性能を最大限に出せると聞いた。(もちろんそれが全てではない)

「とてもきれいな音が出てますね」とあるお宅で言ったらその方は喜んでいた。逆に同じオーディオでもジャズを主に聴く人のお宅でそれを言うと「…!」と思われるらしい。普通 きれいと汚いを比べるときれいな方が良いと思うがジャズの場合少し捉え方が違うのか いわゆるダーティな音のほうがジャズらしく聴こえるというのが世間一般の捉えかたなのかもしれない。

オーディオを趣味としているお宅に訪問すると大抵はオーディオ(機器)を中心に部屋を弄くる人が多い それは当たり前の事で だからオーディオの趣味と言える。
それに対して既に家具などの調度品があり空いているスペースにオーディオ機器を配置しているオーディオマニアは殆どいない。いわゆるセッティングの妙が使えない理由だと思う。それが我慢できないので専用部屋やオーディオ再生のために新たに部屋を作る人がいるのだと思う。

自分の場合 最初は専用部屋となる部屋があった それが時々このブログでも書いている布団部屋である。狭いが一応簡易防音の備えがあり周りには迷惑をかけずに音楽を鳴らせる しかしながら音楽が美しく聴こえないのでこの部屋で再生することを諦めた。今は台所とつながっている6~7畳ぐらいの部屋で聴いている。壁面収納もあるので実質は5畳ぐらいの感覚で窮屈な感じは多少する 部屋に添えつけの棚がありちょうどそこにプレーヤーやらアンプなど置いてベランダの窓際にスピーカーを置いて動線は確保、機器も小さいのでそれほど違和感はないと思っている。

美音の話からなぜこのような部屋の話になったかというと音楽を聴きたいが為の人の欲望が部屋を侵食し何故か人が自然を破壊しているそんな自然破壊を想像したからである。部屋自体も人工物なのでもちろん自然ではないが 音楽を聴きたいが為に無理やり部屋を作る、弄るのは人間の身勝手さなのかと思ってしまった。(個人の自由は尊重します)
スピーカーの下に敷くボードなどはあるがアンプも重ねて配置(薄い鉄板などは挟んでいる)スピーカの配置なども適当な感覚 それよりも生活するのに支障が無いような置き場所で聴いている。音楽もオーディオも生活のほんの一部 邪魔にならないように置いてから安堵感が増した。

オーディオマニアの方が来られて電源環境や設置等のアドバイスを頂いたがただジャズを聴いている自分からするとそのアドバイスはとてもありがたかったが異様に感じた。演奏者や歌手が提供するソフトはそんな特殊な環境、装置を想定して作られた物ではないと思っている 中身、内容にどう視聴者が感じてくれるかそこが問題であって部屋や機器、電源は二の次であると個人的には思っている。

汚いよりきれいな方がいい でもきれいな音はもう余り聴きたくない。ジャズだから歪んだ音、荒々しい爆音というのも歳とともに食傷気味である。
美しい音が聴きたい。それはオーディオマニアのお宅からは聴けないと思う 訪問したお宅で1件だけ美しい音に遭遇した その方はオーディオマニアではなかった。

MinimaとQUADだから美音というわけではない。再生するソフトの内容が美しかったからそう感じたのであろう それがたとえジャズだとしても…。
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# by kurama66644 | 2017-11-23 12:49 | オーディオ | Comments(0)

有名盤を聴く

ジャズを聴き始めて35年が経つがまだまだ聴いた事がないアルバムは沢山ある。自分はアナログ世代だがオーディオ機器が無かったので聴き始めはエアーチェックしたカセットが主であった。後にCDがメインになり80年代終わり頃からライブを聴きに行く事がメインになった それゆえ本格的な?オーディオ機器を揃えるようになったのは2007年頃と この世代としてはかなり遅咲きの感はある。そしてアナログに関しては本当につい最近(4年ぐらい前)から実質聴き始めている。

ジャズ暦はそこそこあるがオーディオ機器を通したアナログジャズ暦はまだまだ初心者に近い。それゆえジャズオーディオに携わっている人と話をしてもジャズそのものについては何とか話はついていけるがジャズに於けるオーディオの再生の仕方、オーディオ機器のセレクトなど中々難いと思う事はある。オーディオ通が進める再生環境や再生機器はどれもが高価な物ばかりで(ハイエンドに限らずヴィンテージなど)こちらの方は中々追随するのは困難である(汗)

何だか愚痴のような前置きはともかくとして最近は仕事が忙しくその反動で購入するのを止めたオリジナル等のレコードが無性に欲しくなる欲望にかられる…御茶ノ水のユニオンなども休みの日には再び訪れるようになった。といっても見て回るだけの事が多いのだがついつい購入するときもある(笑)

そういう中 エサ箱の中からふと見つけたアルバム
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オスカー・ピーターソンの「WE GET REQUESTS」そういえばこのアルバムCDでは飽きるほど?聴いたがアナログオリジナルは持っていなかった…。
値段も三大レーベル、いまやその他のレーベルでも高騰しているオリジナルの中でも安い価格表示である。もちろん盤質Aとか不具合のないピカピカのものであれば価格はそれなりに上がるが特に酷い盤質でない限りそれほどこだわらないので購入してみた。

オーディオ評では高音質で臨場感がありオーディオチェックにも最適などとよく書かれていたしCDを聴いていたときも自宅の貧相な装置でも悪くはないと思っていた。
オリジナルを聴いてみて なるほど音像のリアルさがありドラムやベースの位置関係などを探ってみたくなる そしてピーターソンの宝石のようなキラキラした流暢なピアノの音に心奪われてしまう。CDで聴いていた時はここまでの感想を持たなかったがアナログのオリジナルだと一味違って聴こえるのはオリジナル信奉があるからなのか?

ピーターソンはテクニック重視の感はあるが結構遊び心があり茶目っ気たっぷりな演奏もする。そういう面でジャズの楽しさを味わえたりも出来るが このアルバムを改めて聴くとやや気取った感じで上品に演奏している風にも思える。いわゆるジャズの入門者用ともいえるオーソドックスだが万人が楽しめるアルバム それでいて録音が中々良いので人気があり有名盤なのであろう。 しかしながら体がいまいちスイングしない…キタサンが感じる好きなアルバムは体が自然にスイングする 残念ながらオリジナルで有名盤でも体は正直に反応してしまう。

実はこのアルバムを購入するときに他に2枚ほど買った。その1枚がこちらである。
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ホンカージャズの大御所 バディ・テイトの78年 マサチューセッツ Sunday,sでのライブ盤である。発売は80年(muse)
museオールスターズと書かれているように当時museでレコーディングした新旧の面々がそろい踏みである。盟友で同じくホンカージャズの親分アーネット・コブ、モダンジャズ派からはレイ・ブライアントにアラン・ドウソウ、ジョージ・デュビビエ… この名前を聞いただけでキタサンはワクワクしてしまう(笑)
バディ・テイトと言っても今ではコアなジャズファンでないと知る人はかなり減っているだろう この大正3年生まれのオヤジは当時で65歳 これでもかと言うような図太いホゲホゲテナーの怪音を出す。年齢的には一昔前では後期高齢者に片足を突っ込んでいるであろう老人が楽しみに聴きに来ている観客の為 本物のジャズを示すのである。

余り有名ではないmuseレーベルそして年代的にも70年、80年物は日本では人気が無い。人気が無くても こちらもオリジナル盤で中々盤の状態も良い それなのに800円か~安すぎる 内容的にはかなり高くなっても不思議ではない もちろんこちらは体が揺れる揺れる スイングしまくりであった。

もう1枚はコロンビアのアート・ファーマーのライブ盤 アート・ファーマはプレステッジやアトランテック、enjaのイメージが強いがコロンビア盤は珍しい、機会があればこちらも紹介しようと思っている。

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# by kurama66644 | 2017-11-19 10:24 | ジャズ | Comments(2)

粋で鯔背(いなせ)

江戸っ子?に使われていた「粋でいなせ」なんて言葉は殆ど死後になっているが江戸っ子でもないキタサンが先日たまたま聴き返していたアルバムでその「粋といなせ」を感じてしまった。当然日本のものかと思いきや あちらさんの国そうジャズの本場アメリカさんのアルバムなのである(汗)
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「Maggie,s back in town!!」ハワード・マギーのコンテンポラリー盤である。
麻薬渦から立ち直ったコンテンポラリーでのマギーの復帰作である。片手で肩に軽くペットをかけるような いでたち…ロサンジェルスに観光に来たかのようなリラックスさをジャケットがよく捉えている。

この時 マギーは42歳 もう中堅というよりベテランの域にある。軽くあしらっていたマイルスも今ではジャズの革新者といえる存在になっていたしリー・モーガンやドナルド・バードも台頭著しい この時モダンジャズの成熟期である60年台に突入していた。復帰後のベツレヘム盤「ダスティ・ブルー」も素晴らしいが個人的にはこちらの「Maggie,s back in town!!」の方が好きである。

それは共演者の妙にもつながる。「ダスティー・ブルー」でのローランド・アレキサンダーやトミー・フラナガン、ロン・カーターなど東海岸のハード・バッパーの名手との演奏は正統派ジャズの様相を示しているかのようにも思う。ジャズメンの正装でもある三つボタンのスーツにサングラスのいでたち 別の言い方をすれば ちょっといい格好しいの演奏でもある。一方の「Maggie,s back in town!!」のフィニアス・ニューボーンJr. リロィ・ビネガー、シェリー・マンの面々は西海岸の名手達 この地域特有の暖かい陽気な雰囲気の中 「ハワード! これで何度目のシャバだい? まぁいいや気楽に演ろうや」「格好つけてスーツなんか着るんじゃねぇよ その窮屈なネクタイなんか外せや」こんな会話が聞こえそうなリラックスした様子が見えるかのような楽しい演奏がこのアルバムで聴ける。

キタサンが特に気に入ったのはフィニアスのピアノがいつもの饒舌なピアノを多少押さえハワード・マギーの調子に合わせた絶妙なタッチが何ともいえないところである。トリオ演奏で見せる天才的な指運びではない軽く流暢なパッキングに徹している姿は又 貴重でもある。

ハワード・マギーのトランペットは往年のハイノート・ヒッターと決別するかのように終始穏やかだ。今の自分の実力、立ち位置、ジャズ演奏の時代の変化を麻薬から立ち直りまわりをみて 今までの自分を捨て力み無く演る そんな諦めのような清さを感じる。ただしB面最後の曲 ブラウニースピークスはかなりハードバピッシュな演奏であるのは(ハワード・マギーだけでなく他のメンバーも)クリフォード・ブラウンに敬意を表してか若い頃の燃える演奏を思い立たせる。

時代の潮流には乗り損ねたが それもこれも己のせい なるようにしかならない。新しい事は出来ないがかといって古い事にもこだわらない アメリカでありながら江戸っ子の粋でいなせな奔放さを感じてしまうキタサンの愛聴盤である。


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# by kurama66644 | 2017-11-18 10:15 | ジャズ | Comments(0)

伝説のジャズボーカリスト

いささか大げさなタイトルだが若くして亡くなった実力のある方にこのような敬称を付ける事が多いように思う。

今回ご紹介するのは女性でしかも日本人の方「木村芳子」さんである。ボーカルファンでもそれほど知られていないのは先に挙げたように若くして亡くなり生涯1枚のアルバムしか発表していないせいもある。

45年生まれ、学生中に米軍キャンプで歌うようになり それから10年間都内のジャズクラブでバンド活動をする。第1回69年のニューポートジャズフェスティバル・ジャパンにも参加、ペドロ&カプリシャスの初代ボーカル前野曜子さんとも交友があり親友同士であった。

木村さんにレコーディングの話が持ちかけられたのは77年 ジャズボーカルという特異なジャンルの中 そういうレコーディングの話は当時は中々巡ってこない。大衆世界を相手に経済的採算性を考えると世間的に受けそうな歌謡曲やポップス系の人々にどうしてもレコーディングの機会は優先させられてしまう。
千載一遇のチャンスを与えられた木村さんであるが驚く事にバックを務めるのはゲイリー・フォスターやクレア・フィッシャーなどのアメリカの大物たち そしてレコーディングもロサンジェルスのスタジオと破格の待遇であった。地道な活動をしてメディアにも殆ど取り上げられなかった木村さんではあるが木村さんのジャズボーカルの実力もさることながらジャズレコードが徐々に売れ行きが上がった事と日本のレコーディング会社や個人プロデューサーがアメリカなど海外のミュージシャンとの交流を図り 日本のジャズも少しづつインターナショナルのマーケットを拡大していくという当時の背景と一致していた時期も関係があると思う。

アルバムタイトルは「メモリーズ」モリス・アルバートがヒットさせた曲でもある。
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選曲自体はこのメモリーズをはじめバーバラ・ストライザンドの追憶など ややポップス系の曲も入り硬派なガチガチのジャズアルバムではないが木村さんの歌声は正に「ジャズ」なのである それも「和ジャズ」と言っていいだろう。あちらの(米国)の歌手を真似してジャズっぽく作った感じはしない自然な歌声、無理の無い声量、感情を相手に押し付けない不思議なクール感も漂わせている。それでは情熱的ではないのか?というと不思議な事にその情熱が伝わってくる。これは日本で言う阿吽の呼吸と呼べばよいのか 歌い手と聴き手が何となく意思疎通できる感覚にも似ている そこら辺りが「和」を感じ同時にあちらの(米国)のジャズも感じてしまうのである。

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ジャケットは野暮ったいがちょっと低めの親しみのある声も日本人には受けると思う。30代の若さで亡くなられたのは非常に残念である。

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# by kurama66644 | 2017-11-12 08:20 | ジャズ | Comments(0)

自分の目指すサウンド?

「自分の目指すサウンド」…とオーディオや音楽の記事、コメントによく書かれている。今まで何気にしか見ていなかったがそういえば自分の目指すサウンドなんてものがあるのかなぁとフッと考えてみた。 そうすると特に思いつくこともない…まぁいい加減で実に不真面目なのかもしれないがどうなのだろう?

一般的には生演奏の雰囲気とかホール感を出すとかスタジオ録音が再現されるとか具体的に自身が聴いた?感覚を再現してみたいという事や あるいは感動したい、心が揺さぶられる音が聴きたい、人の声がリアルに聴こえるようなというどちらかというと刺激を求めるものが表現できればという事なのだと思う。

当たり前かもしれないが1時間前の私と1時間後の私では違う人間である。どこかの細胞が死んで違う細胞が生まれる からだひとつとっても 変化して同じではない。
体のひとつである脳も同じく変化している 寝ている時と起きてからでは別人になっている事に不思議さはない。いつまでも同じであるというのは勝手に想像しているだけで1秒1秒変化している。これは人間だけではなく他の動物も外の自然も同じ事がいえる。

人自体が自然のひとつで刻変化しているのに音が変わったと機械や部屋のせいにしてあれやこれや弄くり自分の理想にしようと考える方が(コントロールするほうが)無理があるようにも思えてしまう。
そう思うと良い音、悪い音、理想の音という枠組みも余り意味が無い気がしないでもない。それでもその意味の無い事にあれこれ悩んでしまうのが人間の性(さが)のようである。

コントロールできるのは人工物だけで自然は出来ない。いくら機器を調整しても部屋を作って「自分の理想のサウンド」とやらを構築したとしても肝心の人(自然)が日々変化しているのだから理想のサウンドも変化してしまう。それならばそれを素直に受け止めるしかないと思う あとは好き嫌いぐらいしかない。


機械にこだわるのもアクセサリーにこだわるのも部屋にこだわるのも人としての性(さが)が成しえる事で仕方がないこと それは別名 個性という名で呼ばれている。

自分は各人の個性に立ち入る事はしないし出来ない。他人のお宅に訪問しても弄る事はしない 弄るのは自分の個性になってしまう それは相手に対して失礼だと思う。
仮に相手からお願いされて弄る場合 これは自分の個性であると注釈してからのほうが良い そうでないと相手の個性を消してしまう。

結局オーディオとは自然(人)と加工物(機器等)の組み合わせ 目指すサウンドは人と言う自然が絡むので日々変化してそこから逃げていく。機器や部屋その他でコントロールできたとしても自然がそうさせない。あるがままのものを素直に聴くだけである。

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キタサンの好きなジョー・ニューマンのアルバム。これは再発盤だが柔和でありながら時に激しさもある演奏をしてくれる好アルバムである。




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# by kurama66644 | 2017-11-05 10:33 | オーディオ | Comments(4)

ジャズは好きです!


by キタサン
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